四話目~二日目~
俺の目を覚ましたのは目覚ましの音でも綺麗な小鳥のさえずりでもなくカチャカチャという金属が擦れあうような音だった。
起きつつ、俺は自分の胸に手をやって意識を集中させる。すると、次の瞬間には両手に手甲が嵌められていた。
昨日寝る前にわかったのだが、これは俺の意識次第でいつでも出し入れできるものらしい。少なくともずっとつけっぱなしよりはマシだ。
と、そんなことはどうでもいい。問題は、あれが全て夢ではなかったということだ。
この狂気のゲームに参加させられ、誰かが殺された。これは間違いない事実だ。
俺はため息をつきながら起き上り、ベッドの周りに展開されていたカーテンを引く。するとちょうど俺の目の前には何やら朝食を準備しているアスモデウスの姿が映った。
「おはよう。ぐっすり寝ていたみたいだね。もうこんな時間だよ」
言われてみてみると、すでに時刻は午前九時。普通なら遅刻だろうが、もうそんなことはどうでもいい。
俺は椅子に座りつつ、
「なぁ、そう言えば他の生徒たちが来る心配はないのか?」
アスモデウスに問いかけたが、彼女は小さく肩を竦めた。
「その心配はご無用さ。ここは確かに君たちの学校だが、張られている結界が時間を操作している。この世界の一日は向こうの世界の一分程度だ。だから、何の心配もないよ」
「ああ、そうかよ。全く、変なところは用意周到だな」
悪態をつきつつ出されていたトーストにかじりつく。特に変わったところはない。普通のトーストだ。だが、それがいい。普通をこれほどまでありがたいと思ったことはなかった。
アスモデウスはコーヒーをすすりつつ、俺の方に鋭い視線を寄越してきた。
「それで、今日はどうするつもりなんだい?」
「とりあえず状況確認だ。他の奴らの動向も気になるしな」
というよりも、俺が気がかりなのは紫の安否だ。消去法で言えば彼女は嫉妬のチームに属していたのだろうが、まだ確証はない。つまり、生きている可能性は毛ほどの先くらいはあるということである。
アスモデウスはしばし唸ったところで、ゆっくりと頷いた。
「そうだね。危険を承知で探索した方がいい。ただ、教室には安易に足を踏み入れない方がいいかもね」
きっとアスモデウスは無蓋さんたちのことを言っているのだろう。
ああいうふうに自分の得意なフィールドに持ち込まれたらそれこそアウトだ。昨日は不意をつけたが次もこうとは限らない。せいぜい外から覗くぐらいに留めていた方が吉だろう。
と、そこでアスモデウスは思い出したように手を打ちあわせた。
「そうだ……孝臣。私に名案がある」
「何だ?」
「誰かを味方につけるのはどうだい?」
何を言うかと思えば……馬鹿らしい。
「お前、学習しなかったのか? 昨日あんな目にあっただろうが」
彼女は神妙な顔つきで頷く。その表情は真剣そのものだった。単なる思い付きで言ったわけではなく何かしらの考えを持っているということが伺える。
彼女はコーヒーのカップを押しつつ、ピッと人差し指を立ててきた。
「確かに昨日は危なかった。でも、今日の私たちには一つだけ、他のチームに対するアドバンテージがある」
「何だ?」
「マモン――強欲のチームの能力や本拠地を知っているということだよ」
「――ッ!」
アスモデウスは会心の笑みを浮かべながらなおも言葉をつづけた。
「このゲームにおいて情報は大きな武器だ。知っているのと知らないとではまるで違うからね。だからこそ、私たちはこの情報を武器に戦う」
「……具体的に言うと?」
「簡単さ。この情報を売って、誰かと手を組みマモンを叩く。ただし、不要に情報をばら撒くことはしない。一チームだけ。手を組むとしたら一チームだけだ。それ以上はリスクが大きすぎる」
こいつの言うこともわかる。だが、
「その一チームはどうやって判断するんだ?」
それはこの作戦において最も鍵となる部分だろう。
信用ならない奴らに情報だけをむしり取られるのは鼻持ちならない。第一、昨日の無蓋さんたちがいい例だ。
不用意に信じすぎたばかりに痛い目を見た。あんなことはもう二度とごめんである。
俺はじっと彼女の方を見つめていたが、そこでふと気づく。彼女が意味ありげに唇を半月に歪めているのを。
「孝臣。私たち悪魔は千年単位で共に過ごしてきた仲間だ。だが、だからといって、全員と仲がいいわけじゃない。当然マモンを嫌っている奴もいる」
「それは……?」
「傲慢を司る悪魔、ルシファーさ。彼はプライドが高くてね。強欲で身勝手なマモンに腹を立てることがしばしばだ。ついこの間も自分の狙っていた宝石を先に買われたと……」
「おい。話がずれてるぞ」
アスモデウスは色欲を司るという割には以外にちゃんとしている。けど、気まぐれなのがたまに傷だ。放っておいたら聞いていないことまでべらべら話しそうだ。
アスモデウスは少しだけ恥ずかしそうにしながら咳払いを一つし、俺の目をキッと見据えた。
「要するにだ。ルシファーは是が非でもマモンが生き残ってほしくないんだ。マモンのことだ。勝ったならその時はデカい顔をするだろうからね。そうさせないためにも、ルシファーはマモンを叩きたいはずだ。そこで、私たちが共闘を持ちかける」
ニィッとアスモデウスの唇が悪魔的に不気味な歪みを見せた。
「ルシファーは嫌いな奴を倒せる。そして私たちは厄介な敵を一人消せる。中々いいだろう?」
「……大体わかった。だが、一つ問題があるぞ。仮にマモンを倒したとして、ルシファーはどうなる?」
「その点も心配ご無用さ。ハッキリ言おう。ルシファーは上手くいけばずっと利用できる。彼はプライドが高いが、それを逆手に取るんだ。つまりは、私たちが彼に隷属する形を見せる振りをする。すると彼は自分が優位に立ったという満足感から私たちの本心を見透かせず……」
と、そこでアスモデウスはテーブルの端にあった角砂糖を一つつまみ、
「最終的に、私たちに倒される」
「……そう上手くいくのか?」
「こう見えても私は色欲を司る悪魔だよ? 色欲とは人を惑わせる。言葉巧みに心を操り、徹底的に役になりきって自分を殺し、最後には対象を狂わせる。それを最も体現している悪魔こそが私――アスモデウスだ。大船に乗ったつもりで構えていたまえ」
確かに、こいつの話術は大したものだ。言うだけはある。実際観察眼もあるし、上手くいけばこいつの計画通りことを進めることも容易いだろう。
しかし……。
『静粛に』
「――ッ!?」
また質問を投げかけようとしたところで、例のアナウンスが入った。俺たちは互いに頷き合い、その放送に耳を傾ける。
『これより戦闘を開始する。制限時間は三時間。さぁ……殺し合え!』
三時間か……なるほど、今回は長丁場になりそうだ。
それはアスモデウスも感じ取れたらしく、表情を強張らせていた。が、次の瞬間には口の端をニッと吊り上げてみせる。
「行こう、孝臣。まずはルシファーたちの探索だ」
「ああ、そうだな。で? 当てはあるのか?」
先ほど聞きそびれた問いを投げかけるとアスモデウスはふっと鼻を鳴らし、
「ないね」
そう、告げるのだった。




