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必殺断罪屋稼業  作者: 高柳 総一郎
拝啓 闇の中から闇が見えた(最終話)
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拝啓 闇の中から闇が見えた(最終パート)


「そうですか……アリエッタさんが」

 南西地区、廃教会。完全に主を失ったこの場所に、再び男たちは集まった。レドもジョウも、アリエッタをそのままにして去るほかなかった。死人は永遠に眠り、目を覚ますことはない。彼女が何者だったのか、誰に殺されたのか。近くで死んでいるブラックと共に、解き明かされることはないだろう。

「旦那。アリエッタは、あんたに申し訳ないって言ったんだ」

 うつむきがちのまま口を開いたジョウの声は震えていた。無念であったことだろう。友人で、仲間で、姉弟のような彼女を、あのような形で道すがらに放置することになるなど、これまで考えもしなかったはずだ。よもや考えていたとしても、現実になるなどと思わなかったことだろう。

「だから、取ってよ。アリーの仇を取ってくれよ。あんたが下手な考えでイヴァンを出ろなんて言わなかったら……」

「よせ」

 レドはつとめて冷静にジョウを静する。ドモンは折れた巨大十字架オブジェ、そして割れたステンドグラスを見上げる。その間から三日月。

 仕討屋の連中は、レドやアリエッタが殺した仲間の死に気付く。おそらくは今夜中──いやともすれば既に気付いているかもしれない。

「傘屋。あんた、死んでくれますか」

「この期に及んで、旦那、何言ってんだよ!」

 激高するジョウをよそに、壁に寄りかかったままのレドは冷静に赤錆色の瞳を向けた。

「どういう意味だ」

「あんたの父親とその黒幕の考えてんのは、あんた以外の断罪人を消して仕討屋に入れること。だからこんな回りくどいことをやってんです。憲兵団にあんたのことをバラしたのも、おそらく僕らの仲間割れであんたが殺されることを防ぐためでしょう。あんたの口を封じて他の生き残りに逃げられたりするくらいなら、初めから憲兵団であんたの身柄確保してれば、ほかの断罪人をゆっくり始末してから『交渉』に出るなり、結果的に従わないあんたを殺すなりいくらでもつぶしが利きますからね」

「……さっきも言ったはずだ。親父は俺が生きている限りどこまでも探しに来る。ジョウやあんたが逃げても、俺が死んだように細工しても同じことだぞ」

 ドモンは残った二人の仲間に向き直った。成就するとは思えない。正気の沙汰ではないような作戦だ。だがアリエッタが命を落とした以上、自分たちが生き残らねば彼女の死は無駄なものになってしまう。

「……あんたが死に、あんたの親父も死に……そして、リッチマンも死ねば、断罪人も仕討屋もその存在は消える。世の中、頭が無くなりゃドラゴンは死ぬって相場が決まってますからね。どうします、二人とも。乗りますか」

 ドモンは笑って言った。

 殺し屋の死など、誰が気にするだろう。

 かつての自分は気にしなかった。死ねばそれまで。人殺しで金をもらっているのだから、それもやむなしだろうと。だが、待っていたのは仲間のただただ無様な死であった。ドモンはそれを何度も見てきた。そしてその死が、自らのせいで引き起こされたものであると気づいた時、彼はどのような形でも生きねばならぬと考えるようになったのだ。

 無様に生きて何が悪い。どうせいつかは、無様に死ぬのだから。だから今は、無様にあがくだけだ。





「まだ傘屋のレドは見つからないのか!」

 憲兵団団長・ヨゼフの叱責が飛ぶ。明日になれば合同捜査本部が編成され、傘屋のレドという男が犯人であるという情報を共有しなければならなくなる。そうなれば、せっかくリッチマンと言う梯子の先にあるさらなる出世の糸口は失われてしまう。彼は焦っていた。

「団長、やはり明日からの合同捜査で騎士団・遊撃隊と協力して探す方が効率が良いと思いますが」

「身内の恥をほかの組織にさらせとでも? 犯人のことは全部わかってるんだ! 迅速に見つけて速攻で逮捕して拘置所に入れる。簡単だよね! はい、散った散った!」

 既に夜中になっているにも関わらず、捜索は続いていた。げんなりと肩を落とす憲兵官吏達の目の前に、一人の同僚の姿が目に入った。ドモンである。

「や、みなさん。これは団長もおそろいで」

「……君、いままでどこほっつき歩いていたんだい」

 ヨゼフの苛立ちは頂点に達しようとしていた。ジョニーを始めとするほかの憲兵官吏たちもまた同様であった。このマイペースな役立たずが、ヨゼフを怒らせる。その矛先が自分たちにも及ぶだろうということは、誰にでも想像がつく。

「団長から指示されていたとおり、傘屋のレドの捜索を」

「あー、そうかい。じゃ、また探しに行ってきなさい。君みたいな輩でもいないよりマシだからね」

 ヨゼフは肩を落としながら、怜悧な瞳をこすり、自身のでかいアゴを撫でた。

「はあ、しかし捕まえてきたんですが」

「……何?」

「ですから、捕まえてきたんです。本当に偶然だったんですが。こっちに連れてきてください!」

 駐屯兵らしき男が縄で縛っている傘屋のレドを突き出した。事前調査で判明している赤錆色の髪に瞳。短髪に黒い着流しと、背格好も一致している。

「団長、これマジで間違いないっす。自分、南西地区でやつをみかけたことありますんで」

 ジョニーがすかさずフォローを入れた。数人の憲兵官吏や駐屯兵が頷く。間違いない。ヨゼフはその事実を呑み込むのに時間がかかったが、数十秒後ようやく口を開いた。

「……では、此度の事件は解決と、そういうことかい? ドモン君が、犯人を見つけたということで?」

「そう、なりますかねえ」

 ドモンはへらへらと首を傾げつつ言った。憲兵団執務室がにわかに沸く。ヨゼフもその熱狂に当てられ、ドモンの両手を固く握りしめ、感謝を表すように上下に激しく振った!

「ドモン君! いつか、いつか君はやってくれると思っていたよ! それが今日だったんだ! 感謝する!」

「ではヨゼフ様、小官はこいつを拘置所にブチ込んでおきます。……凶暴な野郎ですから、奥の特別牢を使っても構いませんか?」

「もちろんだ! よおし。みんな、ご苦労だった! 今日は帰ってよし!」

「では小官もこいつを牢に入れたら帰りますので……」

 ドモンがそういうのへ、ヨゼフは満面の笑みでばんばん背中を叩きながら言った。

「もちろんだ。……君も出世の糸口を掴んだな!」

「恐縮です」

 ドモンは小さくそう言った。彼の真意を、ヨゼフには推し量ることなどできなかった。これから彼がやることは、彼の価値観からすれば真逆の好意であるからだった。




 

 深夜。部下の一人から耳打ちされた内容は、酒を飲もうとワイングラスを口へ運んでいたサヤの手を止めるに十分なものだった。

「……何? 殺された?」

 リッチマンの邸宅内にある、サヤ専用のゲスト・ルーム。仕討屋は既に大きな組織となる可能性を見せているが、その実態は各所の殺し屋たちを束ねている集合体に過ぎない。暗殺ギルドの実態は、単なる個人の殺し屋の集まりだ。

 断罪人と言う伝説を殺し、その後釜に座るという行為は、サヤの名を、殺し屋としての地位をさらなるものへと昇華させるだろう。サヤの直属の部下たちは、今現在はイヴァンに来ている十数名が関の山だ。彼らはサヤの命令ならば、どのような人物でも殺してみせる。有能で勇敢な殺し屋たち。そして今夜、その中の数名が殺された。

「へい。ご子息を追ってたタロスの死体が見つかりました。それに、シスターを追ってたブラックも。……こっちは、おそらく相打ちかと……」

 グラスを割らないようにテーブルに戻すのに、サヤは大変苦労した。部下の死は損失だ。ブラックは特に有能な男だった──。

「もう一つ……どうやらご子息は捕まったようです」

「ほう。意外だな。憲兵団に捕まるようなことがあれば、仲間が黙っていないだろうに」

 あっけない幕切れだった。聞いてみねばわからぬが、無傷で捕まったのであれば、仲間を殺したか、裏切って自分だけ助かろうとしたか。いずれにせよはやく保護してやらねばなるまい。

「憲兵団団長から連絡を受けて、リッチマン様が直々にご子息のお顔を拝見したようです。明朝、南地区郊外で処刑されるとか」

「それは勿体ないことだ」

 サヤは殺してきた。信頼してきた仲間を、愛した女を、任務と割り切り子供を、憎悪を叩きつけて老人を殺してきた。それが彼の仕事であったからだ。しかし良い仕事は良い仲間と共にでなければできない。仕討屋を完璧な組織とするためには、断罪人であり、成長した息子であるレドを幹部に据えて、手足となってもらわなくてはならない。他人を据えるよりは、裏切られることも無い。そして、裏切られても手の内は容易に分かる。親子だからだ。

 退路を断てば、レドは俺の元にくる。妄信に近い考え。

「ならば、独りぼっちの息子を引き抜きに行くとするか」

「おひとりで大丈夫ですか」

「腕は立つかもしれんが、所詮子供だ。それより、今日はリッチマンについていてやれ。……まだ剣で殺しをやる男の正体がわからん。俺が目を離した隙に後ろ盾に死なれても困る」


   



 同時刻。

 ドモンは自宅に帰ってきていた。既に深夜。しかも今夜は妹のセリカが学会に出席するとかで不在にしている。ティナはもう寝ているだろうと思っていたが、ダイニングテーブルに突っ伏して寝ていた。机の上に籠で蓋をされた料理が置いてあるところを見ると、待っていたのだろう。

「……こんなところで寝ていると風邪を引きますよ」

 ティナはゆっくりと身を起こし、目をこすりながらドモンの姿を見た。ドモンはかごを開け、好物のくるみパンを一つ取りかじった。

「お帰りなさい」

「いや実は、少ししたら出なくちゃならないんですよ」

「あら……遅番だったなんて知りませんでしたわ」

「急な話でしてね。僕も少し仮眠をとるつもりなんです」

 そういうと、ドモンは自室に移動し、ベッドに寝転がった。ティナもふらふらとそれに応じて、夫の隣に寝転んだ。眠い中、相当な時間我慢して待っていたのだろう。

 ドモンはふと彼女の髪に指を通し、梳かす。それに気づいたのか、ティナは振り返り眠そうに笑った。この笑顔は、もはや見られぬ物かもしれぬ。賭け金は自らの命という大博打に勝ったとしても、生き残った自分をティナはどう思うだろうか。

 考えるより先に、ドモンはティナを抱き寄せていた。強く。力の限り強く。

「あなた、痛いのですけれど……」

「いけませんか」

「痛いものは痛いのです」

「……夫婦じゃないですか、僕ら。たまにはいいでしょう」

「えっ、そんな、いきなり……あなた……」

 彼に残せるものは少なかった。そしてそれが呪いにならぬ保証もない。だが曲りなりとも、彼は妻を愛していた。マリアベルの前で妻を愛していると言った事を、反故にすることだけはできなかった。






 雨が降り始めていた。湿った世界に温まった体。

 既にリッチマンがどこにいるか調べはついている。ドモンは紫色のマフラーをまき直し、どこか気だるい身体をゆっくりと進めていた。

 リッチマンは自らの所有する大豪邸でなく、今は別宅にいるという。レドが言う事には、仕討屋らしき手練れのボディ・ガードに自分を守らせているらしい。しかし、モノは考えようである。

 ドモンは憲兵官吏だ。やりようはいくらでもある。

「憲兵団の者ですが! 夜分遅くに申し訳ありません、リッチマン殿に火急の要件で参りました! お取次ぎを!」

 騒がしく戸を叩きつけると、わずかに扉が開き、ランプを持った目つきの悪い男が姿を現した。

「何用ですか」

「実はヨゼフ団長から緊急の言伝をお伝えしたく参上した次第でして」

 男が引っ込んで数分後、中に通すように言われてきたのか、すんなりと扉をあけた。ドモンはさりげなく周囲を見る。人の気配。鋭い視線。

「リッチマン様は、客人用の離れ……茶室にいらっしゃいます」

「何人いらっしゃるんですか?」

「……何のことですか?」

「リッチマン殿と言えば、行政府の黒幕とまで言われているお方と聞きますからねえ。腕の立つボディガードを何人も雇っているのではありませんか?」

「……旦那。それをあんたに言って、われわれに何の得があるんです」

 ドモンはへらへら笑って言った。

「決まってらあ、てめえらを何人斬りゃいいのか、あたりつけるんだよ」

「貴様!」

 扉を蹴破り、木の影や隣の部屋から、数人の男たちが現れ、腰に帯びた剣を一気に引き抜いた。ドモンもまた腰の長剣を右手に、左手に短剣を引き抜く! 引き抜きざまにまずは一人斬殺。倒れ込んだ仲間の姿を見て怒ったのか、剣を上段に構え向かってくる男を、流れるように身体ごと避けて、短剣で首を掻き切る! 後ろから襲い掛かってくる男に、空中で長剣を回転させ、逆手で持ち替え刺殺!

 一瞬の出来事。ドモンは息を整えながら、邸宅の奥へと足を進める。刃が赤い水玉で濡れる。彼はそれをふるって飛ばしながら、さらに奥へ。広い廊下に出た直後、左右から男が現れて剣を振り下ろしてきた。二本の剣でそれぞれ受け、切っ先を回転させつつ体勢を崩しその場で一回転し二人とも斬殺!

 茶室が奥へと見える。しかし人の気配は尽きぬ。おそらく相手も、襲撃者がいることに気付いていたのだろう。しかしそれを防げなくては意味がない。

 ドモンは血煙を吸い込むのを拒否するように、紫色のマフラーを巻きなおして口元を覆った。ドモンの暗い瞳が、わらわらと集まる剣士どもを見据えた。両手にもった剣を固く握りしめる。拳に血が巡る──。




 ドモンがリッチマンの目前まで到達しようというころ。

 憲兵団拘置所の最深部、特別独房では、レドが簡易ベッドに腰を下ろしながら、その時をひたすら待っていた。靴音。石牢に響き渡るような大きな音。囚人たちが既に寝静まっているような時間の訪問者。

「どなたですか」

「面会だよ。これはお土産だ」

 背の低い牢番に、良く見知った男は朗らかにそう言い、何か握らせた。手の間から見えた輝きは金貨だろう。牢番は何も言わず、静かにそこから去っていった。

「邪魔者は居なくなったな、レド」

「驚いた。……あんたはこんな夜更けにこんなところまで来れるのか」

「そういうことだ。リッチマンは、そういうことを可能に出来る男だ。さて……」

 サヤは月明かりをもとに壁に手をつきながら、牢のカギを探し当てた。それを息子の眼前──鉄格子に阻まれてはいるが──に突きつけながら言った。

「用件は分かるな、レド。憲兵団団長はお前を明日には処刑するつもりらしいじゃないか。だがみすみす殺すのは惜しい。……仕討屋に入るなら、お前を助けてやれるんだぞ」

「嫌だと言ったら」

 父は息子の言葉に歯を見せて笑う。

「どうにもならないさ。殺し屋気取りのトチ狂った男が死ぬだけだ。俺やリッチマンの事を洗いざらい話してもらっても構わんが、無駄なことだ。いくらでももみ消せる」

 レドは冷たい石畳を歩き、鉄格子越しに父親の前に立った。見れば見るほどうり二つであった。追い続けた父親の姿は、これでは手に届かない。そして明日になれば永遠に届かなくなる。

「……わかった。仕討屋に入ろう」

「それがいい」

「だが親父。俺はあんたの後ろ盾のせいでお尋ね者だ。どうするつもりなんだ」

「リッチマンに言えば、白いものも黒くなるさ」

 そういうが早いが、サヤは鍵で牢の扉を開けて、息子を外へと連れ出した。

「感動の親子対面だな、レド」

 サヤの姿はそこにあった。レドは自らを平静に保ちながら、父親の胸に飛び込んで抱きついた。当たり前だと思っていながら、どこか信じられなかったが、彼には体温があった。血が通った人間であった。

「おい、レド……なんだいったい」

 大きくなったとはいえ、サヤにとっては一人息子であった。小さい頃に会ったきりの存在とはいえ、親子の情はある。抱き着かれたのも、少しうれしいものだ。

「前から聞きたかったことがある……母さんをどうして捨てた」

「……殺し屋の父親なんてのは、子供には必要ない」

「母さんにはあんたが必要だったはずだ」

 サヤは何も答えなかった。彼の中に、レドに披露できる答えは無かったのかもしれなかった。  

「お前だっていい大人だろう、レド。抱き着くやつがあるか」

「こうでもしないと、あんたには近づけない」

 抱き着いた人間ならば、いくら気配を消そうが同じだ。

 レドは着流しの袖裏に縫い付けた、短い鉄骨を音もなく引き抜き、そのまま父親の首裏へと突き入れた。星の瞬く間ほどの短い時間。失われていく、父親の力。寄りかかってくる体。レドは鉄骨を引き抜くと、簡易ベッドに男の体を寝かせてやった。ガラス玉のような瞳の遺体。鏡を見ているようなその姿は、まるで自分の死後をみているような気さえした。

「……終わったかい」

「ああ」

 さきほど出て行ったはずの牢番が戻ってきて、レドに声をかけた。彼が黒髪のかつらを外すと、金髪が下から現れた。牢番の正体は、ジョウだったのだ。

「本当によく似てるんだね」

「ああ」

「これなら、なんとかなるよ。……とはいえ時間が無いね。あとは僕がなんとかするから、レドは手筈通りに西大門に向かって」

 そういわれながらも、レドはしばらくその場から動こうとしなかった。それどころか、彼は殺した父親のそばへ膝をつき、無言で遺体にすがりついた。

 自らを殺し、友を殺し、父親を殺し──最後に彼が殺したのは、自らの声であった。ジョウにはそれでも漏れる嗚咽をさらに押し殺しているさまを、見て見ぬふりをしてやる優しさがあった。




 ドモンが最後の男を長剣・短剣で同時に刺し殺し、息を整えながら遺体の上着で血を拭う。十四人の男を息つく暇もなく斬り殺した彼の白い上着には、点々と返り血が飛んでいた。

 剣を納めながら、ドモンは茶室の引き戸に手をかける。ノックはなしだ。おそらくここに、リッチマンがいる。

「おや。あなたが憲兵官吏のドモンさんですか」

「ええ。ライト・リッチマン殿ですね」

 リッチマンはソファに腰かけながら、柔和に笑う。テーブルの上には、既に湯気が失せた紅茶の入ったカップが二つ。

「いかにも、その通りです。お疲れのようですね。紅茶でも飲んで、落ち着きませんか。ミルクと砂糖はどの程度入用で?」

 ドモンは太古からの剣士の礼儀を守り、腰から二本の剣を外すと、壁に立てかけ、紳士の目の前のソファに腰かけた。

「……ミルクは少し、砂糖は多めで」

 紳士は微笑みながら要望通りミルクと砂糖を入れ、ドモンの目の前に差し出した。二人の男は、紅茶を同時に口へ運ぶ。

「僕が毒を入れるとは思わないんですか」

「こんな茶室を作る男が、紅茶に毒を入れるとは思いませんよ」

「……なるほど。存外賢い方のようですねえ」

 カップをゆっくりとテーブルへ置く二人。カップとソーサーが乾いた音を立てる。先に口を開いたのは、リッチマンであった。

「あなたがここまで来たということは、僕の手の者はすべて死んだということでよろしいのですか」

「ええ。そして、あんたもそうなります」

「素晴らしい。……どうですか、ドモンさん。仕討屋などどうでも良い。僕に雇われませんか。憲兵官吏の給料など目ではないほどの報酬をお約束しますよ」

 瞳の中の闇がぶつかり合っていた。厚顔無恥。どのような状況下であっても己を崩さぬことが、悪党としての格の強さへとつながる。そういう意味では、悪党としての格はこの男のほうが上かもしれなかった。

「なかなか魅力的なお話ですね。……それはそれとして、僕はあんたに聞いておきたいことがあるんですよ。腹割って答えていただきたいんですが」

「僕にお答えできることであれば、何なりと」

「西地区の再開発事業。立ち退きに応じなかった連中が殺されたのは、あんたの差し金じゃないんですか」

 その言葉に、リッチマンが何を考えたのかはドモンにはわからなかった。彼は曖昧に笑い、まるで無知なる者に教え諭す聖人のごとく言った。

「国土開発局局長と筆頭官吏のミフネ親子へ地上げをお願いしたのは確かに僕です。ですが、それは僕の言葉を大きく捉えすぎただけのこと。そのことについては、僕にも一抹の原因があるのでしょう」

 リッチマンは心からの謝罪を偽るように、深々と頭を下げた。机の下に金具でひっかけている剣へと手を伸ばし、柄を取った。おそらくこの男は自分に降ることはあるまい。ならば隙を衝き殺してしまうまでだ。

「ですから、このとおりお詫びを!」

 リッチマンは紳士の顔をかなぐり捨て、机から剣を引き抜くとそのまま手をかけひっくり返した! 部屋を隔てる衝立のように、ソファに腰かけていたドモンの姿が半分消える。この狭い茶室の中、逃げ場はない。少しでも早く仕掛けて殺した方が勝つのだ! リッチマンは剣で机を貫いた! 腹をめがけて、刃の根元まで!

 そして、リッチマンの腹は見事に剣で貫かれていた。ドモンの方からも、長剣が突き刺されており──それがリッチマンの腹に届き、刃を伝って血がじゅうたんにぽたぽたと落ちていた。

 リッチマンの刃は確かにドモンの腹に一直線伸びていたが、それを察した彼が体をわずかに反らし、刃を避けていたのだ。しかし狭い部屋の中、それでもよけきれず、ジャケットの脇腹あたりがわずかに裂け、そこから血が滲んでいた。

「頭を下げるつもりなら人が違うぜ。地獄の底で迷惑かけた全員に謝ンな」

 ドモンはリッチマンにそう囁くと、彼の腹、そして高級そうな机から刃を引き抜いた。立てかけたままの短剣、そして血に塗れた刃を振るいながら、鞘へと納めた。彼はふら付きながらも立ち上がり、返り血が水玉模様のごとく飛び散ったジャケットの襟を正しながら、遺体だけとなったリッチマン宅を後にした。





 朝もやがあたりに漂っていた。

 大門は朝早く開き、行商人や旅人がイヴァンへ訪れ、旅立っていく。人の流れの外──別れを惜しみ再会を喜ぶ人々に紛れることのない日陰で、三人の男たちが最後の別れを惜しんでいた。

 いつも通り深々とハンチング帽を被ったジョウ。ジャケット姿のドモン。そして、グレイカラーの着流しを羽織り、深々と帽子をかぶったレド。

「……あんたの父親は『傘屋のレド』として処刑されました。もっとも、牢屋で既に死んでましたがね。処刑ってことにしないと面目が立たねえってんで、てんやわんやの大騒ぎですよ」

「そっくりな人間を身代わりにしたとはいえ、もう君はレドとして帝都には居られない。死んだ大罪人が生きてるなんて知れたら大ごとだからね」

「分かってる。……世話になったな」

 レドは結局、鉄面皮のままであった。あの時父親に縋りつき泣いた青年は、ジョウの見た幻だったのやもしれぬ。

「そうだ。これ、本当はアリーにあげるつもりだったんだけど……君に」

 ジョウは手のひら大の紙に包んだものを、もう会うことも無いであろう仲間へと差し出した。

「もしかしたら、つなぎ屋と同じもんかもしれませんが。……旅をしてたら腹が減るでしょう」

 ドモンもまた、同じような紙に包んだものを差し出した。レドは二つとも受け取り、懐へと仕舞った。

「ジョウ、二本差し。世話になったな」

「ええ。……死ぬんじゃありませんよ」

「元気でね」

 レドは返事をしなかった。グレイの着流しに帽子の男が人込みの中に消えていく。ドモンもレドもその背中をずっと追っていたが、やがて見えなくなった。




 帝都から遠く離れた、小高い丘。

 レドは手ごろな石を見つけ、一息ついた。懐から二つの紙包みを取り出すと、二つとも開いた。パンが二つ。もう一つはくるみパン。レドは普通のパンをかじった。固い。歯が折れそうなそれを見ると、中に光るものがある。金貨が二枚。

 もしやと思い、くるみパンのほうも割ってみる。こちらも金貨が二枚入っている。レドはパンをかじる。世界で一番うまいパンだ。

 レドは思わず笑みをほころばせる。行く道は長く、遠くまでつながっていた。彼はその先をまぶしそうに見つめ、遠く離れた仲間たちの事を想うのだった。





必殺断罪屋稼業 完

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