ハーフ
「とうもころし食べる」
とダイチは言った。パジャマ姿で、柔らかな髪の毛にはふわふわした寝癖がついている。
「違う。とうもろこしだ」
僕は言った。
「とうもころし?」
「とうもろこし」
「とうもこ」
「とうもろこしだ」
「とうもろこし。あはは」
ダイチは笑った。「幼稚園」に行き始めてからか、最近ちょっとしたことでよく笑う。いろんな人に会って、いろんな言葉を学び世界が広がるのがうれしいのだろう。どんどん人間らしくなっていく気がした。
「とうもころし食べる」
「とうもろこしな」
「とうもろこし食べる。朝ご飯。あはは」
僕はキッチンに入り、トウモロコシのアイコンをクリック。ダイチにトウモロコシをやった。時計を見ると、もう仕事に行く時間だ。僕はトウモロコシをほうばるダイチの顔を名残惜しく眺めながら、ウィンドウを閉じた。
ダイチは僕の息子だ。二次元だけど、ちゃんと僕の遺伝子を受け継いだ、僕の息子だ。
始まりはただのオナニーだった。USBオナホは当初は、ただオナニーを盛り上げる道具、臨場感を出して一人のやるせなさを紛らすための道具に過ぎなかった。それから数年たってオナホに精液感知機能がついた時だって、目的は変わったが、まだ、ただのゲーム、オナニーの延長だった。
美少女を妊娠させちゃおう。感知された精液の量や質、勢い、想定される二次元美少女の月周期、体温などの要素の集計による妊娠確率。それをうまくコントロールして、いかに二次元美少女を妊娠させるか、という背徳的ではあるが他愛のないゲームだった。
それから、誰が望んだのだろう、精子の染色体に含まれるDNAを解析する機能ができたのが四年前。二次元美少女の容姿、属性などによって想定される遺伝子から確率的に導き出された卵子の染色体、また、プレイヤーの精液の中からシミュレーションによって配偶子に選ばれた精子の染色体、それらのDNAの組み合わせによって子のDNA配列が決まり、結果、生まれてくる子供の性格や容姿も決まる。
もちろん、プレイヤーのDNAから受け継がれる容姿は二次元に落としこまれ、プレイヤーの面影を残しながらも二次元のキャラクターとして違和感がないようになっている。
うまい具合に受精が起こったあの夜のオナニーから、現実時間にしてわずか一週間での出産、そして今、僕たちの子供は三歳になり、幼稚園に通い始めた。成長するにつれ、僕の面影が濃くなってゆき、二次元ながら確実に僕の子供だという実感も強くなる。
これはゲーム。ただのシミュレーションにすぎない。しかし、多くの「親」がもうそんなことは忘れてしまっている。
ゲーム内の時間はコントロールできるが、そうすると他の「親」との兼ね合いが取れなくなるので、「幼稚園」にいれてからは時間は現実時間に合わせて流れるようにしていた。僕がパソコンの前を離れている間は、母親であるナツキがダイチの世話をしているはずだ。
仕事から帰り、パソコンを開くとダイチはナツキと夕食を食べていた。
「おかえりなさい、あなた」
ナツキはいそいそと僕の分を用意する。
「おかえりー」
ダイチはお気に入りの椅子に座ってご機嫌だ。最近幼稚園で習ったのだろうか、童謡のリズムに合わせて食器をガチャガチャ言わせる。
「きょうはー、メイちゃんとあそびましたー」
僕が席に着くと、ダイチはうれしそうに言った。
「そうかあ、なにをして遊んだんだ?」
「おじゃまたくしつかまえたー」
「オタマジャクシだろ?」
「おじゃまたくしー。あはは」
「オタマジャクシ」
「おたまじゃくし」
それから何度か繰り返して、ダイチはようやく正しく、オタマジャクシと言えるようになる。
ヘブの法則に基づく人工ニューロンの関連付け。ダイチに備わった学習機能は人間の脳のそれとほとんど変わらない。僕が教えていないことをダイチが学んでこれるのも、幼稚園で他の「子ども」から受ける刺激により新たなニューラルネットワークが構築されるからだ。
「幼稚園」がネット上に設けられるようになったのは今から一年前。ゲーム内の時間をいじって早く幼稚園入園年齢に達した「子ども」たちの親が、ネット上にそれぞれの子どもの交流の場を作ったのだ。そして、それ以来「子ども」はゲームの中のキャラクターから「人間」となり、「プレイヤー」たちは「親」になった。
子どもは日々成長する。その成長は「幼稚園」以来、他のプレイヤーの遺伝子を持った他の「子ども」という不確定要素によって予測不能になった。そして、多くのプレイヤーがリセット可能でお金のかからない子育ての虜になった。もちろん、リセットする「親」は今のところほとんどいない。
「でも、メイちゃんはおじゃまたくし、って言ってた。おじゃまたくしだって」
ダイチは不思議そうに言った。
「とうもころしもメイちゃん?」
「うん」
とダイチは言った。僕は思わず微笑んだ。
ゲーム内のコミュニケーションは基本的に文字によって行われる。子どもは僕の言葉を文字として受け取り、文字として返す。だから音によるコミュニケーションと違って子ども特有の言い間違えや舌足らずなしゃべり方と言うものがない。
きっと、メイちゃんの「親」にはそれが物足りなかったのだろう。だから、わざと、子供らしい間違った日本語を教えるのだ。メイちゃんの「親」もこれをゲームだとは思っていない。ゲーム以上の何かを求めている。
「メイちゃんはね。ダイチのことすきなんだって」
ダイチはうれしそうに言った。
「へえ、ダイチモテモテだなあ。うらやましい」
「モテモテ?」
ダイチは言葉の意味を知ってか知らずか、えっへと笑った。
「ダイチもメイちゃん好き!」
「そっか。じゃあ、両想いじゃん。よかったなあ」
うん! とダイチはうなずいた。どうやら三歳にして「両想い」という言葉は知っているらしい。僕は息子たちの未来を思った。ひょっとして、ダイチとメイちゃんが結婚したりしたら、僕にとっての孫ができるんだろうか。場所を与えるプロセッサとメモリの問題さえクリアすれば、それもありえる。孫ができるとしたら十年以上先のことだから、そのころにはひょっとしたら。
もしそうなったら、その孫は、僕の遺伝子を四分の一、持っている。もちろん、相手の「親」の遺伝子も。
「幼稚園」に通っている「子ども」は皆、現実と虚構のハーフだ。もし、彼らが子どもをつくり、「幼稚園」のような社会が存在し続けるなら、本来別世界であるべき二つの遺伝子はどんどん混ざり合い、現実でも虚構でもない世界を作って行くだろう。
すると、これはやはりゲーム以上の物なのだ。
「最近の子はませてるな」僕はナツキに言った。「成長が早い」
ナツキは笑った。
「きっとすぐ私たちの手の届かないところに行っちゃうわね」
その通りだ。ダイチたちはすぐに別の世界にいく。僕の世界とも、ナツキの世界とも違う、新しい世界へ。四年前と変わらぬナツキの笑顔を見ると、世界の隔たりが思ったよりも、大きいことが感じられて、やるせなくなった。
「おっじゃまたくしー」
ダイチは僕が聞いたこともないような変な歌を歌いながら、食器をたたいた。世界と世界をつなぐオタマジャクシが、全速力で駆けて行くのを見た気がして、僕は思わずエールを送った。