狙われた悪役令嬢 3
目を覚ました瞬間に飛び込んできたランドールの顔に、ソフィアは思わず息を呑んだ。
ランドールはベッドに横たわるソフィアの顔を覗き込むようにしていたから、すごく近いところに顔があったのだ。
「目が覚めたか?」
ランドールはひどく心配そうな顔をしていた。
「ええっと……」
「あんたは馬車の中で気を失ったのよ」
ランドールよりも離れたところにいたオリオンが告げる。
言われて、ソフィアはレヴォード公爵家から帰宅途中の馬車が突然傾いて、頭を強くぶつけたことを思い出した。
頭にまだ残る鈍い痛みはその名残のようだ。
ソフィアが体を起こそうとすると、ランドールが背中に手を添えて手伝ってくれる。
オリオンが部屋から出て、外にいたイゾルテにソフィアが目を覚ましたことを告げると、イゾルテが部屋に飛び込んできた。
「奥様ぁ!」
イゾルテの目が赤い。どうやらソフィアが心配のあまりに泣き出してしまったらしい。
「大丈夫ですか? お医者の見立てでは軽い脳震盪だとのことでしたけど、ご気分とか悪くないですか?」
「大丈夫よ。心配かけてごめんなさい」
ソフィアが答えると、イゾルテはほっとしたように笑う。
「それで、いったいどうなったの? 馬車の事故?」
どうして急に馬車が傾いたのだろうと思って問えば、ランドールとオリオンは顔を見合わせた。
言いにくいことなのだろうか。
ソフィアが怪訝がっていると、オリオンがイゾルテを連れて部屋を出ていき、ランドールがため息交じりに告げた。
「端的に言えば、馬車を引いていた二頭の馬のうち一頭が、死んだ」
「え?」
ソフィアが瞠目すると、ランドールは眉間にしわを寄せて続ける。
「何者かが、馬に毒矢を放ったらしい」
「毒矢……」
ランドールのよると、二頭のうちの一頭が毒矢で倒れた際に、もう一頭が興奮状態になったらしい。普段から厩舎で馬の面倒も見ている御者が急いで馬をなだめたために馬車は暴走しなかったそうだが、それにより馬車が傾いてしまったとのことだ。横転しなかったのはそれほどスピードを出していなかったからだろうとのことで、不幸中の幸いだったそうだが、一歩間違えれば大事故になっていたらしい。
御者もあばらを骨折したそうだが、命に別状ないとのことだったと聞いて、ソフィアは茫然としながらも胸を撫でおろす。
けれども、馬に毒矢とは、あきらかにヴォルティオ公爵家の馬車を狙っての犯行だろう。
「王都にいるのは逆に危険かもしれないな……」
ランドールは、グラストーナ国内で――それも、王都で、堂々とソフィアが襲われることはないだろうと踏んでいた。さすがに犯人もそれほど愚かではないだろうと思っていたからだ。それなのに白昼堂々襲われたとなると、ソフィアの命を狙っている犯人は、すでになりふり構わずでソフィアを狙う気であるのか、それともただの阿呆なのかのどちらかということになる。
(……それとも、何があってももみ消せる自信があるのか、だな)
本当にキーラや王妃が絡んでいたのであれば、その可能性もある。だが、現時点で憶測で判断するのは危険だろう。それよりも――
「……ソフィア、しばらくの間、領地へ行かないか?」
王都にいて狙われるのであれば、領地にある邸でのほうが安全だろう。邸にはランsドールの父で王弟でもある前ヴォルティオ公爵もいる。警備も万全だ。
ソフィアは驚いたように目を丸くした。
「ランドールのお父様とお母様のところ?」
「ああ。……そういえば、まだ会わせたことはなかったな」
ランドールの父エドリックは、爵位を息子に譲ってからというもの、どういうわけか王都へ行きたがらない。ソフィアとの結婚式のときも出席せず、ランドールも、ソフィアと婚約してからも結婚してからも、領地へあいさつに連れて行かなかったため、ソフィアは彼らとはまだ面識もない状態だ。
二人の肖像画は王都のヴォルティオ公爵邸に飾ってるし、ヨハネスが肖像画だけはランドールの父と母に送ったようなのでお互い顔は知っているだろうが、考えてみれば家族となったのに一度も顔を合わせたことがないというのはいかがなものだろう。
(……思い返せば思い返すほど、俺は最低だな)
ソフィアを偽物と決めつけて意地になって避けていたからか、そんなことも思いつかなかった。家族になったのだという認識すら持っていなかったのだから思いつかなくても当然かもしれない。
そういえば、ヨハネスから領地へ行かないのかと訊ねられたこともあったなと思い出す。いつまでも嫁を連れてこないランドールに業を煮やした母あたりがヨハネスに催促でもしたのかもしれない。
「……その、すまなかった」
過去の自分が無性に情けなくなってソフィアに謝罪すれば、彼女はきょとんとした顔をした。
「なにが?」
「父や母のところに連れて行くのが遅くなった」
なんだそんなことかとソフィアは思った。ソフィアだって、ランドールといかにしてラブラブ夫婦になろうかと、そのことばかり考えていたため、ランドールの両親に挨拶することを失念していたのだから、ソフィアも悪い。
ランドールの両親が領地から出たがらないという話は父王から聞いていたため、こちらから会いに行かないと会えないだろうなとは思っていたが、よくよく考えれば手紙の一つでも書けばよかった。礼儀のなってない嫁だと思われただろうか。だとしたらまずい。ランドールの両親だ。できることなら仲良くなりたい。
ランドールがどうして突然領地に行こうと言ったのかはわからないが、行くというのならばこの機会にしっかりと仲良くなっておきたい。
ソフィアが頷けば、ランドールはどこかほっとしたように微笑んで、ソフィアが馬車の壁にぶつけた側頭部に手を伸ばした。そこは小さなたんこぶができていて、触れられるとピリリと痛む。
ソフィアが顔をしかめるとランドールは慌てて手を放して、今度は頬に触れてきた。
「少し休め。無理をするとよくないだろう」
ソフィアには、ランドールがこんなにも心配そうに見つめるてくるのはまだ少し不思議だった。
頬に触れる手が、温かい。
ソフィアは大人しくベッドに横になって、ランソールの端正な顔を見上げる。
「ちょっとだけ、そばにいてくれる……?」
これまで、カイルの件などいろいろありすぎたせいか、自分の命が狙われているという実感はあまりなかったが、さすがに今日のは怖かった。
ひとりぼっちにされるとより怖くなりそうで、わがままだと思われるかなと思いながらもランドールに甘えたくなる。
「大丈夫だ、そばにいる」
「……ありがと」
ソフィアはランドールの答えに安心して、ゆっくりと瞼を閉じる。
瞼の裏に、事故のときのことがよみがえってきそうになって泣きそうになったが、ランドールが手を握ってくれたのか、直後に感じた左手の温かさに安堵して、ソフィアはゆっくりと眠りに落ちた。
☆
三日後。
王都を横断するように流れるウィグール川から一人の身元不明の男の遺体が上がった。
男の死因はよくわからなかったが、男が所持していたものの中にヴォルティオ公爵家の馬車の馬に使用されたのと同じ毒の小瓶が見つかったが、男の身元が不明であったことから犯行が発覚するのを恐れた犯人の自殺だろうと結論付けられ、詳しい捜査がなされることはなかった。
ヴォルティオ公爵家にも報告がなされ、オリオンからその話を伝え聞いたアリーナは、眉を寄せてつぶやいた。
「……王女の命が危険にさらされたのにこんなにも騒ぎにならないなんて……、ちょっと調べたほうがよさそうね」