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それでも俺は哭き続ける  作者: しゃぶしゃぶ
三章 広樹/晃雄
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第十三話 俺を差し置いて

「留年?」

「ああ、そうらしい」


 すっかり調子の良くなった体でブラックのコーヒーを飲んで何となく大人ぶりながら、俺は晃雄の話に耳を傾けていた。

 といっても、万に一つという可能性を考慮してまだ入院中である。後一週間で退院だ、と主治医に告げられた。


「まあ、そうなるか」


 うんうんと頷いて自分の状況を一つずつ噛みしめ、噛み砕き、飲み込んでいく。

 何せ、実感こそ皆無であるもののあの飛び降り自殺未遂で俺が死にかけてから既に一年が経過しているのだ。当たり前だが、単位を取り損ねていた。


「まあ詳しくはホームページをチェックだ」

「留年者用の資料あんのか、親切設計だな」

「嘘に決まってるだろ」


 おどけた口振りで冗談を投げ合う。見事な会話のキャッチボールだ。


 晃雄が、病室の隅っこで所在無げにしているテレビの電源を入れた。バラエティ番組で丁度お笑い芸人が笑いを取って場を盛り上げていたところで、病室に即興の賑やかさが加えられる。この方が愉快だろ、と晃雄は別に笑いを取った訳でもないのに、やけに自慢げな顔をしてみせた。


「しかしまあ、一年も寝込んでると知らない芸能人がちらほらいるな」


 ほら、そこのオールバックの髪型に紺のオーバーオールのとか、と指差しながら、久しぶりのテレビに感想を付けた。さっきの笑いの根源の人物、だったと思う。


「ああ、そいつはお前が起きるちょっと前かな。落語会からの異色の参戦だ、って騒がれてた」

「あの格好で落語家?」

「あの格好で落語家」


 俺の質問に同じ文面で肯定を示す。その後、こいつが芸人の祭典ってテレビ番組で優勝したんだぜ、とあたかもとって付けたような情報を自慢げに足した。今のどこに胸を張る余地があったのか。


「ふうん……」


 適当な相槌で場を濁し、手元のホットコーヒーを啜る。ちょっと湯気で()せてしまった。

 今見ているバラエティ番組は若干ニュース番組の要素も含んでおり、様々な時事を芸人が独特の視線で切り裂いていく、という内容の、俺でも知っている長寿番組だった。にも関わらず、扱われる内容について知らないだけでこんなにも疎外感を感じるものなのか、と思う。一年のブランクって怖い、と実感ゼロの脳が変に客観的な声を上げて、それを何様だと切り捨てる。それも脳の仕業という、自演に等しい行為だが。


 ロンリーで大立ち回りを演じたことに寂しさを禁じ得なかった俺に、晃雄は何やら首をクッと突き上げて驚いたような顔をしていた。


「……ん、そうだな。なあひろちゃん」

「何だよ?」

「この一年で起きたこと、知っといた方が良いんじゃねえか?」


 どうやらさっきの顔は、別に驚いた訳ではなくてこれを思い付いたということらしい。一年も寝込んでいると、疲労感のない精神に反して身体機能とか思考感覚とかが思うように働いていないのかもしれない。

 若干の危機感に焦りを感じた俺は、半ば無理矢理に晃雄の質問に思考の全てを寄越した。


 とりあえず、この一年のことを知っておくのと知らないのとでは、これからの行動に大きな差が出るだろう。自論だが、知識に「知って損する」という概念はそもそも存在しなくて、知っておけば知っておく程得をするものだと思う。そもこの場合の「知って損する」知識というのはあくまでも精神的に滅入るものがあるというだけで、勉学的意味においてそれを「損する」とは言わない。フランスの諺にも、「知識は富に勝る」というのがある。知識は得であり、富に勝り、経験となるのだ。


 横道に逸れたので話を戻すが、結論を言うと情報こそ命、という考えの基礎的な部分を汲み取ろう、ひいてはこの話を聞こうということだ。


 段々と美味しく感じられてきたブラックコーヒーの苦味を再度堪能して、唇の乾きを癒す。


「じゃあ、頼む」

「ほいよ、ならまずは時事的なところから――」


 そこから、大体の世論の実態について延々と聞かされた。勿論俺からも疑問符を突き付けたりしたがそれもほんの一、二箇所で、ほとんどの局面において俺は聞き手で終わった。


 一段落ついて、やはり湯気の立つコーヒーカップに口を近付ける。熱さが大分和らいできたので一気に飲もうかと試みたが、和らいでいたのは表面だけだったようで、俺はしどろもどろになる。その拍子に外の風景が目に入った。


 太陽が雲に姿を隠したせいか病室の陰陽も朧気になり、病院の前の車通りも有象無象から三々五々へと変わっている。うつろいゆく日常然とした風景を見ていると、どうにも取り残されているようなむず痒さが走って、堪らず俺は口から窓を覆い隠す濃霧をかけた。


 晃雄はそんな俺を気難しい顔で見つめていた。


「……の話」

「ん? 晃雄、何て言った?」

「学校、プログラミング部の」

「……」


 俺は途端に薄ら寒さを感じた。組んでいた腕に違和感を感じて視線を落とすと、鳥肌が立っていた。


「どうする?」


 この「どうする?」の意味を勘違いしてしまいたかった。(ある)いはまた聞き逃してしまいたかった。それで晃雄に何でもないとか言わせておいて、また取り留めのない与太話をしていれば良かったと心底後悔した。


 実のところというか、まだまだあいつらの事は憎いままだ。協調性、異文化理解、平等観の欠けた高橋とか、偽善を振りかざして擦り寄ってきた西野と三ツ橋とか、俺の事を見て見ぬ振りをしたクラスの全員とかがまるごと全て大嫌いだ。あいつらは俺を見捨て、見限り、救わなかったんだから。

 だから、そんな奴らの話を聞いたところで、俺にとっては興奮剤の丼のようなものだ。


 だが、俺はその言葉に沈黙してしまった。沈黙は肯定と受け取られると言われているが、現状に至っては事実という他なかった。


 それに、これこそ認め難いことなのだが。


(なんで、そんな表情してんだよ……)


 晃雄が、期待と躊躇の二つを織り交ぜた、小難しい表情をしている。

 俺にはそれが、聞いてくれるだろうかというある種の肯定的な考え方に基づく眼差しのような気がしてならない。

 俺に本当に同情してくれているのなら、憎悪と諦念を滲ませながら、暗に否定を仄めかすような表情に俺は安堵する筈なのに。


(いや、傲慢だろ、それは)


 理由はともあれ、晃雄は話したがっているんだ。なら、ここまでしてくれた恩人の、ましてや親友の願いの一つや二つ、聞けないで何が親友か。


 既にコーヒーの量は半分を下回り、あれほど心地よい嚥下を邪魔していた湯気も今となってはどこへやら。今度こそ俺は一気にコーヒーを飲み干し、晃雄に心の中で自分の身勝手な考えを謝罪した。


「ん、分かった。話してくれ」

「そうか」


 この返事を、文脈を考慮せずにみるとさぞかし素っ気ないものだろう。その表情が綻んでいなければ、ちょっとばかし傷付いていたかもしれない。


「じゃあ、聞いてくれよ」


 ――そこから聞いた話は、正直に言うとあまり好ましいものではなかった。そもそも俺はあいつらと関わるだけでもあの一年前の事件の残滓をなぞってしまって、全ての感情がまるでオセロの如く苛立ちに変換されてしまう。


 だから、この話はあまり覚えておきたい類のものではない。だが、本当に念のために俺はその記憶にタイトルを付けて脳の記憶機関の隅っこの方に置いておくことにした。


 そのタイトルは、まるで俺が落ちる前の親しみのようなものが込められていて嫌だったが、これ程に皮肉を込めたタイトルもないだろうと思い、そのままにした。


『俺を差し置いて、やっぱりリア充はリア充するのだ』


 ……この時ほど自分のネーミングセンスを呪ったことはなかった。

どうも、しゃぶしゃぶです。

次からは京助と七美の話、というより、広樹が寝ていた一年間に何があったかを書く予定です。


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