66.邪竜、夜泣きしてオムツを換えてもらう
お世話になってます!
ワイバーンを人知れず撃破した、その日の夜。
深夜。
ふと、カルマは目を覚ました。
場所はリュージたちの眠る部屋。
自分はベビーベッドの中で目ざめる。
「……まずい。とっても気持ち悪いです」
パンツ、というかオムツの中が、ぐっしょりと濡れていた。
非常に不快だった。
どうにもこの赤んぼうの体、自制が聞かないのだ。
おねしょなどしたことがなかったのだが、体が赤んぼうになったことで、膀胱が緩んでしまったのだろう。
「……くっ、思いの外、不快感がすごいです。くそ、この状態で朝までなんて耐えられませんよ……」
ぐぬぬ、とうなるカルマ。
「……りゅー君を起こして取り替えてもらう? いや、そんなことできません」
息子は安らかな寝息を立てている。
起こすのは忍びなかった。
「……どうすれば。ふぐぐ……」
とうなっていた、そのときだ。
「……カルマさん?」
むく、と息子のベッドで寝ていたシーラが、起きたのだ。
シーラはカルマが赤んぼうになってから【何かあったときに大変だから】という理由で、リュージの部屋で一緒に寝るようになったのだ。
兎獣人の少女は、むくり、と立ち上がると、カルマの側までやってくる。
ニコニコ笑いながら、よいしょと持ち上げる。
抱っこした際に「ああ……」とすぐに異変に気付く。
シーラはいったんカルマを寝かせると、しゃがみ込んで、足下のオムツを手に取る。
「ちょっと失礼するのですっ」
シーラはカルマのズボンを脱がす。
おむつも脱がして、そしてベビーベッドの側に置いてあったガーゼに手を取る。
ガーゼでぬぐった後、新品のオムツを、カルマに履かせる。
「うん、これでもう気持ち悪くないのですっ。安らかに眠れて、良かったね」
シーラは嫌がるどころか、むしろ笑っていた。
……申し訳なさと同時に、なぜ、という疑問がわく。
夜中に、シーラを起こしてしまった。
そして下の世話という、誰もがやりたくないことを、シーラは率先してやった。
それどころか、不平不満を一切垂らすことなく、むしろ笑っている。
迷惑をかけて申し訳ないという気持ちと同時に、なぜ……どうして……?
どうして……そこまでしてくれるのか?
なんで、笑っていられるのか。
カルマは疑問に思った。
けどここで思いを口にするわけにはいかない。自分は赤んぼうなのだから。
と、思っていたそのときだ。
「……シーラ。ごめんね」
むく……っと息子が半身を起こす。
「リュージくんっ。起こしちゃったのです……?」
ぺちょん、とシーラがうさ耳を垂らす。
「ううん、気にしないで。それよりごめんね……気付くの遅くて」
リュージは起き上がると、ベビーベッドの側までやってくる。
どうやらリュージさえも起こしてしまったようだ。
申し訳なさで死にたくなる。
シーラは即座にカルマを見やると、よいしょと抱っこする。
そして正面から抱っこして、ぽんぽん……と背中をさすってくれた。
「大丈夫。気にしてないよ。リュージくんは気にしてないのです……。ね?」
「え? ああ……うん。もちろんだよ、母さん」
息子の言葉に救われた、と同時に、シーラへの感謝の念がわき上がる。
どうやらこの子は、すぐさまカルマの心の動きに、気付いたのだろう。
そしてフォローを入れてきた……。
なんとも気遣いのできる女であった。
「……カルマさんがねむねむするまで、お話してもいいのです?」
「うん。小さな声でね」
「はいなのです……」
シーラたちはベッドに座ると、小声で話す。
今日あったこととか、大変だったことを話す。
ややあって、息子がふと、こう切り出したのだ。
「そう言えばシーラって、やけに赤んぼうの扱いが上手いよね」
「そうなのです?」
「うん。それってやっぱり、弟や妹の世話をしていたから? ほら、前に兄弟いるっていってたじゃん」
そう言えばそんなことを言っていた。
「えと……正確には、血の繋がった兄弟はいないのです」
困ったような、笑っているような、半々の表情を、シーラが浮かべる。
「……しーら、孤児院の出身なのです」
「孤児院……。えっ、お父さんとお母さんいないの?」
シーラが遠くを見ながら、こくりとうなずく。
「お父さんもお母さんも、しーらがすっごく小さな時に死んじゃったのです。そのあと、おばあちゃんがしーらを引き取ってくれて……」
前にシーラが言っていた。
とても偉大な魔女を、祖母に持っているのだと。
確か王立魔法大学の教授をつとめていたくらいには、優秀だったそうだ。
「けどおばあちゃんも、しーらが8歳のときに死んじゃったのです」
「……ごめん。辛いこと思い出させちゃって」
息子がギュッ、と唇を噛む。
息子は優しい子なのだ。
他人に辛い思い出を語らせてしまい、すまないと思っているらしい。
シーラは笑って「もう昔の話なのです。気にしてないのです」と言って首を振るう。
「それでそのあとは、おばあちゃんが昔おせわになっていた孤児院に、しーらはあずけられたのです」
今、シーラは15歳だ。
つまり7年間、彼女は孤児院で育ったことになる。
知らなかった……と息子と、そして自分も、同じような顔になる。
「弟妹って、つまりは孤児院に預けられていた他の子供たちってこと?」
「はいなのです。しーらはお姉ちゃんだったから、小さい弟たちの面倒を見ていたのです」
なるほど、とカルマは合点がいった。
この女の子は、他の孤児たちの面倒を、小さいときから見ていたのだ。
「だから……テキパキと動けてたんだ。慣れてたから」
「うん。そうなのです……」
微笑むシーラ。
そこには何も辛そうな感じはなかった。
「さみしくなかったの? その……」
リュージは口ごもる。
孤児院で、両親も祖母も死んだ生活を送ってさみしくなかったのか……ということだろう。
「うん! ぜんぜんさみしくなかったのです。コレット先生は優しかったし、お兄ちゃんやお姉ちゃんも優しくて大好きだし、弟や妹たちも、可愛くてだいだいだぁいすきだったのです!」
シーラの笑顔には、なんの屈託もなかった。
影も、辛い過去も、その表情にはなかった。
「夏にはみんなで海に行ったし、秋には山登りしたし、冬はみんなでソリで遊んで……とっても楽しい日々だったのです!」
「そっか……。本当に楽しかったんだね」
「はいっ!」
……そうはいっても、とカルマは思う。
この子は、かなり重い運命を背負っていたのだな、と。
孤児であるという点において、シーラとリュージは同じだったのだ。
息子と同じで、この子も母がいなかった……。
かわいそう。
カルマは純粋に、そう思った。
この子のことを、ぎゅっと抱きしめたくなった。いとおしさで胸が張り裂けそうだった。
「わわっ。カルマさん、どうしたのです?」
きゅっ、とシーラの体に抱きつくカルマ。
言葉を投げかけたくて、仕方なかった。
辛かったのね。苦しかったのねと。
孤児である息子を育てて来たカルマにとって、息子と同じ悩みを抱えるこの少女の、内面のつらさがわかった。
辛くて苦しくても……あかるく笑っている。
このウサギ少女が、たまらなく愛おしかった。
……なんだ。
この、感情は。
カルマは戸惑った。
この感情の正体をしりたい思った。
「……シーラ」
声が出かけた。
もう、赤んぼうであることを偽るのは、面倒だった。
それよりも、カルマは、この子と話がしたかった……。
と、そのときである。
【ーーーーーーーつけた】
ふと、窓の外を見上げる。
何か声がしたのだ。
【ーーーーーーーつけた】
まただ。
また、何か聞こえてきたのだ。
窓枠を凝視する。
そこには……1羽の、蝶が止まっていた。
黒いチョウチョウが、窓枠に止まって……じっとこっちを見ている。
こっちを……見てる?
いや虫が見るわけ無い……と思った、そのときだ。
【みーーーーーーつけた】
と、そのチョウチョウが、はっきりと、そう言ったのだった。
次回もよろしくお願いいたします!