17 勇者の前世④
「―――誰だ?」
俺は眉をひそめた。
一度も見たことのない女性だ。
外見年齢は二十代だが、実年齢が違うことくらいは想像がつく。
……何度もループを繰り返していても、こんな女に会ったことはないぞ?
発狂したはずなのにまともに働く思考で考える。
母さんでもない。顔思い出した。ごく普通の温和な人だった。
魔女……か? 魔力は感じる。それも次元が違うレベルの。
でもなんだか質が違う? どちらかというと、魔族に近い。
気づけば大量にあったカレンの死体も暗闇も消え、この女性の色を反映するかのように、あるのは白だけ。
女性はゆっくり俺から手を離し、口を開いた。
「―――初めまして、になるわね。ネオ=アローズ」
「……あんたは?」
警戒した俺の問いに、女性はあっけらかんと答えた。
「あたしの名は始。この世界を創った者よ」
……は?
ぽかんとした。
こいつ、頭おかしいんじゃねーの。
正直な感想。
よっぽど疑わしげな表情をしてたんだろう。始と名乗った女性は苦笑した。
「ま、普通そうなるわよねー。だけどこれは本当。少しだけ聞いてくれる? ここに時間は存在しないし、いいわよね」
そう言って一方的にしゃべりだした。
「かつて―――ずっとずうっと昔のこと。昔々あるところに、一つの宇宙―――世界があった。でもその宇宙には寿命が来ていた。前もってそれを予想できていた人類は、やっきになってどうにかしようとしたの。けれど自然な終わりである寿命を延ばすことはどうしてもできなかった。ならば、別の世界に転移しようという考えが生まれた」
別世界……異世界への転移―――?
「人類はそれを可能にするため、ありとあらゆる手段をとった。人類の存亡がかかっているという大義名分のもと、本当になんでもね。改造人間を作ったのもその一つ」
「改造……?」
「遺伝子操作よ。そりゃあ非道な実験が行われたわ」
始は吐き捨てるように言った。
「ある日、突然変異個体ができた。それがあたし。あたしは生まれながらにして不思議な力を持っていた……。人はそれを空想上のものであった力、魔法と呼んだ」
「魔法のない世界だったのか」
「あたしの細胞を加えた受精卵からは、大なり小なり同じような力を持つ子供が生まれた。ただし異世界への転移が可能だったのは、初めに生まれたあたしだけだった」
始は自らの胸に手をあてた。
「人々はあたしをネオ・ミトコンドリア・イブと呼んだわ。知ってる? 人類の祖先をたどると、たった一人の女性に行きつくの。人類の始祖、それがミトコンドリア・イブ。あたしは新人類の始まりの女性だから『始』と名づけられた」
人類最初の女性、ミトコンドリア・イブ。
始は遠くを見るような目になった。
「自分たちが作り出しておきながら、またあたしの力がなければ生き延びられないにも関わらず、人間はあたしたちを蔑視した」
「な―――自分勝手な」
「そうね。要するに自分たちにはない、強大な力を恐れたのよ。強すぎる力の持ち主はえてして人から敬遠される―――分かるでしょ?」
…………。
「……ああ。思い出したよ。一番最初の回だ。……幼い日、魔物退治に動員されて……そこまでは同じだけど、あの時師匠はいなかった。そもそも存在してなかったよな? ……助けは来なくて、俺は力を暴走させてしまった」
そうしたらどうなったか?
村のみんなを守るためだったから彼らは無事だったけど、俺に対してみんなは叫んだ。
「あんなことができるなんて、こいつは人間じゃない!」
「魔物だ! 殺せ!」
鍬や鋤を手に、襲いかかって来たんだ。
「ネオ、逃げろ!」
父さんは俺をかばい、逃がして……村人たちに惨殺された。それはむごたらしい殺され方だった。
その夜、密かに戻って来た俺が見たのは、ぼろぼろになった父の遺体に村人たちが非を放つ姿。そして母の墓を掘り起こし、遺骨を石で砕いている光景だった。
「魔物の親め! こいつらもきっと魔物に違いない!」
「もっと燃やせ、でないと生き返るかもしれないぞ!」
「骨を砕くだけで大丈夫か? バラバラにして遠くに捨てる?」
「家も燃やせ、浄化しろ」
あれがこれまで共に暮らしていた仲間だろうか。
父さんも母さんも何もしていない。俺だってただの人間だ。
「やめろ、やめろおおおお!」
俺は走り出て父さんと母さんの亡骸を奪取した。必死で火を消し、抱きしめる。
「父さん、母さん……!」
涙が止まらない。
「現れたぞ、魔物だ!」
「殺せ、殺せ―――!」
無抵抗の俺の体中に斧や鉈が突き刺さる。
痛みなんて感じなかった。心が痛すぎてマヒしてる。
「父さ、母さ……」
涙と血が混じったものがぼたぼた落ちる。
なんでだ。
どうして。
心が黒いものに塗りつぶされていく。同時に力が膨れ上がった。
それは周囲の何かと共鳴して……。
「―――そう。この世界そのものを滅ぼした」
始は静かに告げた。
「話が先に進んでしまったわね。少し戻すわよ。前の宇宙が滅ぶ寸前、人類は異世界へ脱出した。新しく生まれた、まっさらな宇宙へと」
「……すでにあった宇宙じゃなくて?」
疑問に思ったのできいてみた。
「既存の宇宙ってことは、そこに住んでる者達がいるでしょ? そこへあたしたちが現れるのは、外来種が住み着くようなもの。生態系にどんな悪影響を及ぼすか分からない。移住先の宇宙も滅んだらたまらないし、誰も住んでない世界を選んだのよ」
「よく分かった」
「だけど人類丸ごと移住したんじゃ、いずれ争いが起きるのは明白だった。元々の人類と、あたしたち改造人間との間にね」
共通の目的があり、しかも向こうがいなければ助からないから旧人類は黙っていた。
でも脅威が去れば?
「そこであたしたちは別々の世界に行くことにした。幸い、見つけた新しい宇宙は双子でね。一つは物質ででき、もう一つは反物質でできていた」
「物質と反物質?」
いきなり理系な話になってきたな。
「自然界において、たいてい物や事象は二つでワンセットなのよ。相反する性質をもった、ね。例えば明と暗、白と黒みたいに」
「なるほど」
「現在、双子の宇宙じゃ何も知らぬ後世の人類は、宇宙の始まりの際に物質と反物質が現れたが後者は消えてしまったと言われてるそうね。消えたんじゃなくて、別の次元にそっくりな宇宙として存在してるだけよ」
ただ感知できないだけ。
「元々の人類をあっちへ送り届け、あたしたちはこっちの宇宙へ移住した。―――ここからが大事なとこなんだけど、あたしには反物質とシンクロできる能力があってね……この世界を願った通りに作りかえることができた」
「―――はあ」
そうとしか言えなかった。
いやいやいや。世界を自由自在に作りかえられる?
願えばそれだけで?
そんなの神の領域だ。
「は……ははは……」
笑いがこみ上げる。
始はいぶかしげに首をかしげた。
俺は大笑いした。
「お笑いだ。師匠は神になりたがった。世界で一番の存在に。でも神様はもうすでにいたんじゃないか」
「あたしを神って言わないで」
始の語気の鋭さに、俺は驚いて笑うのを止めた。
「あたしは神様なんかじゃないし、なりたくもない」
「なりたくないのか?」
「あんたならなりたい?」
逆に聞き返されて即答した。
「嫌だな」
「でしょ? あたしはただの、人間の都合で生み出された改造人間よ。そもそも、神であれば前の宇宙を存続させられたはずだしね」
それもそうだ。
「この世界は前の宇宙に似せて作った部分もあれば、異なる個所もある。違う世界なんだから同じようにはいかないし、同じ結末にするわけにもいかないでしょ。こうして新しい場所であたしたちは暮らし始めた」
一体どれくらい昔の話なのか。気が遠くなるな。
「居住可能な星を作り、様々な種を誕生させた。中には絶滅してしまった種もあったわ。この世界には適合しなかったんでしょう。最初は数が少なかったあたしたちも子孫ができ、数が増えて広がっていった。でも、力が薄まったのか、はたまた環境のためか、魔力を持つ人間は減っていった」
最初はみんな魔力を持っていて、それが減少したのか。なぜだろう。この世界への適合?
……違うな。無意識かもしれないが、たぶん始たちの思いゆえだろう。人知を超えた力がなければ差別されずに済んだんだ。人間じゃないと言われることもなかった。安住の地を見つけ必要がなくなったんだから、『普通の人間』に。そんな思いが作用したに違いない。
「途中から突然魔法使いが現れ始めたんじゃなく、先祖返りってことか」
とはいえさすがの始も人間を変化させられるには限界があり、たまに魔力を持った人間が生まれた。あるいは、完全になくすのもまずいと思ったんだろう。何かあった時のために。
「そういうことね。長い年月のうちに、正しい歴史は忘れられてしまった。……あたしと同世代~数代後まではまだ力が強くて、肉体の死後も精神体だけで存在し続けられてるのがいるわ。それが『魔族』よ」
「魔族が初代たちだって?!」
愕然とした。
常識を覆す事実じゃないか。
「悪い意味で後世の人間が勝手に魔族なんて名づけたのよ。本人たちは言ってない。歴史を忘れた人類が、別次元の力を持つ彼らを恐れて言い出したの」
また人類は同じことを繰り返したわけだ。
「全員が全員残ってるわけじゃないわ。あたしみたいに転生してるのも多い。―――ねえ、どうしてこの世界では死ぬと転生すると思う?」
「えっ? 急にそんなこと言われても」
それが『当然』じゃないか。
「バカね。世界のシステムには何らかの理由があるのよ。意味もなくそうなってるんじゃない。食物連鎖しかり、世界が上手く回るためにできてるの」
「なるほど」
「転生するのは、あたしがそう作ったから。死んだら終わりにしたくなかった。あたしたちは勝手な思惑で作り出され、実験体にされ、辛い半生を送った。嫌だったのよ。あんな目に遭わないで済む、普通に幸せな一生を送りたかった」
「…………」
「新しいまっさらな人生をもう一度始めたくて、魂が存在し、転生するシステムにしたの」
始たちの願いがこの世界のシステムを作り上げた。
「けれど子孫の中には悪人も出てくる。生前悪いことをしたのをチャラにさせるわけにはいかない。だから『地獄』を作った。これは前の宇宙にあった死生観を参考にしたものでね」
「へえ」
「死後の裁判をする裁判官はあたしの子や孫。今もね。あの子たちも『魔族』ってことになるわ」
人間は魔族を忌避しながら、死んだ後は彼らに裁かれてるってわけか。これまた笑える話だな。
「あたしも死後、精神体で存続し続けるようみんなに言われたけど……あたしはそうしなかった。全て忘れ、転生することを選んだ。まったく別の、ごく普通の人間として生きてみたかったから」
神に祭り上げられないようにという意味もあったんだろう。もし始がそのまま存在していたら、確実に『神』になっていた。
「あたしは神じゃない。なりたくもない。ただの人間として平凡な一生が送りたい。そうやって、世界のどこかで人々に紛れ、のんびり暮らしてるわ」
「今も?」
「ええ。現在あたしはどこかで別の人間として生きてる。もちろん姿形は違うから、これを頼りに探そうとしても無駄よ。……さて、そんなあたしが覚醒し、現れたのはなんでだと思う?」
「……俺が世界を滅ぼしたからだろ」
始はうなずいた。
「あなたはあたしと同じ能力を持ってるのね。反物質とシンクロできる。ただし思い通りに操ることはできないようだけど。あたしの子や孫にも出なかったのにねぇ」
ものすごい隔世遺伝でも起こしたんだろ。
「あたしはシンクロする時、瞳の紫色が濃くなるのよ。普段はこの通り、見る角度によって色が違うんだけどね」
「紫の瞳。俺がそうだ」
まぶたに手をあてる。
父さんも母さんも先祖にもこの瞳の色はなかった。
「たぶん証なんじゃない? 世界中探しても紫の瞳は他にいない」
この世界を構成する反物質とシンクロできる能力者。
「でも俺はあんたと違って、自分の意思で操ることはできない。感情が高ぶった時、周囲の反物質が勝手に反応しちまうんだ」
「みたいねー。あたしみたくコントロールできるといいんだけど。それも困るか。使い方間違えるとね」
始はその能力を世界をよりよくするために使ったが、もし悪人がろくでもない目的のために使えば……。
「せっかく作った、あたしたちの生きられる世界を壊されたら大変。あたしは世界の行く末に関わらない、なぜならその時代に生きている人たちのものだからと決めて不干渉でいたんだけど、さすがに出張ったわけ」
「ごめん」
素直に謝った。
俺だって世界を滅ぼしたいなんて思ってない。
そんなつもりはなく、コントロールのきかない能力が暴走した結果だ。やりたくてやったんじゃない。
始は「はぁ」とため息をついた。
「あなたのせいじゃないわよ。愚かな人間たちのせいだもの。とにかくどうにかしたかったし、あなたもかわいそうでやり直せないかと念じたら時間を戻せたのよ」
「ループはあんたのせいだったのか」
疑問が一つ解けた。
時間を戻すことができる点についてはツッコまない。創造主である始ならさもありなん。
「あなたはできないと思うわよ。だって自分でこの反物質シンクロ能力操れないでしょ」
「だな。別にやりたいとも思わないけど」
「リセットできたと分かってから、破滅の未来を回避すべくなんでもやったわ。けど……魔物が村に現れないよう遠ざけたら、別の時間に別の形であなたの力がバレて似たような結果。母親が死なないようにしても、何らかの形であなたの力は世に出てしまう。強すぎる才能ってのは隠そうとしても、いずれ出ちゃうのよねぇ」
「俺の存在そのものを消したり、能力を削除したりは考えなかったのか?」
始は眉を跳ね上げた。
「はあ? 世界の存続のためでも、本人に罪もないのにそんなことできるわけないでしょ。あなただってあたしの子孫の一人なのよ」
「―――」
初代は人数が少なく、子や孫の代で全員の血が交差してる。つまり現人類は皆、始の子孫てことだ。
そうでなくても初代たちには始の遺伝子が組み込まれてる。確実に始の遺伝子を引き継いでるんだ。
ネオ・ミトコンドリア・イブ。始まりの女性。
「あたしはあなたを助け、世界の破滅も防ぎたかった。だけど、あたしの力をもってしても干渉できることには限界がある。例えばあなたがあの村にあの両親から生まれることは変えられなかったのよ。どういうわけか動かせなかった。せめて時代でも変えられれば状況が違うんじゃないかと思ったんだけど」
「そしたら俺は生まれなくなるってことなんだろうな」
「それともそれが『運命』なのか。あたしは万能じゃない。変えられないものだってあるわ」
神ともいえる存在にも手出しできないもの。それを『運命』と呼ぶ。
「村人たちのメンツは変えられても、人間の本能は無理。いくらやっても強すぎる力を恐れ、異物と認識して攻撃・排除してしまうのよ」
思い返してみれば、毎回けっこう村人の顔ぶれ違うな。
「二回目の時、つまり最初にリセットしてやり直した回には早くも人々はあなたを『魔王』と呼び、倒そうとする者が現れたでしょ」
「ああ。覚えてる」
幼少期に魔物が村に現れなかったおかげで生き延びれたものの、ふとしたきっかけから力が発覚。強すぎる力ゆえに魔物の中の魔物、『魔物の王』つまり『魔王』と呼ばれ討伐されることになった。
俺は何もしてなかったのに。
「……あの時の討伐隊のリーダーってテオと同一人物だろ」
あの時は俺の異母弟じゃなく、全然違う人間だった。
「ええ。彼は当時あなたの次に強い力をもっていて、王直属の魔法使いだった。いわば『正義の味方』ね。人々はそう認識してた。彼自身はあなたに恨みも何もなかったのよ。民衆の言葉を疑わず、ただ命令に従っただけの善良な男だった」
そうなんだよな。だから思い出した今も俺はテオを恨んではいない。
「ならばと逆に、あなたと彼を味方同士、仲間にできないか試行錯誤してみた。戦わなければハルマゲドン起きないでしょ?」
「三回目以降、近くに住んでたり親戚だったり友人だったりしたのはそのせいか」
色んなバージョンやったんだな。
「おかげで決戦は回避できたけど、それでもどこかで破滅フラグが立っちゃう」
「それがこの宇宙の『運命』だったんじゃないか」
半ば投げやりに言った。
「冗談じゃない。だってどれもきっかけは人々の行動でしょ。勝手に恐れて差別し、一方的に悪と決めつけて攻撃したから。人為的な破滅なんて止めてやる。運命なんか変えてやるわ!」
始は凛として言い放った。
強く凛々しい立ち姿に、確かに『人類の母』だと思った。
「37回やり直して、38回目にアプローチを変えてみようかと考えてね」
「よくまぁそんなにやったもんだ」
「言っとくけど、あなたがループした全ての回の記憶を持ってるなんて計算外だったのよ。やり直しを覚えてるのはあたしだけのはずだったの。初代の残りですら、誰も覚えてないっていうのに」
「あ、そうなんだ」
「もっとも、あなたも最初から覚えてるわけじゃないけどね。毎回思い出すのは最後なのよ。人々に殺されかけ、瀕死の状態に陥った時『あれ、こんなこと前も……』って思い出す。前にもそうやって殺された記憶が蘇ればどうなるか? それも一つだけじゃなく。きっかけとして力が暴走し、反物質とのシンクロが起こっちゃうわけ」
リセットしなければ世界は終わる。けれど破滅を回避するためにリセットするたび、俺の中に悲劇の記憶はたまっていく。
「あんたらは一度別の宇宙へ転移したんだろ? だったらまたみんな別の宇宙探して逃がせばよかったんじゃないか?」
「あなたはどうするの」
「俺?」
きょとんとした。
「あなただけ置いていけるとでも? 同じ人間なのに人間じゃないと言われ迫害され、たった独りで悲しみのうちに爆発して死ぬのよ?」
…………。
「大勢が助かるためならやむをえないだろ。一人の犠牲で済むなら安いもんじゃないか」
「バカ言わないで」
始はぴしゃりとはねつけた。
「言ったでしょ。あなたもあたしの大事な子孫なの。つないだ大切な命。―――あたしはみんなを救いたい。誰一人欠けることなく」
「…………」
そう言って昔、人類を救ったんだろうな。
始祖はこんな俺に生きていていいと言う。俺が原因で世界が滅ぶなら、俺を消してしまうのが一番簡単で確実だろうに、それをせず。
「さすがにあたし一人じゃ限界があると悟って、三回目の時点で『初代の残り』には話し、協力してもらってるわ。だけど彼らもリセットすると忘れてしまうし、また最初から説明しなきゃならない。あ、信じてはくれるのよ? でもねぇ、まーた説明し直しっていうのも面倒で」
「記憶を持ち越せるように細工は?」
「無理。覚えてるのはあなたとあたしだけ」
そこも干渉できない部分か。
「そんで、どういう方向転換したかっていうと。チープだけど有効な手段として、愛する者がいれば暴走しないんじゃないかなーって思った」
「は?」
「てわけで、山のように色んな女性を近づけてみたのよ。自然な形で。でもどの女性にもあなた興味示さなかったわねー」
「仲人かよ」
何言ってんだコイツその2。
「それは他作品ね」
「?」
「こっちの話。58回目、こうなったら外部に協力者やアドバイザーを求めてみようかと思いついたの。別の視点・立場の人ならいいアイデア教えてくれるんじゃないかって。その時浮かんだのが、まぁ当然ながら双子の宇宙よね」
旧人類を送り届けたもう一つの宇宙。カレンのいた世界。
そこでハッとした。
「58回目までカレンはいない!」
恐ろしいことにそれまでカレンは存在しなかった。どこにもいない。
「その通り。そこで初めて登場するの。ただし正確にはあたしが彼女を呼んだわけでもないし、彼女が自らの力でこっちに来たわけでもないんだけどね。彼女にその力はない」
「……どういうことだ?」
「双子の宇宙をのぞいたあたしは、はてどうやってそういう人材を探せばいいのか分からなかった。だって世界の破滅をくいとめられるのが誰かなんて分かると思う?」
「無理だな」
どういう素質が求められるのかも分からない。
「単純に強い人間じゃダメ。今度は連れてきたその人物が『魔王』呼ばわりされるだけだからね。せっかく招いたアドバイザーを殺されるわけにはいかない」
「そりゃそうだ」
「悩んでると、ふと強い思念を感じたのよ。どこかあたしの力に近い波動、その人物は人生を後悔し、やり直したいと必死に願ってた」
「可憐」
始は首を振り、予想外の人物の名を告げた。
「いいえ。その父親。後に『至高の魔法使い』と呼ばれるようになる男よ」
「―――へ?」
師匠のほう?
カレンじゃなくて?
「世界を転移できる能力を持ってたのは、カレンじゃなくて師匠だったのか?!」
「そういうこと」
「え、でもそれはあんただけの能力なんだろ。あんたの遺伝子を組み込まれた遺伝子操作生命体は全員こっちに来たはずで」
旧人類は始の遺伝子を持ってないはずだ。戦争を回避するために分かれたんだから。
「彼らの中に密かにいたんでしょーねぇ。改造人間なのを黙って普通の人間として生きていたか、あるいは研究者どもの誰かが力欲しさにこっそり自らにあたしの遺伝子を埋め込んだか。大方そんなとこじゃないの」
ありそうな話だ。
「そうして眠ってた遺伝子が、何かの拍子に発現したと」
「たぶんね。……で、双子の宇宙をのぞいた時に叫んでいた彼はとても自分勝手な人間だった。己の望みのためには他者を利用し、踏みつけにすることも厭わない。虐待されて育ったことは同情するけど、だからって無関係な人たちに矛先向けていいもんじゃないっての。己の弱さを隠すため自分は偉いと信じ込み、心を守るため常に一番で他者から褒められているという裏打ちがなければ気がすまない人生を送った結果……実の娘を見殺しにし、ついには誰からも背を向けられた。そうして最期の瞬間にようやく後悔してもがき、力が発現した」
始はパンと手を打った。
「今わの際に力が発現するのはあんたも同じね。追い詰められるとロックが解除されるとでもいうかな。彼は世界を移動する能力を使い、こっちの世界に飛んできた。しかも、妻と娘の魂を連れて。なぜその二人を連れて来たかは、やり直すにはその二人が必要だったからよ」
「師匠が奥様とカレンを連れて来たのか……」
「別の人間として転生し、望み通り新たな人生を始めることになる。向こうの宇宙の知識を持ち越した彼は、こっちでは『特別な存在』になれた。それで満足してればよかったんだけどね」
願いは叶ったのだから。
「不可能のはずの願いが叶ってしまったゆえに、彼は欲を出した。一つ叶ったんだから他にもと。そうして際限がなくなった」
「……もし師匠が満足してれば、カレンは殺されずに済んだ。俺はカレンと結婚できて幸せに暮らせて、世界が滅ぶことも」
「なかったでしょうね。あたしもそれを期待した。だけど彼はいくら望みが叶っても満たされなかった」
飽くなき欲望に飲みこまれた師匠。
始は肩をそびやかした。
「しっかし、カレンと会ったあんたは傑作だったわ~。そりゃーもうポーっとしちゃってさ。一目惚れ。見てるこっちが照れるっつーのー」
「うるさいな!」
あんなかわいくて優しい子に惚れずにいられるか!
始はニヤニヤ笑いながら、
「いやホント、苦労してあらゆるタイプの子と引き合わせてきたのにさ。まさか十にもならない女の子が正解だったとはー」
「あのな。俺だって子供だったんだから同年代だろ。普通だろが」
「考えてみれば納得かも。彼女の望みは純粋な『生きたい』という願いだった。ただ『生きたい』、それだけ。幼い子どものその純粋な願いこそが、運命を変えるものだったのね」
俺も毎回『生きたい』と願ってた。世界を滅ぼしたいなんて微塵も思っておらず、ただ普通の人間として生きたかっただけだ。
俺とカレンは同じだったからこそ惹かれ合った。
「皮肉なもんよね。最初は彼が世界の破滅を防ぐためにやって来たお助けマンだったはずなのに、正反対の存在になり下がった。あたしの考えに呼応して、一番最初に来る時に言ってたのよ? 自分が必ず成し遂げてみせるって」
「当時の師匠と話したのか」
「向こうは完全に忘れてるけどね。そのほうが都合がよかったからじゃない? 自分にとって不都合な真実はなかったことにする。彼の妻も似たようなものよ。耳を塞いで現実を認めない。そういえば、前の宇宙にこんな神話があったっけ。ある時、神々の国から地上を統治するために一人の神様が送り込まれた。ところが彼は地上の暮らしが楽しくて使命を忘れ、好き勝手なことをし始めた」
「へえ、そいつはどうなったんだ?」
「どうもしないわ。神々はあきらめてそいつを無視し、次の神を送り込んだ。ところがそれもまた二の舞で……何回もそのパターンを繰り返したってね。彼が失敗だと分かった後もあたしが別の人間を呼んでこなかったのはこの神話の教訓ゆえよ。どうせそうなるだけだもの」
ないとは言い切れないな。
「破滅を阻止するはずの『勇者』が、むしろ促進する『魔王』になったわけか」
「そ。ほんっと、何のために来たのかしらね? 超迷惑!」
始はあきれかえって嘆息した。
「言っとくけど、あたしが来いって言ったんじゃないのよ。彼が勝手に手を挙げて押しかけてきたの。そのくせすっかり忘れて多くの人々を巻き込み不幸にして、あげく自分が世界の破滅の原因になった」
「リセットした時に帰せばよかったんじゃ?」
「帰したわよ。でもまた勝手に来るのよ」
始は苦々し気に言った。
ええー。
「あたしは世界を移動できる能力を持つけど、自分以外の同じ能力の持ち主を阻止することはできない。お互いにそう。ドア閉めて帰れ!ってはじき返せないのよ」
師匠がこっちの世界に来るのは食い止められない。
「カレンさえいれば、あんたは安定する。ならばとなんとか可憐だけひっぱってこようとしても、必ず彼がくっついてくる。まるでヒルみたいに娘にしがみついて離れないのよ。やり直すためには娘が必要だから」
「……執念だな」
ゾッとする。
「カレンのおかげであなたが破滅の原因にならなくなった代わりに、彼が脅威となった。一つの運命を変えれば、それに代わるものが現れるというのかしらね」
「結局、この世界の破滅は避けられない?」
「いいえ。回避してみせる。そのためにまたあたしはあらゆることを試したわ。彼が『圧倒的存在』でいられれば満足するかと魔法使いの数を減らしてみたり、逆に野望をくじいて自分は凡人だと分からせようと増やしてみたり」
「そんなことまでできるのか」
さすが神レベル。
「でもやっぱり駄目。いくらやっても彼は変わらない。結末はいつも同じ……。あなたの目の前でカレンは殺される」
「…………」
俺は目を伏せて思い返した。
早いうちにカレンを連れて逃げようとした時は、まだ子供だったからすぐ見つかって。
直接師匠を諫めた回では、直後に師匠が激高して。
またある時は……。
さっきまで周りにあった、おびただしい数のカレンの殺される様。あれは全て実際にあったことだ。毎回俺は目の前で愛する人を奪われるループ……。
「どうして何度やり直しても我が子を殺すのかしらね。娘と妻の魂にしがみついていながら、それを己が手でつぶすなんて理解できないわ。どんなに必死であたしたちが食い止めようとしても、誰が何を言っても彼は変わらない」
「……きっと、師匠が本当にほしいのは最初の親の愛情だからだろ」
双子の宇宙での親だ。彼らはとうに亡くなってるし、始でも向こうのリセットは不可能だからどうしようもないのに。
「てことでしょうね。リセットして何人親を変えても、どれほど愛情深い人たちでも彼は不満。なぜなら『あの両親』じゃないから。自分を虐待した親でも、嫌っていても、それでもその二人からの愛情じゃなきゃ駄目なのよ」
師匠。あなたが本当に願った「やり直したい」のはいつの地点?
「救いなのは、カレンはループしてると知らないことね。何度も何度も実の親に殺され、最愛の人と引き離される結末なんて覚えてないほうがいい」
「……そうだな」
でないと俺みたいに壊れてしまう。
ふう、と長い息を吐いた。
「……42回か。それだけ繰り返せば、俺もおかしくなるよなぁ……」
カレンがいない回を加えると、通算何回目だ。
「あたしも見てられなくて、ついに今回直接あなたにコンタクトとったのよ」
「それで初めて会ってるってわけか」
「彼には毎回危なそうなとこで声かけてるんだけどね。聞く耳持たない。前世の記憶を取り戻してしまうのを食い止めるのも無理だし」
「元は別の世界の人間だから干渉できないんだな。……でもさ、師匠は本当にすごい人だったと思うよ?」
始が続きを話せというようにあごをしゃくった。
「知識があったって再現できるもんじゃない。例えば専用の器具やなんかがないと不可能なものは、まず必要な道具から記憶だけを頼りに作らなきゃならないってことだろ? 見本もない、覚えてる限りの情報からそう簡単にできるか? 向こうにあってこっちにない素材だってあるだろうし」
特に師匠の得意分野だった医学・薬学関係なんて道具だけでも相当特殊だ。不器用な俺には絶対無理。
「ええ。彼は道具を使ったことはあっても、『作った』ことはなかった。すでに完成してるものが普通に手に入ったんだものね。だから確かに彼は非凡な才能の持ち主だったのよ。けれど自分が『再現』してるんじゃなく『発明』したとみんなに思わせたことが過ち」
始は言い切った。
「だって、例えばコンクールで優勝した人の絵とそっくりなものを描いて、自分のだって別のコンテストに提出したらどうなる? 既製品の服と同じデザインを自分オリジナルのものだといって発売したら? パクリよねぇ。模倣であって、下手したら犯罪でしょ?」
「……ああ」
「彼の才能は確かにすごいものだったんだから、きちんとこれは前世の知識だと説明しても尊敬はされたはずよ。人間は愚かだけどちゃんと分かってる。真実を明らかにしても人の心は離れなかったでしょう」
「実際カレンがそうだったようにな」
秘密を暴露した後もカレンの人気は高かった。
「結局彼は弱かったのね。恐がりで心配性で。自分が意図的に人心を操作して尊敬を集めてたからこそ、人を信じられなかった。向けられるものが真実の気持ちじゃないために、いくらすごいと言われても満足できなかったのかも」
「知識が借り物だと分かれば、褒められなくなるって不安だったんだな」
「勝手に疑心暗鬼になってさぁ。本当に一番最初に発見・発明した人のほうがすごいと言われるに決まってる、自分より尊敬されるやつが現れることになれば首位から陥落する。嫌だ……ってことね」
「なんでそこまで一番じゃなきゃいけないんだ?」
「無価値で何もない人間だって自覚があるからでしょ。彼は親に虐待されて育ったから、とにかく自分に自信がない。自己評価が極めて低く、物事のとらえ方も歪んでしまってる。親の言う通りだと思いつつも、いや違う自分はそんなダメな子じゃないと否定したくて他者からの裏付けを必要とした。矛盾を抱えてたのよ」
「大きくなって親が言ってたことが間違ってると分かったなら、呪縛から抜け出せばよかったじゃないか。カレンみたいに」
カレンも虐待を受けて育ったけど、息子のように育てたテオを同じ目には遭わせなかった。
自分がされたからこそ、自分はしないと。
「彼の中身は親の愛情を求め続ける幼い子どものままで止まってたのよ。……一体何のためにやり直したいのかしらね? 幾度となくチャンスをもらいながら、子供のようにかんしゃくを起こして自分ではねつけて」
「そこまで昔の親にこだわるなら、彼らも連れてくればいい。向こうの宇宙のリセットは不可能でも、魂を連れてきてこっちで転生は可能なんだろ?」
「可能だと思う。だけど彼はそれをしないの。やりたくないんだって。またその親の子どもとして生まれたら繰り返されるだけだっておびえてるのよ」
「また虐待されるって恐れてるなら、そんな親に愛情求めるなよ」
論理がおかしい。
「言ったでしょ、彼は矛盾を抱えた存在だと。そしてそれから抜け出せず、自分で自分の首を絞め続けて自滅する。卓越した才能がありながらも愚かな人間」
師匠、あなたは『始まりの女性』すら認める才能の持ち主で、カレンも持ってない世界移動の能力まであった。
十分すぎるほどその手の中にあったじゃないか。
「彼は変わらない。変われない」
始は断言した。
「今度は彼のせいで世界が終わるなら、元いた場所に帰ってほしい。元々招かれざる客なんだから」
「強制的に送還しても勝手に戻ってくるんだろ? しかもカレンにしがみついてる」
「それが今回ようやく離れたのよ」
「何だって?!」
思わず身を乗り出した。
「ループに変化があったの。だからあたしも出張ったといえるわ。現在時間から約百年前、彼が娘を生贄にして人間を超越した存在になろうとしたでしょ。これまでのループにもそれはあったんだけど、いずれもカレンは殺されてた。生き延びたのは今回が初めてなのよ」
「あ……」
言われてみれば。
記憶をたぐってうなずく。
「失敗したことで彼は娘を切り捨てた。つまり娘の魂にしがみついてたのが離れたのよ。その証拠にさっき、カレンだけ双子の宇宙に飛ばされたでしょ」
パチンと指を弾いた。
「そうか。これまでの状況なら、カレンが転移したらくっついてる師匠と奥様も引っ張られるはずなんだ」
「そう。初めてのチャンスなのよ。逃せない。だからあたしはここでリセットせず、もう少し進めたいの」
なに?
「ふざけるな! カレンは死んだんだぞ!」
俺はカッとなって叫んだ。
カレンのいない世界なんて生きていてもしようがない。
「時間を戻せばカレンはまた生きられるんだろ?! カレンを返してくれ!」
鎮まったはずの衝動がこみあげる。
ああ、まただ―――。
「落ち着きなさい」
始は俺の肩を強くつかんだ。
あまりに強い力に驚き、我に返る。
「ふぅ……。最後まで聞きなさいよ。カレンを取り戻す方法はある」
「本当か?!」
世界を移動できる始なら、弾き飛ばされたカレンを連れ戻すなんて簡単てことか。
「いいえ。カレンは彼の作った魔法のせいで飛ばされたんだから、あの魔法を破らなければ駄目。封印を解かなければあたしでもできないわ」
いわばカレンをはじく結界が張られているようなものだと始は言う。
「元は別の世界の人間だからか、彼に関してはあたしにも干渉できない要素が多すぎるわ。しかも誰も考えつかなかった、あたしですら不可能な転移阻害の方法を編み出すなんて。紛れもなく卓越した才能の持ち主なのに、その使い方を間違えさえしなければ」
「どうやったら破れるんだ?!」
「この魔法は高度なだけに致命的な弱点があるの」
始は一本指を建てた。
「ほんのわずかでもほころびができると効力を失うってことよ。高度な魔法ほど複雑な術式が必要になり、魔法陣の一文字を間違えただけでも作動しないでしょ?」
「てことは……」
「四散した封印のアイテムのうち、一つでも見つけて破壊すればいい。そうすれば結界に穴が開く。そうしたらあたしが手をつっこむわ」
「……! カレンにまた会えるのか……?」
希望の光が差し込む。
もう一度、君に会える。
「そうよ。だから暴走しないで、魔具を探しなさい。もちろんあたしたちも手伝う」
「たち?」
「『初代の残り』にあたしが声をかけるわ。彼らもあたしの意を汲んでくれて後世のことには不干渉だけど、そんなこと言ってる場合じゃない。ああ、彼ら、いわゆる『魔族』が人間たちに特に何もしなかったのはその約束があったからよ。そもそも彼らは悪の存在じゃなくて先祖だし。子孫の営みは子孫のものであって、自分たちとっくに死んでる連中が口つっこむべきじゃないって傍観者してるだけよ」
どうりで『魔族』なのに何もしてこないと。人間を襲ってるのは『魔物』ばかりだ。
「『魔物』は人の恐怖や負の感情が生み出した生命体よ。一緒にしないでほしいわね」
魔物も人間が生み出したもの、か。
「あたしが作ったのは世界のベースまで。その後は自然に任せたわ。その結果自然発生したもののうちの一つよ。ともかく、かつての仲間たちにもう一度助けてもらうわ。―――あなたは一人じゃない。あたしたちがついてる。だからあきらめないで」
始は強く俺に言い聞かせた。
―――ああ。あきらめないよ。
「彼女を取り戻せるなら。彼女と会うためなら、俺は何でもする」
始はどこか詫びるように顔を歪ませた。
「……ありがとう。ごめんね。さあ、そろそろ一時停止していた時間を進めましょう。今度こそ最悪の未来を阻止してみせる」
『始まりの女性』が言った瞬間、俺は荊の城に戻っていた。
それからの俺は世界中を放浪し、飛散した魔具を探し続けた。
黒いローブはすりきれ汚れ、髪も足につくくらい長くなった。
身なりなど構わず歩き続けた。
会いたい。カレン。愛する君に。
ただその一念だけが支えだった。
涙はとうに枯れ果てた。
眠ると夢に彼女が出てくる。幸せそうに笑っていた。うれしかった。
けれど手を伸ばすと夢は消え、いつもそうやって目が覚める。手が届くことはない。
いっそ目覚めることなくずっと夢の中にいたいと思った。でも俺は探さなきゃならない。
……ある日、祖国の近くを通ると気付いたテオが追いかけてきた。
「兄さん、見つけた! 司法長官の予知通りだ」
「……なんだ」
「司法長官が呼んでるんだ。来てくれ。もう長くない」
かつての協力者のところに行ってみると、もはや老いて衰弱しきった姿を見つけた。
司法長官はしわがれた声をつむいだ。
「久しぶりね、ネオ。こんな姿で驚いた? ……もう私の寿命はとっくに尽きてるのよ。それを維持と根性で引き延ばしてたの。大切な友人を助けたくて」
「…………」
司法長官もカレンを救えなかったことを悔いていた。俺から始の話を聞き、国に残って魔具を探し続けてくれていた。
「……私は友人を守れなかった。大切な友達だったのに。予知能力も役に立たなかった。こんなもの持ってたって仕方ない。次に生まれる時はいらないわ」
「……そうか」
「話がそれたわね。最後の力を使って予知を行ったわ。あなたとカレンは必ずまた会える。だけどそれは千年も後よ」
「―――千年?」
世界を超えた上での転生だから、タイムラグが生じるのか。
―――今生において、俺とカレンが再び出会えることはない。
そう宣言されたも同じだった。けど不思議と納得する。なんとなくそんな予感はしていた。
封印を一部解いても完全解除じゃないから、始が連れ戻したとしてもすぐには転生できないのかもしれない。効力が弱まるまで時間が経過しなければ……。
この時、俺はあることを決意した。
「そうか」
「あきらめないで。たとえ長い年月がかかろうとも、あなたたちは必ずまた会える。だからもう自分を責めるのはやめなさい」
「…………」
俺は黙って司法長官を見返した。
「千年後、私も絶対近くに転生してやるわ。そして次こそあなたたちを助ける。約束よ」
「……別にいいのに」
司法長官の責任じゃない。
「いいえ。それがあの男を止められなかった私の罪滅ぼしよ。必ずまた会いましょう。皆で、今度こそ全て終わらせるのよ」
司法長官はそう言い残し、息を引き取った。
始とは似ても似つかないのに、同じようなことを言っていた。
俺はまた旅を続けた。
―――それくらいの月日がたったか、ある日始の意識体が現れた。魔具がある可能性の場所が見つかったという。
俺はすぐさま駆けつけ、見つけると破壊した。
ただし始に「完全に破壊するとまずいかも。カレンの記憶も封じられてるから、損傷する恐れがある」と言われて一部を壊すにとどめた。
「―――よし! 予想通りほころびができたわ。カレンを引っ張ってくる。でも……」
始は言いにくそうに言葉を濁した。
「分かってる。カレンが転生できるのは約千年先って言うんだろ」
司法長官の予知は外れたことがない。
「いいよ、それでも。俺にもやることがあるしな」
俺は久方ぶりに家に戻った。
かつてカレンがしたように、自分の持ち物や研究ノートを破棄した。司法長官の予言書を装った書物も王家に預ける。カレンの杖も隠した。
剣も安全な場所に収め、俺しか抜けないように細工した。
……これが使えれば、なにか違ったのかな。
眺めてふと思う。
カレンの死後、テオが出してきた剣。カレンは自分亡き後も俺の役に立つようにと作ってくれていたんだ。
魔法使いである俺は剣が使えない。使うのは剣士や騎士だ。せっかく彼女が残してくれたのに、無駄になってしまった。
ごめんな。
俺という存在の痕跡を消し去って荊の城へ向かう。
―――いよいよだ。
杖を掲げようとすると、後ろから呼び止められた。
「兄さん!」
…………。
振り向くと弟がいた。
『二回目』では俺を倒す『勇者』だった男。
「兄さん、何をするつもりなんだ」
「……師匠の後始末だよ。師匠が作り出したものの中にはろくでもないものがいくつもある。廃棄・抹消されたけど、どうせ取りこぼしがあるだろ。完全に消し去ろうと思って」
「完全にって、どうやって」
「この世界から……人々の記憶からも師匠の存在と禁断の魔法の知識・存在そのものを消去する」
きっぱり言った。
テオはあんぐり口を開けて、
「そんなの無理だよ」
「できるさ。旅しながらずっと研究してた。弟子なのに止められなかった俺の贖罪だよ。……こんなので俺の罪が消えるとは思ってないが」
せめて。
テオは待ったをかけた。
「待って、兄さん。それだけ強力な魔法なら、代償が必要なはず。一体何を」
さすが察しがいいな。
「俺に関する記憶だ」
何でもないことのように答えた。
テオの顎がさらに開く。
「……は……?」
「師匠のことを消す代わりに、俺のことも人々の記憶から消える。お前も忘れるよ。だから正直に話したんだ」
どうせ忘れるから。
テオは俺につかみかかった。
「冗談じゃない! そんなことさせられるかよ!」
「……あのな。俺はもう、生きていたくないんだよ」
俺は弱々しく本音を吐き出した。テオが目をむく。
「疲れちまった。無理にふるいたたせていても、もう限界なんだ」
「……兄さん」
「カレンが死んだ時、俺は壊れた。どうにかカケラをつなぎあわせてがんばってきたんだよ。……だけど、もういいだろ?」
枯れたと思っていた涙が流れ落ちる。
魔法を起動した。
テオがはじかれて魔法陣の外に飛ばされる。
「兄さん!」
心配するな。
俺は弟に笑いかけた。
「俺は今、幸せなんだよ。だって死んでもカレンに会えると分かってる。ようやく会いに行けるんだ」
上を向く。
カレンが最期にいた場所に、俺の目には彼女の姿が見えた。
「カレン」
彼女は両手を広げて待っている。
会いたかった。もう一度君に。
たった一人の、愛する人。
俺も両腕を伸ばした。
杖が砕け散る。体が消えていく。代償として俺の肉体は滅び、カケラも残らないだろう。
「カレン――――」
俺は愛する人のもとへ飛び立っていった。
必ず会えると分かっていたから、死の瞬間、俺は幸せだったんだ―――。
前章の最後で登場した女性は母親だと思いましたか?
残念、はずれです。それじゃああまりにありきたりすぎる。
ミスリードでそう仕向けてましたけどね。
かくしてこれが彼の死の真相だったわけですが、本人の言葉通り彼はその瞬間間違いなく幸福でした。