2話 お父様ショックを受ける
私は、漏れてしまった溜息を大きな深呼吸に変えて、書斎の扉をノックした。
「お父様、アナスタシアが参りました」
「ああ、アナスタシア来たか、入ってくれ」
お互い、いつもより声が固いのは、伯爵家の未来がどうなってしまうのか不安なためであろうか。
部屋に入ると、書類が散乱した机で、お父様が頭を抱えていた。
ああお父様、一晩でこんなに老け込んでしまって。
跡取り息子の家出というショッキングな事件に、昨日は魂が抜けたように呆けていた。
しかし、呆けていても伯爵家の仕事は終わってくれない。
今日は、昨日の分を取り戻すように、朝から書類整理に勤しんでいたのだろう。
さすがお父様!と思ったが、きっとこれは違う。現実逃避ですねお父様。
心中お察ししますと他人事のように心の中でつぶやいた。
「アナスタシア、知っていると思うが、ステファンが昨日家をでた」
はい、知っていますお父様。そのおかげで私の髪の毛のキューティクルが一部死滅しました。
「冒険者になってドラゴンに会いに行くそうだ」
はい、聞きましたお父様。魔法も使えるそうです。
虫よけスプレー作ったみたいです。ひとつ置いていけコノヤロー。
「父さんは意味がわからないよ」
はい、私も意味がわかりませんお父様。きらきらした瞳は大変可愛らしかったですが。
「私が甘やかし過ぎてしまったのがいけなかったのか」と頭を抱えるお父様に、確かにと思いながらも、自分も相当甘やかしていた自覚がある。
「甘やかしてしまうのは、お兄様が可愛すぎるからです」とお兄様のせいにすると、父も納得したように、うん。うん。とうなずいている。
「ステファンは昔から可愛かった、そして、自分の可愛さをよくわかっている子だったよ。あの子を甘やかさない大人はいなかった。厳しくて有名な教師陣でさえ」
お兄様は大層勉強が嫌いだったそうだ。
嫌なことはやりたくないと教師陣をその可愛さで誑かし、部屋を抜け出しては外に遊びに行っていた。
見かねたお父様が、伯爵家を継ぐためには勉強をしっかりしなくてはいけないとお兄様に諭すと、お兄様は一つの条件を出した。
それは、妹である私と一緒に同じ勉強をするということだ。
お父様が、淑女教育も始まっていない当時5歳の私にはまだ理解ができないだろうと言っても、「ターシャは頭が良いから大丈夫」と了解しなかった。
代わりに、乳兄弟であるソフィーの兄の名前をだしても、「ターシャがいい」と首を縦に振らなかった。
結局、父が折れ、私は兄と共に帝王学や領地の運営について勉強を始めた。
父や多くの大人達の予想に反し、私は多くのことを吸収し、その才能を伸ばしていき、勉強を始めて一年後には、教師陣と激論を交わすようになった。
周囲の子供はお兄様にかまってほしかったのか、妹に負けるなんてとからかったが、その話を聞いたお兄様は怒るどころか「僕の妹はすごいでしょ」と嬉しそうに言っていた。
お兄様の器の大きさに感動し、とりあえず言った子どもは全力で泣かしておいた。
小さいころの可愛らしいお兄様を思い出していると、父が大きく溜息をつき、「あの子は伯爵になるのがずっと嫌だったのだろうか」と自答するように呟いた。
「そんなことはありません!」思いのほか出てしまった大きな声に自分で驚き、これだけは伝えなくてはと続けた。
「お兄様は確かに、お勉強はあまり好きではありませんでした。しかし、お父様の仕事や伯爵領の皆様を誇りに思っておりました。それは、一緒に学んでいた私が一番わかっております」
「ではなぜ・・・」
「それは、私にもわかりません。しかし、お兄様なりに考えてのことだったのは確かだと思います」
一度は確かに戸惑い、疑ったが、お兄様が理由も無く、私たち家族や伯爵領を捨ててしまうなんてことはありえない。根拠はないが、私はそう信じている。
「わかった。アナスタシアがそこまで言うなら信じよう」
父は少し安心したのかホッとしたよう呟いた後、表情を改め、フォーガス伯爵の顔になって続けた「しかし、伯爵家を継がせることはもうできない」
それはわかっていた。例えお兄様が戻ってきたとしても、伯爵を継ぐことはできない。
理由はどうであれ、伯爵家を捨てた身、使用人も領地の人達も一度自分達を捨てた主人を本当の意味で受け入れる事は難しい。
貴族として生きる以上、その責務を背負わなくてはいけない。
貴族として、綺麗なドレスを着て、美味し食べ物を食べる。その対価を払わなくてはならない。
それを無視してしまえば、伯爵家などすぐに機能しなくなるだろう。
それは嫌と言うほどわかっているが、だからといって自分が伯爵家を継ぐことには大きな問題がある。
「アナスタシア、おまえが結婚し、夫と共にフォーガス伯爵を継いで欲しい」
決定的な父の言葉に、もう断ることはできないが、未婚の女性である私では皆が了承しないだろう。
しかし、悪役令嬢と呼ばれるこの私が、はたして結婚できるのだろうかという問題が出てくる。
私は決してモテないというわけではない。その瞳の色から、社交界のアメジストとも呼ばれていた。
少し前までは、父のもとに、多くの婚約者候補が上がってきていた。
いまでは、婚約の申し出も、ゼロではないが、後妻の申し出が数件だろう。
そんな私であるが、婚約者がいなかったわけではない。
ブライアント伯爵家の嫡男ロバート・ブライアンと婚約したのは15歳の年だった。
しかし、そのたった1年後、無残にもその婚約は破棄になってしまったのだ。
彼との婚約破棄が『悪役令嬢』と呼ばれるはじまりだった。
ありがとうございます。
拙い文章ですが、楽しんでいただけたら幸いです。
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