105.邪竜、吸血鬼と対峙する【前編】
人狼の少女、ルトラは、【カルマアビス】とシーラを連れ、旧マシモト城の地下を潜っていた。
「…………」
ルトラは一行の先頭を歩いている。
人狼には【気配察知】という、周囲に人ないしモンスターがいると、それを遠くからでも気取ることができるスキルがある。
それを使って、敵の不意打ちや接近に、いちはやく対処できる。
だからルトラが先を歩いている……という【ことになっている】。
本当は、背後にいる【邪竜】をわなに落とすために、ルトラが誘導してるのだ。
「しかし人狼のスキルはすごいですね、シーラ」
「はいなのですりゅーじくん! ルトラちゃんは……すごい!」
わぁわぁと後二人が自分を褒める。
……ぱたぱたと犬しっぽが揺れる。
そうやって自分の持つ能力を、ほめてもらえた経験がほとんどないからだ。
「……ど、どうも」
母にはいつも、使えない、出来損ないと言われ続けた。
【成功例】と、いつも比較され続けた。
なぜアレのようになれぬと、母に罵倒され貶され続けた。
……だから、こうして褒められるのが嬉しい反面、恐ろしくもある。
……自分の、抱えている問題を知られてしまったら。
嫌われてしまうのでは無いかと。
自分に向けられている好意的な視線が、嫌悪に変わってしまうのでは無いかと……怖い。
そんなふうにぼんやりと歩いていた、そのときだ。
ボゴッ……!
「えっ…………」
自分が状況を把握しようとしたときには、その場から地下へと、落ちていた。
「あ…………」
足場が崩れたのだ。
おそらくは対侵入者用のトラップが、地面に仕掛けられていたのだろう。
油断した。
カルマたちを【どこにつれていけばいいか】は知っていたが、道中の罠に関しては、【母】から何も告げられてなかったから。
「…………」
ルトラは、深い穴の底へと、頭から落ちていった。
……こういうとき、走馬灯というやつを人は見るらしい。
昔の思い出を、振り返るのだそうだ。
死ぬ前に半生を振り返るのだそうだ。
……だが、何も思い出せなかった。
思い出したくなかった。辛い思い出ばかりだから。
死ぬ前に、そんなつらいことは、思い出したくない……。
と生をあっさり手放した、そのときだった。
「ルトラっ!」
一陣の風が吹く。
誰かが自分を、抱きしめてくれている。
「……あなたは」
そこにいたのは、リュージの体の中に入った、カルマアビスそのひとだった。
「な、」ぜここにという言葉を、ルトラは発せ無かった。
「しっかり! 体! 捕まって!」
カルマアビスに言われるまま、ルトラは彼女の体に抱きつく。
……驚いた。
死んでも良いやと思っていたのに、体は、ぎゅっと力強く、生きる道にしがみつこうとしていたからだ。
カルマアビスは片手で剣を抜くと、
「っらぁあああああああ!」
ガギィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!
地面に剣を突き立てる。
激しい音を立てながら、カルマたちは落下していく。
相当な腕力だとルトラは瞠目した。
普通、壁に剣を突き刺すことはおろか、それを維持することなどできないのに。
器が違ってもさすが中身は最強邪竜ということだろうか。
やがて剣によって落下速度は徐々に落ちていく。
次第に遅くなり、そして止まった。
「…………」
「さっ、あとは脱出しますよ」
「……どう、やって?」
「こうやってです!」
カルマは片手で剣を、片手でルトラを抱きかかえている状態である。
そこからカルマは、ルトラを抱きかかえる腕を、思い切り上に向かって振り上げたのだ。
ぶぅううううううううん!
「ひゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
びょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!
悲鳴を上げながら、ルトラはすさまじ速度で穴から上昇していく。
やがて真っ暗な穴の中から、少し明るい場所に出た。
どうやら穴から脱出できたらしい。だが勢いが殺せてない。このままでは天井にぶつかる……と思ったそのときだ。
「よっと」
ふわっ……とカルマアビスが、ルトラを抱きかかえて、そのまま地上へと着地したのである。
「…………」
どきどきっ、どこどこっ、と心臓が悪い撥ね方をしている。
「大丈夫ですか、ルトラ?」
「……う、うん。どう、やって?」
「ん? 簡単です。ルトラをぶん投げた後、剣を抜いて穴の下に落下したのです.一番下へたどり着いてから、思い切りジャンプして地上へ。先回りしてルトラをキャッチした次第です」
なんという……。
なんという、規格外の存在だろうか。
まるで曲芸師ではないか。
そして……チカラが本調子で無くて、この強さだって……? と改めて邪神王のチカラに驚嘆させられた。
「ルトラさーん!」
ウサギ少女が、だきっ……! とルトラのことを抱きしめてくる。
「良かった! よかったよぉ……うぶ、ぶじ、ぶじでぇえええええええええええ! ふぇええええええええええええええええええええ!!!」
魔術師のウサギ少女が、大声で泣いている。
それをみて……ルトラは困惑した。
なぜ……泣いてるのだろうか、と。
「……どう、して?」
泣いてるの、とルトラが聞く。
シーラが答える。
「そんなの当たり前なのです! 友達が、無事で良かったぁ……ふぇえええええええええええええええん!」
この少女は、自分の身を、案じてくれていたのか……。
「良かったですルトラ。無事で何より」
カルマアビスもまた、自分を心配してくれていた。
「なぜ……?」
「それの答えは、さっきシーラがいったではないですか」
「……だからそこじゃなくて、なぜ、こんな薄汚い人狼の自分を、友達だって言ってくれるの?」
するとカルマが首を振る。
「薄汚いなんて思ってませんよ。あなたは、」
あなたは、とカルマは続けた。
「われわれの仲間ではありませんか」
……それを聞いたルトラの心に、温かな感情が芽生えた。
それがなにかはわからない。
わからなかったが、大事な感情だと、それだけは理解していた。
そして、この先へ行くことに、とても抵抗を覚えた。
この子たちを、安全な場所へ……。
そうだ、今なら引き返せる……と思った、そのときだった。
「あ、そういえば二人とも、トラップの先に隠し部屋を見つけましたよ。きっとそこにお宝が眠っているはずです!」
……ああ、見つけてしまったのだ。
たぶん、あのトラップがショートカットの隠しルートだったのだろう。
見つけてしまった今から、引き返そうと提案するわけには行かない。
……遅かった。
なぜもっと早く、引き返そうと言えなかったのか。
だってこの先に待っているのは、明らかな罠なのだから。
「……ねえ、ふたり」
【しゃべったら殺す】
「………………」
脳裏に、母の声がした。
母は、自分を常に監視しているのだ。
自分は母の駒だ。逆らってはいけない。
「…………」
「どうしました、ルトラ?」
「……なんでも、ないよ」
「そうですか。それじゃぼくが一人ずつ抱っこして穴の下へ送りますね」
「はーいなのですー!」
ルトラは何度も、引き返そうって言おうと思った。
けれど母の言葉が脳裏をちらつく。
母の折檻が、痛みとともに、鮮烈にひとつのことを思い出させる。
母に、逆らってはいけない。そのことを、痛みという手段をもって、自分の思想に、母に植え付けられたのだ。
「では参りましょう」
「はわわっ、お姫様抱っこ……りゅーじくん、たくましー」
「ほほほっ。ではれっつらごー」
リュージがシーラを抱きかかえて、穴の下へと降りる。
ふたりがいなくなった後、ルトラはその場にしゃがみ込んで、涙を流した。
だがカルマが帰ってくる頃には、無理矢理涙を引っ込ませていたのだ。
……ああなんて、自分は薄汚い【人狼】なんだろうかと自己嫌悪したのだった。
漫画版、「マンガUP」で好評連載中です。
また単行本が書籍版とともに7月25日に発売します。
どちらも頑張って作った作品です、お財布に余裕がおありでしたら、両方お買い求めいただけますと大変嬉しいです。