悪役令嬢と動き出した事件 4
(なんでここにディートリッヒがいるの!?)
ランドールが城に向かって少ししたころ、ヨハネスに来客だと言われて階下に降りたソフィアは、思わず目を見開いてしまった。
ディートリッヒ・バーンズ。黒豹のような雰囲気の、近衛隊の将軍とは、ソフィアは「この世界」では面識がない。ディートリッヒは王と王妃の身辺警護の指揮を執っているが、王女であったソフィアはその対象から外れていたからだ。遠くから見たことはあるけれど、実際に話したことは一度もない。だが――
(うわー! やばい! 近くで見たら本当に大きい! ……かっこいい)
ディートリッヒは『グラストーナの雪』の攻略対象の一人だ。身長は攻略キャラたちの中で一番高く、設定集によると確か百九十五センチ。さほど背の高くないソフィアは、彼の顔を見ようとすると自然と見上げるようになる。
ソフィアがサロンに入ると、ディートリッヒは立ち上がって突然の来訪を詫びたが、ソフィアは突然のことにぼんやりとしながら首を横に振るしかできなかった。
「公爵はご不在なのですね」
ディートリッヒが敬語でしゃべるのが新鮮だ。
ゲームの中では、ディートリッヒの口調はやや乱暴だ。命を狙われたキーラの身辺警護として登場するが、ゲームの世界では彼はヒロインに敬語を使わない。
「ランドール――主人は、先ほど城に向かいましたよ」
ソフィアが答えると、ディートリッヒは「あー」と言いながら頭をかいた。
「城か。先にそっちに行きゃよかったな」
「今から城に向かったら行き違いになるかもしれませんから、こちらでお待ちになりますか?」
ソフィアが訊ねると、ディートリッヒは「じゃあ、お言葉に甘えて」と頷いた。
しかし、ディートリッヒがランドールに何の用なのだろうか?
来客を一人にするわけにもいかないので、ランドールが帰宅するまでの間、ソフィアは彼の話し相手を務めることにする。
ディートリッヒの話によると、彼はカイルの幽閉先であるオルト公爵領にある王家の離宮にいたらしい。カイルの様子を訊ねると、元気そうだったと返答があり、ソフィアはひとまずほっとした。
ディートリッヒとははじめて話をしたが、彼はゲームの中と同じで気さくないい人だ。
ディートリッヒからカイルの様子を聞きつつ待っていると、間もなくしてランドールが帰ってきた。
ヨハネスからディートリッヒの来訪を聞かされたランドールがサロンに入ってきたとき、彼の顔色がどことなく悪いような気がした。
(お城で何かあったのかしら?)
ソフィアは心配になったが、さすがにこの場で訊くわけにもいかない。
話の邪魔になってはいけないのでサロンを辞したソフィアは、話が終わったあとでそれとなく聞いてみようと思いながら、オリオンの待つ自室に上がった。
「幽閉中のカイルより、あんたの方がやつれているような気がするな」
ディートリッヒはソフィアがサロンから出ていくと、ランドールの顔を見てそう言った。
ランドールは薄く笑うと、ソファに腰を下ろす。
「お久しぶりです、バーンズ将軍」
ディートリッヒは普段は王の身辺警護で忙しいので、ランドールと会うことはあまりない。また、彼は貴族ではないので、社交界でも顔を合わせることはなく、王と謁見する際にたまに居合わせるくらいしか面識がなかった。
だが、どういうわけか昔からランドールに対して気さくなこの男は、まるで旧友のように話しかけてくるから、ランドールはどう接していいのかがわからなくなるときがある。ディートリッヒとカイルは仲がいいようで、カイルによれば、「ああいう性格の男」ということで深く考える必要はないらしいのだが。
先ほど国王から、ディートリッヒをカイルのもとに送ったと連絡を受けていたから、もしかしたらカイルからの伝言か何かを持ってきてくれたのだろうかと思っていると、予想通り、彼は懐から一通の手紙を取り出してランドールに手渡した。
「カイルからだ」
受け取った手紙はさほど分厚くはなかった。ペーパーナイフで封を切れば、それはカイルの字で、要点だけが書きなぐられた手紙というよりはレポートのようなものだった。
ざっと文面に視線を走らせたランドールは読み終えた後で天井を仰ぐ。
「……将軍は、今回の件についてカイルから何か聞かされていますか?」
ディートリッヒは肩をすくめた。
「いんや。あいつからは詳しいことは聞いてない」
「そうですか」
内容を考えれば、確かにそれが賢明だろうと思えた。
やはりカイルは有能だった。ソフィアの父親を騙ったガッスールの事件の時からキーラを怪しんでいた彼は、彼女の近辺をひそかに探らせていたらしい。セドリックがグラストーナで取引を持ち掛けられた日時に、キーラがどこにいたのかまで調べがついていて、カイルの手紙によれば、十中八九、セドリックに接触したのはキーラであるとのことだった。
すでに予想していたこととはいえ、ランドールは鈍器で頭を殴られたような気分だった。
ディートリッヒはその手紙の返事は明日受け取りに来ると言った。
彼はこれから城へ向かうそうだ。国王が彼をカイルのところに向かわせたとはいえ、王の身辺警護の指揮官が変わったわけではない。表向き、幽閉中のカイルの監視の指揮官を兼任ということになっている。そうしておくことで、特に怪しまれることもなく、離宮と王都の行き来が可能だからだろう。
「将軍――」
ランドールは手紙を握り締めて、迷った末に口を開いた。
「キーラと王妃の近辺で怪しい動きがあれば、教えて頂くことは可能ですか? できるだけ怪しまれずに」
ディートリッヒは片眉を上げたが、追及はせずに一つ頷いた。
「部下に護衛の一環で行動報告を上げろと言えば大丈夫だろう」
ディートリッヒは去り際に、ぽんっとランドールの肩を叩いた。
「あんまり思いつめんなよ」
ランドールは苦笑するしかできなかった。