悪役令嬢はお茶会にお呼ばれする 4
ソフィアがローゼ・レヴォード公爵夫人から昔話を聞いていたころ、二階にある別のサロンでは、ランドールとレヴォード公爵の息子であるカイルが、互いにチェス盤を睨んでいた。
公爵は少し離れたところで葉巻をふかしている。
「ソフィア様はまたずいぶんとお美しくなられたな。幼さがだいぶ抜けたように見える。あんな美人と結婚出来て、うらやましい限りだ」
同じ年のカイルとは十代のころ、ともに留学をした仲である。茶化すように言われて、ランドールは眉を寄せた。
幼さがだいぶ抜けた? ついこの間、噴水で水遊びをしていたのに?
確かに今日のソフィアの姿にはハッとさせられたものがあったし、カイルの言う通り、美人だとは思うが、ランドールは好きでソフィアと結婚したわけではない。
「お前はてっきり、キーラ王女を妻にもらうと思っていたんだがなぁ。よりどりみどりでうらやましいね」
「キーラはそんなんじゃない」
「じゃあどんなんだ?」
「……妹みたいなものだ。そんなにうらやましいなら、お前がキーラの結婚相手に名乗りを上げればいいだろう。身分的にも釣り合う」
「キーラ王女? いやいや、俺はパスするよ。俺はむしろ、ソフィア様を狙っていたからね。お前と結婚するのがあともう少し遅かったら名乗りを上げていたのに」
「ソフィアを?」
ランドールは黒のルークを動かしながら、さらに眉間にしわを寄せる。
カイルも駒を進めて、大きく頷いた。
「嘘じゃない。父上も母上も賛成していたし、惜しいことをしたよ。まさかあんなにすぐお前とソフィア様が婚約するなんて思っていなかったからね」
「……ソフィアのどこがいいんだ」
「おいおい、お前がそれを言うか? かわいいじゃないか。話したことがあるのは数回だけだが、まっすぐ人の目を見て話すあの姿が好きだね。あの大きなエメラルドみたいな瞳は吸い込まれそうになる」
「……馬鹿馬鹿しい」
ランドールは胃の当たりがむかむかしてきて、苛立ちまぎれに次の駒を進める。
カイルはチェス盤を見て、にやりと笑った。
「変なところに駒をおいてくれてありがとう。あと二手でチェックメイトだ」
途端にしかめ面になったランドールに、カイルは「お前でも狼狽えることがあるんだな」と声を出して笑った。
ソフィアの母であるリゼルテは、十五歳の時に母であるアンネを亡くし、アンネの死の直前に彼女のことを知ったローゼ夫人に引き取られたらしい。
けれどもリゼルテは、夫人のもとで生活するのではなく、自分で生きていくことを選んだそうだ。夫人は何度も説得したがリゼルテの意志は固く、仕方なく働き先として安心できる城の侍女を紹介したのだそうだ。
「リゼルテは城から追われたとき、黙っていなくなってしまったのよ、アンネもリゼルテも、どうして人を頼ろうとしないのかしら。頼ってほしかったのに……。もしかしたら陛下の子を宿していたから言えなかったのかもしれないわね。取り上げられると思ったのかしら」
「わかりません。でも、もしかしたらあるいは。母は自分のことも、わたしの父のことも語ろうとはしませんでしたから」
「そう……。あの子からわたくしのところに手紙が来たのはね、あの子が亡くなる少し前……、あなたが陛下に引き取られる前のことだったようなのよ。手紙にはね、あなたのことと、自分はもう長くないからあなたをお願いしたいと書かれていたの。でもわたくしはその時、主人の療養のために領地にいて、その手紙に気がついたときはあなたはすでに陛下に引き取られた後だった。あの子がはじめてわたくしを頼ってくれたのに、わたくしは助けてあげられなかった。ごめんなさいね。陛下はああいう方だから、あなたのことを愛してくださったとは思うけれど、お城ではその……、あまり居心地はよくなかったでしょう?」
居心地は確かに悪かったが、それは夫人が気に病むことではない。きっと夫人は、祖母の件からずっと気にしてくれていたのだろう。ソフィアは、母がぎりぎりまで夫人を頼ろうとしなかった理由がわかる気がした。夫人は優しいから、だから迷惑をかけたくなかったのだ。
夫人は立ち上がると、ソフィアの隣に移動して、そっとソフィアの手を握り締めた。
「わたくしには娘がいないの。あなたさえよければ、また遊びに来てくださるとうれしいわ」
「はい。ぜひ」
ソフィアはぎゅっと夫人の手を握り返した。
夫人にしてみれば、アンネとリゼルテに何もしてあげられなかったことへの償いの意味もあるのかもしれない。けれども、ソフィアは嬉しかった。なんとなく聞いてはいけないような気がして父王には聞けなかった母の話ができることと、母を大切に思ってくれていた夫人の気持ちが嬉しくて――、ソフィアの中にあった緊張はいつの間にか消え失せて、時間が許す限り、まるで母子のように夫人とのお喋りを楽しんだ。
「また来て頂戴ね」
ローザ夫人からハグをされてソフィアはレヴォード公爵邸をあとにした。
馬車は公爵家の門の外に停めてある。ヴォルティオ公爵家を出るときに降っていた雨はいつの間にかやんでいた。
馬車までの短い距離を歩きながら、ソフィアはそっとランドールを盗み見る。
(……なんか、機嫌が悪いわね)
なんとなくだが、ランドールがイライラしているような気がする。もともとソフィアと一緒にいるときにはにこやかな表情は浮かべないが、いつもよりも仏頂面だ。
レヴォード公爵とカイルと一緒にいるときに何かあったのだろうか? だが、あの二人は人当たりがよくて穏やかで、人を不快にするような言動をするとは思えない。
レヴォード公爵とは今日はじめて会ったソフィアだが、カイルとは城で数回話したことがあった。といっても、ソフィアが本を借りに書庫へ向かっているときや、父王に呼び出された時などに部屋から出て廊下を歩いているときにばったりと出くわし、あいさつ程度の世間話をしたくらいではあるが、カイルはいつも微笑んでいて、優しそうな人だなという印象を持っていた。
(うん、きっと気のせいね)
あの二人と一緒にいてランドールが機嫌を害するはずはない。
気にするのをやめて、ソフィアが御者の手を借りてヴォルティオ公爵家の馬車に乗り込もうとした、そのときだった。
「ソフィア!」
突然聞こえてきた声に顔を上げたソフィアは、まるで猪が突進するかの如く走ってくる男の姿を見つけて息を呑んだ。
男はソフィアに駆け寄り抱き着こうとして、その前にランドールによって取り押さえられる。偽物だ偽物だと言うけれど、一応、ソフィアのことを王女として守ってくれようとしたランドールにじーんとしつつ、見たこともない男に視線を向けて首をひねった。
男はくすんだ金髪をしていた。背格好は中肉中背。年のころは四十を過ぎたあたりだろうか。
「あの……、どこかでお会いしたことがありますか……?」
ソフィアには全く心当たりがないが、ソフィアの名前を呼んだところをみると、どこかで会ったことのある人だろうか?
ランドールに取り押さえられた男は顔を上げて、うるうると瞳を潤わせた。
「ソフィア! 今まで心細い思いをさせてすまなかった!」
「はい?」
ソフィアは、ますますわからなくなって首を傾げる。
しかし次の瞬間、男が言った言葉に頭の中が真っ白になった。
「わからないか、ソフィア! 俺は君の、お父さんだよ!」
――なんですって!?