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悪役令嬢の領地訪問 3

 エドリック・ヴォルティオは廊下の窓辺に立ってはらはらと舞い落ちる雪を見るでもなく見つめていた。

 息子のランドールがこちらへ向かっているという。

 事前に受けた連絡によれば、今日の昼には到着するだろう。

 濃い金髪に、ランドールによく似た端正な面差し。けれども、その顔には、深い苦悩と後悔の念がにじんでいる。


「あなた」


 遠慮がちにかけられた声に振り向けば、妻のエカテリーナが立っていた。その半歩うしろには、エカテリーナの侍女であるナズリーの姿がある。

 ランドールと同じ色の赤毛をふんわりと一つに束ねた妻は、そっとエドリックの腕に手をかけた。エカテリーナはその腕の冷たさにわずかに眉を顰め、弱い力で夫の腕を引いた。


「そんなところに立っていたら、風邪を引いてしまいますわ。今朝は冷えますから……」

「ああ、そうだね」


 どうやら、自分でも気がつかないうちにずいぶんと体が冷えたらしい。

 妻に腕を引かれるままに階下に降りて、暖炉で温められているダイニングへ向かう。

 朝食まではまだ時間があるから、ダイニングテーブルに座ると、執事のダニエルがコーヒーを入れてくれた。

 湯気に乗って漂うコーヒーの香りに徐々に心が落ち着いてくる。

 苦さが苦手なエカテリーナがコーヒーに砂糖とミルクを落としているのを見やりながらカップに口をつけたエドリックは、ふうと息を吐き出して口を開いた。


「……ソフィアが、また襲われたらしい」


 ぽそりとエドリックがつぶやけば、エカテリーナの表情が強張った。

 ランドールから、ソフィアの乗った馬車の馬に毒矢が放たれたことともに、身の安全を優先して領地へ向かうと連絡を受けていた。


「もう、これ以上は……」


 言葉は途中で途切れたが、夫が言おうとしてたことはエカテリーナは優に想像することができた。彼女は立ち上がり、向かいに座る夫のそばに寄ると、背後からそっと肩に手を置いた。

 エドリックは妻の手の上に手のひらを重ねて、肩越しに振り返った。


「あなたの決定に、わたくしは従いますわ」


 三年前――、エドリックがランドールに爵位を譲り領地にこもると選択したときと同じことをエカテリーナは言う。

 エドリックは、ちらりと妻の侍女に視線を向けた。侍女のナズリーは、黒に近い灰色の目をそっと伏せて、無言で深々と頭を下げる。


「わたくしのせいで……」

「あなたのせいではないわ、ナズリー。選んだのは、わたくしたちよ」


 エカテリーナがすぐさまナズリーの言葉を遮って、穏やかな微笑みを浮かべる。そして、夫の決意を促すように、エカテリーナは続けた。


「大丈夫。わたくしたちの息子は、強いわ」


 エドリックは息を吐き出すように小さく笑って、そうだなと頷いた。



     ☆



 ヴォルティオ公爵家のカントリーハウスの前でディートリッヒと別れ、ソフィアとランドールは邸の門をくぐった。

 ヴォルティオ公爵家の邸は、大きな門をくぐった先に季節の花々が咲き乱れる広大な庭が広がり、その奥に白い壁にラピスラズリのような濃紺色の屋根の大きな屋敷が広がっている。

 門から庭を横切り、玄関口まで続く石畳の道を歩いていると、馬車の音で気がついたのか、邸から四十過ぎほどの男があらわれた。執事のダニエルである。

 ダニエルは人好きのする笑みを浮かべてランドールたちを出迎えた。


「お久しぶりでございます、ランドール様」

「久しいな。変わりないか?」


 ランドールがダニエルと軽い挨拶を交わしたあとで、ソフィアを紹介する。ダニエルは目を細めて、嬉しそうに大きく頷いた。


「はじめましてソフィア様。お会いできて光栄です。旦那様方も、ソフィア様にお会いできるのを楽しみにしていらっしゃいますよ。さあ、外は寒いですから、どうぞ中へ」


 ダニエルの言う「旦那様」は現在この邸で暮らしているランドールの父エドリックのことである。

 ダニエルに案内されてソフィアが邸に入れば、ダニエルの言葉を証明するかのように、ランドールと同じ赤毛の品のいい女性が、にこにこと満面の笑みを浮かべて現れた。


「お帰りなさい、ランドール」

「ただいま帰りました、母上」


 ランドールと彼の母のエカテリーナが軽く抱き合ったあとで、エカテリーナはソフィアをぎゅうっと抱きしめた。


「はじめましてね、ソフィアさん!」


 ソフィアは突然の抱擁に驚きつつもエカテリーナの背に手を回した。


「はじめまして、その……お義母様?」


 馬車の中で叔父夫妻をどう呼ぶか考えていたソフィアは、結局「お義父様」「お義母様」にすることに決めた。おずおずとエカテリーナを母と呼ぶと、彼女はぱあっと顔を輝かせ、さらにぎゅうっと抱きしめてきた。


「うふふ、わたくし、娘がほしかったのよ」


 どうやらエカテリーナには歓迎されているらしいとわかったソフィアは、ひとまずほっと胸を撫でおろした。ランドールから事前に両親はほんわかした人たちだから気負う必要はないと聞かされてはいたけれど、姑との対面は緊張するものである。

 エカテリーナとともにダイニングへ向かうと、そこにはランドールとそれから父王と面差しのよく似た濃い金髪の男性が座っていた。彼がランドールの父のエドリックだろう。

 エドリックは穏やかに微笑んで立ち上がった。


「いらっしゃい。兄上から頻繁に手紙で君のことを聞かされていたからはじめて会うような気はしないが、一応、はじめましてかな」

(……お父様、何を書いたのかしら?)


 聞いてみたいような気もしたけれど、怖いような気もして、ソフィアはそれには追求しなかった。


「はじめまして、お義父様」


 義母と同じように彼のことを義父と呼ぶと、エドリックはくすぐったそうに微笑んで、それからふと眉を寄せた。


「旅行先では、大変な目にあったと聞いたけれど、体調はもう大丈夫なのかい?」

「はい。もう全然大丈夫です」

「そうか。それはなにより」


 エドリックはダニエルにソフィアとランドール、それから同行しているイゾルテとオリオンを部屋に案内するように告げた。ランドールはもともと使っている部屋があるようだが、エドリックはわざわざ夫婦で使うように部屋を用意してくれているらしい。


「ランドール。落ち着いたら少し話がある。急ぎはしないから、あとで書斎に来てくれるか?」


 ソフィアたちが二階に向かおうとすると、エドリックが息子の背中にそう呼びかけた。

 ランドールが振り返ったので、ソフィアも同じように振り返ると、エドリックはどこか強張ったような表情をしていて、


「……わかりました」


 ランドールが、怪訝そうにしながらも、小さく頷いた。


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