57.邪竜、石化する【後編】
息子を連れて、月へとやってきたカルマ。
息子に相応しい恋人を用意してあげるといったら……息子が、怒った。
話はそれから数秒後。
月に新たに作った家の、リビングにて。
【りゅ、りゅー君……?】
なぜ息子は、怒っているのだろうか。
それも、いつもの、母に注意するときに怒り方ではなかった。
その目には……はっきりとした怒りがあった。
敵意のようなものさえも、感じ取ることができた。
【どうしたのですか? なぜそんなに声を荒げているのです? お母さん……何かしましたか?】
本気でわからなかった。
優しい息子が、母思いの自慢の息子が、声を荒げて怒っている。
その理由が……心の底から、理解できなかった。
【どうしてシーラに酷いこと言うの!?】
【シーラに……? お母さん何か酷いことを言いましたでしょうか?】
事実を告げただけだった。
大事な息子の恋人になるのだ。
恋人とはつまり、伴侶だ。
伴侶とはつまり、群れを、家族を守るべき存在。
大事な息子の、大事な家族を守るのだから。それなりの強さを持っていないと困るのである。
【言ったじゃん! 弱いとか、ふさわしくないとか!】
【? 事実シーラは弱いではないですか。りゅー君を守れるほどの強さが、あの子にはないでしょう?】
しかし息子はさらに逆上してしまった。
【強さが何!?】
【だって……強くないとりゅー君を守れないじゃないですか。伴侶となるものとして、不適格ですよ】
【不適格……? 母さん、本気でそう思ってるの……?】
カルマは混乱の嵐の中にいた。
息子が怒っているだけじゃなくて……。
息子が、悲しそうにしていたから。
どうして?
どうして大切な息子が、悲しい顔になっているのか。
彼を悲しませているのは……誰か?
他にいない。カルマの他に……誰もいない。
自分が、息子を悲しませている。
それが……カルマには、死ぬよりも辛いことだった。
【りゅー君……。ご、ごめん……。ごめんねぇ……】
ぽた……ぽた……と涙が流れる。
止めようと思っても、涙が出続けた。
【な、何泣いてるの、母さん……?】
リュージが心配そうに、母に近づく。
さっきまでの怒気と悲しみはなりを潜めて、気遣いげな表情になっている。
【だって……りゅー君を、悲しませてしまいました……。それと……それと……ふぅえええええええええええええん!!!】
感情が堰を切ったように、流れ出す。
悲しい。
とてつもない悲しみが、カルマの胸中で荒れ狂っている。
【母さん、泣かないで。どうして泣いてるの……?】
リュージがカルマの肩を抱いて聞いてくる。
【だって……りゅー君を悲しませてしまって。それで……なんで悲しませてるのか、わからなくて、わからなくてぇー……】
息子を理解できない。
息子が、なぜ怒っているのか。なぜ、悲しんだのか。
わからない。
……それが、1番悲しかった。
何よりも大切な息子の気持ちを、わかってあげられない。
それが……カルマにとって、悲しいことだった。
【ごめんねりゅー君……。お母さんわかってあげられなくてごめんね……】
【母さん……】
するとリュージも、目に涙をためる。
【……ごめんね】
ぺこっ、とリュージが頭を下げた。
【ど、どうしてりゅー君が謝るのですか! お母さんがいけないのでしょう?】
【……でも、母さんを泣かせちゃった。ごめんね】
【りゅー、りゅー君……りゅー君……。りゅーくぅうううううううん!!!!】
ふたりでワンワンと大きくなく。
ふたりで泣いた。
リュージは母を悲しませたことを。
カルマは息子が悲しんでしまった理由がわからぬことを。
悲しいと思って、泣いた。
……血が繋がっていなくても、思いは同じだった。息子は母を、母は息子を、悲しませたことを悲しんでいたのだから。
……ややあって。
ふたりは落ち着く。
リビングのいすに座り、ふたりは話をした。
【母さん。僕はシーラが好きなんだ】
【……わかってます。でも、良いのでしょうか。だってあの子は私より弱いのですよ?】
【強さ弱さなんて関係ないよ。僕はあの子の存在が、心から好きなんだ】
息子がシーラを好きである理由は……はっきり言って、よくわからなかった。
強さではなく、では何に息子は引かれたというのか。
【僕は……シーラの優しいところが好きだ。いつも他人を心配して、気を遣ってくれる優しいところが大好きだ】
その後も、息子が言葉を続ける。
ご飯を美味しそうに食べているところが好きとか。
明るい笑顔が大好きだとか。
たくさんたくさん、好きなところを……列挙していった。
……それでも、カルマは。
わからなかった。
【りゅー君……】
【僕は、母さん。あの子が心から好きなんだ。母さんを愛してるって気持ちと、同じくらい、僕はあの子を愛してるんだ】
がつんっ、とカルマはハンマーで頭を殴られたような気持ちになった。
母と同じくらい。
シーラを愛してる。
その言葉が、カルマの精神を揺さぶった。
……理屈はわかった。
カルマと同じくらい、大事で、愛してる存在を、否定されたのだ。
カルマの話におきかえるのなら、大事で愛している息子のことを、否定されたということと同じなのだろう。
ならリュージが怒っても、しかたなかった。悲しんでも……しかたなかった。
だが……わからない。
本気でわからない。
リュージが、カルマ以外の存在を愛している理由が……わからなかった。
けど、またここで何か言ったら、リュージは悲しむだろう。怒るだろう。
……それは、怖かった。
【わかり……ました】
カルマは立ち上がる。
そして、息子の側へ行く。
【わかった……ってなにを?】
【……りゅー君は、シーラを恋人にするのですね?】
息子はうなずく。
カルマは……嘘をついた。
【わかりました。ごめんなさい、りゅー君。あなたに酷い思いをさせて。わかりましたから、あなたの悲しんでいた理由が、苦しんでいた理由が】
本当は、何もわからなかった。
息子がシーラを好きになる理由を。
息子が母以外を愛する理由を。
まるで理解できなかった。
けどもうこれ以上、息子を悲しませたくなかった。怒らせたくなかった。
だから……嘘をついた。
わかったよ。理解できたよと。
……わかっても、理解もできてないのに。
【ううん。僕の方もごめんね。酷いこと言って】
【いえ、怒って当然です。ごめんねりゅー君。お母さんわかりましたから。りゅー君の好きになさってください】
カルマはリュージを、そしてルコを連れて、【転移】を発動させる。
地上へと帰ってくる。
王都のホテルへと、カルマは転移した。
「リュージくん!」
兎獣人のシーラが、息子に向かって走ってくる。
そしてそのまま、抱きついてきた。
「良かった! 心配したのです!」
「シーラ……。ごめんね……」
ふたりはそのまま抱き合って、そしてキスをした。
……カルマは、ぴき……っと何かがきしむ音がした。
「シーラ。僕、君のことが好きだ」
「……はいっ。しーらも、リュージくん大好きなのです!」
ぴし……ぴき……ぴしぴき……。
きしむ。
何かがきしんでいく。
冷たい。
体が……凍り付くように冷たかった。
「あ、でも……。カルマさんが……」
ぴきぴき……。
ぱきぱきぱき……。
「大丈夫。母さん、許してくれたから」
ぱきぱき……。
ぴきぴきぴき……。
「本当に?」
「うん、ね、母さん? ……母さん?」
息子の声が、遠くに聞こえる。
くぐもって、聞こえる。
「母さん!? どうしたの、母さん!?」
「か、カルマさん!? か、体が……! 体が石になってのるのです!」
シーラが何かを叫んでいた。
体が……石に?
わけわからないことを、と言おうとして、言えなかった。
あれ、これマジで体が石になってない?
「母さん! 母さん! 大丈夫どうしたの母さん!?」
「あ……。いえ……。だい……。じょぶ……です……」
かろうじて、口が動く。
「おかあさん……。ちょっと……ショックが……大きすぎて……。だから……。せいしんを……まもる……ため……。ちょっと……化石に……なります……ね」
それだけ言うと、体の石化が進む。
原理はわからない。
ただ今自分が口走ったのが、原因だろう。
息子が他の女とキスをした。
そのショックが、あまりに大きすぎて、心に負担をかけすぎて。
そのショックから心を守るために、体を石化させたのだ。
「か、母さん! かーーさーーーーーーん!」
息子の心配そうな顔が見える。
ああごめん、心配させて。
でも……ごめんなさい。
ちょっと……つらたん。まぢもう無理。リスカ……じゃない、石化しよ。
……かくして、リュージたちは恋人関係になり、そして母は、石化したのだった。
お疲れ様です。
これにて5章終了となります!
次回からまた新しい展開へと入っていきます。石化したカルマは、いったいどうなるのか。
次回もよろしくお願いいたします!