悪役令嬢、ダンスパーティーで注目を集める 5
本日四話目の投稿ですm(_ _)m
馬車の中は先ほどから沈黙に包まれていた。
アリーナと休憩室を出たあと、ソフィアはダンスホールに戻る気になれず、そのまま公爵家へ帰ろうとしたのであるが、馬車に乗り込もうとしたところでランドールが追いかけてきた。
ランドールは今日は公爵家へ戻るという。気まずいから顔を合わせたくなくても、もちろん拒否できるはずもなく、ソフィアはランドールとともに帰途へついた。
ガラガラという車輪の音が妙に響く車内で、ランドールは先ほどから窓の外を眺めている。外は夜の闇に包まれて真っ暗で、ほとんど何も見えないだろうに。
ソフィアはランドールの横顔を見つめて、こっそりため息をついた。
さすがに今日のは、傷ついた。
ランドールがソフィアを非難することは珍しくないことだが、多くの人がいる前で怒られて――、わかってはいたことだが、ランドールはヒロインの攻略対象で、ソフィアは悪役令嬢なのだと思い知らされた。ランドールはヒロインであるキーラが大切なのだ。
頑張ったダンスレッスンも、きれい着飾ったことも、すべてが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
ランドールが見せた笑顔一つで舞い上がったソフィアは、なんて愚かなのだろう。ちょっと笑ってくれただけで、彼の心が手に入ったわけではないのに。
(……信じてほしかったな)
ランドールがソフィアを嫌っていることはわかっている。ランドールの心を手に入れるのは大変だと、わかっているけれど――、心が折れそうだ。
ランドールは今、何を考えているのだろう?
アリーナのおかげでソフィアが犯人ではないと証明されたはずだが――、まだソフィアのことを疑っているのだろうか?
ソフィアはランドールが見つめているのとは逆の窓に視線を向けた。
窓に映るソフィアは、ひどい顔をしている。せっかく化粧をしてもらったのに、ひどく暗い表情を浮かべていて、どこにも華やかさがない。
城から公爵家までそれほど遠くないはずなのに、ずいぶん長く馬車に乗っている気がする。
早く帰って、お風呂に入って、そしてさっさと寝て今日あった嫌なことなんて忘れてしまいたいのに。
ソフィアはそっと目を閉じる。
どうしてわたしは「ソフィア」なんだろうと泣きたくなった、そのときだった。
「……今日は、すまなかった」
ソフィアははっと目を開けた。
ソフィアの耳に届いたのはあまりに小さなつぶやきで、空耳かと思った。
振り返ればランドールが、窓の外を睨むように見つめたまま言った。
「お前を疑って、悪かった」
聞き間違いではなかった。
(ランドールが……、謝った?)
ゆっくりと記憶をたどる。けれどもゲームの中でランドールが謝ったシーンはなく、ソフィアの中に適切な選択肢は出てこない。
ソフィアは戸惑い、そしてただ「うん」と頷いた。
馬車の中には再び沈黙が落ちたが、不思議と先ほどまでの呼吸すら苦しいような窮屈な感じは、しなかった。
ランドールは窓の外の闇を睨みながら、今日のことを後悔していた。
ダンスを終えてソフィアと離れ、知人と話をしたのち、ランドールはキーラの友人という令嬢に呼ばれた。
なんでも、キーラが泣いているそうだ。
大切な従妹が泣いていると聞いて、ランドールは急いでキーラのいるという休憩室の一つに急いだ。
休憩室に入ると、そこにはキーラがぽろぽろと涙をぼしながら、しきりにドレスをハンカチでぬぐっているところだった。
「どうした?」
ランドールが声をかけると、顔を上げたキーラは、大粒の涙をこぼしながら言った。
「ドレスにワインが……。ソフィアがわたくしのドレスに赤ワインをかけたの」
「ソフィアが?」
「ええ。きっとわたくしのことが目障りだったのよ。ソフィアは、わたくしのことが大嫌いですもの……」
悲しそうに睫毛を震わせるキーラに、ランドールはカッとなった。しばらく大人しくしていると思ったのに、あの庶民はまたキーラにひどいことをしたらしい。
ランドールは怒りのままに休憩室を飛び出して、その足でソフィアのもとに行った。
キーラのドレスにワインをかけたことを責めると、彼女は戸惑ったように瞳を揺らしたが、ランドールは騙されまいと思った。なぜならキーラが言ったのだ。ソフィアがキーラのドレスに赤ワインをかけたと言ったのである。
そのキーラの証言を証明するように、背後でキーラの友人たちが口をそろえて、ソフィアがキーラのドレスに赤ワインをかけたのを見たと言う。
これだけ証言があってもまだ罪を認めないソフィアに苛立ちがピークに達したとき、ひどく冷静な声がランドールの耳を打った。
「ソフィア様はなにもされていませんわ」
口をはさんだのはソフィアの隣でシャンパングラスを傾けていた令嬢だった。名前を確か、アリーナというレガート伯爵の娘だ。
「ソフィア様はずっとここでわたくしとお話ししていましたもの。それなのにどうやってキーラ様のドレスに赤ワインをかけるのです?」
ランドールは眉を寄せた。ソフィアがずっとここでレガート伯爵令嬢と喋っていた? だがしかし、キーラはソフィアに赤ワインをかけられたと言った。どういうことだ。
レガート伯爵令嬢に問いかけられて、キーラの友人たちが狼狽えはじめる。ソフィアがここに来る前にワインをかけたと言いだしたと聞いたとき、ランドールは犯人がソフィアでないことに気がついた。なぜならソフィアはそれまではずっとランドールと一緒にいたからだ。
途端に、ランドールは狼狽えた。
ソフィアではなかった。それなのに自分は、カッとなってソフィアを攻め立ててしまったのである。
ソフィアと視線を合わせることができずに横を向くと、ソフィアはレガート伯爵令嬢に連れられて休憩室へ行ってしまった。
ランドールはその後、騒ぎを聞きつけた国王に呼ばれて子細の報告をし、それを聞いた王に叱責された。王は一段高いところからずっとパーティーの様子を――というかソフィアの様子を見ていたが、ソフィアがキーラに近づくところは一度も見ていないという。
いよいよ、ランドールは落ち込んだ。
どうしてキーラがソフィアに赤ワインをかけられたと勘違いをしたのかはわからないが、詳しく調べもせずに、ランドールは彼女を疑ってしまったのである。
ランドールはそのまま国王に延々と文句を言われたが、小言はちっとも耳には入ってこなかった。
(……泣いて、ないよな……?)
胸裏から離れないのは、ランドールの前から立ち去るときに見せた、ソフィアの傷ついた顔。
ソフィアが帰るという報告を受けて馬車を待たせている場所へ急いだら、彼女は暗い表情で馬車へ乗り込もうとしていた。
ランドールは今日も城に泊まる予定だったが、いてもたってもいられなくなって、公爵家へ帰ると言って同じ馬車に乗り込んだ。
けれども、馬車に乗ったはいいが、何を話していいのかがわからずに、馬車の中にはただ車輪の音だけが響く重苦しい沈黙が落ちた。
じっと窓を睨んでいると、窓ガラスにソフィアが反対側の窓に顔を向けたのが映った。ガラス越しに、反対側の窓に映ったソフィアの顔が見えて、ぎゅっと胸が苦しくなる。彼女は今にも泣きそうな顔をしていた。
「……今日は、すまなかった」
謝ったところで、彼女を疑った過去は消えない。
でも、黙ったままでいることなどできなくなって、ランドールは素直に自分の非を詫びた。
「お前を疑って、悪かった」
振り返ったソフィアは驚いた顔をしていた。何もそんなに驚かなくてもいいのにとランドールは思う。まるで、自分は謝ることもできない不遜な人間のようじゃないか。
ソフィアはしばらく驚いた様子のまま黙っていたが、やがて小さく「うん」と頷いた。
そして再び馬車の中に沈黙が落ちる。
ランドールは窓ガラス越しにソフィアの様子を見つめながら、心の底から反省していた。