二十七話目~引き継ぎ~
アスモは立ち上がりつつ、じりじりと後退する。
「ベルフェゴール……やはりもっと警戒しておくべきだったよ」
「悪いな。騙して。でも、こうするしか方法がなかったんだよ」
「そうか……孝臣。ルシファーたちに連絡を」
「あ、無駄だよ、それは」
ここなさんが不気味な笑みを浮かべながら、不意に口を開いた。
「ルシファーは今頃、サタンと戦っているだろう」
「なっ!?」
「孝臣君は知っていると思うけど、僕たちはあらかじめ君たちの連絡先を知っていた。そして、昨日の戦闘で確信したのさ。サタンはルシファーに最も執心している。だからこそ、彼らの本拠地を教えてやった。サタンは嬉々として向かっていったよ」
「やってくれたね。本当に」
アスモは舌打ちしながら、両手を振りかぶる。俺もそれに合わせて拳を構えた。
一方で、ベルフェゴールは口の端を歪め、ここなさんはフーセンガムを噛み始める。ふざけたように見えるが、彼らは本気だ。ここなさんはぷくっと頬を膨らませ、それからフーセンガムを吐きだす。ガム風船はぷかぷかと浮かびながらこちらにやってきた。あれに捕まったら、厄介だ。特に、アスモは非力すぎてそれを破れない。
「アスモ! 逃げろ!」
「わかってる!」
アスモはバックステップを取り、それを躱す。ガム風船は近くにあった本たちを包みこみ、それから硬化した。
「まだまだだよ!」
続けざまにガム風船を放つここなさん。この狭い図書室では、逃げる場所も限られてくる。俺たちは近くにあった本を投げつけ、無理矢理硬化させることでしのいでいた。
が、そんな折、不意にベルフェゴールが動く。奴はゆらゆらと動きながら俺たちの方に歩み寄ってくる。
「クソが!」
俺は拳を思い切りベルフェゴールへと放つ。が、奴は難なくそれを躱した。まるで、俺の動きを最初から読んでいたかのように。
「俺の能力は千里眼。言っただろ? 見えるって」
「チッ!」
厄介だ。俺の筋肉の動きを見透かしているのか。だとすれば、納得だ。動きを先読みされているのでは、適わない。
だが、ここで止まってなるものか!
俺は瞬時に右腕を肥大化させ、拳を放つ。だが、その瞬間ここなさんがガム風船を吐きだし、それはベルフェゴールの体を包みこんだ。鋼鉄のような強度を誇っており、少しのひびが入るのみ。安全な中にいるベルフェゴールはにやりと笑みながら、指を鳴らした。
直後、能力が解除され、ガム風船が溶ける。ベルフェゴールはそこから出るや否や、ここなさんの隣に並んだ。
「ナイスアシスト。助かった」
「どういたしまして。それより、早めに方を付けようか」
ここなさんは一気にフーセンガムを頬張ったかと思うと、くちゃくちゃと噛み、それからぷっと吐き出した。それは今までと比べ物にならないほど巨大なガム風船となって、俺たちへと押し寄せる。
俺たちは一瞬身構えたが、そこで予想外のことが起こった。
ベルフェゴールが、その中に本を投げ込んだのである。刹那、硬化するガム風船。驚愕に目を見開く俺をよそに、ベルフェゴールはそちらに寄り、拳を振りかぶった。
「孝臣!」
アスモが俺の体を押し倒す。その直後、俺たちがいた場所を硬化したガム風船が通過した。破砕音とともに、後ろにあった壁までが貫かれる。
ベルフェゴールは困ったように笑いながらこちらを見ていた。
「あ、やっちまった。うぅむ、やっぱり慣れてねえと厳しいな」
「愚痴はいいから、次を頼むよ」
「あいよっと」
次々と硬化していくガム風船が俺たちの前にできていく。その様を見て、アスモは冷や汗を流していた。
「孝臣。肥大化で防げるかい?」
「……微妙なところだな。さっきの威力を見るに、サタンクラスはありそうだ」
おそらく、能力を最大限行使したところで厳しいだろう。打ち返せる自信がない。
息を呑む俺たちをよそに、ここなさんは大きく息を吐いた。
「さて、そろそろ終わりにしようか」
「だと、よ」
ベルフェゴールは近くにあったガム風船を掴む。そうして、俺たちに狙いを定めた。
「孝臣! 頼む!」
「わかってるよ!」
右腕を肥大化させ、盾とする。直後、襲い来るすさまじい衝撃。しかも、一発だけじゃない。二発、三発と続いてくる。
徐々に、腕に力が入らなくなってきた。能力を全開にしているというのに、何という力だ。化け物め。
「孝臣。すまない……」
アスモがらしくもなく肩を落とす。が、彼女はすぐに顔を上げ、ベルフェゴールたちへと駆けだしていった。
「アスモ!」
「ベル!」
「了解!」
ベルフェゴールがアスモへと向き直る。このままでは彼女は……また、あの時のように……いやッ!
ふざけるなッ! あんな思いはもうたくさんだ! 絶対に……止める!
俺は誘引の能力を発動させる。だが、引き寄せるのはアスモではない。ベルフェゴールが持っている、硬化したガム風船だ。
当然のごとく、それはベルフェゴールの力と相まってすさまじい勢いで俺の方へと飛んでくる。だが、俺は眼前で右腕を肥大化させ、盾としている。ガム風船はそれにぶち当たり、甲高い音を響かせた。
しかし、引き寄せたはいいものの、俺も同時に吹き飛ばされ、後ろの壁に激突した。肺の中の空気が全て吐きだされる。腕はあらぬ方向に回っていた。どうやら、俺も無事では済まなかったらしい。
だが、その甲斐はあったようだ。
「孝臣。やったよ」
アスモはここなさんを羽交い絞めにしていた。ベルフェゴールは幻覚をまともに食らったのか、ぼんやりと宙を眺めている。一方で、ここなさんはというと……何故か満足げな顔をしていた。
「おめでとう。孝臣君。よかった……君が勝ってくれて」
「え?」
ここなさんはため息をつきながら、続けた。
「僕たちは、あらかじめ君たちに一回ずつコンタクトを取っていたんだ。というのも、その願いを聞くためだ。残っていたチームの中で、君たちの願いが一番理想的だった」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! どういうことですか!?」
「つまりだ。僕たちはこのゲームを諦めたということだ」
ポカンとする俺に向かって、ここなさんは優しく微笑みかける。
「昨日、わかったんだよ。僕たちでは、どうしても勝ち残れない。だから、誰かに希望を託すことにしたんだ。勝っても、安全なチームにね」
「それが、俺たちだったんですか?」
「そうだよ。ルシファーたちの願いは、支配。この人間界を支配すること。次に、サタン。彼らの望みは、全てを破壊すること。どちらにしても、最悪の結末だ。そう考えた時に、君たちが一番いいと考えたんだ。それに、僕たちもただ死ぬのではない。君が僕の能力を引き継いでくれるのだから」
ここなさんは言って、そっと目を閉じた。
「さぁ、早く殺してくれ。君たちに殺されるのなら、本望だ」
「……いいんですか?」
「もちろん。ただ、もし君たちが僕たちに負けるようなら、そこまでと考えていた節もあったことを告白しよう。しかし君たちは勝利した。だからだ。頼む」
「ここなさん、俺は最後まであなたのことがわかりませんでしたよ」
「そうだろうね。けど、これだけはわかってくれ。僕たちは君に願いを託す。これだけは、本当だということを。さぁ、早く。できるだけ痛くしないでくれ」
俺はふらつく足取りで、ここなさんの元へと向かう。
こんなのは、俺も嫌だ。けれど、確かにここなさんの言う通り、残りの二人が生き残ってしまった場合、最悪の結末が訪れる気がする。それだけは、避けなければならない。
俺はここなさんの心臓部分に、左腕を当てた。後は、ここから伸びる爪で心臓を付けばそれで終わりである。俺は再び、ここなさんの方を見やる。やはり、依然として穏やかな目をしてこちらを見ていた。
「早く、やってくれ。それと、あまり胸には触らないでくれ」
「え?」
「気づいていなかったかもしれないけど、僕は女だ」
「そう、でしたか」
「じゃあね、孝臣君。頼んだよ」
俺は頷き、躊躇なく彼女の心臓を貫いた。嫌な感覚が腕を通して伝わってくる。
ここなさんは最後まで微笑んだまま、逝った。
俺の胸中には、嫌な感情が残っている。こんなに胸糞悪い思いをするなんて、思ってもいなかった。
「孝臣……」
消えゆくここなさんの肢体を抱きしめながら、アスモはこちらに視線を寄越してくる。憐れんでいるような、そんな目だった。
俺は小さくため息をつく。
嗚呼、やはり勝たなければならない。何が何でも、どんな手を使っても。
そうでなければ、彼女の思いは無駄になってしまうのだから――。




