6話 ハニートラップにはご注意を
『どう教育してやろうか』と八つ当たり気味に屋敷に帰ったところで、ソフィーが今日から二日間お休みを取って実家に戻っていることを思い出した。
兄同士が乳兄弟という事もあり、幼少期からソフィーのことは知っているが、彼女の趣味や交友関係は、全くといっていいほど知らない。
侍女として優秀な彼女は、聞かれた事にはしっかりと答えてくれるが、自分からは多くのことを語ろうとはしない。
幼馴染としては少し寂しいが、私を主人として支えてくれる彼女の存在は大きい。
『報告、連絡、相談というステップを踏んでもらえるように再教育が必要だ』と今後の方針を決め、『とりあえず、癒されよう』とお兄様の元に向かった。
お兄様の本日の予定を思い出し、この時間は、休憩されているはずだと、部屋をノックする。
「お兄様、お暇でしたら、チェスをしませんか?」
「いいよ~」
気が抜けるようなお兄様の返事に、久しぶりに会える喜びをかみしめる。
ロバートとの婚約破棄からずっと忙しかったため、なかなか時間をとることができなかったのだ。
「ハンディはいる?」
「いりませんわ」
いつものやり取りから始まったゲームは、いつものようにお兄様の「チェックメイト」という言葉で終わった。
今まで何度もチェスで対戦したが、一度もお兄様に勝てた試しがない。
「ターシャは弱いのにチェスが好きだね~」というお兄様の言葉が、心に突き刺さってくる。
「私が弱いのではなく、お兄様が強すぎるのです!
今まで先生方と、何度も対戦しましたが、負けたことはございませんでした。
それなのに、なぜ、こんなにもあっさりと負けてしまうのか」
「ターシャはわかりやすいからね~。戦略も戦術も僕には通用しないよ~」
「私をわかりやすいと言うのは、お兄様だけですわ」
「そうかなあ?わかりやすいと思うけど?」と首をかしげるお兄様に、少し鼻血を吹き出しそうになっていると、お兄様の右手が私の頬をつまんだ。
さらに、つまんだ指に力を加え、引っ張っている。
「はにをなはっていますの?」(何をなさっていますの?)
「今日のターシャは顔に出ていたから、特にわかりやすかったよ~。僕に聞きたいことがあるのだろう?」
つまんだ頬を離し、目線で『言ってごらん』と促される。
こんな時はいつも『お兄様には絶対に敵わない』と痛感する。
「私の婚約相手について、聞きに来ました」
私の言葉に、お兄様は意外そうな顔をする。
「父上から聞いてないのかい?」
「お父様は「気に入った男がいたら言いなさい」とだけ・・・」
「父上はターシャに甘いからね~」
お兄様の言葉に、『お父様が、一番甘やしているのはお兄様ですから』というツッコミは心の中だけにとどめておく。
「ターシャの婚約者候補は、今二人あがっているの。誰かわかる?」
「一人は第一王子のニコラス様ですわね」
答える私に、「正解。正解」と頭をなでる。
今日のオリビア様の反応からして、かなりの有力候補にあがっているはずだ。
お兄様は、私に頭の整理をさせるようにひとつひとつ聞いてくる。
「でも、候補のまま進まない。それはなぜ?」
「ニコラス王子には、クラーク公爵家のマリー様、バーンズ公爵家のオリビア様という二人の婚約者候補者がいるためです」
「そうだね。でもどちらの公爵家とも現在婚約していない。どちらと婚約しても、この国の力関係が崩れてしまうからね」
この国には、王家の下に、大きな3つの派閥がある。
東のクラーク公爵家、西のバーンズ公爵家、中央のコンラッド公爵家である。
コンラッド公爵家は、代々宰相の家系であり、現当主は、王妃様の兄でもあるため、王家とのつながりが強い。
しかし、クラーク公爵家とバーンズ公爵家は仲が悪く、王家も扱いに困っている状態だ。
この均衡を崩さないよう、王家は婚約者を決めることができない。
そんな中、コンラッド公爵派であるフォーガス伯爵家の令嬢アナスタシアが婚約破棄をした。
「王家としては、「鴨がネギをしょってきた」というところだね」とお兄様は続ける。
「今は、ふたつの公爵家が難色を示して抵抗しているけど、近いうちに王家が強硬手段を取りそうだね~。気を付けてターシャ」
さらりと恐ろしいことを言うお兄様に言葉を失う。
「もう一人の婚約者候補は誰だかわかる?」
少し考え、この人しかいないと気づく。
「マリー様の兄であるレオナルド様ですか?」
「せ~か~い。レオナルド・クラークは、まだ婚約者がいないからね。
候補としては、色々出てきたらしいけど、全部話が無くなっているんだよ。
クラーク公爵家としては、王子の婚約を阻止したうえ、最近頭角を現してきたフォーガス伯爵家ともつながりができるから一石二鳥というところだね」
ニコラス王子とレオナルド様、どちらにしても、政治的意味合いの強いこの婚約は、私の意思で選ぶことはできない。
父が言っていた、「気に入った男がいたら言いなさい」という意味がわからないと首をかしげる。
「誰にするかは、ターシャの気持ちしだいだよ」
「私の気持ち・・・」
父と同じようなことを言うお兄様に困惑する。
「私は、少しでも伯爵家の利益になる婚姻をしたいと思います。
それは、お嫁に行く私が伯爵家にできる唯一のことですから」
言い切ってから顔をあげると、お兄様の手が目の前まで来ていた。
バチン。おでこに感じる鋭い痛みに、悶える。デコピンなんて幼い頃いらいだ。
「痛いですわ。お兄様」
「おバカなターシャに鉄拳制裁だよ」
意味が分からず、目を白黒させていると、「自分で考えなさい」とニコニコと笑顔で返された。
「僕としては、どっちもヘタレだから。嫌なんだけどね~。小さい頃は、ふたりともよく泣かせたな~」
「お兄様が、おふたりを泣かせましたの?逆ではなく?」
「爵位とかよくわからなかったしね~。
大人たちも、すぐにヒーローが現れるから、それを楽しいでいたんだよ」
ヒーローという言葉に、オリビアの姉ジュリアを思い出す。
彼女は、誰もが認めるヒーローである。
公爵家の令嬢でありながら、13歳の時、身分を隠して王立騎士団の入団試験に挑戦し合格。
昨年、王家主催の武道大会でみごとな剣技をみせ優勝。
身分が明らかになり、近衛隊に誘われるも、「いずれ公爵家を継ぐ身だから」とこれを辞退。
彼女の剣技はまるで舞のように美しいと言われ、その髪色と合わせて、『紅の舞姫』と呼ばれている。
この国で知らない人はいないほど、有名な話である。
「お兄様、ジュリア様と面識がありましたの?」
「僕というより、ニコラスとレオナルドがね。泣いていると、「情けない」とよく怒られていたよ」
あはははと笑う兄に、「泣かせたのはお兄様ですけどね」とつっこんでみるも、スルーされた。
「他に聞きたいことはないの?」
お兄様の言葉に少し考え、自分の噂のことを聞いてみる。
「私が最近なんと呼ばれているか、知っております?」
私の問いに「知っているよ~」と気軽に返してくる。
「知っていたら教えてくださいよ!」と言うも、あはははと笑って流されてしまう。
「ターシャは話題の人だからね~。詳しくはソフィーに聞いた方が良いよ。彼女のところには色々な情報が入っていると思うから」
「なぜソフィーのところに?」という私に、お兄様はニコニコとした笑顔で返す。
『自分で確認しろ』という事だろう。
「じゃあ、頑張っているターシャにご褒美をあげよう」
と明らかに話題を変えるお兄様に、「ご褒美ですの!」と喜んでしまうから、「わかりやすい」と言われてしまうのだろう。
「何が欲しい?」という言葉に「お兄様の頭をなでさせてくださいませ!」と力いっぱい即答する。
いつものように「いいよ~」と差し出された頭をなでながら、ふわふわな髪の毛の感触を堪能する。
色々と聞きたいところはあったが、お兄様の髪を触っていると、『他のことは、小さなことだ』という気分になってしまうから不思議だ。
「ハニートラップには気を付けてね~」
という本気なのか、冗談なのかわからないお兄様の言葉を聞き流した。
ありがとうございました。