悪役令嬢と父を名乗る男 2
ランドールは手元の書類をかれこれ十五分も睨んでいた。
城のランドールの部屋である。いつものように仕事をしようと机についたはいいが、まったく集中できず、書類の内容も一向に頭に入らない。
それもこれも、昨日現れたガッスールとかいうソフィアの父親を名乗る男のせいだった。
ランドールはかねてよりソフィアのことを偽物の王女ではないかと疑っていたが、昨日のガッスールの話を信じたわけではない。
城の門番で働いていたというが、住み込みで働く侍女と門番の間に接点が生まれるとは考え難い。ましてやソフィアの母リゼルテと国王が親密な間柄であったことは、国王も認めていることである。国王とそのような関係になっておきながら、別の男――それも平民の門番――と、というのは、普通に考えてありえない。
第一、本当にソフィアがガッスールの子供であるなら、リゼルテが城を追われた際に、どうして彼は彼女を追わなかったのか。リゼルテが何も言わずに去ったこともそうだが、彼が彼女の居場所を把握できていなかったというのには疑問が残る。妊娠したためガッスールに迷惑はかけられないと判断したのだろうと彼は語ったが、果たしてそうだろうか? むしろ、妊娠したリゼルテをガッスールが捨てたと言われたほうがしっくりくる。
「……どうして俺は、あの男がソフィアの父親でない可能性ばかりを考えているんだ……」
ソフィアがガッスールの娘であるなら、これほど都合のいいことはないはずだ。
ソフィアを国王から遠ざけることができ、なおかつ離縁することもできる。これ以上彼女の監視を続ける必要はない。ランドールにとっていいことずくめであるはずなのに。
ランドールは椅子から立ち上がった。
だめだ。今日は仕事がはかどらない。少し休憩しようとメイドを呼びつけて紅茶をいれさせた。
ガッスールのことを調べさせてはいるが――十六年以上も前の門番の雇用記録である。残っているのかどうかも怪しい。
もしもあの男が何らかの悪意を持ってソフィアに近づいてきたのであれば、早めに対処しなければならないだろうが、何もわからないから動きようもない。
頭が痛くなって、ランドールが目頭を押さえた時だった。
部屋の扉が叩かれる音がして、ランドールが扉を開けると従妹で第一王女キーラが立っていた。
「どうした?」
ランドールはキーラを部屋の中へ招き入れて、メイドに彼女のために紅茶とお菓子を用意するように告げる。
キーラはどこか浮かない顔で、伺い見るようにランドールを見上げた。
「ランドール。ソフィアの本当のお父様が現れたと聞いたわ。本当なの?」
ランドールは驚いた。昨日、レヴォード公爵邸から帰るときに現れたガッスールのことは、ヴォルティオ公爵家の御者を含めすでに口止めしており、外部に漏れるはずはないと思っていたのだが、いったいどこで聞いたのだろうか。
キーラは悲しそうに睫毛を震わせた。
「わたくし、驚いてしまって……。お父様もきっとショックよね……」
「そのことを国王に? というかどこで聞いたんだ?」
「すっかり噂になっているわよ。これだけ噂になっているんですもの、お父様の耳には入っているはずよ」
「噂に……」
いったいどこで漏れたのだろうか。しかもすでに城内部で噂になっているとは。城のメイドや侍女たちは噂好きで、確かに漏れればすぐに広まるだろうが、それにしても早すぎる。
「キーラ。この件についてはまだ調べている途中だ。まだ詳しいことはわかっていないし、本当にその男がソフィアの父親であるかどうかもわからない」
「……ランドールは、違うと思っているの?」
「その可能性が高いとは思っている」
「……そう。でもあなた、前からソフィアのことを偽物だと疑っていたじゃない。それなのに違うと思うの?」
キーラは少し不満げだった。
無理もない。キーラはソフィアに散々冷たく当たられていたらしい。ソフィアが城からいなくなって一番ほっとしているのは彼女だろう。けれどもソフィアがランドールの妻であれば、夜会などでソフィアと顔を合わせる機会はある。それを恐れているのかもしれない。
「キーラ。君はまだ不安だろうが、ソフィアのことは俺が目を光らせている。それに前回のパーティーの赤ワインの件はソフィアではなかっただろう? それほど怯えなくても大丈夫だ」
「……別にわたくしは、ソフィアを追い出したいわけでは……」
「わかっている。君がそんなことを考えるような子ではないことはね。でも、不安なのだろう?」
「それは、少しは……。でも、本当に違うのよ。もしもソフィアに本当のお父様が現れたら、きっとその方と一緒に暮らす方が幸せではないかしらと思ったの。それに……、ソフィアが娘ではなかったと知った陛下――お父様が、どれだけ傷つくか……。わたくしはそれが心配なのよ」
キーラは紅茶にミルクを注いで、悲しそうな表情のままそっと口をつける。
キーラは優しいから、散々ひどい目にあわされたソフィアのことも、父王のことも思って心を痛めているのだろう。
「この件は俺が調べるから、心配せずに待っていてくれ」
ランドールは心優しい従妹を慰めるように、力強く頷いた。