109.邪竜、日常に回帰する【後編】
吸血鬼との一件を片付け、家に帰ってきてから数時間後。
深夜。眠れずにいたリュージは、屋根の上にいた。
「はぁ~……眠れない」
自分の部屋の窓を開けて、そこからひょいっと屋根によじ登ったのだ。
考え事をするときなどに、よく利用している。
リュージは屋根の上で三角座りしながら、物思いにふけていた。
「……ルトラのアレ、って……ど、どういうことだったろ?」
家に帰ってきたリュージ。
今回のことをルトラに感謝すると、彼女は耳元で好きといっていたのだ。
「も、もちろん人間的な意味だよね……異性的な意味じゃ無くて……うわぁ、すごい気になる……」
もんもんとしていたそのときだ。
ふわり……と、背後に柔らかな感触を覚えた。
誰かが後に座って、リュージをハグしてくれている。
ふにゅんっ、ととてつもなく柔らかな何かが……とそこでリュージは、背後の人物の正体に気付いた。
「ちぇ、チェキータさん」
「ハァイ、リュー。こんばんは。いい夜ね♡」
金髪垂れ目のエルフが、ニコニコしながら、リュージを抱きしめている。
生温かな柔肌と、くらくらするような甘い香りに、ドギマギしてしまう。
「こんな時間にどうしたの? 風邪引いちゃうわよ。はいこれ上着」
リュージはお礼を言って、チェキータからカーディガンを受け取る。
上着を羽織った後も、チェキータが後からくっついてくる。
「あの……チェキータさん。そのぉ……どうしてくっついているんですか?」
「んー? まあ、たいしたことないわ。カルマの言葉を借りるなら、リューの成分を摂取している、のかしらね」
うふふ♡ とチェキータが楽しそう笑って、むぎゅーっと抱きしめてくる。
おっぱいに溺れそうになる……。
「あ、そうだチェキータさん。今回のこと、ありがとうございました」
チェキータと顔を合わせていなかったので、魂交換を取ってきてくれたことの、お礼が言えていなかったのだ。
「いつもフォローありがとうございます」
「んーん。気にしないでリュー。お姉さん、あなたたちの面倒見るのが好きなんだから♡」
そう言われると、チェキータはリュージが子供の頃から、ずっと面倒を見てくれている。
それはリュージだけじゃなく、母の面倒もであった。
チェキータがリュージたちのそばにいる間1度たりとも、嫌な顔をしているところを見たことがない。
いつもカルマの起こす騒動を、楽しそうにしながら、時に手出しで助けてくれたり、時に助言を与えてくれたりする。
「今回も、その……ご心配おかけして、すみません」
ぺこっ……とリュージは頭を下げる。
「そんなかしこまらないで大丈夫よ」
ニコッと笑って、チェキータが首を振る。
だがリュージは、わかっていた。この人は、本当は自分たちの身を案じて、心配してくれたと言うことを。
それでもチェキータは、心配を表に出さなかった。
それはつまりリュージに負い目を感じて欲しくないという、彼女の配慮だろう。
気を遣わせていることを申し訳ないと思いつつ、そうやっていつも思いやってくれていることが、嬉しかった。
だから謝るのではなく、
「いつも、ありがとうございます、チェキータさん。本当にいつも感謝してます」
笑って、感謝を伝えることにした。
「…………」
チェキータは珍しく、目を丸くし、そしてじわり……と目に涙を浮かべた。
「ちぇ、チェキータさん!? ど、どうしたんですかっ?」
「あ、えっと……ごめんなさい。なんでもないのよ……リュー。ほんと、なんでもないの……」
どうしてかはわからない。
ただチェキータは感情が高ぶっているのか、涙がぽろぽろとこぼれていた。
リュージは慌てて、パジャマのそでで、チェキータの涙を拭う。
ややあって、チェキータが落ち着く。
「ごめんなさいね、リュー」
「いえ……。あの、本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。ふふ♡ 泣いてる女の子の涙を拭くなんて、リューはいつの間にそんな格好いい男の子になったのかしら」
くすくすと笑うチェキータは、いつもの彼女だった。
彼女の泣く姿なんて、初めて見た。いつも彼女は微笑んでおり、あまり感情的にならない。
というか彼女の弱音を聞いたことも無かった。
「何か辛いことがあるんでしたら、話聞きますよ」
「だぁいじょうぶ。心配しないで」
チェキータは立ち上がると、リュージの額にチュッ……♡ とキスをする。
かぁああ……っとリュージの顔が赤くなる。
昔から、何度もキスされているはずなのに……どうにも慣れなかった。
「リューはほんと、少し見ない間にどんどん成長していくわね。男の子って、こんなに早く大人になっていくのねぇ」
チェキータが遠い目をする。
その言い方だと、チェキータには男の子供がいなかったようだ。
「いつの間にか背も大きくなって……ほんと、子供が育つのは早いわ。あなたも、カルマもね」
クスッと笑ってチェキータが夜空を見上げる。
「カルマもここ最近、とっても母親らしくなっているわ。息子のリューのことを信頼し待てるようになっている。……ふふっ、これはそう遠くないうちに、あなたのもとから子離れできそうね」
そう言われても、リュージにはまだピンとこない話だった。
母がついてくるのが当たり前だったから。
母がついてこないようになる未来が、本当に来るのだろうか……と思ってしまう。
「大丈夫。あの子も成長している。あなたもちゃんと成長しているわ。心も、体もね」
すっ……とチェキータが目を細めて言う。
体……といわれてリュージは考え込む。
母と体を交換して、体が戻った後も……。
リュージは、母のチカラを使えるような気がした。
まだ体の中に、あの万能感が残っているのだ。
これを、相談するべきだろうか……?
「どうしたの?」
「あ、いえ……なんでもないです」
「そう。じゃあもう寝なさいな。恋愛相談は……そうね、明日休日でしょう。明日乗ってあげる♡」
楽しそうにウインクして、チェキータは煙のように消えた。
……ばっちり、リュージの悩みを見抜かれていたようだ。
「かなわないなぁ……チェキータさんには」
リュージは苦笑すると、のびをして、自分の部屋へと戻る。かくしてリュージの日常は、無事回帰したのだった。
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