99.息子、空を飛ぶ【前編】
風呂場での騒動を終えた、数時間後。
深夜。リュージはひとり家を出て、裏庭へとやってきていた。
今日はよく晴れている。
空にはまん丸とした大きな月が浮かんでいた。
「……いい夜」
風が吹くと、黒髪が流れていく。
母の長い髪が、風にふかれて、まるで泳いでいるようだった。
「…………」
リュージは自分の手を見やる。
白く、ぷにっとした腕。
両手には腕輪がつけてある。
母曰く、これは制御装置のようなものであるらしい。
続いて自分の頭を触る。
側頭部に髪飾りがついていた。こちらも邪神のチカラを制御するための、特別なアクセサリーなのだそうだ。
「魔法が、使えたんだ。だから、こっちも……」
リュージはまず、腕輪をはずす。
続いて髪飾りを、取る。
「…………すぅ、はぁ。よしっ」
リュージが大きく口を開いて、「変し……」といいかけた、そのときだ。
「だぁれだっ♡」
ふにゅんっ♡
背後に、ものすごく柔らかなものが当たった。
南国の花のような、むせ返るほどの甘い匂いが鼻孔をつく。
「ひゃっ……! だ、だれ……」
「もー。リュー。お姉さんよ♡」
「チェキータさん……」
振り返ると、長身で垂れ目のエルフがいた。
チェキータはいつもの微笑みを浮かべながら、ぱっと離れる。
「んー? リュー。その反応……なにかやらしいことでも、あったのかしら?」
にやーっとチェキータが楽しそうに笑う。
「や、やらしいってなんですかっ。そ、そんなことしてないですよっ」
「ふふっ。じゃあそういうことにしておいてあげよっかな♡」
クスクスと笑うチェキータ。
隠し事を見透かされているように、リュージには思った。
このエルフお姉さんは侮れないのである。
「チェキータさんは、その……こんな夜更けにどうしたんですか?」
「ん。リューたちの様子を見にね。体とか、だいじょうぶ?」
「はい。いちおう……からだが入れ替わった以外には、特に」
「そう。良かった……」
チェキータは小さく、安堵の吐息をつく。
リュージに近づくと、キュッと抱きしめる。
「わわっ」
「ふふっ♡ ほーんと、中身が入れ替わったから、カルマがとっても可愛い子になっちゃったわぁ」
「あの……離して……」
「やーん♡ もっとぎゅっとさせて~♡」
チェキータが楽しそうに、くっついてくる。
動くたびグニグニと、柔らかい水蜜桃がぶつかって気持ちが良かった。
「……でも……良かった」
小さく、本当に小さく、チェキータが耳元でささやく。
その言葉からは、彼女の優しい気持ちがにじみ出ていた。
チェキータはいつも、リュージたちのみを案じてくれている。
彼女の一人称どおり、ふたりにとってのお姉さん的な存在なのだ。
だから……弟たちの身に異変が起きて、本当はすごく心配してくれていたのだろう。
あまりそういう内情を、表に出さない人なのだ、チェキータは。
「あの……僕たちの体のこと、調べはついたんでしょうか?」
チェキータはカルマたちの毛髪を採取し、調べるといって王都の調査機関へと行っていたのだ。
「ええ。どうやら【魂交換】のマジックアイテムが使われたみたいなの」
「魂……交換?」
こくりとチェキータがうなずく。
「文字通り魂を入れ替える魔道具よ。これを使うと自分の魂が
相手に肉体に入るの。で、逆もまた起きるわけ」
「つまり……母さんがいっていた、頭をぶつけたから中身が入れ替わったって言うのは……?」
「それは違うわね」
チェキータが険しい表情になる。
「つまり偶発的な事故じゃ無くて、人為的なものなのよ。今回の騒動は」
「誰かが無理矢理、魂を入れ替えた……ってことですよね? いったい、誰が、何の目的で……?」
チェキータが首を振る。
「ごめんなさい。そこまではわからないわ」
「そう……ですか……」
リュージは自分の体を抱き、そして脳裏に母の顔を思い浮かべた。
きっと、今リュージの体で、気持ちよさそうに眠っているだろう。
いつも堂々としている母、この異常事態でも動じてなかった。
リュージが眠れないでいる中、彼女はぐーすかぴーすかと寝るのである。
「たいした子よね、カルマは」
「ええ。母さんですから」
リュージはチェキータとともに笑う。
「まぁ誰が【魂交換】なんて使ったのかわからないけれど、犯人の特定はそこまで難しくないわ」
「それは……どうしてですか?」
「【魂交換】は希少なアイテムだからよ。国宝級レベルの超レアアイテムだわ。持っている人間は限られているし、そこから犯人を割り出せるかも」
「犯人って……別に捕まえてとっちめるわけじゃないんでしょう?」
「…………。そう、ね。ただ元に戻るためには、【魂交換】を使って、もう一度入れ替えを行う必要があるわ。早晩、犯人は捕まえないといけないのよ」
チェキータが一瞬だけ、鋭い目つきになった。
いつも優しい彼女の目つきが、そのときだけは冷たいナイフの刃のようになっていた……ように、リュージには思えたのだ。
「母さんが【万物創造】スキルで、【魂交換】を作るのはダメなんですか?」
「ダメね。入れ替えたその【魂交換】じゃないと、交換後の魂を元に戻せないのよ」
なおのこと犯人を捜す必要があった。
「そっちはお姉さんに任せて。リューたちは……そうね。めったにない今を楽しんでいなさいな」
チェキータは楽しそうに笑うと、リュージの肩に手をかける。
「ところでリュー。いいの?」
「いいの……とは?」
エルフが優しく目尻を下げると、
「空、飛ぼうとしてたでしょう?」
やはりチェキータにはバレていたようだ。
「……かなわないなぁ」
「ふふっ♡ お姉さんは何でも知ってるお姉さんだから。リューが密かに、空飛ぶドラゴンに憧れていたこと、知っているもの」
「こ、子どもの時の話じゃないですか……」
すごい昔。
まだリュージが5歳とかのころ。
リュージの夢は、母のような格好いいドラゴンになることだった。
当時自分が人間で、母がドラゴンであるという区別がついていなかったのだ。
「あの頃のリューはほんと、可愛かったなぁ♡」
「や、やめてくださいよ、からかわないでくださいっ」
さておき。
「それでリュー。今あなたはカルマの体。つまり邪竜になれるはずよ」
「です……よね。けど……どうやればいいのか、わからなくて」
「やってみなさいな。難しいと思ってた物も、やってみれば意外とあっさりとできたりするものよ」
チェキータに励まされ、リュージはこくりとうなずく。
制御装置を外し、深呼吸をして、つぶやいた。
「変身」
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