92.邪竜、息子と中身が入れ替わる【後編】
大陸中央部に広がる天竜山脈。
その南部にある地方都市、カミィーナ。
王都からも首都からも離れてはいるものの、大きな冒険者ギルドを抱えるこの街は非常に栄えている。
そんなカミィーナの街の住宅街。
2階建てのレンガ作りの家がひとつある。
「るんるんるーん♪ りゅーくんだいすきー♪ 世界一愛してる~♪」
台所には、一人の美しい女性が立っていた。
赤みがかった黒髪に、夜空のようなキラキラとした黒い目。
すらりと長い手足。
ふくよかな乳房。
母性をうかがわせる体つきに目つき。
名前を【カルマアビス】という。
業と奈落という物騒な名前からは想像できないくらい、美しくかわいらしい女性だ。
彼女はコンロの前に立っている。
大きな鍋には、カレーのルーが入っている。
カルマはお玉をつかって、鍋の中身をかき混ぜていた。
「ふふっ……りゅーくんがクエストを見事達成しました。さすがりゅーくん……お母さんの自慢の息子ですっ♡」
カルマは鍋をかき回しながら、デレデレとだらしない笑みを浮かべる。
彼女はメガネをかけていた。
そこには、息子であるリュージたちの姿が映し出されている。
これは遠視の魔法が付与された、特別なメガネだ。
遠くにいるものの映像を映し出すことができる。
「ごめんなさいりゅーくん……。本当は危険なクエスト、お母さんもついていくべきなのは重々承知してます……」
しかし……とカルマが言う。
「お母さんには今、重大な使命があるのです」
キリッとした顔で、カルマが言う。
「このりゅーくんの大好物……【バーモンツ・カレー】を作るという使命が!」
カルマがお玉を握りしめる。
「リンゴと蜂蜜のたっぷり入った甘口カレー……息子の大好物を作るという天命を今、私は帯びているのです。だからついていけないの……ごめんね、りゅーくん……」
よよよ、とカルマが涙をふく。
「カレーは火加減が命。鍋の前からいなくなることはできないの。ああ……許してりゅーくん。あなたを守れないこの非力な母を、ゆるして……」
いやあなたが非力だったら、そのほかのひとたちはどうなるの?
息子がそばにいたら、そうツッコミを入れるだろう。
「しかしりゅーくんはとっても強くなりましたっ。今回のクエストも……ばっちりクリアです! ふふ……さすがりゅーくん。強い子……いったい誰に似たのかしら……?」
カルマはフヘッ♡ と笑う。
「そりゃーもちろんお母さんです! なっつって~♡ なんつって~♡」
実に楽しそうに料理をするカルマ。
しかし火加減はしっかりと調整する。
「だって大天使の食べる供物ですもの。半端な物は出せないわ。おいしいもの作らないとッ!」
天使とかいて息子と読む。
カルマにとってリュージは、それほどまでに大切な存在なのだ。
その後も調味料を足したり、火加減を調整したりして……完成。
「あとはりゅーくんを待つのみ! はぁん♡ 楽しみ~♡ りゅーくんがお母さんの作った料理を食べてくれる……幸わせー♡」
カルマが蕩けるような笑みを浮かべた……そのときだ。
「むっ……! なんだこの気配は……!」
カルマは天井を見据える。
彼女には敵を察知するスキルを持っている。
カルマは天井を見据える。
遠視の魔法を強化する。
遥か上空にあるものを、カルマは視界に捕らえた。
「隕石……ですって?」
巨大な隕石が、カルマたちの住むこの国に向かって、落ちようとしてるところだった。
さてその事実を前にカルマはというと……。
「ふむ。りゅーくんが帰ってくるまで、まだ10分くらいありますね」
微塵も動揺していなかった。
巨大隕石が落ちてくるという、危機を前に、
「ちゃちゃっと片付けて帰ってきますか。お夕飯に間に合わせるように」
そんな気軽さで、カルマは家の外に出る。
「変身」
カルマは呟く。
するとその体は……バキバキバキバキ! と漆黒の鱗に包まれていく。
体は何倍も何百倍にも巨大化。
剣山のような鱗が、びっしりと体全身に張り巡らされる。
気付けばそこには……見上げるほどの大きさの、漆黒の竜が立っていた。
【まったく、お夕飯前という忙しい時期に、野暮なことする隕石もあった物です。まったくもう!】
凶悪極まる顔で、ふつうの主婦みたいなことを言う。
漆黒の竜……邪竜となったカルマは、ぐっと身をかがめると。
バサッ……! と帆のような巨大な翼を広げ。
ばびゅうぅううううううううううううううううううううううううううん!!!!
一気に上空へと、飛んでいく。
余波で突風が吹くがお構いなしだ。
地上があっという間に見えなくなる。
空を駆け、雲を抜け、やがて成層圏を突破し……。
気付けばカルマは、宇宙空間へとやってきていた。
ここへ来るまで何秒もかかっていない。
【まったくもう……邪魔な隕石です】
カルマはこちらに向かって飛んでくる隕石を見て言う。
それはカルマの体よりも、さらに大きい。
へたしたらこの惑星よりも大きな隕石だ。
【息子がお腹をすかせて帰ってくるのです……】
こぉおお……………………!!!!
カルマが口を大きく開く。
そこに魔力が集中していく。
莫大な量の魔力だ。
【そんな息子が家に帰ると、大好きなお母さんが大好きなカレーを用意して待っている……】
魔力の充填は完了。
カルマは体を大きくのけぞらせる。
そして……吐き出す。
【そんな甘いひとときを、邪魔すんじゃあねええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!】
ビゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!
邪竜は破壊の光線を吐き出す。
それは巨大隕石を、まるごと飲み込んだ。
惑星を消滅させるほどの巨大なそれを、カルマは容易く消し飛ばしたのである。
【ふぅ……任務完了! さて帰るか……って、ああ! しまったぁあああ!】
カルマは翼を広げると、今来た道を猛スピードで引き返す。
【お鍋に火をかけたまんまだったぁあああああああああああああああ!】
巨大な隕石が衝突する際は、まったく動じてなかったカルマ。
その彼女が、カレーを焦がしてしまうかもというそんな小さなことに、すさまじく動揺していた。
カルマは超特急で、家に帰る。
空を駆け抜け、やがてカミィーナの我が家の上空へと到達。
変身を解除し、カルマは人間姿のママ、空から着地を試みようとしていた……そのときだ。
「え?」
「えっ?」
ちょうど落下地点に、愛しい息子がいるではないか。
「大好き!」見た瞬間に口をついたセリフがそれだ。魂の叫びだった。「じゃない! 避けてりゅーくん!」
無茶を言う。
なにせ超スピードで宇宙空間から帰ってきたのだ。
その速度は軽く音を越えている。
リュージが驚愕する。
息子に危険が及ぶ前に、防御魔法を発動させる。
だが一歩及ばず……。
ずっどぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!!!!!!
カルマとリュージとが激突し、すさまじい音と、そして衝撃を発生させる。
それこそ隕石が落ちたかのような、衝撃を産んだのだ。
ややあって……煙が晴れる。
「けほけほ……もうっ! 母さん! なにするのさっ!」
息子がカルマを注意してくる。
だがおかしかった。
息子の声にしては、妙に甲高いのだ。
リュージはまだ声変わりしてない。美しい天使の声だ。
しかしそれにしては、高すぎる。
まるで女の子の声ではないか。
「ごめんなさいりゅーくん。カレーを焦がしちゃうかもって思ったら、いてもたってもいられなくって……」
とカルマが言う。
ん……?
なんか自分の声が変だ。
ちょっとひくすぎないだろうか……?
「だからって空から振ってきて、ご近所さんに迷惑かけちゃったでしょ。もうっ」
と、【カルマ】が言った。
「え……?」
そう、カルマの目の前に、【カルマ】が立っているのだ。
何を言ってるのかわからないが、とにかく自分の前に、黒髪のカルマが立っているのである。
「え!? な、なんで僕が……!?」
と、目の前の【カルマ】がそういった。
「な、なんでおかあさんが……?」
カルマが、目の前の【カルマ】を見ながら言う。
そこには息子がいるはずだ。だがいるのはカルマ。
そして息子だと思われるその人が、自分を【見下ろし】ている。
カルマはふと、気付いて、自分の体をつぶさに見た。
低い身長。ごつごつとした男の手。
眼前の【カルマ】も、自分の体をペタペタと触っている。
カルマたちは慌てて、家の洗面所へと駆けつける。
鏡に映った姿を見て、それぞれが呟いた。
「うそ……お母さん、りゅーくんになってる!」
「僕……母さんになってる-!?」
そう、中身が入れ替わっていたのだ。
カルマは息子の体に。
リュージは母の体に。
「もしかして……」
「ぼくたち……」
「「入れ替わっているー!?」」
……かくして、最強邪竜とその息子に、新たな試練が訪れたのだった。
漫画版、「マンガUP!」でこのあと数分後(6/6、0時)に最新話がアップされます!
ぜひご覧ください!