第六話 あれが…普通なんだろうか
眠気が来ない。もう三時を優にまわっているというのに。
俺は、古本屋にて安価で買ったありふれた中古本を片手に、眉間を押さえる。表紙には、黒髪ロングの凛とした表情の女子高生が、公園のベンチに座って何ともアンニュイな様子で風に吹かれている絵が描かれている。主人公の女子高生の片想いの恋愛事情を描いた典型的な少女漫画のような展開で、正直読んでいて欠伸が出る程につまらない。退屈と疲労を同時に感じて寝てしまいたいという思いに駆られるが、目を閉じても眠気が来ない以上気持ちよく床につく事は出来ないというジレンマ。ああ、睡眠薬が欲しい。
俺はもう快眠を得るのを諦め、夜の町を散歩することにした。勿論、夜に無断でプチ家出という所業を行ったと両親に知られようものなら、多大なる叱責のお言葉により精神的な俺の寿命が縮まる羽目になるのでひっそりと。
そそくさとクローゼットを開き、適当に羽織るものを取る。少し夏めいてきた今日ではあるが、やはりまだ宵は涼しいというには肌寒かったのだ。
「…名目のない散歩というのも少々憚られるものがあるか」
ふとそんなことに思い当たり、俺はコンビニにでも行って何か適当にお菓子の一つくらい買って帰ろう、と無理矢理散歩のゴールを定め、なけなしの金が小銭入れの中で「使って、使って」と犇めく財布をポケットに突っ込む。そして、玄関のドアの音という鬼門に細心の注意を払いながら、薄暗い町へ踏み出した。
頗る付きで田舎であるこの町に舞い降りた静寂をまるで嘲笑うかの如く悠然と夜風が吹き抜けていく。電柱に設置された切れかけの防犯灯が時に光って夜の世界を照らし、時に消えてまた幽々たる世界へ押し戻す。俺は不気味さを感じずには居られなかったが、これも夜の町の醍醐味か、と一人町を流離い歩く。
こんな靉靆とした風景に溶け込んでいると、あの時を思い出す。まだ四人いた頃を。
「―――裕也、そっちは楽しいか?」
そんな、大量の捻れと卑屈を込めた小さく低い声は、当然のように夜の町に吸い込まれ、消えていく。
その中を、やはり夜風はこの町ごと俺を嘲笑うかのように吹き抜け、少し伸ばした髪をゆらゆらと弄ぶ。その感覚を鮮明に感じながら、歩を進めていった。
◆◆◆
歩くこと十数分。どこまでも続く暗闇の中に、異彩なる輝きを放つ存在が一つ。
到着だ。
「らっしゃいやせー」
店員の投げやりな声が、俺しか客の居ないコンビニに響き渡る。何となく、アルバイトの人っぽい雰囲気を纏っているような気がするな、と柄にもなくそんなことを思った。
俺はお菓子のコーナーへ足を運ぶと、買う物を選別すべく商品の前で跪くようにして屈む。
まずは、"何が食べたいか"というカテゴリからジャンルを徐々に絞っていく。スナック菓子、チョコレート、飴類やガムにグミ。もう少し範囲を拡大すると氷菓辺りもか。ううむ。
「…まあ最近暑いしな」
考えの内を呟くと案外他のお菓子に目移りしなくなるもので、俺はお菓子のコーナーを離れて冷凍食品のコーナーを彷徨く。そうして氷菓の範囲をくまなく見つめて程なくした後、何となく食べたいものが決まった。
「カリカリ君でも食うか」
氷菓の詰まった箱から、もう定番と呼ぶに相応しい青いパッケージの氷菓をレジへ持っていく。
レジの人が、つまらなさそうに欠伸を噛み殺しながらただ一つの単純作業を済ませ、「百八円です」と無機質な声を発する。
百円、五、六、七、八円。適当にまさぐってみるとそれらは何の苦労もなくひょっこりと顔を出した。
さらば、俺の小銭。またどこかで使われるといいな。
「あざっしたー」
入店音と共に、俺の学校での終業の挨拶のような適当さで声を上げた店員は、俺が過ぎ去るのを確認すると、欠伸を我慢出来なかったのか盛大に口を開いた。ああいうのを職務怠慢とでも言うのだろうか。
俺はコンビニから宵町へ踵を返し、帰路を辿る。
まだ四時だったから、きっと歩いても間に合う筈。
俺はのそりと一歩を踏みしめた。
◆◆◆
「あれ、広樹じゃん!」
「ん?」
一人寂しく来た道を遡っていると、不意に俺の名前を呼ぶ誰かが居た。
「あれ、井藤か。こんな時間にどうしたんだ?」
井藤杏奈。バスケ部所属。俺のクラスメイトで、誰とも親しみを持って話しかけてくる所が強みの女子である。さらにクラスのムードメーカーでもあり、いつも教室を笑い声で満たしている。だが、それを除くとどうも特徴が無いと言うか、なんというか。平々凡々としている、と言うのが正しいのだろうか。あと、違う学校の宮坂広斗と遠距離で交際しており、その辺の話に少しでも触れようものなら惚け話の餌食となるので注意されたし。
「ああ、朝のジョギング。広樹は?」
「ちょっと寝付けなくてな。コンビニでアイス買ってきた」
朝のジョギングにしては、ちと周りが暗すぎるとも思うが。
なんて適当な話に花を咲かせていると。
「杏奈~! 待ってってば~!」
「ぷっ、足遅すぎじゃん、なる!」
「杏奈が早すぎんだよ~!」
小野道那瑠。吹奏楽部所属。杏奈がその交友関係に重きを置いている相手であり、またそれは那瑠自身も同じく。一時期、某アニメのキャラクターになぞらえて「あなる」と呼ばれていたが、本人が本気で泣き出してしまって数日間引きこもってしまった為、今は「なる」に落ち着いている。
「ああ、二人でジョギングしてたのか。熱心なことで」
「いや、これが普通だし。てかそれより杏奈さ、酷くな~い? ただ一人の親友を置いていくなんて」
…普通。
「だって遅すぎるんだもん。致し方無しだって」
「致し方無し、って武士かよ! 江戸時代生きてんじゃねーよこの時代遅れ女!」
「なんだってぇこの運動不足の短足が! ドラ○もん!」
「「ぐぬぬぬ~!!」」
ちなみにこれ、教室でよく起こる程度の喧嘩の部類に入る。冗談の言い合いだろう。
「まあ、俺はそろそろ帰るわ。また学校でな」
「「あ、じゃあね~」」
ほら、息ぴったり。喧嘩するほど仲が良い、ってね。
「おう」
俺は帰路へと軌道修正し、また夜道をふらつく。
ふと気になって後ろを振り返ると、まだ二人はプロレスで言う「手四つ」状態で取っ組み合いを交わしていた。
その攻防は、俺が二人を視認出来なくなるまで続いたという。
◆◆◆
やっぱり、あれが普通なんだろうか。
あんな感じで、運動部やら吹奏楽やらに入っている方が、普通なんだろうか。
やはりゲームなんて、子どものお遊びに過ぎないのだろうか。
「…」
裕也。
お前は、これに押し潰されたのか?
世間との違いに、絶望したのか?
俺の中に、やるせなさと諦念が募る。
「…まあ、もう過ぎたことか」
俺は、その感情が怖くなって目を逸らす。
―――だが、もうすぐこの感情と強制的に向き合う事案が発生するのだが、それはまた別のお話。
少し遅れました。すみません。
はいどうも、しゃぶしゃぶです。
今回は少し少なめでしたね、はい。すいませんでした(土下座)
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