八話目~裏ルール~
俺が目を覚ましたのは、深夜の一時だった。どうもあれから気を失っていたらしく、アスモデウスがベッドに寝かせてくれていたようだ。
どうやら戦闘はあれ以降なかったようだ。まぁ、それならよし。今は体を休めるのが先決だ。
「孝臣?」
ふと、隣のベッドから声がかかり、保健室の電気がついた。俺は上履きに履き替え、カーテンを開ける。アスモデウスは何かの書物を読みながらベッドに横になっていた。
「アスモデウス。悪いな、色々と」
彼女はかけていた眼鏡を置きながら俺の方に視線を寄越してきた。
「何、こちらこそさ。本当に君には……いや、君たちにはすまないと思っている。私たちの身勝手に巻き込んでしまって」
どうもこいつはこのゲーム自体に対する反対派のようだ。別に自分から言ったわけでもないだろうに、ひたすら頭を下げてくる。
「気にするな。それより、お前目ぇ悪かったのか?」
俺が隅に置かれた眼鏡を指さしながら言うと、彼女は首を振った。
「別にそういうわけじゃないさ。私は読書の時は眼鏡をかける癖があるんだ。まぁ、伊達眼鏡、という奴だ」
他人の首肯に関してどうこういう趣味はない。俺はあいまいな頷きを返して、自分のベッドに座り込んだ。
「で? 何を読んでいたんだ?」
「官能小説さ」
予想外の返答だった。
色欲の悪魔だからまぁ、そういうこともあるかとは思っていたが、それは何と言うべきか。いや、でもここで言って変ないざこざが生まれたら……。
などと俺が頭を巡らせていると、アスモデウスはぷっと吹き出した。
「冗談だよ。私が読んでいたのは、人間に関する本さ。幸いここには色んなものがあるからね。ジャンルは限られているけれど」
確かにそうだ。ここには医療関係の本が多数置かれている。それはもしかしたら何かの役に立つこともあるかもしれない。少なくとも応急処置の仕方くらいは知っておくべきだろう。
「ところで、孝臣。君に少しだけ聞きたいことがある」
「何だ?」
「どこかに連絡する術は持っていないのかい? 君のほら、幼馴染に」
言われて俺はスマホを取り出して――渋面を作った。
「ダメだ。充電が切れてる。連絡が取れないな」
「そうか……いや、私もあそこにある電話を使ってみたんだが、どうも有線は全部通話が不可能になっているようだ。だから、無線電話ならあるいは……とも思ったんだがね」
アスモデウスは机の上に置かれている黒電話を指さしている。
となると、やはりこのゲームはかなり複雑だ。
電話がつながるのならば同盟なども組みやすくなるが、それを断たれたとあってはお仕舞だ。直接会って交渉するしかない。当然、それには危険がつきまとう。おそらく電話を使えなくしたのはそういう意図だろう。あくまで闘いあわせること自体が目的か。
俺が舌打ちするのと同時、アスモデウスがふと俺の額に目をやった。
「傷は痛むかい?」
言われて、俺は自分の額に手をやった。が、痛みはない。あれだけ今日出したというのに、微かな痛みすらないとは。俺はアスモデウスの方を見据えた。
「お前が治療してくれたのか?」
「もちろん。けど、一つ不可解なんだ」
「何だよ?」
「傷の治りが早すぎる。君は気絶していたから知らないだろうけど、頭から血が大量に流れていたんだよ? それが今はどうだい。すっかり傷がふさがっている。いや、傷自体がなかったみたいになっているんだ」
まさかと思い、一旦立って鏡を見てみると、確かに傷らしいものはなかった。痣すらもない。おかしい。不可解としか言いようがない現象だった。
俺は生唾を飲みこみつつ、彼女の方に向きなおった。
「もしかして、だぞ。アスモデウス」
「何だい?」
「これも知らされていない裏ルールなんじゃないか?」
彼女は驚愕に目を見開く。だが、俺も同様だ。これが本当なら、一体どういう意図があるというのだろうか?
これまでの戦闘を経て、俺は一度も怪我を負わなかった。だから今俺の身に起こっていることが裏ルールであると断じることはできない。証拠が少なすぎるからだ。もし今までに怪我を負っていれば、その周期を計算して答えを導き出せたかもしれない。
俺は小さく呻きを漏らす。と、その時アスモデウスがハッとしたように立ち上がった。
「孝臣。ひょっとしたら君の推論は正しいかもしれない」
アスモデウスは立ち上がるなり、黒板に向かってチョークを取った。
「まず、だ。このゲームはプレイヤー……つまり人間である君たちが殺し合うことで成立する。これが大前提だ」
「ああ、そこまでは大丈夫だぜ。で? それが何だってんだ」
「私も確証はない。だから、これはあくまでも推論だ。君たち人間がゲーム外で傷つけられた場合のみ、こういったことが起こるのではないだろうか?」
その言葉を受け、俺は机の上にあったカッターナイフに目をやった。そして躊躇なくそれに手を伸ばし、歯を出しながらそっと手の甲に付きつける。
「孝臣」
静かな、けれど確かな口調でアスモデウスが言った。
「言ったはずだ。これは仮説だ、と。だから、もしそれが違った場合、どうなるかはわかるだろう?」
知ってる。だが、だからこそ、やらねばならない。
「悪いな、アスモデウス」
俺は一気に刃を手の甲へと押し込んだ。
刹那、走る痛み。ブチブチと戦意の切れる音。覚えのある何かを貫くような感覚。
俺はそれらの連鎖による吐き気をこらえながらゆっくりと刃を引き抜く。滴り落ちる血は保健室の床に赤い点を残した。
「すぐに止血をしなければ……ッ!」
「待て、アスモデウス」
俺はアスモデウスを制してから、自分の手に視線を移す。
――それから数分後だった。異変が起きたのは。
俺の手の甲に開いていた穴が、見る見るうちにふさがっていったのだ。ぐじゅぐじゅと肉が呻き、再生していく。その様に俺とアスモデウスは目を見張るばかりだった。
やがて一分もすると完全に傷はふさがり、痛みもマシになっていた。俺はそこで彼女へと視線を移す。
「なぁ、やっぱりこれが裏ルールじゃないのか?」
「……可能性としてはあり得るね。しかし、何故だ? 何故こんなことを?」
アスモデウスは首を捻っていたが、俺には確信があった。
「たぶん、自殺を防ぐためだと思う」
俺の答えに、アスモデウスは信じられないといったように目を見開いた。
こんなゲームだ。人を殺したくなくて、でも自分も死にたくないという奴だっている。俺だってそうだ。ただ、目的を持っているだけで。
ならば、その目的がない奴は?
おそらくこのゲームからの離脱――つまり死を望むだろう。
これは、そういうことなのではないか?
まだ断言はできない。ゲーム中の自傷行為も再生の対象になるのか、それともならないのかを見極めなければならない。
もしくは、ゲーム参加者は誰かによって殺されることでしか、死ねないのではないか?
最悪な想像が頭の中を駆け廻る。と、その時アスモデウスがぼそりと呟いた。
「自殺を防ぐため……か。なるほど。それは盲点だった」
やはりこいつにも知らされていなかったようだ。
だんだんわかってきた。このゲームは、ある種のブラックボックスだ。
仕掛け人である悪魔たちでさえ、そのルールを把握できていない可能性がある。つまり、情報を早く得て、それを生かした者が勝ちやすくなるということだ。
偶然とはいえ、俺たちはその裏ルールをいくつか見つけることができた。これは大きなアドバンテージだ。
「ところで、孝臣。これはルシファーたちに伝えるのかい? いや、これだけじゃない。裏ルールの存在を」
「ああ、話すさ」
「……正気かい?」
「当然だろ。後で事実を隠していたことがばれたら、それこそ同盟が破棄される可能性がある。情報の開示、それこそが同盟を保つ秘訣だ」
アスモデウスは難しそうに呻いていたが、やがて諦めたように背伸びをした。
「まぁ私は君の指示に従うよ。それにしても、ずいぶん逞しくなったね」
「そりゃあな。もう、俺は後戻りできないところまで来ちまったんだ。だから、勝ち残るしかないんだよ。そのためには何だってしてやる」
俺は過程はどうあれ無蓋さんを、一人の人間を殺した。
その罪は一生消えない。例えこれが夢だったとしても、ずっと俺の心にとどまり続けるだろう。
今の俺にできるのは、その罪に向き合い戦うことだけだ。
その心情を読み取ってくれたのか、アスモデウスはふっと笑みを作った。
「わかった。ならば、私も全力を尽くそう。君のためならば何でもしようじゃないか」
「ありがとうな、アスモデウス」
「アスモ、だよ」
首を傾げる俺に向かって、彼女は今までに見たことがないくらい可愛らしい笑みを向けてきた。
「私のことはアスモと呼んでくれ。その方が馴染みがあるからね」
こいつは、こんな顔をするのか。
今まではずっと理知的な顔を見せていたけど、今はとても子供っぽい、可愛らしい笑みを浮かべている。
なるほど。伊達に色欲の悪魔じゃないってわけか。
俺は一人苦笑しながら、告げる。
「じゃあ、アスモ。また一つ頼みがある」
「何だい?」
「腹減ったんだ。何か食わせてくれ」
だってそうだろう? 半日以上眠っていたのだから。
それを聞いたアスモは若干ずっこけながらも笑みを向けてくれるのだった。




