プロローグ
サラドーラ国、王城――
それは、別名オアシスに浮かぶ白亜と呼ばれるその名の通り、白く壮麗な宮殿である。
国の四分の一の面積が砂漠であるサラドーラの王都は、砂漠の中央に位置する大きなオアシスを中心に栄えており、砂漠の中にあって緑と水の豊かな美しい街だ。
中央にある宮殿のそばのオアシスから、北と南に大きく一本、西と東に二本ずつの水路が引かれ、水路の上には積み荷を乗せたゴンドラが浮かぶ。
砂漠にあって水の都とまで言わしめる豊かな街を見下ろすように立つ王城の中で、サラドーラの第一王女カーネリアは、父王に呼ばれて、不貞腐れた顔で謁見の間に向かっていた。
カーネリアは、ヴェルフント国に押しかけたあげくにグラストーナの王女に危害を加えたとして謹慎の身だ。
カーネリアに言わせれば、グラストーナの王女――わたくしの可愛いいマルゲリータちゃん――を愛するあまりにやりすぎてしまった、ちょっとした悪戯だと思っているのだが、父はそうは思っていないらしい。
強制送還されてきた娘に、顔を真っ赤にしてこう怒鳴りつけた。
――お前はしばらく外出禁止だ!
あんまりである。
以来、カーネリアと父王の間に冷戦が勃発したのは言うまでもない。
怒って部屋に閉じこもったカーネリアは、意地でも父親と顔を合わせるものかと、何を言われても無視を決め込んでいたが、さすがに今回の呼び出しには応じるよりほかはなかった。
なぜなら。
(わたくしの婚約ですって? 冗談じゃないですわ!)
カーネリアは美しいものが大好きである。結婚相手は自分の認めた美しい人でないといやだ。その点、カーネリアの中の夫候補第一位はヴェルフントのシリル王子で、押しかけ女房よろしくヴェルフントの城に居座るつもりでいたのだが、マルゲリータの騒動でそれどころではなくなってしまったのが悔やまれる。
父王がどこの馬の骨を用意してきたのかは知らないが、カーネリアは結婚相手は自分で決めるつもりである。余計なことをしないでほしい。
カーネリアの怒りを物語るかのように、カツカツと靴音高く回廊を進んだ彼女は、薔薇の彫刻がされている白い両開きの扉をバターン! と開け放った。
「どういうつもりですのお父様!」
開け放つなり怒鳴りつけてきた娘に、サラドーラの国王は玉座から弱り顔を向けた。
(……あら?)
予想外の反応である。カーネリアはてっきり「はしたない!」だの「静かにしないか!」だの何らかの怒声が戻ってくると思っていたのだが。
見れば、父王の隣には母の姿もあった。年を重ねても美しい母は、おっとりと頬に手を当ててカーネリアに視線を向ける。
「あら、ネリアちゃん。そんなに怖い顔をしたらかわいい顔が台無しだわ」
弱り顔の父に、相変わらずのほほんとした表情の母。基本的に国政に口を出さない母が王の謁見室にいるのは非常に珍しいことだ。
カーネリアは首をひねりながら玉座に近づいた。
「お母様まで。いったいなんですの?」
母は王に視線を向けた。けれども王は口を一文字に引き結んで黙り込んでいる。
「あなた」
王妃がそっと王の肩に手を乗せると、父王ははあと息を吐き出して口を開いた。
「お前に結婚の申し込みがあった」
「お断りしてくださいませ」
カーネリアは相手が誰かも確かめもせずに即答した。
けれども、王は難しい顔をして「簡単に言うな」と唸る。
その様子に、どうやら相手はサラドーラの貴族ではないらしいとカーネリアは思った。王がここまで難しい顔をするとなると、他国の王族か、限りなく王族に近い身分の人間だろうか。
どちらにせよカーネリアに嫁ぐつもりはないが、ここまで父が困った顔をするのならば相手の名前くらいは聞いてやろうかという気になってくる。
「相手はどこの誰ですの?」
カーネリアが問えば、王は低い声で返した。
「グラストーナのヒューゴ王子だ」
「グラストーナ……」
カーネリアは目を見開いた。
王は低い声で続ける。
「ヒューゴ王子は正直あまりいい噂を聞かん。何人も女がいるとも聞いているし、あまり真面目な性格でもないようだ。正直なところ、私も今回の縁談は断りたい。だが、お前がグラストーナのソフィア王女にしたことを考えると、安易に断るわけにもいかん。……聞いているのか?」
カーネリアが沈黙したままだったのが奇妙に映ったのか、王は怪訝そうに娘の顔を見やり――、そして、眉を寄せた。
聞いているのか聞いていないのかと問われれば、カーネリアは王の話を聞いていなかった。いや、耳に入ってこなかった。なぜなら彼女の頭には、もうこの言葉しか響いていなかったからだ。
(マルゲリータちゃん!)
カーネリアは途端に瞳をキラキラと輝かせた。
ヒューゴ王子がどんな男なのかはわからないが、グラストーナの王子と結婚すればもれなくマルゲリータがついてくる。マルゲリータが真実カーネリアの妹になるのである。
(ああっ、わたくしの可愛いマルゲリータちゃん!)
カーネリアは身もだえた。
マルゲリータと姉と妹の立場となったら、それこそ朝から晩まで人形遊びやお茶会や観劇などをしてうふふあははと楽しい日々が送れるのである。ヒューゴはどうでもいいが、マルゲリータは何としても手に入れたい。
「……カーネリア?」
「ネリアちゃん?」
父と母が不思議そうな表情を浮かべる先で、カーネリアは頬に手を当てて「最高」とうっとりとつぶやいた後で、食い気味で答えた。
「わたくし、嫁ぎます!」
「はあ!?」
王の素っ頓狂な声が聞こえてきたが、カーネリアは次の瞬間、くるりと踵を返した。
そうと決まれば――
「急いで準備をしなくては! 待っていてね、わたくしのマルゲリータちゃああああん――!」
「こ、こら、カーネリア――!?」
突然猛ダッシュで謁見の間から飛び出して行った娘を、国王が焦ったように呼び止めようとするが、すでにカーネリアは扉を開けて外へと飛び出して。
マルゲリータちゃーん! というカーネリアの声が、壁に反響して宮殿中に響き渡るのを聞きながら、国王は茫然とした。