十三話目~共闘~
翌朝、俺とアスモは二人して調理室へと向かっていた。その際妙にアスモデウスが余裕の表情を浮かべていたのが気になる。
――調理室は一階の渡り廊下を通ったところにある。渡り廊下を通ると必然的に外から丸見えになってしまうのだが、それは問題ない。屋上から何かあった時の場合に備えてルシファーが監視を行ってくれている。
と、やがて別棟にある調理室が見えてきた。そこで、アスモが口を開く。
「さて、孝臣。気を付けたまえ。ベルゼブブは基本温厚な奴だが、本気を出されるとマズイ。最悪、押し負ける」
「わかった。でも、どうするつもりだ? 俺たちだけで勝てるのか?」
「別に勝たなくてもいいさ。私たちの役割は偵察。彼らの能力を暴き、それをルシファーたちに伝える。そして、最終的に二人でたたく……というわけさ」
なるほど。確かに俺たちの能力ならばすぐに離脱は可能だ。とすれば、これからの戦いに向けて作戦を練ることも可能だろう。
俺たちは息を潜めながら窓際により、そっと中に目をやる。するとそこでは――健吾と背の高い大柄の男が二人して食事をとっていた。
基本悪魔たちは自在に食事を出すことができるそうだが、それにしても多い。長机はほとんど料理で埋まり、隙間がまるで見当たらなかった。
健吾は嬉しそうにステーキ肉を頬張っている。その隣では大柄の男がフランスパンを丸かじりし、彼に楽しげに話しかけていた。
「……なぁ、あいつらとなら同盟を組めるんじゃないか?」
見た限り、そこまで好戦的なようには思えなかった。とすれば、もしかしたら仲間になってくれるかもしれない。そう思ったが、アスモは小さく首を振った。
「いいや、ダメだね。彼らは性質で言うとベルフェゴールに近い。誰とも混じろうとは思わないだろうさ」
俺は小さく舌打ちを寄越しながら改めて中を見やる。
その時、中にいた男と目が合ってしまった。
刹那、アスモが立ち上がり、両手を構える。臨戦態勢だ。やる気らしい。
俺もすぐさま手甲を出現させ、拳を作った。けれど、中にいた男は一瞬呆けたような顔になって、しかし次の瞬間にはこちらに歩み寄ってきた。
そこで初めてわかったが、男は別に太っているわけではない。脂肪の下にぎっしりと筋肉が詰まっている。身長は二メートルはあるだろうか? かなりでかく、圧迫感があった。
彼はそんな威圧感のある体型とは裏腹ににこにこと人懐っこい笑みを浮かべながらひょいひょいと手招きをした。
「やぁ、アスモデウス。久しぶり。その子が、君のパートナーかい?」
「穂村孝臣だ……」
「はじめまして。僕はベルゼブブ。よかったら中に入りなよ。ご飯はたくさんあるんだ。みんなで食べた方が美味しいじゃないか」
俺はアスモの方をチラリと見たが、彼女は小さく首を縦に振るだけだ。つまるところ、誘いに乗るということだろう。俺は諦めてため息をつき、窓から中に侵入した。
「あ、孝臣君……だよね? よかったら座りなよ」
健吾は遠くの席を指さした。ちょうどそこには二つの椅子が置かれている。俺はゆっくりと歩み寄り、そちらに腰掛け、それに続いてアスモも座った。
と、そこでベルゼブブも健吾の隣に座り、こちらに向かって口を開いてくる。
「改めて、初めまして。僕は暴食を司る悪魔のベルゼブブさ。で、こっちはパートナーの健吾。よろしくね」
「今さら言うまでもないと思うが、色欲を司る悪魔のアスモデウスだ。そして、彼が私のパートナーである孝臣だ」
アスモは冷静に答えつつ、じっと彼らの方を見つめていた。その様子を見て、ベルゼブブは困ったように肩を竦める。
「安心して。毒も薬も入っていないから。食事にそういうものを混ぜるのは、冒涜だと僕は思っているからね」
「……そうだね。君はそういう奴だった」
そう言いはしたが、アスモは手を付けない。それは緊張しているからかもしれないし、まだこの二人に関して不透明な部分が多いからかもしれなかった。
「さて、そうだねぇ……」
ベルゼブブは近くにあった茹で卵を丸呑みして、こちらをギロリと睨みつけた。
「質問だ。君たちは誰かを殺したかい?」
いきなり核心をついてくる。こいつはおっとりしているように見えるけど、確かにベルフェゴールと同じ匂いを感じる。実は相当できるやつかもしれないな。
「……ああ、殺したよ。強欲を、殺した」
アスモが俺の代わりに答えると、ベルゼブブは少しだけ俯いた。
「なるほどね。じゃあ、嫉妬は?」
「それは、憤怒が殺したらしい。ベルフェゴールから聞いた」
「そうか……君たちは結構活動的なチームなんだね」
それには、どこか皮肉ったような意味合いが含まれていた。ベルゼブブは手元の手羽先を骨ごとバリバリと食いながらため息をつく。
「いや、すまないね。てっきりアスモデウスは中立派かと思っていたから」
「中立派さ。だからこそ、この戦いを終わらせて死んだ生徒たちを生き返らせたいと思っている」
アスモの答えを聞いて、ベルゼブブはクスリと笑った。
「何がおかしいんだい?」
「いや、ね。君はやっぱり変わっている。悪魔というものは、特に僕たちみたいに大罪を司る者たちはそれぞれの欲望に忠実なのに、君はそれがまるでない。どころか、欲という概念自体が希薄だ。ねぇ、アスモデウス」
「……何だい、ベルゼブブ」
「僕はね、自分の欲望に忠実に生きたい。ただ、食べるだけ。それでいい。でも、君は? なぜ色欲を司る君は、そう自分を抑えているんだい?」
「決まっている。欲に身を任せれば、その先に待っているのは破滅だからだよ」
「僕から言わせれば破滅ではなく、未来が待っていると思う。君も欲望に身を委ねてみるといい」
「回りくどい話し口はもうたくさんだ。それに、論点がすり替わっている。君は一体何がしたい?」
と、そこでベルゼブブはニッと口角を吊り上げ、健吾の方を見つめた。
「ねぇ、健吾」
「ああ、ベルゼブブ。わかっているよ」
刹那、健吾は立ち上がりポケットからスマホを取り出した。彼はそれをプラプラと宙で振り子のように弄びつつ、
「孝臣君。それと、アスモデウス。何でさっきベルゼブブがあんな風に喋っていたか教えてあげる」
その言葉の直後、俺のスマホがポケットの中で振動し始めた。その通話先は――寧々さん。俺はすぐにスマホを起動させた。
「寧々さん!」
『何をしているんですの! こっちに……こっちに!』
「寧々さん落ち着いてください! 何があったんですか!」
『サタンが!』
直後、音声が途切れた。俺は何度も呼びかけたが、応答はない。
俺はキッと健吾の方を睨みつけた。
「お前……」
「悪く思わないでよ。これも生き残るためだったんだ」
「そうそう。僕たちも仕方なくね。サタンに殺されかけた時はひやりとしたけど、交渉して何とか助けてもらえたんだ」
「交渉だと……?」
ベルゼブブはにやりと笑みながら首を縦に振った。
「そう。僕たちはあのサタンを敗北一歩寸前まで追い込んだ。けど、同様に僕たちも怪我を負って死にかけていたんだ。その時、こう言った――『最後まで生かしてくれていれば、今よりずっと強くなって君を倒す。だから、見逃してくれ。痩せ細った豚を食うよりも、肥え太った豚の方が食べごたえがあるだろう?』ってね」
そこで健吾は哄笑を上げた。
「さぁ、ベルゼブブ! 今が好機だよ! 逃がすものか!」
「わかってるって。さ、始めようか」
ベルゼブブが指を鳴らした直後、テーブルの上にあった食材が全て彼の口内に吸い込まれていった。ベルゼブブは大きなげっぷを漏らしつつ、自分の腹をさする。
「う~ん……いい感じだ。話すって意外にカロリーを使うんだね。さっき無駄話した甲斐があったということかな?」
「ベルゼブブ。今していることこそが無駄話だよ」
そう言う健吾の右手には巨大な槌が出現していた。彼はそれを振りかぶったかと思うと、ひょいっとベルゼブブへと渡す。
まさか……!
俺の心情を読み取ったかのように、健吾が笑んだ。
「そう。誰も武器は人間しか使っちゃいけないなんて言っていないからね。ベルゼブブの方がよほどうまく扱える。だから、任せるよ」
「了解」
ベルゼブブが槌を片手で振りかぶり、振り下ろす。直後――大きな打撃音とともに、地面が割れた。




