第十七話 人を明確に嫌えるのは
「ほい須藤、知っての通りこいつがひろちゃんだ。自己紹介とかしたか?」
「っ、まだ……で、す」
「んじゃあ軽く、適当に、そんな気負わずにの三点セットで、どうぞっ」
晃雄はその三点セットを体現したかのような実況者口調、須藤さんは俺の前で相変わらずの吃りを滲ませながら、改めての自己紹介と至る。
今日の部室は晃雄に随分と模様替えされていた。いつもは机一つに椅子一つ、その上に据えられたパソコンが整然とも乱雑とも言えない列を成している、ゴタゴタした教室なんだが。
机の配置を変えてスペースを作り、そこに椅子一つと二つを向かい合わせて置いてある。一つの側に俺が、二つの側に須藤さんと晃雄が座って、まるで面接の試験官と受験者のような配置だ。いや、この状況からすればお見合いとか縁談とか、そんな雰囲気の言葉の方がしっくりくる。だが訳もなくそう思うのもはばかられた。これからの人間関係、デリカシーは大事なことだと思う。
「……」
「……? もしかして俺から自己紹介もう一回した方がいいか?」
「あ、へ、いや、その、違っ……」
ほぼ感動詞のみで構成された返答をして、恥ずかしさを表していた頬の紅をさあっと青くする須藤さん。血圧の急な高低差で気絶しないか心配になるほど顔色がコロコロと変わっている。
しばらくの間須藤さんの感動詞だけが響き渡る光景に、晃雄は助け船なのかただ単に思い付いただけなのか、話題を投げ込む。
「ひろちゃん、安心しろって。恐らくひろちゃんが何を紹介したって須藤はほぼ知ってるから」
「というのは?」
「ひろちゃんが昏睡してる間、あんまりにも会話することがなかったからひろちゃんのこととか須藤に大分教え込んだ」
――どこまで俺の事を教えた?
その言葉は流石に理性がブレーキをかけた。朗らかな空気のなかで急にシリアスな雰囲気を醸し出すのは嫌われる第一のタブーだ。
だが聞かない訳にもいかない、これは俺がこれから須藤さんにどういう態度を取っていかなければいけないのかを判断する深刻なものだ。晃雄がそこまで当たり障りのない事しか話していないなら今まで通り、もし西野とか三ツ橋とか、一年前の惨状を作り上げた奴らの事まで話してしまっていたら――。
ひどい言葉を、投げかけてしまうかもしれない。
俺はもはや、一年前に関わった人物の殆どをおぞましさの権化として見てしまっているから。触れられるだけで、まるで寄生虫に這いずり回られるような感覚がする。俺を形成している精神に無数の虫食いのような穴をグリグリとこじ開けられて、そこから汚い炎で残りを焼き尽くし侵食されていくような、そういう感覚。嗚咽なく思い出したことはない、俺の感情の粗大ゴミ。
高校生というより殺人鬼とでも言った方が合っているような感情が、行き場のない俺の体を巡り続ける。出来ればこんな汚れた考えなんて杞憂に終わってほしい、そう願った。
俺は軽口を装って、須藤さんには分からないように、だが晃雄には届くだろう言い方で話し始めた。
「変なこと、教えてないだろうな?」
――晃雄は、依然として軽い雰囲気を纏っていた。別に何も申し訳なく思っていない、この朗らかな空気を継続させるような、ほんのりとした笑みを崩さなかった。
「ぷっ、変なことってなんだよ」
晃雄は続ける。手を須藤さんの頭に乗せて。
「……そうだな、こいつはいいやつだ」
「わっ」
そのまま晃雄は須藤さんの頭を撫で始めた。須藤さんは顔が殆ど紅色に染まっているので表情はあまり窺えなかったが、手足の慌てた行動がそのまま表情を表していた。
「まず、ここにいる時点で周りが虐げているとかそういうのを気にしない子だってわかる。そんなのを気にしてたらこの部活には入れないし、俺が入れさせなかった」
「あ――」
――そうか、そんなことも考慮に入れていなかったのか、俺は。
ここはこの学校の不満の打ち付け所だ。少なからず侮蔑の視線は向けられ、それらは全て不可避だ。決して楽なことではない。俺の一年前がいい例だ。あれ程の悲劇を生む嫌われ方をするのだ。
それを踏まえて、須藤さんがここにいる意味をよく考える必要があった。
晃雄は更に続ける。
「だからよ、信頼してお前のことを話してみたら、こいつ結構面白いこと言ったんだよな。何つったと思う?」
「……何て言ったんだ」
須藤さんが手足の動きをすっかり止め、晃雄の撫でをほのぼのとした表情で甘受し始めた。晃雄はそんな小動物のような須藤さんを見て満面の笑みを浮かべた。
「『人を明確に嫌えるのは、凄いことですね』だとよ」
「……!」
「『誰だって幸せの下で生きていきたいと思ってる筈なのに』、『人を嫌うっていうことはその幸せを減らしてしまう行為だと思います。少なくとも幸せを生むものではないです。それなのに』って、お前のことすげぇ尊敬してるんだぜ」
「……そうなのか」
今日、俺は何度驚きと感動を覚えただろう。
クラスでは歓迎され、俺達の部活にはいないはずの新入部員がいて、しかもその子は俺を認める所か尊敬までしている。
いいのだろうか。今まで幸せの反対側を歩いてきた俺が今更幸せに包まれてしまおうなんて、許されることなのだろうか。ここからまた、この幸せを失う時が来てしまうに決まっているのに。
「……須藤さん、は」
「ふぁっ、あ……は、いッ」
蕩け顔を晒していた須藤さんに声を掛けると、口の端からだらしなく垂れていた涎を素早く引っ込めて俺の方を向く。やはりどの仕草をも恥ずかしさを含んでやっているかのように顔は真っ赤に染まっていた。
「須藤さんは、何が趣味なの?」
「あ、えっ……と、自己紹介、の……続き、という、っことで……す、ね」
須藤さんは相変わらずどもりを含んだ喋り方で、最後に頬を搔いて照れくさそうに笑うと、言った。
「物語を……作る、ことっ……で、す」
幸せになってもいいんだよ、と、言われたような気がした。
◆◆◆
「……」
晃雄はそれを、悔しさを滲ませた表情で見ていた、らしい。
どうも、しゃぶしゃぶです。
須藤さんの株が上がる回でした。
しばらくこんな感じの平和な日常が続く……でしょう。
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