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人生の終い方

作者: 木村真宝(きむらまほ)

(私が棺の中で眠っている。少し痩せたけど、まあまあ美人よね。みんな、庭で育てられた大事な花を棺に入れてくれてくれているんだ。こんなに大勢の方々が集まってくれたんだ。社長、困ってるだろうな。これは私にも予想外だった。でも、皆さん、ありがとうございます。さようなら…)

私は、私自身の遺体を見下ろしている。

(一年前くらいには、こういう風に自分の最期をみるとは思わなかったな…)

何故か変なかんじだ。 あっ、段々と白い世界に包まれていく。 もう何も見えない。最高の人生だったな。なんだか、気持ちが安らいできた。この穏やかな世界に身を委ねよう…。




「社長、お話があります」

葬儀社の社長が身につけるには、あまりにも不自然な金の時計に目を落としながら、青木は振り返る。

「なんだ、宮里。俺はこれから接待なんだ。

急ぎでないなら、明日にしてくれ」

(葬儀社に急ぎでない仕事なんかない。現場に出ないこの社長には感覚が麻痺しているんだろう。これから、医師か看護師か警察官を接待して仕事の斡旋を受けるんだろう。もう限界だ)

「これを、お願いします」

宮里優美(みやさとまさみ)は、そう言いながら、封筒を渡した。 封筒には、辞職願と書かれていた。

一瞬、驚いた顔をした青木だったが、荒々しく封筒を受け取り、内ポケットに突っ込んだ。

「宮里、今担当している葬儀が終わったら、もう来なくてもいい。」

そう言い残して、青木はタクシーに乗り込み、去って行った。

優美は、20年近く働いてきたこの職場にうんざりしていた。 一人前の葬祭ディレクターに育ててくれた恩もあるし、仕事にもやりがいを感じていた。 ただ、どうしても社長の青木の、葬儀屋主導の葬儀と、遺族の気持ちを逆手に取る商売のやり方が許せなかった。 青木とは、度々、優美が異議を唱えていたので、青木も優美を煙たがるようになっていった。 青木は、優美が辞めると言いだすのを待っていたのだろう。 優美は、今辞めたとして、仕事は葬儀しかやった事がない40歳手前の自分に、転職先があるかどうかは不安だった。 葬祭ディレクターは続けたい、とは強く思っていた。 ただ、もっと遺族の気持ちに寄り添った仕事がしたかっただけだったのだ。




退職の日は、呆気ないものだった。

普通に出社し、まるで明日もまた出社するかのように、普通に退社した。 みんな、自分の仕事に精一杯だし、担当ノルマもかけられているので、1人ライバルが減った、くらいにしか思っていないのだろう。 挨拶もそこそこ出来ずに、会社を後にした。





辞めた優美は、海を眺めに出かけた。

ちゃんとした休暇を取ることもなく、夜も昼も働いていたので、友達もいなく、海をのんびり眺めるなんてしてこなかった。そんな思いをしみじみと感じながら海辺の町を歩いていると、一軒の小さな葬儀社を見つけた。 古村葬儀社と看板があり、こじんまりとした建物だった。

手書きの求人募集の貼り紙が目に止まった。

優美は何かの縁を感じ、事務所の中へと入っていった。

「あのー、ごめんください」

「葬儀の御相談ですか?どうぞ、こちらにお掛けください」

紺のスーツに身を包んだ、優美よりも10は若いであろう男性が応対してきた。

優美は、その男性の清潔感のある整った顔立ちに、ハッとしながらも、慌てて首を横に振った。

「違うんです。外の貼り紙を見て、それで…」

「そうだったんですか。私、古村悠二(こむらゆうじ)です。社長である父が、時期に戻ってくると思いますので、どうぞ、お掛けになってお待ち下さい」

悠二は、手慣れた手つきでお茶を用意し、テーブルに差し出した。

優美は、とっさに入ってきてしまったものの、履歴書などを用意していない事に気がついた。

「すみません。私、たまたま求人募集の貼り紙を見て、とっさに飛び込んできてしまって…。なので、履歴書も用意してないので、改めて参ります」

そう言って立ち去ろうとする優美に、悠二は、慌てて言った。

「あっ、ちょっと待って下さい。なかなか人が来てくれなくて困っていたもので。履歴書は後で結構なので、お話しだけでも聞かせて頂けませんか?」

優美はソファに腰をかけ、悠二と向かい合った。

「それにしても、貴女のような美人な方がどうして、うちなんかに?」

「実は、私、20年近く葬儀社に勤めておりまして、葬祭ディレクターの資格も取得しております。葬儀の仕事にはやりがいを感じてはいたのですが、葬儀社主導の高額を請求するやり方に、我慢が出来なくなりまして、先日、退社しました。そんな時に、外の貼り紙が目に止まったものですから」

「そうだったんですか…。そういうことなら、是非、うちで働いて頂けませんか?いや、実際の採用の権限は、父、清二(せいじ)にあるんですが…」

「私のような年齢の女なんて、雇って頂けるんですか」

そう優美が呟くと、古村清二が帰って来た。

「お父さん」

悠二が事情を話すと、

「わかった。明日から早速来てくれ」

社長である古村清二の一言で、呆気なく採用が決まった。これには、優美も驚いた。

「では、明日の朝参ります。よろしくお願いいたします。失礼します」

優美は、古村葬儀社を出た後、これで良かったのだろうか、と自分の行動に、少し不安を感じた。 履歴書も持ってきてないアラフォー女に、何故、あっさりと採用してくれたのかが解らなかった。まぁ、暫く試験採用してみて、それから使えるかどうか判断するんだろうな、と結論づけた。



翌日、優美は念の為、紺のスーツに身を包んで、履歴書持参で出勤した。

「おはようございます」

そう優美が声をかけ、仏具の手入れをしている清二に、履歴書を手渡した。

清二はその場でさっと履歴書に目を通すと、丁寧に履歴書を封筒に戻し、おし頂くようにして、デスクの引き出しに履歴書をしまった。

「じゃ、早速なんだけど、このチラシ、ポスティングしてきて。ついでに、この辺の地理を頭に叩き込んで」

『 古村葬儀社…生前相談承ります…』

そう書かれた質素なチラシの束を優美は受け取った。

「承知いたしました。では、行って参ります」

そう言って、優美は外へ出た。

チラシと一緒に、この辺の地図も用意されていた。



最近の葬儀の傾向は、遺されたものに迷惑をかけたくないからと、生前相談に葬儀社を訪れる人が増えてきた。 少し前までは、葬儀屋が営業するなんて縁起でもない、と忌み嫌われていたものだが、葬儀社の見積もりの不透明さに疑問を持つ人や、自分で自分の葬儀は準備したい、という人が増えてきたせいか、こういった、チラシを配る葬儀社も珍しくは無くなった。



優美は一軒一軒、丁寧にポスティングをしていった。何軒かは、縁起でもない!と塩を撒かれてお叱りの言葉も頂いた。 ま、それが今までの普通の反応だろう。 優美がこの仕事を始めた頃は、ポスティングをしたり、生前の相談を受ける時代が来るなんて、思ってもみなかった。



暫くポスティングを続けていると、庭先で花の手入れをしている可愛らしいおばあちゃんが声をかけてきた。 とっさに、叱られる、と身構えたが、そのおばあちゃんは、意外な言葉を口にした。

「あんた、葬儀屋さんなのかい?最近の葬儀屋さんには、あんたみたいな子がいるんだね。頑張りなさいよ。あんたには、きっと良い事があるよ」

おばあちゃんはそう言って、また庭の手入れを始めた。 優美は頭を下げ、その場を立ち去った。 そのおばあちゃんの家の表札には、粂田(くめた)と書かれていた。

(そういえば、あのおばあさん、私のおばあちゃんに似ているな)

優美は、おじいちゃん、おばあちゃんに懐いていた子供の頃を思い出した。

(おばあちゃんも、よく庭の手入れをしていたな。私も時々、水やりの手伝いをして)水やりをしていると、たまに虹が見える事があった。静かで、美しい想い出の風景だった。

(あの頃は、本当に幸せだったな。普通が一番幸せなんだって、そう思えた)

優美には、兄弟がいなかった。両親は、優美が小学生4年生の時に、事故で呆気なく他界してしまった。父方のおじいちゃん、おばあちゃんに育てられた。おじいちゃんは、優美が中学生の時に亡くなった。おばあちゃんは、優美が高校を卒業する前に亡くなってしまった。おじいちゃんもおばあちゃんも、お父さんのお兄さんが管理しているお墓に眠っている。優美は、高校も無事卒業して、遺してもらっていたお金で、大学へも進めた。おじいちゃんとおばあちゃんが亡くなってから、ずっと一人暮らしをしている。



事務所に戻ると、社長の清二と、社長の息子の悠二が、深刻な顔をして、なにやら話し合っていた。

二人は優美に気がつくと、

「こっちに座って話しを聞いてくれ」

と、清二は優美に声をかけた。

優美は、近くにあったパイプ椅子を用意し、二人の間に座った。

「宮里さんにも、話しておかなきゃな…。見ての通り、うちは小さな葬儀社だ。地元で長いことやってきたから、依頼件数は増えつつある。しかし、この辺は、息子や娘はいるが、同居してない家が多い。そうなると、生前予約をしたい、代々続く墓を墓じまいしたい、という相談が多くてな。今までやってきた葬儀屋への求められる仕事が変わりつつある。本人が決めた事でも、遺族が納得しないって事も多いしな。なんとか対応してあげたいもんだが、どうしたもんかと思ってな」

優美は、清二のその言葉に、やっぱりここにきて良かった、と思った。清二の葬儀に対する真摯な姿勢を感じられたからだ。

実際、古村葬儀社は良心的な価格設定で、無理な営業や、病院や警察などに入り込んで仕事をもらうなんて事もしていなかった。 社長である清二の喪家と誠実に向き合う精神に、優美はここで一生働いて行こうと心に決めた。 ま、クビにならなければ、の話しだが。



わずか数日で、本採用されたのだという確信が持てた。 清二は、こいつに任せて大丈夫だろう、と優美を判断したのだろう。 どんどん葬儀の担当を任せるようになった。 この地域の葬儀の担当をしていると、確かに、この地域は、古くから続く家が多いが、若い者は都心部へ出ていってしまっていて、殆どが高齢者だけで生活しているようだった。

商店街はどんどんシャッター通りとなり、農家も相続税が大変なのか、土地をどんどん切り売りしていた。

優美は、ふと思う。もし、郊外型大型店舗が参入せずに、こういった商店街や農家が上手くいっていたら、待機児童問題も、晩婚化も、少子高齢化も、育児ノイローゼも…、ありとあらゆる社会問題が出てこなかったんじゃないかと。そして、ついに今では終活なんて言葉も出てきている。

優美が葬儀の担当をしていて、一番嫌な場面がある。それは、遺族が葬儀そっちのけで遺産の話でもめ始める時だ。血の繋がった遺族が法的に争うまでになるのを見ているのは、本当につらい。人は何のために産まれ、何のために死んでゆくのだろうかと考えてしまう。



優美は古村葬儀社から車で5分程の賃貸マンションに部屋を借りた。

以前に住んでたマンションからでも通えないことはなかったが、少しでも早く仕事に対応出来るようにという理由と、気分を一新させる為に引っ越した。


優美はマンションに帰り、サッとシャワーを浴びて、コンビニで買ってきたお弁当をレンジで温め、食べた。

冷蔵庫の中にある缶ビールに手を伸ばしかけたが、思いとどまった。

今日は、葬儀社の夜間対応を任されていた事に気付いたからだ。

今晩は、夜間の応対担当だったから、依頼の連絡が入ったら、車を運転して現場に向かわなければならない。

缶ビールは、おあずけだ。

優美の手元には、仕事専用の携帯がある。

夜間、葬儀社に入った電話は、この携帯に転送されるようになっている。

今晩は、眠る時間があるのだろうか、そんな事を思いながら、携帯を眺めた。


優美がウトウトと寝つき始めた時に、携帯の音が鳴った。

仕事の携帯のほうだった。

慌てて電話を受けた。

「はい。古村葬儀社、宮里でございます」

「あのー。葬儀をお願いしたいんですけど。

今、病院なんですが」

「さようでございますか、御愁傷様でございます。

直ぐに、病院からご自宅への搬送の手配を致します。

恐れ入りますが、亡くなられた方のお名前をお教え頂けますでしょうか。

粂田(くめた)さと様…。

今お電話下さっているのは、喪主様になられる方で宜しいですか?

お名前をお教え頂けますでしょうか。

粂田信一朗(くめたしんいちろう)様。

ご自宅のご住所を教えて頂けますでしょうか?

…はい。かしこまりました。

ご自宅のほうで詳しいお話しをさせて頂きます。

失礼致します」

優美は電話を切ると、搬送専門の会社へ搬送の手配の電話をした。

急いで、紺色のスーツに着替え、車に飛び乗り、古村葬儀社へ向かった。

遺体を傷めないようにする為のドライアイスや枕飾りなどを準備する為だ。

一通り準備出来たら、伝えられた住所の喪家へと向かった。



喪家に到着したが、まだ搬送の車も遺族もいなかった。

間も無く、搬送車と遺族が到着した。

ご遺体のことは、仏様もしくは、故人様と呼ぶようにしている。

仏様は無事にご自宅へと安置された。

「喪主様は、どちらにいらっしゃいますでしょうか?」

優美が喪家の自宅内で、何人かいる遺族に声をかけた。

メガネをかけた痩せ型の50代くらいの男性が現れた。

粂田信一朗(くめたしんいちろう)様でいらっしゃいますでしょうか?

私、古村葬儀社の宮里と申します。

この度は御愁傷様でございます。」

優美は正座をして、深々と頭を下げた。

信一朗とその場にいる遺族一人一人に名刺を手渡した。

「早速ですが、仏様の御供養の為に、先に枕飾りをご用意させて頂きたく存じますが、宜しいでしょうか」

「お願いします」

信一朗は、一瞬迷った様子を見せつつも、そう答えた。


優美は、仏様となった粂田(くめた)さと様に向かって合掌をし、身体にドライアイスを置いた。

(冷たいけど、ごめんなさいね)

そう心の中で呟きながら、腐敗を防ぐための処置を施した。

線香立てや、お鈴、ろうそくなど、枕飾りを手早く準備をした。


信一朗の希望と、遺族が側にいるということで、そのまま、葬儀の打ち合わせと、費用の説明をした。

死亡届とお寺さんへの連絡は、明日、進めるという事で、明日また、伺うことを約束し、失礼した。


優美はマンションに戻って、少し眠ったが、すぐに目覚ましのアラームが鳴った。

仕事の電話は粂田家からだけで、他からはかかってこなかった。



葬儀社全部がそうなのかは分からないが、葬祭ディレクターに夜も昼もなく、夜仕事をしたからといって、次の日が休みになるという事はない。

優美もいつも通りに出勤し、昨晩の仕事の報告をし、早速、仕事を進めた。

役場で死亡届の手続きをし、埋葬許可書を受け取って、火葬場の予約も済み、喪家に向かった。




昨夜は周囲が暗くて気づかなかったが、この粂田家は、私の初仕事であるポスティングをした時、優しい言葉をかけて下さったおばあちゃんの家だと気がついた。

仏様の顔には布が掛けられており、それもあってか、さとさんが、あの時のおばあちゃんである事にようやく気がついた。

精一杯、お見送りをさせて頂こうと強く心に誓った。



納棺、通夜、葬儀の段取りもスムーズに進み、いよいよ納棺の儀を執り行おうと喪家を訪れた。

すると、男の人の怒鳴り声が響きわたった。

「この家を処分して、屋敷墓もいずれ処分するって、本気なのか!」

組内と呼ばれる近所の男性が、信一朗に向かって怒鳴っていた。

この辺りは、古くから続く家が多く、組内という、近所数軒が、こうして葬儀の手伝いに来ることが当たり前の事として、まだ続いていた。

屋敷墓というのは、今では埋墓法が制定されてからは禁止されているが、古くから続く家には自宅の敷地内に墓を建てていた。

粂田家は、かなり長く続く家だったのだろう。

「仏様の前ですので、そのような事はおやめ下さい」

優美はそう言って、二人の間に入った。

「うるせえ!葬儀屋!

他人の不幸で飯を食ってるお前が口出す事じゃねえ!」

組内の男性はそう優美に言い放つと、軽く突き飛ばした。

「あれ、よく見るとお前、この前ポストにチラシを入れてた奴だな。

汚ねえ商売しやがって。」

その言葉に、優美は思い出した。

あの時、塩を投げて追いかえしてきた人だ。

このような言葉を投げつけられてる事に慣れている優美でも、仏様の前で、しかも納棺の儀の前で怒鳴られた事に、カチンときた。

「ちょっと待って下さい。

確かに私共は、人様から忌み嫌われる商売です。

ですが、私はこの仕事に誇りを持っています。

人の最期を精一杯お手伝いしてお見送り出来る仕事だからです。

人は誰しも必ず亡くなる時が来ます。

その為には無くてはならない仕事なのです。

今は、さと様のお見送りを精一杯させて下さい!

皆さんも、この時間をさと様に捧げて下さい!

お願いします!」

優美がそう言うと、皆、黙って頷き、静かに納棺の儀を待ちはじめた。

優美は気を取り直して、仏様に合掌し、納棺の儀の準備を始めた。

一同は、ただその姿を黙って見守っていた。


「これより納棺の儀を執り行わさせて頂きます。

こちらに、清拭綿を用意してございます。

順に仏様のお身体を拭いて差し上げて下さい」

優美がそう言うと、信一朗から順番に清拭をし、全員が終わった。

「それでは、仏様の旅支度をさせて頂きます。

こちらを近いご遺族の方の手で身につけて差し上げて下さい。

実際には、お身体の硬直で着させる事は難しいので、上から掛けて差し上げるようにお願い致します」

優美はそう言って、旅支度をしている遺族の姿と、仏様を見つめながら、

(先日は、優しいお言葉をかけて下さり、ありがとうございました)と仏様に向かって心の中で呟いていた。

遺族の男性4人程の手を借りて、お棺の中へと仏様はねかされた。優美は、丁寧に化粧をし、お棺用の布団をかけ、顔まわりも綺麗に整えた。

「ここで一度お棺に蓋を閉めさせて頂くことになります。

ご出棺前にもお別れの時間がございますが、時間が限られてしまうので、今のうちに故人様とゆっくりお別れして下さい。

お棺に一緒に入れて差し上げたい物があれば、今、お願い致します。

ただし、火葬場の関係で入れることが出来ない物もございますので、ご了承下さい」

優美は、この仕事を何度経験しても、このお別れの時間に慣れることはない。

葬儀のプロとして、泣くことは決して出来ないが、胸が締め付けられる思いは拭えない。

遺族が故人にかける言葉の端々に、故人の人生がうかがえる。

亡くなった後でしか故人を知ることの出来ないこの仕事、時に、生前にお逢いしたかったな、と感じることも多々ある。

ここに眠る故人とは、ほんの僅かな時間だけれども言葉を交わせた。

その事を、とても有難く思うと優美は感じていた。


故 粂田さと様の葬儀は滞り無く執り行われた。

息子の信一朗さんは、葬儀後、実家を処分し、屋敷墓も改葬されたそうだ。

様々な事情もあるだろう。

これも時代の流れとして、致し方ない事だと思う。 優美は、葬儀、墓などはカタチに拘らなくていいと思っている。

何よりも大事なのは、故人や先祖に想いを馳せたり、心のよりどころとなる事の方だと思う。

人それぞれの弔い方があっていいのではないかと思うのだ。




「姉ちゃん、あん時はすまなかったな。俺ん時も、姉ちゃんに頼めるかな」

粂田家葬儀の後、一ヶ月程経って、古村葬儀社に突然の来客があった。

粂田家の時、大騒ぎしていた組内の男性だった。

年齢は、70代くらいだろう。

「勿論です。どうぞ、お掛けください」

優美はお茶を出し、男性の前に腰掛けた。

「ご挨拶が遅れました。

私、宮里優美(みやさとまさみ)と申します」

優美は名刺を差し出した。

「こっちも名前言ってねぇな。

村越哲男(むらこしてつお)だ。

ちょっと姉ちゃん、おっと、すまねえ、宮里さんに頼みがあってよ」

「私にできる事なら何なりと」

「いやな、さとちゃんの葬儀では、なんだか自分の事のように感じちゃってよ。

つい、悪い性分が出ちまった。

うちも、長いこと続いてきた家なんだ。

代々守ってきた屋敷墓もあってよ。

でも、時代の流れってやつかなあ。

息子、娘は結婚して、忙しいのか、うちにも寄りつかねえ。

かみさんにも先立たれたし、俺が死んだら、うちも、さとちゃんのとこのようになっちまうんだろうな、って思ってよ」

「村越様のお気持ち、お察しします。

そのようなご相談、増えてますから」

「そうけ、俺んとこだけじゃないんだな。

なら話しは早えな。

宮里さん、今流行りの生前予約と墓じまいってやつ、頼めねえかな」

「勿論、ご相談承ります。

ただ…村越様、息子さんやご親族の皆さんには、この事、ご相談はされたのですか?」

「いや、してねえ。

宮里さんよ、俺の葬儀で身内の許可もらわねえと、何か不都合でもあんのかい?」

「ええ。村越様の一存だけでは難しいところがありますね…。

実際、ご本人の希望だけで承っていたプランが、亡くなられた後、ご遺族が聞いてないと言って、結局、ご遺族の希望した通りの葬儀になったりしています。

私どもも、最近の時代の流れに対して、どうすべきか模索中です」

「宮里さん、親族の許可があればできるって事だな?

そっちのほうは、きちんと話しをつける」

「そういう事なら承知致しました。

村越様は、どのようにしたいとお考えですか?」

「俺は、葬儀には拘らねえ。

火葬して、先祖と一緒にこの町に骨を埋めてえ。

さとちゃんとこみてえに、どこか知らない所へ改葬されるのはごめんだ」

優美は暫く考えた。

この町に埋葬し、今後の遺族が納得してくれそうな案を…。

「村越様…。

そういう事でしたら、費用はかかりますが、海洋葬なんていかがでしょうか」

「海洋葬?なんだそれ?初めて聞くなぁ」

「海洋葬とは、海へ散骨する方法となります。

ここは海辺の町です。

散骨する場所まで船で沖へ出なくてはなりませんが。

海はどこへも繋がっています。

そういった意味では、ご遺族はどこの海からでもお参りできます」

「そうか…。

墓っていうのは無くなっちまうが、どこかわからない場所に埋葬されちまうよりもいいかもな。

海か…。

悪くねえ。

宮里さんよ、それで頼むわ」

「承知致しました。

詳しいご相談は、村越様が息子様やご親族に許可を得た上で、ということで」

「そうだな。また来るよ」

「村越様、お茶を飲みに来るだけでも結構です。

いつでも、散歩がてらお立ち寄り下さいね」

「葬儀屋で茶飲み話か。

ま、それも悪くねえな。

宮里さんの顔を見にでも寄らせてもらうわ」

優美は、あんなに葬儀屋を忌み嫌っていた村越哲男が、自分のところに相談に来てくれたのが、とても嬉しかった。

こういう時はいつも、この仕事をしていて良かったな、と思える。



その後、村越哲男は本当に茶飲み話に古村葬儀社の事務所に訪れるようになっていた。

「宮里さん、いるかい。子供達や親族の同意を得てきたぞ」

優美は、いつものお茶を淹れて、村越の前に差し出した。

「そうですか。同意、得られたんですね…。私が申し上げるのもなんですが、なんだか複雑な心境です」

「複雑な心境っていうのは、あの家の跡継ぎがいないって事かい」

「そういうことになるのでしょうか…。自分でもよくわかりません。すみません」

「宮里さんのおかげだよ。俺も、いろんなしがらみから解放された気がして、すっきりしたよ。正直、俺の代で途切れさせてしまう事に申し訳なさがあったからな。でも、こういった問題は俺んとこだけじゃなく、また、供養の仕方も変わりつつあるっていうのも教えてもらったからな」

「そうですね。今の時代、なかなか代々続く稼業があるお宅というのは、少なくなりましたしね。それに、この不景気が続くと、結婚や子育ても難しくなり、益々少子化は続くでしょうし。私も、人様のことを言えた義理じゃないんですが」

優美は、なんだか申し訳ない気持ちで苦笑いをした。

「宮里さんは、結婚してないのかい」

「はい。結婚もしていなければ、子供もおりません。両親は早くに亡くなりましたし、兄弟もいません。天涯孤独の身です」

「なんでぇ。宮里さんみたいな美人を男がほっとくなんて、みんなどうかしちまってるなぁ」

「いえいえ、私なんて。もう、かれこれ20年近く葬儀の仕事をしてきたもので、朝も夜も無く働いて、休みもなかなか取れなかったので、友達も恋人も縁遠くなってしまいました。…なんて、言い訳か。単純に、貰い手のいない売れ残りです」

「そうけ。宮里さんも苦労してきたんだなぁ」

「いえいえ、私は苦労なんて…」

優美は、ちょっと涙が流れそうになるのを、グッとこらえた。

「村越様はこの町を愛していらっしゃるんですね」

「そうだな。ガキの頃からずっとここだし、かみさんともここで知り合って一緒になったからな。子供達も生まれて…。離れるのはしのびない」

「奥様とはこの町で出逢われたんですか」

「そうなんだよ。たまたまこの町に遊びに来てた。まぁ、今で言うナンパ、ってやつか。あの頃の俺も若かったんだなぁ。一目惚れしちまって、咄嗟に声をかけちまった」

「奥様、とてもお綺麗な方だったんですね」

「そうだなぁ。俺にはもったいねえ。なのに、俺より先に逝っちまうなんてよ。もっと良いもん食わせたり、一緒に旅行なんて連れてってやりたかったな」

村越は遠い目をして、涙ぐんでいた。

「宮里さんよぉ、あの世ってのは本当にあんのかな。俺が死んだら、かみさんに会えるかな」

「奥様、そのお言葉を聞いてくれてるといいですね。待っててくれるといいですね…」



村越哲男だけでなく、地域の高齢の方々が海洋葬に興味を持ち、古村葬儀社に訪れるようになった。

古村葬儀社はいつしか、地域の高齢者の溜まり場のようになっていった。

きっと、皆、死への不安と、日々の孤独を抱えていたのだろう。

その重い荷物を下ろせる時間が、この古村葬儀社にはあったのかもしれない。

社長の清二や、悠二も、最初は戸惑いを隠せなかったが、元々優しい2人なので、これも悪くないな、と自然に受け入れるようになった。

側から見たら、奇妙に見えるかもな、と優美は思っていたが、そんな事よりも、賑やかな事務所に心が和んでいた。





優美は、近頃自分の体調がおかしいと感じていた。元々、胃腸の弱いところはあったが、今までとは違う何かを感じていた。

社長に休みを頂けるようお願いして、病院で検査を受けてみることにした。

さすがに、アラフォーともなれば、体調にガタが来るだろう、一度診てもらってもいいかもな、と思えた。

病院では様々な検査を受けた。

検査結果は後日、また来院するということで、その日は帰った。



「宮里、例の生前予約と海洋葬の件、なんとかうちで受け入れる手筈が整った。

あっちだ、こっちだって話をつけなきゃいけない事も多かったが、どうにかうちのプランの一つとしてカタチになった。

今後は、こっちの仕事の方が増えるかもしれないな」

社長の清二は大きな伸びをして、そう話した。

ここのところずっと、あちこち出かけていき、尽力していたようだ。

優美は、本当に有難いと思った。

「お疲れ様です」

優美は、そう言って、お茶を清二のデスクにそっと差し出した。



生前予約と海洋葬の契約の手筈が整ったので、優美は、村越哲男と具体的に話を進めていった。

他に興味を持っている方々からの依頼も引き受ける事となった。





病院の検査から数日後、結果を聞きに病院に出向いた。

医師が検査結果を診ながら、神妙な面持ちで優美に訊ねた。

「宮里優美さん、ご家族の方はいらっしゃいますか?」

「いえ、私は早くに両親を亡くし、兄弟も夫も子供もいません。

それが何か?」

医師は、ふうーっと深い呼吸をすると、優美に検査結果を話し始めた。

「宮里さん、あなたは大腸ガンがかなり進んでいます」

「先生、それってガンの末期であるということですか?」

医師は、黙って首を縦にふった。

「病院ではあらゆる治療を試みますが…

ただ、5年生存率は極めて低い。

それだけはご理解下さい」

常に死と向かい合っている優美だったが、さすがにこればかりは動揺した。

「先生、私に残されている時間ってどれくらいですか…」



「12ヶ月か…」

優美は、今まで自分は本当に死と向かい合っていた訳ではなく、解ったつもりでいただけだったのだと、骨身にしみた。

残された時間をどう生きようかと、懸命に考えた。

出した結論は、やっぱり仕事しかなかった。

それ以外、何も思い浮かばなかった。



急激に冷え込む日が続き、身体にこたえるように感じられたある日の夕方、古村葬儀社の事務所の電話が鳴った。

優美は、受話器をとった。

「はい。古村葬儀社、宮里でございます」

馬嶋幸造(まじまこうぞう)さん。

ここに茶飲み話によく来て、生前予約と海洋葬を希望していた。

葬儀依頼の電話だった。

「宮里、悠二は別の家を担当してるから、お前が担当してくれ。

海洋葬の準備はしておくから」

社長の清二はそう言いながら、既に関係各所へ電話をかけ始めていた。

「はい。わかりました。行ってまいります」


生前にしっかりと家族と話しをしていたのだろう。

馬嶋幸造さんの家族は、全て承知の上で、優美に段取りを任せた。

家族だけで自宅で別れたい、と希望していた故人は、自宅で住職にお経をあげてもらって通夜を過ごした後、次の日には火葬場へと向かい、そこで住職のお経をお願いし、お骨となった。

海への散骨は、日を改めて行うこととなっていた。


「先祖のお骨と一緒に散骨して欲しい」

と、馬嶋幸造さんの希望があった。

馬嶋家の改葬許可は済んでいた。

優美は海洋葬の前に、お骨を一旦預かっていた。

海に散骨する為には、お骨を粉状にしなくてはならなかったからだ。

こういった、遺族の気持ちに負担になる作業は、遺族の目に触れぬよう、葬儀社のほうで行った。


海洋葬当日、用意されていた船で沖へと向かった。

陸からある程度離れていないと散骨の許可を得られないからだ。

しかし、日本には、許可を得られない海も多いと聞く。

社長の清二は、あちこちに頭を下げ、かなり尽力したのだろう。


散骨の場所へ船が到着した。

船をそこで停止させた。

海は荒れること無く、とても穏やかだった。

まるで、静かに導いてくれているように優美は感じられた。

「それでは、こちらでお願い致します」

優美がそう喪主に声をかけると、喪主は戸惑いを見せた。

それを察した優美は、

「お墓は確かになくなってしまいます。

ですが、この海はご先祖様方の生まれ育った町です。 幸造様は、生まれ育った町の海に遺ることを強く望んでおられました。

海は、どこへでも繋がってもいます。

喪主様やご遺族の皆さんは、いつでも海でご供養することが出来ます。

供養はカタチではなく、お気持ちが一番大事だとおもいます。

どうか、そのお気持ちだけは、次の世代へと伝えて差し上げて下さい」

優美の言葉に背中を押されたように、意を決して、喪主は海へと散骨した。

海面は穏やかで、太陽の光を受けてキラキラと輝いていた。



余命半年…。

ついに、優美の身体の変化は隠しきれなくなっていた。

最初は、ダイエットをしてる、なんて誤魔化していたが、周囲も自分をも、騙すことに限界がきていた。

「……という、訳なんです」

社長の清二と、悠二に病気と余命を打ち明けた。

「それで、社長、お願いがあります。

私も、海洋葬の生前予約をさせて下さい。

私の両親は亡くなりましたし、身内は誰もいません。

ご厄介をおかけする事は承知しております。

どうか、お願い致します」

優美の言葉に、清二も悠二も何も言うことが出来なかった。



優美の身体は日に日に枯れ木のように瘦せ細り、眠っている時間も長くなっていった。

ただ静かに横になっているのが精一杯で、とても仕事はできなかった。

周囲の人々は、病院に行くようにと優美に説得をしたが、優美はそれを望まなかった。

ひっそりと、その日を待ちたいという気持ちが強かった。

優美のマンションの鍵を社長の清二に預け、生存確認だけを頼んでおいた。

清二は、日に日に死に向かい行く人間を見守らなければならない。きっと、苦痛に違いなかった。

優美は自然に、静かに自分の死を待った。

優美は、自分の意志を尊重してくれた清二と悠二に感謝した。



幸せな人生だった…。

そう感じながら、優美は息を引き取った。


優美が亡くなった翌朝、清二は死亡を確認し、警察に届け出た。マンションの鍵を持っていて、第一発見者であった清二は、警察での事情聴取をされた。でも、優美が葬儀社に勤めていた事、末期のガンであった事、生前予約をしていた事などがすぐに分かったので、大事にはならずに済んだ。



優美亡き後、優美の希望通り、火葬され、海へと散骨された。

優美の棺に花を手向けようと、葬儀社に来ていた茶飲み仲間、優美が葬儀を担当した遺族、仕事関係者など、思いのほか、大勢の人が集まったのだった。



「おい。

生前予約の話しと違うだろ、宮里」

全ての儀式を無事に終えた清二は、優美への献杯のつもりか、独り酒を呑みながら、そうボヤいた。

「俺は、葬儀社の社長失格だなぁ。

会葬者の人数もまるで読めちゃいなかった。

それに、葬儀のプロとして、泣くなんてあり得ねえ」

清二は、涙と鼻水とでぐちゃぐちゃになった顔を乱暴に手で擦り上げた。



この海辺の小さな町に、優美は、海洋葬という新しい供養の仕方と、孤独な高齢者に茶飲み話の場所というものを遺していった。

それは、この町に自然と定着し、先祖が海から町を見守ってくれている、と誰もが思うようになった。



それから数カ月後…。

「あのー。ごめんください。

外の求人の貼り紙を見たんですが…」

古村葬儀社の出入り口に、美しく、スタイルの良い女性が立っていた。

悠二は、初めて優美が訪れた時を思い出した。



後に悠二はこの女性を嫁にもらった。

子を授かり、生まれてきた子は女の子だった。

古村葬儀社の初孫は、優美(まさみ)と名付けられた。






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