130.邪竜、過去を思い出す【前編】
カルマアビスという邪竜は、生まれたときから孤独だった。
初めて自我が芽生えた日、その場には誰もいなかった。
父と母の名前を呼ぶが、そこにはだれもいない。
そんな日が何日も続いた。
あるとき母である金の竜が、カルマの元へやってきた。
カルマは母に父はどこへ行ったのか尋ねた。
母は、父親は死んだと答えた。
その日からカルマは、母ひとり、子ひとりの家庭で育つことになる。
だが母であるマキナは、家を空けることが多かった。
何日もカルマは、巣穴でひとりぼっちだった。
外に出ることはできなかった。
外界が怖かったからだ。
外の世界に連れだし、外のでの生き方を教えるのは、母親の役目だ。
だがマキナは役割を放棄していた。
子供を放り出し、外へ行き、たまにエサを持って帰ってくる。
カルマは幼い頃から、何も知らなかった。
母のぬくもりも、母に守られる安心感も、家庭の温かさも、なにも、かも……。
これがもし、カルマがただのドラゴンであったならば。
最初から、この孤独が普通だと、当たり前だと受け入れていただろう。
しかし運の悪いことに、カルマには【前世の記憶】があった。
ハッキリとは覚えていない。だがぼんやりとではあるが、自分がここではないどこかで、自分ではない誰かであったという記憶があった。
それゆえに、カルマはこの孤独が、普通でないことを自覚できた。
マキナの所業が、俗に言う【ネグレクト】であることを、カルマは前世の知識から知っていた。
カルマの不幸は、前世の記憶がぼんやりと残っていたこと。何も知らない無垢でなかったこと。
家族のぬくもりを感じないままに育ったカルマの心は、徐々にすり切れていった。
最初はあった前世の記憶も、だんだんと薄れていった。
やがてカルマの体は大きくなった。
その頃にはマキナは、完全に家に帰ってこなくなった。
独り立ちできる年齢になったからだろうか。
マキナはカルマを捨てて、どこかへいってしまった。
……だというのに、カルマの心には、何の感情もわいてこなかった。からっぽだった。
愛情を注がれず育った結果、抜け殻のようになってしまったのだ。
巣穴の中で、死んだように、何年も何十年も過ごした。
……ある日のこと。
空っぽであるカルマの巣穴の中に、1柱の邪神が出現した。
【素晴らしい陰気。それになるほど転生者の器か。これほどまでに適した体もないだろう。……よし、この死体を依り代にしよう】
邪神はカルマを見てそういった。
こいつは微動だにしないカルマを見て、死体だと思ったらしい。
邪神はカルマの体に向かって手を伸ばす。
どうやらこの体を、乗っ取ろうとしているらしかった。
カルマは特に反撃しようとしなかった。
別に長く生きていても、良いことなんてないのだから。
いっそのことこの邪神に体をあけわたし、自我を失った方が楽かも知れない。
……そう思った。
だが、そうはならなかった。
邪神は誰かと会話しているようだった。
べらべらと長く話すばかりで、自分をまったく乗っ取ろうとしない。
しびれをきらしたカルマは、ぐあっ! と体を起こす。
そのとき、偶然にもカルマは、邪神を飲み込んでしまったのだ。
結果、カルマは自我を失うことなく、邪神の力を取り込むことに成功。
すべての魔物には、相手の魔力を取り込むことで、相手の能力を自分の物とし、存在を進化させる機能が備わっている。
邪神の魔力を取り込んだカルマは、ただのドラゴンから、特別な邪竜へと転生した。
くすんだ金色だった鱗は、夜の闇のように漆黒に。
東洋風の龍の姿から、西洋風の竜の姿へ。
弱々しい風貌は、禍々しい姿へと、その身を変化させた。
最強の力を、偶然にも取り込んでしまったカルマ。
自分の身に何が起きたのかまったくわからなかった。
困惑しているカルマの元に、ひとりのエルフが現れた。
そのエルフが後の監視者、つまりチェキータ・デルフリンガーである。