101.邪竜、依頼を受ける【前編】
魂交換により、混乱していた状況も、一段落したある日のこと。
夜。カミィーナの街の、ぼろい宿屋にて。
人狼の少女ルトラは、自分の部屋へと帰ってきた。
先ほどまで、リュージたちの家で、料理をご馳走になっていたのだ。
「おいしかったなぁ……」
ルトラは頬を紅潮させながら言う。
その表情は柔らかかった。
ぱたぱた……と犬しっぽが嬉しそうにはためいている。
「リュージの家で食べる食事、すごいおいしい……。あんなあったかいご飯、はじめて……それに……」
ふふっ、とルトラが笑う。
先ほど、夕食時のことを思い出す。
『おかあさん! あーんさせて、あーん!』
『こらリュージ! みんなが見てるよ! そんな恥ずかしいまねしないの!』
『リュージふらっしゅ!』
『リュージくんが光った! はわっ、はわーーーー! め、目が見えないのですぅ……』
『これで誰も見えてません! さぁさぁおかーさん! 思う存分ぼくに料理をほらはやくぅ!』
『ぱぱ。おちつく』
『リュージおぬし最近カルマじみてるぞ、言動が……』
「ふふっ。ふふふっ」
楽しい食事風景だった。
ルトラは軽い足取りで、部屋の中に入る。
ベッドに腰掛けて、ぽてんと横たわる。
「いいなぁ……リュージ。昔から、あんなふうに賑やかで、楽しい食事風景だったんだろうなぁ……」
ルトラの顔が、少しずつ曇る。
自分の過去を振り返る。
……思い出して、最悪な気分になった。
記憶の中のルトラは、いつも一人で食事をしていた。
親はいる。
だが彼女と一緒に食事をしたことは無かった。
楽しくおしゃべりをしたことが無かった。
いつも、ルトラは母に……。
と、そのときだった。
【ルトラ。わたしの可愛いルトラ。返事なさい】
脳内に、母の声が聞こえたのだ。
びくんッ……!
ルトラは体を起こし、居住まいを正す。
【こ、こんばんは……母さん】
ルトラは思念を送る。
ふたりは【通信魔法】を使っている。
ようするにテレパシーだ。
【ルトラあなた、今晩の経過報告をせず、寝ようとしていたわね? どういうことかしら……? それがあなたの義務でしょう?】
さぁ……っとルトラの血の気が引くのを感じた。
【も、申し訳ありません! 報告時間を過ぎてしまいました!】
壁時計を見ると、19時を過ぎていた。
いつも19時に母と【報告会】をすることになっていたのだ。
【まぁ今回は大目に見ましょう。けれど次から気をつけなさいね】
【は、はい……】
表面上、母は許してくれた。
だがルトラの気は休まらない。
体の震えが止まらない。
……はたして本当に、母は自分のことを許してくれたのだろうか。
わからない。
母の腹の内には、いつも読めないのだ。
母は決して、本心を表に出さない人だから。
【それでどうかしら? 邪竜の様子は?】
邪竜とは言うまでもなく、リュージの母、カルマのことだ。
【いつも通りです。魂が入れ替わっても、平然と、むしろ今の状況を楽しんでいるさえ思われます】
……ルトラは、カルマとリュージが入れ替わっていることを知っていた。
それはそうだ。
だって元凶だからだ。
【そう……。彼はどうかしら?】
【リュージは……リュージも、楽しんでました】
【楽しむ、ねえ】
【はい。最初は戸惑っているようでしたが、ある日を境に吹っ切れたようです。今では邪竜のチカラを手足のように使っています】
【そう……くふっ。重畳重畳】
通信先で、母が楽しそうに笑う。
【計画は順調のようね。これを機に彼には、チカラの使い方をちゃんと覚えてもらいたいものね。いずれくる、使命の日に、ちゃとチカラを使えるようにね】
【…………】
リュージに課せられている使命とやらを、ルトラは知らない。
肝心なことを、母は一切、ルトラに教えてくれないのである。
ただリュージが、普通の人間ではない。
重要な人物である言うことは、常日頃から聞かされてきた。
【さてそれで……そうねぇ。彼はもう、自在に邪竜のチカラを使えてるのね?】
【あ、はい……。そうですね】
【そう……ならもういいかしらね。次のフェーズを移行しましょう】
テレパシーを通して、ルトラは、母から次の指示を受ける。
ルトラはそれを頭の中でメモを取る。
……覚えながら、悲しくなった。
しょせん自分は、母の手先でしかないのだ。
都合の良いコマでしかないのだ。
ルトラは当初、リュージとここまで深く接触する予定は無かった。
だが冒険者学園での出来事を経て、予想以上に深いに中になった。
そこで母は計画を変更し、自分に、リュージと同じパーティに入るよう指示されたのだ。
ルトラに拒否権は無かった。
断ったら殺されるのだ。
他の【娘】たちがそうだったように……。
しかし悪いことばかりじゃなかった。
リュージ。
優しい彼と、同じ時を共有できたことは、嬉しかった。
ルトラは学園での卒業試験の時以来、彼に思いを寄せていた。
好きな男の子と一緒に冒険できて、うれしかった。
だが……同時に、胸が痛かった。
リュージに本当のことを告げられないことがつらかった。
本当は魔王四天王、メデューサの娘であることを明かせないことが苦しかった。
魔道具【魂交換】を使ったのはルトラだ。
母にそう命令されたからだ。
断れなかった。
愛しい彼を傷つけるのは、いやだったのに……嫌だと突っぱねることが、できなかった。
【指示は以上よ。ルトラ。しっかりと体を休めておきなさい。明日は頑張ってもらうからね】
一通り指示を聞き終えると、母メデューサはさっさと通信を切った。
余計なおしゃべりはしない。
母のドライな態度は今に始まったことじゃない……が。
「…………リュージたちが、うらやましい」
あの親子を見ていると、自分たちの親子関係が、今まで以上に冷めたものに見えてくるから不思議だ。
いつも愛情をたっぷりと注ぐ、母カルマ。
そんな母の愛情を受けて、屈託無くすくすくと育った息子リュージ。
ふたりに同じ血は流れてない。それでも、深い家族の絆が見て取れる。
「……いいなぁ」
一方でルトラとメデューサは、違った。
二人の間に、血のつながりはある。
だが、家族の絆なんてものは、この十数年で、一度も感じたことは無かった。
母の愛情を感じたことは無かった。
母から愛情を受けたことは無く、あるのは暴力だけだった。
指示通りできないと殴られ蹴られた。
成績が悪いと、酷い言葉で罵倒された。
メデューサとの間に親子関係はなく、あるのは利用する側、される側という、ドライすぎる関係。
今までは、それでいいと思っていた。
けど……もうリュージたちを知ってしまった以上、それでいいとは思えなくなっていた。
「リュージ……あんたが、うらやましい……」
ルトラはベッドに横になる。
つつ……っと頬に涙が流れた。
ぐすぐす……といつまでも、ルトラは泣くのだった。
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