181.息子、旅立つ【後編】
リュージの言葉を聞いて、チェキータは一歩後ずさりする。
彼の決意は揺るがない。
何を言っても、止めることはできないと、悟ってしまった。
崩れ落ちそうになるチェキータに、カルマが手を貸す。
カルマに支えられながら、チェキータは立ち上がる。
「りゅーじくん!」「ぱぱっ!」
シーラにルコ、そして彼を慕う少女たちが、リュージを抱きしめる。
「絶対帰ってくるのですっ?」
「うん、帰ってくるよ。だから母さんたちと家で待ってて」
シーラは涙を手でふくと、こくりとうなずく。
「……リュー」
「ルトラ」
人狼の少女は、リュージの前で深々と頭を下げる。
「……ありがとう。あなたのおかげで、過去を清算できた」
過去、つまりメデューサとの関係のことを言っているのだろう。
「……あなたに出会えなかったら、今頃アタシはまだあの女の呪縛にとらわれていた。あなたがそれを解放してくれた。本当に……ありがとう」
リュージは微笑んで、ルトラと握手する。
「ぱぱ。かえってきてね。るぅ。まってる。おばあちゃんになっても、まってるよ」
「わしは……ルコが泣かぬように……面倒見ておく。じゃから……早めに帰ってくるのじゃよ」
リュージはしゃがみ込んで、ふたりの娘たちをぎゅっとハグする。
「うん。帰ったらいっぱい遊ぼうね」
リュージは仲間たちに別れを済ますと、母親たちのもとへやってくる。
「リュー……」
チェキータの顔色はまだ優れない。
浮かない表情で、息子を見やる。
「ありがとう、チェキータさん。僕をここまで立派に育ててくれて。いつも感謝してます、僕の、もうひとりのお母さん」
リュージは微笑んで、チェキータを抱きしめる。
「……あなたは、わたしのことを、お母さんって呼んでくれるのね。……でも、そんな資格、わたしにはないの」
チェキータが沈んだ声音で言う。
「……わたしね、自分の娘を自殺に追い込んだことがあるの」
「チェキータさんの……娘さん?」
ええ、と静かにチェキータが肯定する。
「……自分の娘に、厳しい態度で接し続けたの。勉強や剣術、魔法……わたしの持つすべてをたたき込もうとした。……そしたら、わたしの教育に耐えきれなくなって、娘は自殺したの」
初めて聞かされる事実に、リュージは驚く。
「……わたし、カルマやあなたの前では母親ぶっていたけど、本当は自分の娘を死に追いやってしまったくらい、母親失格の、駄目な親だったの」
リュージは初めて、合点がいった。
彼女はいつだって、リュージやカルマを影から支えてくれた。
けれどカルマのように、常に彼の前に母親としてい続けたわけじゃない。
チェキータはどこか、一歩引いていたような、そんな態度を取っていた。
「……わかったでしょう? わたしは、本当は駄目な母親なの。だから、あなたにお母さんなんて呼んでもらえる資格なんてないの」
今にも消え入りそうな声音で、チェキータが言う。
リュージはそんな母のことを、優しく抱擁した。
「そんなこと、ないですよ」
微笑み、チェキータに言う。
「貴女は、いつだって僕を支えてくれた。貴女がいなかったら僕は何度もくじけていました。僕にとっては、カルマ母さんと同じくらい、チェキータさんもまた、僕のお母さんでした」
「リュー……。けど……」
「それに、チェキータさんの娘さんは、自殺なんてしてないですよ」
え……? とチェキータが目を丸くする。
「ユートさんが言ってました。えるる……【エルルキア】さんは、元気でやってるって」
チェキータは目と口を大きく開き、呆然とつぶやく。
「どうして……娘の名前を知ってるの?」
「ユートさんが教えてくれました。エルルキアさんは、勇者のパーティの一員だったんですね。それで魔王を倒した後、元気でやっているって教えてくれました」
チェキータの口から、直接娘の名前を聞いたことは一度もない。
娘の存在だって、今彼女の口から初めて聞いた。
だから、娘のことをリュージが知り得るはずもない。
リュージが嘘をついているということも、ない。
「娘は……自殺したんじゃ……なかったのね……」
チェキータの声は歓喜で震えていた。
リュージはハッキリとうなずく。
「当たり前じゃないですか。貴女のような、最高の母親がいるんです。その子供である僕らは、世界で一番の幸せ者ですよ。自殺なんてするもんですか」
チェキータを励ます様を、カルマは黙って聞いていた。
口を挟まず、ただ、息子の成長を見守ってくれる。
リュージはそれが、何よりも嬉しかった。
「リュー……。ありがとう……」
チェキータは、自分から離れる。
リュージは彼女の涙を、指で拭う。
「強く成長したわね。リュー。……それにカルマ。あなたも」
子供たちの成長を喜ぶ母の姿が、そこにはあった。
そう、カルマもまた、チェキータにとっては手のかかる娘だった。
娘は今、立派に母をしている。
息子は、立派な男になっていた。
「リュー。待ってるわ。あなたを信じて、あなたの帰りを」
リュージは笑ってうなずく。
そして最後に……カルマの前に立つ。
「母さん」
「ええ。わかってます」
それ以上の言葉は、ふたりには不要だった。
もうお互い、気持ちが通じ合っている。
何も言わずとも、カルマは息子の気持ちを、リュージは母の思いを、互いに共有し合える。
だから多くを語る必要は無いのだ。
ただ一言、言うだけでいい。
「りゅーくん」
カルマはリュージの背後に回る。
そして……その背中を、優しく押してあげる。
「いってらっしゃい」
リュージは力強くうなずくと、聖剣を手に取る。
黄金の輝きは彼を包み込む。
だんっ……! と力強くリュージは地面を蹴ると、大空を駆け抜ける。
まっすぐ、まっすぐ……ただ一直線に、リュージは宇宙を目指した。
……彼の目の端から、キラキラと涙がこぼれ落ちる。
其れは悲しみの涙では決して無かった。
別れの涙でもなかった。
ただ、嬉しかった。
「ありがとう、母さん。何も言わず、僕を送り出してくれて」
それは息子から母へ対する、感謝と歓喜の涙だった。
いつだってカルマは、リュージを過保護に、手元に置いていた。
あらゆる困難を母が解決してくれた。
リュージが少しでも危ないことをしようとしたら、母は泣きながら其れを止めようとする。
ただそのたび、リュージは悔しい思いをした。
自分が弱いせいで、カルマにいつも心配をかけていると。
……でも、やっとだ。
やっとカルマは、息子を信頼し、ひとりで前を歩くことを許してくれた。
いつも見ていた母の背中は、遙か遠く地上にある。
それはカルマが、息子を、弱い存在ではないと。
守らなくてはならない、か弱い存在ではないと……認めてくれた、何よりの証拠だった。
「ありがとう、母さん。僕……必ず帰るから」
リュージは黄金の光をまといながら、星々の浮かぶ暗い海へとやってくる。
月は、この星に墜落しようと近づいてくる。
その月に寄生するかのように、邪悪なるベリアルの魂が宿っていた。
「おまえに、この星はやらせない」
リュージは月と、ベリアルの前に立ち、決然と言い放つ。
「大切な人たちの居る……この星を、おまえの好きにはさせない!」
ベリアルは獣のような咆哮を上げ、月をリュージへと衝突させようとする。
リュージは聖剣を振り上げて、渾身の力を剣に注ぐ。
「僕が母さんたちを、守るんだぁあああああああああああああああ!」
全力を込めた聖剣と、邪悪な力のこもった月とが、ぶつかり合う。
聖と邪。
ふたつの強大な力がぶつかり合い、それは激しい爆発を起こす。
聖なる光は黒い魂を、そして……世界蛇によって汚されたこの星の大地を、優しく浄化する。
やがて聖なる光は収まると……。
……後には、何も残らなかった。




