16 勇者の前世③
俺がもっと早く、カレンに家族を捨てて一緒に来てほしいと連れて逃げていればよかったのか。師匠が消息を知ることのできないくらい遠くへ。
一体どうして俺のほうが優れてるなんて師匠は思ったのか。どう考えても『下』なのに。
身分も地位も功績も頭脳も、俺に敵うところなんか一つもない。
あるいは、師匠の性格を変えることができていれば? それは無理だったろう。なにせ、転生して別の人間になっても変わらなかったんだ。しかも世界を超えてもその妄執を捨てきれなかった。誰が忠告したところで耳も貸さなかったろう。なぜならプライドの高い師匠にとって、他人の意見を聞くことは『負け』を意味するからだ。
精神的脆さを隠すため、断固として自らの非を認めることができない。自覚があるからこそ、己が常に最も優れた存在でなければ気がすまない。人から褒められることで裏打ちされていなければ駄目なんだ。
師匠を煽る王をどうにかしておけばよかったのか。司法長官が長年説得しても駄目だったんだから、俺がどうにかできるとは思えないが。退位させて権力を奪うとかでもしなければ。
どうすればよかったのか。ただその言葉だけが浮かんでくる。
とはいえ、後悔ばかりしてる暇はなかった。カレンの保護と師匠の追跡、やることは山ほどある。
また師匠が狙ってくるかもしれないという口実で、俺はカレンの傍を離れなかった。無理言って病室から指揮を執る。
王はようやく自分が何をしでかしたのか理解し、落ち込んでいて使い物にならない。ただ可愛がってる姪に謝り続けるだけだ。
せめて償おうと何かすればいいものを。まったくろくでもない王様だ。泣くだけで状況が好転するか。
現在、城で代行してるのは司法長官だ。
奥様も同じだった。というか、こっちのほうがもっとひどい。「娘を置いて逃げた」と批判されると、これまで温室育ちだったから「自分は悪くない!」とだだをこねていた。ヒステリーを起こし、兄王と取っ組み合いのケンカまで繰り広げる始末。
どうやら奥様は自分を悲劇のヒロインと思ってるらしく、なんでみんなから責められるのか本当に理解できないようだ。娘のこともどうでもいいようで、カレンの様子を聞くこともしない。
唯一慰めの言葉をかけるのは俺の父だけで、ずっと愚痴聞いてやってる。恩人の妻だから付き合ってやってるのに、奥様はひたすら自論を展開し嘆く。
最悪だ。
吐き気がする、と思いながら次の指示を出していると、カレンが目を覚ます気配がした。
「カレン!」
急いで枕元に駆けつける。
「大丈夫か?」
カレンはぼんやり視線を向けてきた。
「ここは病院だ。怪我は治したけど、屋敷はふっとんじまったし、しばらくここにいたほうがいいと思う。俺もいるから」
「……パパは」
妙に冷静な声で尋ねてくる。
……辛いよな。
「行方不明だ」
簡潔に事実を説明する。
死んでないのは何となく感じてた。
ただちに全土へ知らせを送ったけど、まだ痕跡の一つも見つからない。師匠の行きそうな場所も、過去関わったことある人たちへも問い合わせた。
カレンはふっと冷笑した。
「逃げたってことね。早く見つけ出さないと……さっさと見つけて倒さなきゃ」
「カレン、だけど……」
血のつながった実の親じゃないか。カレンにそんなことさせるわけにはいかない。
やるなら俺がやるよ。
「あたしに親はいない」
カレンはそう言って切り捨てた。
……ああ、そうか。カレンはあきらめたんだな。親に愛されることを。
「ママは?」
「ああ、城にいるよ。まだパニック状態で、父さんがついてる」
「そう」
どういう意味か理解したらしい。奥様がカレンのことを心配もしてないどころか、自分の保身しか考えてないことに。
「処分が決まったんでしょ。あたしは継承権はく奪かな。別に元からいらなかったし、どうでもいいけど」
「……師匠は権利も資産も没収、戸籍も抹消された」
王もそれだけはただちにやったんだ。妹が罪人の妻にならないように。でも自分のことしか考えてない奥様に、嫌気がさしたようだが。
「皆混乱してるよ。なにしろ崇め、尊敬してた『至高の魔法使い』が邪悪な存在だったんだから」
「そうね」
「奥様の責任は問われないことになった」
俺としては追及してほしいところだ。奥様は知っていて何もしなかったんだから。
「王妹だもんね。王としてはかばうでしょうよ」
「カレンも被害者として処罰なしだ」
「ふ、色々もみ消したいのがバレバレね」
あざけるように言うカレン。
「カレンは暴力をふるわれたじゃないか! 殺されかけたんだぞ。どう見ても被害者だ」
親の罪は親自身が負うべきものであって、子供にはない。
「どうかな。邪悪な魔法使いの娘だって、なんで止められなかったんだって思う人もいるんじゃないの」
「カレン……」
そんなこと言うやつはいない。なぜならカレンは師匠と違い、本当に心から人のために働いてたからだ。そのことは誰もが知ってる。カレンに集まってるのは同情だ。
むしろそれを言われるのは俺だろう。弟子のくせに、どうして師の悪行を阻止できなかったのかと。
「……ネオは? ネオは罪に問われたりしない?」
こんな時まで人の心配して。
「俺もお咎めなしだ」
王は罪を自覚こそしたけれど、なおも王位に居続けたいらしい。王は絶対的権力者、この国で最高の地位だからだ。
これだけのことを引き起こしてなお、固執する愚かな男。
結局のところ、王も師匠も本質は大差ない。自分が一番でいたいだけ。そのためには他者を平気で犠牲にする。
「よかった……」
カレンはほっと安堵のため息をもらした。
「ただ、条件付きだ。俺もカレンも奥様も、同じように反逆者にならないよう示す必要がある」
「それはそうでしょうね」
「それから、爵位についてだが……。予定通り、俺に与えるって形をとる」
これは俺とカレンの婚約が成立した時にそういう話になってた。俺が庶民のままじゃ、王の姪と結婚させるわけにはいかないと。
「で、俺とカレンが結婚して子が生まれたら、速やかにその子に譲る」
元々俺は爵位なんかほしくもない。
「ただし今回の件で師匠の家名を残すことはできなくなった。だから俺の方の名字が落としどころで」
「……結婚はしない」
カレンは静かに言った。
―――は?
本気で何を言われたか理解できなかった。
「何を言って」
「あたしはやらなきゃならないことがある。罪を償わなきゃならない」
償うべき罪なんてどこにある。あるとしたら、それは王や重臣たち、奥様にだろ。
「カレンは俺と結婚するんだろ」
「しない」
何も見ていない目をカレンは上に向けていた。
なんでだ?
どうしてカレンと別れなきゃならない。あ、カレンが師匠の娘だから? 大罪人の娘との結婚なんてデメリットしかないと。
「師匠のことは関係ない。カレンに責任があるっていうなら、弟子の俺にも責任があるだろ。自分を責めるな」
カレンの手を握りしめ、必死で言いつのった。
「俺はカレンが好きだ。だから結婚したい」
「…………」
はっきり口にしたのがこんな時だなんて笑える。もっと違う形のはずだったのに。
こんなことさえなければ。
カレンは黙って虚空を見つめていた。
俺もしばらく沈黙していたが、やがて優しく頭をなでた。
「……ショックが大きかったんだな。ゆっくり休め。俺は少し出てくる」
少し一人にさせてあげよう。
外の警備兵に見張りを頼み、さらに周囲へ結界を張って城へ向かった。司法長官と色々やらなきゃならないことがある。
後ろ髪を引かれながらも、俺にできるのは師匠を一刻も早く見つけ出すこと。そして俺が単独で始末をつけることだった。
☆
カレンが退院してしばらくは療養のためという口実で、王は姪を城に留め置いた。実際住むところもなかったし、姪を心配していたのは本当だろう。
王妹である奥様にとっては実家なことから、奥様は好き勝手にふるまっていた。「私は被害者。何も悪くない」と主張し続け、責められると「うう、まだショックが……」と具合の悪いふりをして逃げるようになる。急速に人々の心は離れていっていた。
ついに見かねた王が強めに諫めたら、爆弾発言を投下してきた。
「兄さま、聞いて聞いて! 私、赤ちゃんができたの! もちろんあの人の子じゃないわよ!」
さもうれしそうに、花でもまき散らすかのような甘ったるい声ではしゃぐ。
シン、と場が静まり返ったのは言うまでもない。
俺もカレンも露骨に顔を引きつらせた。
……この状況下で、何言ってんだ?
頭どうかしてるんじゃないのか?
俺はもはや恩人の奥様とも思っておらず、冷たく突き放した。
何を考えてるかは明白だ。奥様もみんなから背を向けられたことには気づいてる。遠からず罪人の妻として裁かれるかもしれない、兄王に言いつけられた役目も果たせなかったし、切り捨てられるかもという不安に襲われた。じゃあ、どうすれば逃れられるか?
妊婦なら殺せないだろう、ってわけだ。
さらに子を産めば、その子は王位継承権を主張できる。第二位保持者より血縁的に王に近いからな。すでに臣籍降嫁したけど娘のカレンが第一位を保持してるんだから、その異父弟妹も権利があるはずだって理屈。
父親が師匠でなければ罪人の子ではないし、しかもこれから生まれるならなおさら事件とは無関係だと。
さすがの王も堪忍袋の緒が切れた。
「お前は何をしてるんだ!」
烈火のごとく怒鳴りつける。
奥様は子供のように無邪気に笑って首をかしげた。本当に分かってないようだ。
「兄さまぁ、なんで怒るの? 赤ちゃんできたのよ。おめでたいことじゃない。新しい命を授かったことを喜ばないなんて、人としてどうなの」
「そういう問題じゃない! 分からないのか?!」
「あら、重婚じゃないわよ。安心して。だってあの人の戸籍は抹消されたし、結婚もなかったことになった。兄さまがそうしたのよ」
無駄に知恵が働く。不倫じゃない、生まれるまでに相手と結婚してしまえば子供は非の打ち所がない嫡出子になるというわけだ。
「だからね、違法じゃないの。それにこれで私を罪に問うことは絶対できなくなったわ。だって妊婦だもの。妊娠中の女性に罰を与えるなんて、人でなしよ」
絶句する兄王に奥様は艶やかに微笑んだ。
「ね、できないでしょ? ふふ。もちろん出産後もできないわ。子供から母親を奪うことになるんだもの。子供から幸せを奪うの? できないわよねぇ」
俺は歯を食いしばった。
―――反吐が出る。
カレンを捨て、見向きもしないどころか、その間にちゃっかり子供まで作ってるとは。しかも利用する気満々で。
そんなにカレンはいらなかったのか?
別世界まで連れて来たくせに、どうして見捨てる。大事な我が子じゃなかったのか。我が子より自分が大事なのか。
そこで気づいた。
奥様は常に誰かに庇護されていなければ生きていけないんだ。頼る相手がいないと駄目。これまで兄王や師匠がいたように、強い・社会的地位の高い被保護者を欲する。なぜなら彼らは自分に安定した楽な暮らしをくれるからだ。
結局のところ自分のことしか考えてないのは奥様も同じだったのか……。
「お前は……! 相手の男性は誰なんだ!」
奥様が挙げたのは俺の父親の名前だった。
「…………っ」
蒼白になる。
父さ……ん?
まさかの予想外だった。俺の手落ちといってもいい。
孤立無援の奥様を見捨てられず、父さんが連日慰めてたのは知ってた。でもまさかそんなことになるとは。
父親の裏切りに吐き気がこみ上げる。
「―――お前という奴は!」
激高した王の平手打ちが飛んだ。バシッという衝撃音。
皆呆然としていたが、これは王の行動に驚いたというよりも奥様の恥知らずなふるまいについてだ。奥様が叱責されたのは当然のことだと誰もが思ってた。
「う……うわああああああん!」
子供のように泣きじゃくり、パニックを起こした奥様は駆け出して行った。
追う者は一人もいなかった。
拳を握りしめ、必死に耐えていた王は父さんを呼んだ。
俺は真っ先に詰め寄った。
「父さん! どういうことだ、奥様の腹に父さんの子がいるってのは!」
「え?」
父さんにとっても初耳だったらしい。
「……え? 知らなかったのか?」
「知らない。そりゃその……そういうことはあったが……」
「あったのかよ! ふざけるな!」
父親の胸倉をひっつかんだ。
「どういう状況か分かってんだろ!? みんな大変なのに、カレンだって傷ついてるのになんてことしてくれたんだ! 母さんが亡くなって長いんだ、父さんが他の女性と付き合ったって気にしないさ。でもどうして今、奥様でなきゃならなかった!」
「す、すまない。そんなつもりでは……ただその、奥様が寂しい寂しいと……」
「だからっていいわけないだろ! 奥様がどうして急いだと思ってる。妊婦なら処刑されずに済む可能性が高いからだ。師匠じゃない男との子供であれば、その子は王位継承権を主張できる。継承権保持者の母親で居続けられるんだ。子供から母親を取り上げるのかって口実で、逃れるつもりなんだぞ! 父さんはそれに手を貸したんだ!」
父さんはうろたえて真っ青になる。
学のない極貧の農民だった父さんには想像もできなかっただろう。でも知らなかったからといって許されるものじゃない。
「そ、そんな……」
「父さんはカレンをも裏切ったんだぞ!」
父さんは頭を抱えてひたすら謝った。
「すまない! 自分でもなぜあんなことになったのか分からないんだ。最初はただ話を聞いていただけだった。でもそのうちなんだか頭がぼんやりしてきて……言うなりになってしまった」
ん?
俺はいぶかしげに眉をひそめた。
「……ちょっと待ちなさい」
王も何かおかしいと思ったようで、どこかへ人を遣わせた。報告を聞き、うなずく。
「分かったぞ。妹は薬を盛ったのだ」
「薬、ですか?」
「今、薬師に確認した。妹はひどい躁鬱状態だから、薬を処方していたのだ。それを患者でない人間に飲ませれば、ぼんやりして思考力を失う。おそらく飲み物か何かに混ぜて彼に飲ませたんだろう。つまり君の父親に罪はないということだ。……悪いのは全て妹だ」
父さんを薬で言いなりにさせた……?
「いえ。正常状態でなかったとはいえ、父にも責任はあります」
俺はきっぱり言った。父さんも、
「……はい。言い訳は致しません。陛下、ネオ、お嬢様、申し訳ありませんでした……!」
父さんは土下座して謝罪した。
俺は冷たい目で見下ろしていた。
王はというと慌てて父を立ち上がらせ、
「いいや、これは余のせいだ。こちらこそ謝ればならん」
そうだ。王は嘆くばかりで何もせず奥様を放置していた。せめて兄として何かすべきだったんだ。
「生まれてくる子に罪はない。婚外子にしないため、書類上だけ結婚してくれないだろうか」
固辞する父さんを必死で説得する。
「もちろん同居しなくていい。あれは出産まで城に閉じ込め、監視を約束する。精神科医の治療を受けさせよう。産後は牢に入れ、服役させる。子供のことだが……責任もってこちらで育てよう」
は? 冗談じゃない。あんたに預けたら、その子までろくでもない大人になるぞ。
俺にとっては異母弟だ。ほっとくわけにはいかない。
父さんも慌てて、
「そんな。子供は引き取ります。奥様だけのせいじゃありませんし……。いいな、ネオ?」
ちらっと俺を見る。後ろ暗いところがあるからオドオドと。
チッ。
その子は何も悪くない。むしろ大きくなれば自分がどういう理由で生まれたか知って悲しむだろう。それはあまりに哀れだ。
「……ああ。俺も親の罪を子が受けるのは間違ってると思う。弟か妹はうちで育てます」
きっぱり答えた。
王もそのほうがいいとふんだようだ。これから王自身に子が生まれた場合、面倒なことになるのは明白だからな。
王は最後に正式に謝罪した。
今さら遅すぎる。どうしてもっと早く気づかなかった? 司法長官があんなに何度も、長年忠告し続けてくれてたのに。
取り返しがつかないところまで行って初めて気づいても遅いんだよ。
……ずっと沈黙したまま微動だにしなかったカレンがここにきて動いた。
静かに床の上に膝をつき、頭を下げる。
「ごめんなさい。あたしのせいだ」
淡々と謝った。
……は? なんでカレンが謝るんだよ。
「父も母も止められなかった。あたしがやるべきだったのに。無関係なはずの人たちを巻き込んでしまった」
どうして幼い子どものほうが親を止めなきゃならない義務がある。師匠も奥様も大人だ。自分のしたことは自分で責任を取るべきだ。
「何を。君がやらなければならないことじゃない。まだ幼い子供が。咎は私にあるのだ。妹の性格を知っていながら、『至高の魔法使い』に嫁がせたのは私だ。彼の本性を分かっていて、妹なら崇拝者にぴったりだからとめあわせた」
カレンは驚いたように伯父を見返した。
「彼の危険性は分かっていた。だが、持っていた知識や技術は貴重で、それがほしかった。他国に渡すまいと、妹を使った。傍に崇拝者がいれば、満足して才能を発揮してくれるからな。狙い通り彼は無償で気前よく放出してくれた」
「……そう、でしたか……」
愚かな師匠。上手く誘導され、手の中で踊らされていたことには最後まで気づかなかった。
「……いいえ、結局、あたしのせいなんですよ」
カレンはうっすら笑ってそうつぶやいた。
見ているほうが泣きたくなるような悲痛な笑顔だった。
そんな顔が見たかったんじゃないのに。俺はカレンにいつも笑っていてほしかった。
俺は父さんをひとまず連れ出した。
「……すまない、ネオ」
「うるさい。俺は今気が立ってんだ。しゃべるな」
イライラして魔力が漏れそうなのを必死に抑えてる状態だ。
「俺は絶対に父さんを許さない」
衛兵や城で働く人たちが見てるのも構わず言い放った。
「カレンを傷つけたんだ。それだけは絶対許さない!」
俺自身のことはどうでもいい。ただカレンだけは。
呆然とする父さんを残し、足音も荒く立ち去った。
それからも必死で師匠を探し続けた。ありとあらゆる手段を使って。
師匠が密かに作っていた隠れ家を見つけ出し、いくつも破壊した。どれにもいなかったが、放置しておくわけにもいかない。
師匠が接触を試みた貴族や有力者も捕らえ、厳しく取り調べた。
「ちょっと、やりすぎよ」
司法長官に止められたくらいだ。
「こんなのカレンには見せられないわね。まったく、あの子のこととなると極端になるのは知ってたけれど」
カレンには俺が何をしてたかは言わない。隠し通す。
「まぁあまりの苛烈さに、誰も貴方に連帯責任取らせようとしないんだけれどね」
「は?」
「弟子のくせに何で止めなかった、とか誰も言わないでしょ。私と何年も危険性訴えてたって事実だけじゃなく、今の貴方がどこからどう見ても本気だからよ。ここまでえげつない手段取りまくって始末しようとしてるんだもの、分かりすぎるほどよね。師と違って悪人じゃないって」
えげつない? どこが?
「王家は休息に求心力を失ってる。罪を自覚しても一向に責任を取ろうともしない王に、王妃もあきれ返ってるわ。さて、どうなることやら……」
奥様は城に軟禁となり、常時監視がつけられた。精神科医の治療も始まったが、上手くいっていない。変わらず兄王へ恨み言を言い、父さんに会いたいとわめく。父さんだけが話を聞いてくれて優しく接してくれるからだ。その父さんももう嫌がってるが。
望みが叶わないと、「妊婦にひどい」「赤ちゃんが死んでもいいの?」「自殺してやる! 人殺しめ!」と泣き叫んで手がつけられない。
使用人たちも嫌がり、医者すら診たくないと拒否するほどだった。
やがて異母弟が生まれた。テオ、と父さんがつけた子はただちに奥様と引き離され、俺たちが連れて行った。この頃には新しい家が出来上がっており、カレンも連れてそこで静かに暮らすつもりだった。
初めから俺の望みはカレンと一緒に、どこかでひっそりのんびり暮らすことだけだった。すぐ好きな人に触れられる距離で、ただ穏やかに暮らしたかっただけ。
ところが最初から予定外のことが起きた。なんと最初の一週間は奥様もいるという。
もちろん常時監視は付けられるが、そんなこと聞いてない。
「ふざけるな! なんで勝手なことをしたんだ、父さん!」
「う、生まれてすぐテオを母親と引き離すのはかわいそうで」
「カレンのことは考えないのか?! 自分を見捨てた母親と暮らさなきゃならないなんて、どれほど苦しいか!」
「まさか。実の親子だろう? 事件直後は混乱してただけで、お嬢様と暮らしたいはずだ」
ありえない。
俺の予想は正しかった。
外に出られた奥様は上機嫌で、テオをやたらとかわいがった。カレンには見向きもしないその姿に父さんも後悔したようだけど遅い。
実の親でも子を見捨てることがあるんだよ。
「だから言ったじゃないか! 今すぐ追い出す!」
「待ってくれ。も、もう一度だけ。奥様を説得してみる」
父さんにもカレンに謝るよう諭され、奥様はしぶしぶ部屋に閉じこもるカレンに声をかけた。でもカレンは冷たい言葉を返しただけだった。
当たり前だ。あれだけのことをされて、許されると思ってたのか?
「……っああもう、うるさいー!」
夕方、テオが泣き止まず俺と父さんで必死にあやしていた時、奥様が突然叫んだ。髪を振り乱して絶叫する。
「うるさいうるさい誰もかれもみんなうるさいのよ! みんなして私も悪い謝れって! 黙れ!」
ベビーベッドで泣いていたテオに近付いたかと思うと、乱暴に取り上げた。そのまま床にたたきつけようとする。
「何するんだ!」
とっさに俺は滑り込んで弟をキャッチした。
抱え込んだまま反転し、奥様と距離を取る。同時に魔法で奥様の動きを封じた。
「……なんてことを……!」
赤ん坊まで手にかけるなんて。
弟もこの人にとってはやっぱり道具でしかなかったんだ。
駆けつけたカレンも使用人たちも青ざめて棒立ちになっていた。
「王と約束したはずです。即刻出て行ってもらいましょう。一生牢獄で反省するがいい!」
王も今度ばかりは妹を牢屋へ入れた。元々罪を犯した王族を幽閉しておくところがあったらしい。
罪を犯したというなら王自身はどうなんだ?と皮肉に考えた。
暴れまわる奥様は身体拘束をしなければ危険なレベルで、医師が薬を投与し続けると決めたそうだ。でないと周囲に被害が出る。
これでカレンの憂いが一つなくなった。
「カレン、結婚しよう」
俺は何度めになるか分からない申し出をした。
返事はいつも同じだった。
カレンから笑顔は消え、思いつめたような顔をしてる。
どうしてこうなったんだろう。こう考えるのももう何度目か。
「―――王妃が家出したわ」
司法長官とは密に連絡を取り合っていた。ある日突然言われた。
「へえ」
「一刻も早く世継ぎを生まなきゃならないプレッシャーに潰れたんでしょうね。それと、情けない夫を見限った。『私を愛してくれる人のもとへ行きます』って置手紙があったのよ」
「責任も取らず嘆くだけ、自分も放置されてたもんな。そのくせ、今度は手のひら返して世継ぎを求められれば、誰だって愛想つかすだろ」
「そういうことね。すでに次の王妃候補が選定に入ってるわ。世継ぎが必要なことに変わりはないから。私は関わりたくなんで、この件に関しては無視してる」
「どうでもいいな」
誰が王妃になろうが関係ない。俺は師匠を見つけなきゃ。
俺とカレンが結婚するはずだった日は無情にも過ぎていった。
……そうしてるうちに父さんの病気が判明した。すでに手遅れ状態だった。
長年苦労してたのと、ここにきての心労がたたったらしい。病んであっという間に逝ってしまった。
「……すまない、ネオ、お嬢様……」
最期まで俺たちに詫びる言葉を残して。
父親が死んだというのに、俺は涙も流れなかった。実際そんな暇はない。テオの世話もしなきゃならなくなったからだ。
もちろんこれまでもベテランの侍女たちがついていたが、任せきりってわけにはいかない。俺の弟なんだ。
テオを抱っこしてあやしながらやるべきことをやり続けた。
そうそう、父さんの葬儀の翌日、ある出来事があった。どうやって抜け出したのか、奥様の遺体が外で見つかったという。そこはカレンが小さい頃に家族三人で出かけた花畑だとかで、けれど今は花が咲くシーズンじゃない。あるのは枯れ草だけだ。そこに倒れて死んでいたという。
カレンに知らせたところ、「そう」と短く答えただけだった。
「カレン。テオのためにも、結婚してくれないか。俺が父親代わり、カレンが母親代わりで」
見苦しいと言われようが何だろうが、俺はどんな口実にでもすがった。
俺はカレンと結婚したい。
「何度も言ってるでしょ。断る」
どんなに頼んでも、答えは同じ。
そしてカレンは自分たち家族が転生者であることを公表した。遠い異国のものとして地球の知識を明かし、師匠の知識は専売特許ではなくなった。そこでは師匠の持っていた情報は誰もが知っていることであって、特別なものではないこと。師匠が考え出したり発明したものではなく、どれも誰かが過去作ったものであること。
人の手柄を自分のものにしていたのだと知った人々は、師匠への尊敬をなくしていった。事件を起こしてもなお信じない人たちもいたが、それもどんどん少なくなる。
「そんなに特別でもないことを、この国にはないからさもすごいことのように見せてただけか」
「自分の手柄にしてたのか。がっかりだ」
崇拝者はいなくなり、師匠の手助けをしようとする者もこれでなくなるだろう。
俺もカレンも政治に一切かかわろうとせず、テオを育てて暮らした。テオといる時はカレンにも笑顔が戻る。何の罪もない異父弟には笑おうとするからだ。
理由なんかなんでもいい。君が笑っていてくれるなら。たとえそれが俺に向けられることはなくても。
傍にいるのに触れることもできない。笑いかけてくれることもない。
そんな生活は知らず知らずのうちに俺をむしばんでいった……。
☆
「ねえ、兄さまと姉様はどうして結婚してないの?」
テオが無邪気にきいてきた。
…………。
「……カレンは全部一人で背負い込んじゃってるんだよ。何もかも自分が悪いと思い込んでる。……だから、俺とは結婚してくれないんだ」
そう、最愛の人は手に入らない。
カレンとテオと、まるで親子のように暮らすことで少しは救われてた。でも本物に敵うべくもない。
本当だったら、とっくにこの家でカレンと夫婦として暮らしてるはずだった。彼女がようやく安らげる、彼女のために作った家で。
すぐ傍に君がいて、いつでも触れられる。富も地位も名誉もいらない。どこか世界の隅で静かに、穏やかに暮らしたかった。平凡で平穏な日々がほしかっただけだった。
愛する人がいて、幸せに笑っていてくれて。いつか子供が生まれたら、たっぷり愛情かけて育てよう。師匠や奥様みたいに歪んだ思惑でじゃなく、純粋な愛情で。
カレンと俺、どちらにも似てたらいいな。たくさんの子どもに囲まれて、一緒に年を取って、子供や孫たちに囲まれて安らかに眠る。そして来世でもまた一緒になりたい。
……俺がたった一つ望んだのは、そんな平凡な未来だったんだ。
それだけでよかった。他には何もいらなかったのに。
思えばこの頃から俺はすでにおかしくなりかけてたんだろう。
「……知ってる? 最近、各地で邪悪な魔女が現れたとの報告が入ってるわ」
ある日、司法長官が言った。
「いずれも同一人物よ。私は実際見たわけじゃないけれど、部下の魔法使いが見た限りでは外見年齢十代、実年齢はおそらくそれより低いと思われるそうよ」
「師匠じゃなくて?」
俺は眉をひそめた。
「師匠なら変装の魔法くらい編み出してそうだ。でも、あの師匠が女性に化けるわけはないな。極度の男尊女卑だから」
司法長官を女性だからという理由だけで煙たがってたのは明白な事実だ。隠してはいても、カレンや俺や司法長官当人、王など一部の人間は気づいていた。
「ええ。だから別人でしょうね。ただ気になるのは、そいつが人間じゃなく魔族に近かったってことよ」
「…………。師匠の仕業か」
俺はうめいた。
「失踪直前、師匠はカレンを生贄にして魔族になろうとしてた。ついにやったんだな」
「可能性は高いわ。でも、女性よ? あの魔法は他者を取り込んでエネルギーに変換、人間の域を逸脱するものでしょう。『取り込む』のよ。なぜ女性なの?」
「推測だが……追われて師匠はなりふり構わなかったはずだ。復讐のため、禁術に手を出しまくったことは容易に想像がつく。いくら魔具や生贄を用意しても、肉体もダメージを受けるだろ。体がボロボロだったんじゃないか」
「誰かを乗っ取ったってこと?」
「……たぶん、もう一人子供を作って、その子をな」
司法長官がハッとした。
「師匠は我が子を手駒としか思ってなかった。警備の厳しいカレンを狙うより、新しく子供を作って利用したほうが早いと考える。外面の良さを最大限に発揮して、騙したんだろうな」
「家出した前の王妃ね」
さすが話が早い。
「元々、師匠にとっては妻の兄の妃にあたる。接点はあった。自分は嵌められた被害者だとでもふきこんで、たぶらかしたんだろうな。王と俺を悪者に仕立てて」
「前の王妃は世継ぎを求めるプレッシャーで壊れかけてたし、そのくせ王も自分はほったらかしで嘆くことしかしていない。不満がたまってたとこにつけこめばよかったんだもの、簡単だったでしょうね」
「前の王妃は王家の遠縁で力の強い魔女だった。そりゃ狙うな。強い魔力を持つ女性との間にできた強力な魔女を使い、乗っ取ったんじゃないか」
見下してる女性の体にならなきゃならなかったのは、師匠にとっちゃ屈辱だったろうな。
「その線で捜索してみるわ」
「ああ、頼む」
やがて後妻として迎えた若い王妃が待望の子を産んだ。誕生祝が盛大に行われることになる。
「ものすごく嫌な予感がするわ」
「予知か、司法長官?」
「ええ。おそらくあの男が現れる」
予知能力を持たない俺でもそれくらいは予想できた。師匠なら間違いなくやって来る。人の幸せの絶頂で破壊するのが好きな人間だ。
俺にしたみたいに。
最大級の警戒を敷き、襲撃前提で対策を取った。
予想は外れなかった。順番に魔法使いが姫へ祝福を授けているところへ、それは現れた。
「―――なぜ私を招かなかったの?」
恨みに満ちた声と共に。
なぜ、なんて明白じゃないか。
「やっぱり師匠……」
「のようね。あの男の魔力を感じるわ」
待ち構えてた俺と司法長官は応戦した。でも計算外が一つ。あらかじめ出席者には襲撃の可能性があると伝え、その上で出席するか欠席するか選ばせていたのに、いざとなると多くがパニックを起こしたことだ。
「だから先に言っといたじゃないか!」
「迷惑極まりないわね。邪魔よ、全員下がってなさい! 衛兵、急ぎ避難誘導を!」
師匠が行方不明になってから長い。みんなとっくに死んだものと思いたくて、危険性を軽く見てしまったんだ。
大勢を守りながらの攻撃は厳しい。そうこうしてるうちに、姫は呪われてしまった。
「しまった!」
「まずい……!」
この時代、浄化魔法はまだ存在しなかった。発明されたのはもっと後の時代のことだ。
一度呪われてしまえば、解く方法はない。
必死に考えてると、カレンがやって来た。
魔法使いの黒いローブでなく、真逆の白いローブ姿で。師匠のことがあってから、カレンは魔法使いの象徴である黒いローブをまとわなくなった。その資格がないと思ってるんだ。
その代わりに着てるのは白。
「―――大丈夫。あたしが姫を助けます」
そっと呪文を唱える。
異世界の知識を持つカレンは俺たちが思いつかない魔法を編み出せる。完全解呪とまではいかなくても、緩和する魔法を作り出せたんだ。
「少し変えることはできます。死の呪いでなく、百年の眠りに緩和しましょう」
「お、おお……!」
王は感激して泣いた。
それでも娘が長年眠りにつき、結局我が子が玉座に座れることはないと悟る。けれど観念したようだ。これまでしでかしたことを思えば当然だろう。この日から王はいずれ王位を譲れるよう準備しておくようになった。
カレンはすぐ出て行こうとした。師匠を追うつもりか。それはもう俺が追手を放ってる。
「―――カレン!」
去ろうとするカレンの手をつかんだ。
「放してちょうだい、ネオ」
カレンは冷たい声を出した。
でも俺も引けない。
「どうして話さなきゃならないことがあるだろ」
今でも俺はカレンが好きだ。結婚してほしい。
懇願しようとして遮られた。
「あたしにはないわ。……ああ、それとも、そうね―――ちょうどいい。正式に婚約解消しましょう」
「……っ!」
地獄に叩き落されたような気分だった。
こんな大勢の前で宣言するなんて、カレンの意志はそれだけ固いってことだ。
どうして何もかも背負おうとするんだ。
「それから王位継承権も正式に放棄します。これは以前からの約束でしたよね、陛下。王子か姫が生まれたら、そうしていいと」
「ああ、だが……」
「カレン!」
俺がなおも言おうとする前に、カレンは姿を消した。
……どうして。
なんで、たった一つの望みさえ叶わないんだ。
☆
15の年、『眠り姫』の呪いが発動した。
どんなに誰が妨害しても避けられなかった。
カレンはせめてと、城をいばらで包んだ。そして長い年月が過ぎる。
その間にテオは大人になり、カレンの友人だった司書と結婚した。これを機に、俺は党首の座をテオに譲った。元々俺には必要ないものだ。
テオは愛する妻と幸せに暮らし、子供も孫もできた。俺がカレンと作りたかったものがそこにあった。
うらやましかった。なんで俺は手に入れられなかったんだろうと。でも同時によかったと思った。俺は無理だったけど、弟は幸せにしてやれた。俺の二の舞にならずにすんだ。
俺とカレンは変わらず、孤独な日々を過ごした。
―――そうして100年後、姫は目覚めた。起こしてくれた王子と結婚することになる。
魔法使いの数も増え、人間は長命となり、世の中も劇的に変わった。
眠り姫の結婚式兼新王朝の誕生式典に、俺は参加しなかった。必ずまた師匠が現れると確信してたから、警備として位置についていた。
もう相当な高齢で外出するのも大変な司法長官でさえ―――引退してもう長官じゃなかったが、便宜上そのまま呼ぶことにする―――共に警備についた。
「―――来た」
気配に俺と司法長官は杖を握り直した。
ところが次の瞬間、奴の気配が消えた。
「えっ?!」
「! 誰かが瞬間移動させたんだ。遠ざけた。一体誰が―――」
すばやく気配を探って、
「カレン?!」
「なんですって? やっぱりあの子も迎え撃つつもりだったのね。どこへ飛ばしたのか分かる?」
「ちょっと待ってくれ。痕跡をたどって……」
急いで分析する。方向と状況から判断して、ありうるのは。
「旧王城だ! いばらの城!」
「姫が眠ってたとこね?! 急ぎましょう!」
俺の魔法で瞬間移動した。でも着けたのは門の前まで。
強力な結界が張られていて、中に入れない。
「くそっ、この中は瞬間移動ができないんだ! だからはじかれた」
「いた、戦ってるわ。何とかして中に入らなきゃ……突破しましょう!」
司法長官は残る魔力を全部使って入口を作ろうとした。
「駄目だ、もうあんたにはそんなに魔力が!」
「うるさいわね、年って言わないでちょうだい! ここが女の見せ所なんだから。正直、私が行ってもたいして役に立つとは思えない。あなたが行きなさい。―――さあ、早く! 今なら人一人くらいなら通れる!」
「―――ありがとう!」
俺は飛び込み、走った。
予想通り瞬間移動が使えない。使える魔法も制限されてるようだ。
遠くでカレンが 杖を振るのが見える。いばらが師匠にからみつき、力を吸い取っていく。
《ぎゃあああああああああ!》
『至高の魔法使い』と『招かれざる魔女』の絶叫が重なる。
《おのれ! このできそこないが―――!》
誰ができそこないだ。カレンはあんたなんかよりよっぽど優れた人間だよ!
「元の世界へ帰りなさい! あなたたちはここへ来るべきじゃなかった!」
あなたたち、という言葉にはカレンも入っているように聞こえた。
愕然とする。
まさかカレンは、師匠を連れて元の世界に帰るつもりなのか。二度と転生しないようにするため。また、この世界に迷惑をかけた詫びとして。
「嫌だ、カレン、行くな!」
二度と会えなくなるなんて嫌だ。
俺は、君だけが。
《うおおおおお、嫌だ嫌だ嫌だ! 地球では誰も私を認めなかった! 迫害した! 人殺しだとののしった! 娘を殺したと……! ここでなら……っ、私は唯一の至高の存在でいられる! そうすれば、もう誰も私を嘲笑わない……!》
「誰も嘲笑ってなんかいなかった。そうなったのは、自分の行いのせいでしょう。人を信じず、見下し、利用し続けたから! ただ崇拝されることしか求めてなかったくせに。常に誉め讃え、崇めろなんて、人がついてきてくれると思う? だからみんな離れてったんじゃないの。自分の願望しか見てなかったから。人を思いやる気持ちがあれば!」
《物心つく頃からずっと親に言われ続けてきた……お前は駄目な子だと。馬鹿だと。殴られ、蹴られ……笑われ。ずっとずっと続いていた。だから見返したかった、私は優れていると認めさせたかった……!》
カレンが目を見開いた。
師匠も虐待されて育ったのか。だから繰り返した?
「……もし、また生まれ変わることがあるのなら。その時はどうか。もうこのループを繰り返さないで……っ」
カレンの絞り出すような声に、一瞬師匠に動揺が走った。
師匠に届いた?
―――次の瞬間、『招かれざる魔女』が唇に笑みを浮かべた。
ド……ッ。
カレンの体を攻撃が貫いていた。
「がは……っ」
―――!
ザアッと血の気が引いた。
カ……レン……。
師匠は青ざめていた。一方で『招かれざる魔女』は笑っている。
つまり師匠に今カレンを殺そうとする意思はなかった。独断でやったのは娘のほうだ。利用するために生ませ、駒として育て上げた二人目の娘。
そいつが自身の意思で異母姉を殺したんだ。
「……そっか……。三回も、あたしを殺そうとするんだね……」
カレンはあきらめたように微笑した。
「……いいよ、別に死んでも、これだけはやらなきゃと思ってたから」
「お前のせいで。お前のせいで、わたしは……っ」
ふざけるな! カレンのせいなんかじゃない、全ては師匠が引き起こしたことじゃないか!
お前をそんなふうにしたのも、悪いのは師匠。生贄として殺されかけ、捨てられたカレンを恨むんじゃなく、師匠に憎しみをぶつけるべきなのに!
「……ごめんね。あたしが最期に願わなければ。あたしたちがこの世界へ来なければ。あなたにも悲しい思いをさせずにすんだ。だから―――」
杖が地面を打った。城全体が巨大な魔具となり、『至高の魔法使い』を吸い込み始めた。
「何をする―――!」
そうか。一度融合してしまった魂を分離する方法はなくても、対象限定の封印魔法なら?
「させるかぁ!」
『招かれざる魔女』が吠えた。身に着けていたアクセサリーが光る。
それに刻まれた魔法が、避ける力もなかったカレンを直撃した。
「―――!」
体が透けていく。
「これは……?!」
「あははははは! お前の記憶を奪い、お前を別世界へ飛ばしてやるわ! 二度とわたしの邪魔ができないように!」
カレン!
「ぐ……っ」
カレンの口から大量の血があふれた。
「……そうだね。帰ろう。帰って、罪を償おう。罰ならあたしも一緒に受けるから……」
静かに流れる涙が頬を濡らしている。小さくつぶやいた。
「……今度こそ、幸せになりたかったな……」
悲しい微笑みに、師匠が何か言おうとした気がした。
「カレン!」
俺は必死に走り、手を伸ばした。
カレンが行ってしまう。
手が届けば。
俺も一緒に行く!
別の世界だろうとなんだろうと構わない。君さえいれば。俺がそっちに行くよ。
君を独りにはしない。
俺ももう独りぼっちは嫌だ。
カレンが振り向く。悲しい、悲しい顔で。
「……ネオ……」
カレンの手が消えていく。
白いローブも虚空に消えていく。
あなたを愛してる。
その言葉が言葉になる前に、カレンの体は消滅した。
ネオ=アローズが発狂した瞬間だった。
俺は絶叫した。
「うわああああああ! カレン、カレン―――!」
もう嫌だ。繰り返すのは。
次の瞬間、視界が変わった。全てが真っ黒。
カレンの姿が見え、同じように血しぶきを上げて倒れる。ただし着ている服が違う。
「……え?」
俺は驚いて目を見張った。
ここはどこだ?
これは夢か?
すぐ右にまた別の格好・年齢のカレンが現れ、師匠に殺される。
左側にまた別のカレンが現れ、殺される。
何人も何人もの彼女の屍が周りに横たわっていく。
違う。これは全て現実に合ったことだ。
―――俺は全てを思い出した。
「……あああああああ!」
両手で頭を抱え、泣き叫んだ。
そうだ。俺は何度も繰り返してる。この人生を。
パターンは毎回違った。でも結末は毎回同じなんだ。カレンが実の親に殺されて終わる。
どうして時間が戻ってる? なぜループしてる? なんで俺だけがそのことを覚えてる?
いつもいつもそうだ。この記憶を抱えきれなくて、時が戻るとそのことは忘れてる。最愛の人が殺され続ける結末なんて覚えていたくないに決まってるじゃないか。
そして形は違えど同じ終わりを迎えて、全てを思い出すんだ。
「カレン……!」
苦しみに耐えられない。辛くてたまらない。気が狂いそうだ。
いつかの日と同じく、俺の中で何かが膨れ上がっていく。そしてそれに共鳴する巨大な力を感じる。
「カレン」
もう、終わりにしたい―――。
「―――駄目よ!」
ガッと背後から肩をつかまれた。
聞き覚えのない声。
ハッと我に返り振り向けば、そこには知らない女性が立っていた。
足元まである長い白い髪、虹色の瞳を持つ、見たことのない若い女性。
彼女からは俺と似たものを感じた。
「……君は、誰だ?」