エピローグ
これにて本編終了となります。
邪神王ベリアルと、勇者リュージとの戦いから、10年が経過した。
ある晴れた春の日。
リュージは、懐かしい故郷を訪ねていた。
深い深い森の中。
ひとつの、洞窟を改造して作った建物がある。
「わぁ! ここがあなたとカルマさんの、おうちなのです?」
そう尋ねるのは、うさ耳を生やした白髪の女性、シーラ・ジレット。
彼女は現在、リュージ同様に25歳。
彼とで会った当初は、幼さの残るあどけない少女だった。
だが10年経った今、彼女は美しく成長していた。
背は伸び、胸も尻にも起伏が見られる。
流れるような白い髪は、まるで絹糸のようだ。
「うん、そう。僕が生まれ、育った場所」
シーラに微笑むのは、成長し、青年となったリュージだ。
かつては少女と見まがうほど華奢で可愛らしい顔つきだった。
だが今は冒険者として数々の困難を乗り越え、その体は強く大きく成長した。
背は高く、体つきは細身だが、鍛え抜かれた筋肉は鋼のようだ。
かろうじて、黒く短い髪の毛だけが、かつての面影を感じさせる。
「この穴蔵が、僕と母さんの暮らしていた家……実家だよ」
「そっかぁ。カルマさん、喜んでくれるかなぁ?」
シーラは自分のおなかを、嬉しそうにさする。
「もちろん、大喜びだよ」
リュージもまた微笑んで、シーラのおなかを大事そうになでる。
「いこっか。母さんに、報告しに」
「はいなのです!」
ふたりは笑い合って、実家の戸を開ける。
「母さん、ただいまー」
だが家の中から返事はなかった。
家に誰かがいる気配を感じない。
「カルマさん、いないのです?」
「そうみたい。たぶん……あそこかも」
リュージは母の居場所にひとつ、心当たりがあった。
シーラを連れて、実家を離れる。
洞窟から少し歩いたところに、森の木々が途切れ、開けた場所がある。
そこには白い花が地面に敷き詰められた、花園があった。
その中央に、大きな岩がひとつ置かれている。
その前に、黒髪の美女が、しゃがんで目を閉じていた。
「母さん」
リュージがカルマの背中に声をかける。
母は立ち上がると、ゆっくりと振り返る。
母の姿は、10年前から少しも変わらない。
ただ一つ違うのは、長かった黒髪を、短く切ったことくらいだろう。
「りゅーくん。それにシーラも。お帰りなさい」
微笑む母に、リュージたちもまた笑顔で返す。
ふたりは母の元へとやってくる。
「カルマさん、おひさしぶりなのですっ!」
シーラは嬉しそうに、カルマの腰に抱きつく。
「ええ、久しぶり。元気そうで何よりです」
カルマもまた笑みを濃くして、シーラをぎゅっと抱きしめる。
「りゅーくん、またちょっと背が大きくなりましたね」
「うん、これで190センチ」
「ふふっ、完全に背を追い抜かれてしまいましたね」
昔は母の方が身長が高かった。
すらりと長い足は、綺麗だなと思っていたけれど、自分よりも背が高い母に対してコンプレックスを感じていた。
いつまでも自分が、母に守られるばかりの、弱い子供のような気がしたのだ。
けれど今は、そんなものを微塵も感じていない。
肩を並べて、笑い合うことができる。
「しかしどうしたのです? 急に実家に帰ってくるなんて」
「今日は母さんとマキナに、報告したいことがあってきたんだ。ね、シーラ」
「はいなのですっ!」
シーラが元気よく手を上げる。
「実はしーら……妊娠したのですっ!」
カルマはシーラのおなかを見て、目を丸くする。
「まぁ!」
次にリュージを見て、花が咲いたみたいに笑う。
「まぁまぁまぁ! それはそれは! 大ニュースではないですか!」
カルマはシーラと、そしてリュージをガバッと抱きしめる。
「おめでとう! ふたりとも! お母さん……とっても嬉しいわ!」
カルマは目の端に涙を浮かべながら、ふたりを笑顔で祝福してくれる。
リュージたちは、カルマが喜んでくれたことがうれしかった。
カルマは二人を離し、石の前にしゃがみこんで、本当に嬉しそうに言う。
「マキナ、聞きましたか? ふたりに子供が生まれるそうです。私たちの家族が増えるんですよ?」
ここはマキナのお墓だ。
かつて無人島に咲いていた白い花。
これはマキナが好きだった花らしい。
カルマは長い時間をかけ、無人島から運んできた種を植え、こうして花畑を作ったのだという。
「マキナ。僕だよ、リュージ。久しぶりだね」
リュージはカルマの隣にしゃがみ込むと、マキナのお墓に、微笑みながら語りかける。
「マキナのおかげだよ。貴女が母さんを産んでくれたから。その母さんが僕を育ててくれたから、次の世代に、新しい歴史を紡ぐことができた。貴女のおかげです。ありがとう、マキナ」
ざぁ……と風が吹き抜ける。
白い花びらが舞い散り、ふたりの間をすり抜けていく。
その様を見て、カルマは微笑む。
「ほら、こうしてマキナも、ふたりを祝福していますよ」
もちろん、死人が生き返ることなんて、ないけれど。
そう考えた方が、素敵なことだとリュージは思った。
「さて、報告も終えましたし、家に帰ってお昼ご飯にでもしますか。腕によりをかけてごちそうを作りますよ」
「しーらも作るのですっ!」
するとカルマは、微苦笑を浮かべて首を振る。
「妊婦を台所に立たせてなるものですか」
「気が早いよ母さん。出産は来年の年明けだって」
まだシーラの妊娠は発覚したばかりだ。
彼女の腹は膨らんですら居ない。
「いいえ、いけませんっ!」
カルマは真面目な顔で、強く首を振る。
「だいじな娘に何かがあってからでは遅いのですよ!」
シーラを抱き寄せて、カルマはむぎゅーっと抱きしめる。
「包丁で手を切って、母胎に響いたらどうするのですかっ!」
「ないない。もう、母さんは大げさなんだから」
母の過保護っぷりは、自分ではなく、シーラや孫に向くようになったようだ。
リュージはそれをさみしいとは微塵も思わない。
「いーえ! 台所に立つことを禁じます! それにこんな薄着で外を出歩くなんて! 母体に響いたらどうするのですか!」
「母さん、そのフレーズ気に入ってるでしょ」
苦笑するリュージ。
カルマはシーラの背中を押しながら、急ぎ足で実家へと戻る。
☆
カルマの作ったランチを食べながら、三人は近況を報告し合う。
「なんと、りゅーくんはSランク冒険者になったのですか。すごいです、勇者の力も無いのに」
あの戦いの後、リュージの持っていた勇者の力も、聖剣も全て失った。
元の、非力な男に逆戻りした。
だがしかしどうだろう。
彼は自力で、Sランク、最高位の冒険者になったのだ。
「何言ってるの、だって僕、母さんの息子だよ?」
リュージは自信満々に答える。
「母さんの息子なんだから、これくらいなれて当然だよ」
「ふふ、そうですね……」
カルマは嬉しそうに微笑む。
「シーラは相変わらず、魔法大学で忙しくしてるのですか?」
「はいなのです。でも、あと半年位したら産休に入るのです」
シーラは冒険者を引退し、魔法大学で働いている。
彼女は祖母である大賢者と同じ道を今、歩んでいることになる。
「ルトラはチェキータさんと一緒に、騎士としてあちこち回ってるってこの間、僕のところに手紙が来てたよ」
人狼の少女ルトラもまた冒険者をやめ、チェキータに師事したようだ。
チェキータは騎士団長として復帰した後、世界の平和のために東奔西走しているらしい。
「バブコとルコは、元気に冒険者をやってますか?」
カルマはリュージに尋ねる。
「うん、ふたりとも凄腕のルーキーとして、バリバリ活躍してるみたい」
ふたりの娘は、学校に通った後、リュージの後を追って冒険者になった。
魔王四天王の力を失っているけれど、ふたりはそんなこと一切苦にしていないらしい。
「母さんは、何か変わったことある?」
「んー……。そうですね。最近ママ友たちと登山しにいきましたね」
カルマは壁の写真を指さす。
そこにはカルマと、同じ世代くらいの人間の女性たちが、並んで笑う写真があった。
子供たちに手がかからなくなったカルマは、時折街へゆき、母親友達と遊びに行ったり、料理を作ったりしているらしい。
「次の登山の時には、孫が生まれるって自慢しまくるんです!」
「も、もう……母さん、やめてって恥ずかしいよ」
「何を恥ずかしがることがありますか! この嬉しい気持ちはたくさんの人と共有しないと!」
リュージは気恥ずかしさを感じながら、同時に嬉しくもあった。
かつて母の世界には、自分とリュージの二人しか居なかった。
だが今、彼女の世界は広がり、多くの友達にあふれている。
……最強の力を持ってしまったせいで、さみしいと泣いていた、あの頃のカルマアビスはもういない。
そこにいるのは、どこにでもいるような、平凡な母親の姿だ。
「ところでシーラ。今回初産ということですが……大丈夫! 任せて!」
ドンッ! とカルマが力強く、自分の胸をたたく。
「お母さんがしっかりサポートします! あなたたちの家へ行って、出産前から出産後まで、しっかり面倒を見ますからね!」
ふんすふんす、とカルマが鼻息荒く言う。
「大丈夫だよ、母さん」
「ま~~~~~ったく、あなたって子は! なにもわかっていないのですから!」
カルマは柳眉を逆立て、リュージに言う。
「出産は本当に大変なんですよ! 家族の強力が何よりも必要となるのです!」
「そ、そうなの……?」
「ええ! そう【母子クラブ】に書いてありました!」
雑誌の受け売りらしい。
「母さんらしいや」
リュージは苦笑しながら、カルマとシーラを見やる。
「というかもう今日からそちらへ引っ越しますかね!」
「大丈夫なのです。おなかがぽっこりしてきたらでいいのです!」
「むぅ……ま、そうですね。臨月が近づいてからで」
……今、リュージたちとカルマは、離れて暮らしている。
リュージはカミィーナで、母はこの離れた森の中で。
「あなたたちにも生活がありますからね」
カルマとリュージは、お互い別々の道を歩いている。
だが……そのことに、まったくさみしさは感じていない。
だって……。
☆
そして夕方、リュージたちは帰路につくことにした。
「それじゃあ、母さん」
「ええ。次はシーラの臨月が近づいたら、こちらかそちらへいきますから」
カルマは微笑みながら、玄関に立っている。
「こまめに体温を測るのですよシーラ。体調不良を感じたらすぐに学校に届け出るのです。いいですね!」
「はいなのです! えへへ……♡ 心配してくれてありがとー、カルマさん♡」
「当たり前じゃないですか。あなたは大事な家族の一員なのですから」
カルマは笑うと、シーラを愛おしそうに抱いて、よしよしと頭をなでる。
「母さんさ」
「ん? なぁに、りゅーくん」
「そう言えば髪の毛、何で切ったの?」
「ああ、これ……?」
カルマは短くなった髪の毛を、手でいじる。
「もう必要ないかなって」
「必要ない?」
「ええ。髪の毛を伸ばしていたのは、その方が母親に見えるかなという、ただそれだけの理由でしたから」
長い髪は母性の象徴を表すと、そう思っていたらしい。
「長い方が母親っぽいってね。おかしいでしょう?」
「うん、ほんとだね」
カルマにとって、母親らしい外見なんて、もう必要ないのだ。
だってもう、カルマという存在は、見た目を気にせずとも、そのあり方も、魂も……完全無欠に母親なのだから。
「短く切ったのって、チェキータさんに影響されたの?」
「ま、まさか。違いますよ。たまたまです。手入れがこの方が楽だからです!」
そうはいっても、今のカルマの髪型は、チェキータのそれとそっくりだった。
「そっか。とっても似合ってるよ」
「ふふ、ありがとう、りゅーくん」
さて……とリュージが言う。
「帰るね、母さん」
「ええ、元気でね」
リュージはうなずいて、シーラの手を握って、歩き出す。
「またね、りゅーくん」
振り返ると母は、家の中から息子を見送っている。
それは10年前では、考えられなかった光景だ。
15歳の誕生日。
家を出るといったカルマは、冒険についてくるといってきかなかった。
けれど紆余曲折を経て、カルマは家で息子の帰りを待てる母となった。
それはリュージにとっては誇らしいことだった。
母に、一人前の男として、認められたということだから。
母がついて行かずとも、息子は大丈夫、また無事に帰ってくると、そう信じてもらえている。
それは勇者として邪神を倒したことよりも、誇らしいことだった。
そもそも勇者の力はユートのもので、邪神に勝てたのはユートが居たからだ。
リュージが勝ち取ったものは、母親のもとを離れることができた。
そんなちっぽけなものだったけど、リュージにとっては、何よりも大切な成長の証だった。
リュージは振り返り、力強くうなずいて言う。
「うん、またね、母さん!」
リュージはシーラとともに、カミィーナを目指す。
彼が振り返ることはない。
母がついてくることもない。
彼らは別々の人生を歩んでいる。
自分たちの未来へ向けて、これからも別々の道を歩いて行く。
ともすれば幾ばくかのさみしさを感じることだろう。
だが、悲しむことはない。
いつだって息子の胸のなかには、母が居る。
母の中にもまた、息子がいつだっている。
家族とは、そういうものなのだ。
たとえどれだけ離れていようと、ずっとずっと、永遠に繋がっていられる。
リュージとカルマは、長い時間と、多くの生涯を経て……その答えにたどり着いた。
固い絆で結ばれた、本当の家族となった。
それぞれの胸には家族の笑顔があって、いつだってそばで見守ってくれている。
離れていても家族は絆で繋がっている。
だからそばにいないことを悲しまなくて良い。心配しなくて良い。
「りゅーくーん! シーラぁ! 気をつけて帰るのよー!」
リュージは笑って、片手を上げて答える。
そしてリュージは、愛しい家族とともに、帰路につく。
……かくして。
最強の邪竜と、平凡なる息子の物語は幕を閉じた。
かつて、母親とはなんたるかわかっていなかった竜の少女は、立派な母親となった。
かつて、早く一人前にならなくちゃと焦っていた竜の息子は、一人前の男となった。
最強の力もないし、最強の母もいないけれど……大丈夫。
ふたりはどんな困難があっても、乗り越えるだけの強さを得たのだから。
リュージはまっすぐ前を向いて歩く。
かつてのように、彼の前に母の背中があることはもうない。
だが何も怖くはない。
そう……なぜなら。
彼の心には最強の家族が居て、いつだってその深い愛情と絆に、包まれているのだから。
〈おわり〉
■本編終了です
読了ありがとうございます。
カルマとリュージのお話はこれで終了となります。
応援ありがとうございました。
皆様の応援のおかげで、書籍にも漫画にもしてもらえました。
書籍の絵を描いてくださった鍵山さん、漫画を描いてくださっている四志丸さん、そしてここまで読んでくださった読者の皆様。
皆様のおかげで、カルマとリュージは最高のラストを迎えることができました。
ほんとうに、ありがとうございました。
■まだ続きます
本編は終了しましたが、書き切れてない部分があるので、お話はまだ続く予定です。
外伝や、後日談をかけたらなと思っています。
また漫画版の連載は、「マンガup !」様で絶賛連載中!
四志丸さんの超絶美麗な漫画版、未読の方はぜひ一度ご覧ください!
■しめのあいさつ
それでは長くなりましたが、本編のあとがきはここまでとなります。
読了、ありがとうございました。
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ではまた!




