狙われた悪役令嬢 1
執務室に前触れもなく王妃がやってきて、国王は目を丸くした。
王妃、フランソワーズとは結婚して二十二年ほどたつが、彼女が執務室へやってくるのははじめてではないだろうか?
もっと言えば、王妃に会ったのは、彼女がカイルを貴族裁判にかけろと言い出した日以来だった。彼女は基本、城の自室ですごしており、夫にはあまり会おうとはしない。
フランソワーズはブラウンの髪を寸分の乱れもなく結い上げて、神経質そうな細い眉をわずかにひそめ、「お話があります」と切り出した。
国王はペンをおくと、王妃にソファに座るようにと言ったが、彼女はツンと細いあごをそらした。
「長居をするつもりはございません」
「そうか」
王妃の態度が冷ややかなのは結婚当初からのことなので、国王はただ頷いた。
フランソワーズと王は政略結婚だったが、結婚当初は、国王は彼女に歩み寄ろうとしたのだ。けれど、彼女はどうあっても王に心を開こうとはしなかった。結果、二人の間には今や修復不可能なほどの深い溝がある。
王妃はいったい何の用事だろう。
カイルの件――ひいては、ソフィアの命が狙われた一件に王妃が絡んでいる可能性がある今、王は嘘でも彼女に向けて笑顔を作ることができない。
王妃は部屋の扉の前に立ったまま、気難しそうな表情でこう言った。
「ヒューゴを早く、王太子にしてくださいませ」
何かと思えば、そんなことか。
王妃のこの主張は何も、今日にはじまったことではない。それこそ、ヒューゴが生まれた直後から繰り返されてきたことだ。
そして、王の答えも決まっていた。
「そのうちな」
王が答えると、王妃は眉を吊り上げた。
「またそれですか。いつもそれではございませんか。あの子ももう二十歳。これ以上待てません」
「逆に訊くが、どうしてそう急ぐ」
国王の息子はヒューゴただ一人。他に王子がいるわけでもないのに、王妃は何かに焦ったようにヒューゴを王太子にと繰り返す。
「我が子が王太子になるのを、母として望んではいけませんか!?」
王妃の声のトーンが一つ上がった。イライラしている証拠だ。
「それとも、まさか次の王にはランドールをと考えているのですか!?」
王は頭が痛くなってきた。
王妃は何かにつけて、ヒューゴではなくランドールを王にする気かと言う。
正直なところ、ヒューゴよりもランドールの方が王に向いているとは思うが、別に、ランドールを王にしたいがためにヒューゴの立太式を先延ばしにしているわけではない。
現時点でヒューゴにこの国は任せられない。単純に、それだけの理由だ。
「ヒューゴを王太子にと望むのであれば、甘やかしていないできちんと教育を受けさせることだ。教育係をお前たちが追い出していることを、私が知らないとでも?」
王妃は昔からヒューゴに甘い。そのせいかヒューゴは昔から遊ぶことばかりに一生懸命で、必要な教育が足りていない。王が用意している教育係も王妃に頼んで追い返す。もしくは、あまりの不真面目さに教育係自らがさじを投げて辞表を書くこともある。とにかく、そんな人間に玉座を譲るわけにはいかないのだ。
王妃は真っ赤な唇をきゅっとかみしめた。
白い頬が赤く染まり、次の瞬間には「もう結構です!」というヒステリックな声とともに踵を返す。
ばたんと大きな音を立てて執務室から王妃が飛び出して行くと、国王は額を押さえて天井を仰いだ。
フランソワーズは、どうしてわからないのだろうか?
国王は、ただ椅子に座って遊んでいればいいだけの立場ではない。
冷静に考えれば、ヒューゴに王が務まるとは思えないはずだ。
「……私が悪いのだろうな」
王妃が何を言おうと、ヒューゴにもっと厳しくしていればこんなことにはならなかったのだろうか?
王妃が最初の教育係を追い返したときに、強く言っていれば違っただろうか。
悔やんだところで過去は変わらないだろうが、これから変えていくことはできるだろうか。
王妃の懸念通り、ランドールを国王にという方法もある。もともと王位継承順位三位の彼だが、王女であるソフィアを妻にしたことで、その立場はさらに盤石だ。だが、国王も父親だ。できることなら、息子にその地位を譲りたいという気持ちもある。
「レヴォードに息子の育て方について教えを乞えばよかった」
国王は天井を仰いだまま、大きく嘆息した。