第七話 これだから、学校は
夜の散策から小一時間が経過し、朝日が「起きて動け」とばかりに俺達を眩しく照らす。そんなお天道様の熱烈で情熱的な後押しをさらっと受け、俺は支度を適当に済ませて学校へと赴いた。
人は、いろんな"顔"を持っている。
怒った顔、笑った顔、泣いた顔、そんな日常的な表情で分けるも良し、表の顔、裏の顔、なんて言う人間の心情から分けるも良し。とにかく沢山の表情を持つ人間という猿の進化形は、それらの顔を使い分けて集団の中を生き抜いている。一部はその集団で顔を使い分ける事に疲れて孤立する者も居るが、それには途徹もない勇気と覚悟が要るため、大半はこの例から外れる。あるものは怒の表情を常に露にして他を脅してのしあがったり、またあるものは笑った顔を常に張り付けて下手に回り、媚を売って生き延びる。
俺は不本意ではあるが、後者である。生き抜く為、この学校の"普通"を貫き通さなければならない。
だが、言わせてもらえばこの学校の普通はどこかねじ曲がっている。
物事に本気で取り組むなんてバカのやること、だらだらと適当な学校生活を送っている方がかっこいい。本気でさえ冗談と取られ、笑いを起こすために人をネタにする。本人の意思とは関係なく。その本人は大抵笑って取り繕っている。そこで怒れば「なに本気になってんの?」と奴らの笑いへの生け贄を捧げる羽目になるからだ。しかし、その笑顔からは苦しみの念が滲み出ている。
俺はその被害者に幾度かなったことがあるが、そのどれもが恐怖の連続だった。
一番酷かったのは、俺が小学二年生の頃、まだネットなど蔓延っておらず、純粋な人間性を持った人間だった時代、友達に誘われて海岸に遊びに行った時の事。海岸でギャーギャーと五月蝿く騒いでいて、俺は不幸にも足を滑らせてしまい、流れるように海にドボン。だが不幸中の幸いというか、そんなに深いところには落ちず、手の届く場所に足場があった。しかし、さらに襲いかかる災厄。不幸中の幸い中の不幸。その足場がつるつると滑って俺に掴ませてくれなかった。結局、その場でもがく羽目となり、徐々に減っていく体力に焦りを覚えてさらにもがき、の悪循環に引き込まれ、若年ながら死を覚悟した。
そんな様子を、俺の友達だった奴らは。
笑ってただ見ていた。
俺を引っ張って助けようともせず、ただ傍観していた。
その後俺はなんとか助かり、死を前にしたショックからかその時は怒りを覚えなかった。しかし、最近またその時の出来事を掘り返されだして、やはり笑われた。みんなが俺を馬鹿を嘲るような目で見ていた。
イカれてる。人の死にそうだった出来事で、笑えるなんて。
だってのに、俺はそんな頭のみそっかす全部抜けてるような奴らに媚を売っている。
怖い。自分の精神との矛盾と媚を売っている屈辱、仲間外れになる恐怖に、吐きそうになる。
「はぁ…学校行きたくねぇ…」
精神とは反対に動く足。俺は、そんな矮小なる精神を呪った。
◆◆◆
「なあなあ、高崎。漢字帳のページ貸してくれん?」
「ん? ああ、裕也か。はいはいちょっと待ってろ」
次は国語の時間。漢字帳一ページ分指定された漢字を書いてくるという昭和じみた宿題をするために漢字帳を開くと、変にぴったりのタイミングで裕也が来て、ページをせびる。
高橋裕也。吹奏楽部所属。周囲をまるで路傍の石が如く気にも留めず教室を蹂躙する迷惑者、時経貴十を中心とする、所謂「やんちゃグループ」とつるんでおり、いじられキャラとして重宝されている。本人は満更でもないらしい。ちなみに、貴十の被害者は他にも多々居るのだが、ここでは割愛。
「ほらよ。もう来んな」
「ども! じゃな!」
見事に千切れた漢字帳の一ページを渋々と裕也に渡してついでに罵倒してみたが、華麗にスルーして自席へ。漫画とかで「これっきりだぞ」っていうのが口癖の可哀想なキャラが稀にいるが、一瞬そんなキャラ達と心が通い合った気がした。
ともかく、これでようやく宿題を―――
「裕也、またあんなオタッキーな奴に絡んでたの?」
「プログラミング部に未練でもあったか~?」
「っ!」
俺は宿題そっちのけで奴らを睥睨した。こうやって些細な事まで笑いのネタにしようとするから、奴らとは馬が合わないのだ。
まあ、俺達にとっては、あの時の事を話すな、という暗黙の了解があるくらいには掘り返されたくない、重い話なのだが。
そう、実はプログラミング部は元々四人居たのだ。現在は七美が加入したため俺、京助、晃雄、七美の四人。
裕也は、プログラミング部を辞めたのだ。ある悩みを抱えたのが災いして。
裕也が言葉に詰まったような声を上げる。内心悪態を吐いているのが手に取るように分かる。
だが裕也は、そんな表情を一切表に出さずににやにやと気持ち悪い笑みを浮かべ、逆に俺を睥睨し返すと、周りと同じように、馬鹿を嘲るような声色で言った。
「んな訳ねーだろ、あんなクズの溜まり場に未練もクソもあるか! ちょっと漢字のページぱくってただけだっての!」
「ぷっ、いってやるなよー本当のことなのにさー!」
「「「あっはははははははははは!!」」」
俺は内心で激昂していた。
お前らに創作の面白さを罵る権利は無いだろうが。それに、文化が少し違うだけじゃないか。多文化社会なのであればお互いの文化を尊重し合えよ。なんで文化に優劣が付いてるんだよ。世間に認められたものだけが親しまれる訳でも無いだろうが。
だがそんな叫びは声に出ない。先述の通り、俺の中身という世界では精神より体の方が権力が上なのだ。精神が許さんと判断しても、体が我慢しろと言えば俺という生命体は我慢を選ぶのだ。要するに、怖い。ただでさえ「プログラミング部」ってだけでオタクのレッテルを貼られて蔑まれているのに、さらに侮蔑の視線を浴びるのが、たまらなく怖い。情けない話だ。
だが、その思いの対象は裕也の横にいる奴らだけ。
裕也には、もっと別の感情を抱いている。
(戻ってこいよ…裕也…そんな愛想笑いなんて浮かべて、楽しいか?)
帰ってこいと。
世間の偏見に心を折られた位で夢を捨てるな、と。
あまりにも馬鹿馬鹿しいじゃないか。そんな奴らの為に、才能を棒に振るなんて。
俺は、本人を目の前にしてオタクだ何だと罵る三人を、ただ見つめるばかりであった。
その目は、無気力さに満ち溢れていたと思う。
◆◆◆
その後、結局俺は宿題を終わらせることが出来ないまま、放課後を迎えた。
光陰矢の如し、である。
「…部活行くか」
周囲からの睨みを頂戴しながら、俺はパソコン室へと足を運ぶ。
これだから、学校は嫌いなのだ。
どうも、しゃぶしゃぶです。
今回も諸事情により少なめです。本当にすみません。
誤字脱字、感想などお待ちしております。