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必殺断罪屋稼業  作者: 高柳 総一郎
拝啓 闇の中から秘事が見えた
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拝啓 闇の中から秘事が見えた(Cパート)





「あなた、どうかなされましたの」

 南地区。帝国最大の大通りにして、かつての皇帝の名を冠した『アケガワ・ストリート』に、ケノクニ屋の本店は存在する。ここへ移ったのは、ほんの四年ほど前の話だ。イヴァン内部だけの小さな書店だったが、独占刊行した小説が大ヒットを飛ばしたことで、あれよあれよという間に一流書店の仲間入りをした。

 主人のニコルは、それだけの大書店の主人でありながら、どこか優柔不断で気弱そうな男である。今日も浮かない表情をしながら、妻の心配の声にも生返事であった。

「いや、なんでも……」

「では、返事くらいして頂戴」

 妻のショーティはそんな彼の態度に苛つきながら、事務机の帳簿とにらめっこをしながら、細い眼鏡を押し上げた。引っ詰めた黒髪といい、つり目といい、見るからに神経質そうな印象である。

「あなた。私に、お話しなくてはならないことがあるのではないの?」

「い、いきなりなんだと言うんだ」

「私は無駄なことは嫌いです。二度は言いません」

 そう言うと、ショーティは羽根ペンにインクをつけ、帳簿をつけはじめた。彼女は優秀だ。思えば、ケノクニ屋を一流書店に押し上げた小説も、誰にも相手にされないと泣きついてきた出版社から、彼女が発掘してきたのではなかったか。

 彼女は、気づいているのではないか。アイシャとの逢瀬と、自らの不義理を。

「すまない」

「何を謝る必要があるのですか」

 最新式の手回し計算機を重そうに回しながら、ショーティは見もせず言った。彼女の目は冷たく、ニコルにはまるで彼女が視線で語っているような気さえした。

「今は話せない。だが、近々話す。決着を付けるんだ」

 彼女からの返事はなかった。どうしてこうなってしまったのか、ニコルには分からなかった。昔は、何でもすぐに話せたし、それを笑い飛ばせる余裕が、お互いにあったはずなのに。

「すみません」

「俺が出る」

 店舗の方から、客の声。店員にでも任せれば良いのだが、いたたまれなくなったニコルは、逃げるように店舗へ向かった。本棚の前には、大きな背中を丸めながら、本を選んでいるシスターの姿であった。

「これは、シスター。何か本をお探しで」

「ええ、そうなんです。退屈しのぎに何か小説でも、と考えたのですが。おすすめはなにかありますか」

「でしたら、この竜騎士物語など人気でございますよ。そう、その隣の青い背表紙の……」

 ニコルはそんな言葉を紡ぎながら、考える。吐き出してしまいたい。神に対する懺悔。もちろん自己満足に過ぎないことは理解している。教会にでも行けばいいのだろうが、そんな勇気は無い。ニコルは周囲を見回してから、店員が奥へと引っ込むのを確認してから、見上げるように背の高い彼女に話しかけた。

「……シスター、お名前は」

「私はシスター・アリエッタと申しますが」

「シスター・アリエッタ。実は、私は神に懺悔をしたいことがあるのですが……何分世間の目があります。どうか、良い方法を教えていただけますまいか」

 シスターは潤いのある唇に指を当てながら少しばかり思案すると、青い前髪に触れながら、頷いた。

「私は神父では無いので、懺悔を聞くことは出来ません。とは言え、神に仕える身に変わりありませんので、神を信じる皆様のお力になりたい気持ちはあります」

 彼女は修道服の左袖に手を突っ込むと、財布を取り出し、何やら書付けを一枚差し出した。

「これは?」

「私の知り合いの神父が、南西地区で教会をやっています。そこで懺悔をしてみてはいかがでしょう」

 なるほど南西地区ならば、西地区のヘイヴンへ行くと言えばその途中にあるので怪しまれることもあるまい。ニコルは勇気が欲しかった。でなければ、アイシャとの浮気、ショーティへの不義は、ずっと続くだろう。

 この悪しき循環を、どこかで断ち切らねばならないのだ。

 





 東地区、アトキンスの邸宅にて。

 うなだれるアイシャの背中を押しながら、アトキンスは自宅の客間に辿り着いた。そこのソファーに座っているのは、口ひげを生やし、でっぷりと太った中年男。『鬼のアトキンス』とまで呼ばれる男の家だというのに、彼の態度は不遜そのものであった。

「これはこれは。お美しい奥様ですな」

「ヅダ屋。調子に乗るなよ」

 アトキンスはまるで刃物を突きつけるような調子で、ヅダ屋に言葉を飛ばした。身じろぎすらしない彼に対し、アトキンスはなおも続ける。

「アイシャの『癖』は今始まったようなものではない。いつものことだ。それを貴様が見つけたとて……」

「いやいや……アトキンス様、私の本分はブン屋でして。部下から信頼のできる情報があれば、掲載許可を取りに行くのも仕事でして」

 アイシャは不安げな面持ちを伏せ、美しい顔に影を差した。彼女自身も、分かっている。自分がいかにアトキンスに対しての不義を続けて来たかを。始めは、愛妻家を口に出すだけで、仕事にかまけてばかりのアトキンスに対してのあてつけだったかも知れぬ。しかし、不義を見つけアイシャを罵倒する彼の奥の絶望を感じ取る度に、アイシャは自分が満たされるような気持ちになるのだった。

 私は、不義を秘める事と、それを気づかせるのが、快感になっているのだ。

 電流が走るような、悪寒にも似た快感に、アイシャは自らの身体を掻き抱く。私は悪い女だ。悪い女なのだ……。

「ヅダ屋。俺にも立場と言うものがある。かと言って、俺はアイシャの不義密通をやいのやいのと取り上げて、攻撃する気もない。離縁などもっての他だ。このことを記事になどされたくはない」

「そうでしょうな」

 ヅダ屋は重そうな身体を起こし、窓際へと立った。暖かな陽光が差し込む部屋だというのに、アトキンスは寒気すら感じていた。腰に帯びる剣の柄に、手をのばそうかとも考える。彼はアイシャを愛していた。彼女のためならば、人殺しくらいはどうということもない。

 それを察したのかどうかは分からなかったが、ヅダ屋は突然口を開いた。

「取引をしませんか」

「取引だと?」

「私は、商売人です。はっきり言ってカネにならんことはしません。アトキンスさん、正直に言うとこの記事でカネにはならんのです。あなたも、こう言ってはなんですが一遊撃隊員。帝国貴族でも騎士でもないし、これといった資産もない」

 ヅダ屋の横暴な物言いに、アトキンスは眉をひそめる。様子がおかしい。彼は粗暴ではあったが、粗野ではなかった。冷静な視点を併せ持っていた。

「だが、今回の浮気相手がある人物であったこと。それが重要なのです。そうですね、奥さん」

「浮気相手?」

 アトキンスは、顔を伏せたままの妻に目を向けながら、ヅダ屋の言葉を繰り返した。

「そう。……アトキンスさん。実は、このヅダ屋も小さいながら書店をやっておったのは、ご存知ですかな」

 アトキンスは小さく首を振る。何も期待していなかったのだろう、ヅダ屋は構わず話を続けた。

「まあ、元々新聞社と書店、半分半分でやっておったわけですが、あの新参者のせいで書店は全滅。このヅダ屋、当然収入も資産も半減しました。恨んでも、恨みきれぬといったところです。あの、ニコル・ケノクニにはね」

「……まさかとは思うが、そのニコル・ケノクニを俺に殺せとでも」

 ヅダ屋は頷く。アトキンスは青筋を立て、一喝しようと口を開きかけたところを、ヅダ屋は手を突き出し制した。

「お怒りごもっともです。しかし、ご存知でしょう? 帝国には、『女敵討ち』の制度があるのを」

 女敵討ちとは、妻と不義密通を行った間男を殺す事を公式で認めることを指す。いわゆる仇討ちの亜種であり、一般市民にも届け出をすれば認められてはいるが、たいていの人間が「何も命まで奪うこともなかろう」と、半ば形骸化している制度である。

「そうすれば、ニコル・ケノクニを殺せる。それを俺にやれと」

「その通り。そうすれば、あなたの遊撃隊員としての名誉も守られ、世間体も安泰。私も最大の敵を葬れるというわけです」

 アトキンスは唸る。世間体。妻の名誉。自分の名誉。そして、殺人依頼。悩む夫の姿を見て、アイシャは静かに客間を出て、涙を流しながら家を後にした。アトキンスは止めなかった。最早、彼女に平手打ちをし、愛していることを伝えて、浮気をするなと諭せば済む段階ではなくなっているのだ。






 その日、結局レドの傘は一本も売れなかった。

 夕日が差し込むヘイヴン。家路を急ぐ、務め人達。そういった人々の流れを見ると、この自由市場も俄に店じまいを始めだす。

「おう、兄ちゃん。モノは悪くねえと思うがよ、普段から愛想よくしたほうがいいと思うぜ」

 隣で店を畳みながら、アクセサリー屋の威勢のいい男が言った。レドはそうですね、と作り笑いを浮かべ頭を下げた。

 そもそもがどうだっていいことだ。

 レドが傘を作るのは、それが殺し技に直結するからだ。彼は殺し屋であり、傘屋はあくまで表の顔、儲かればそれに越したことはないが、別にそれで生きていこうとは思わないのだ。

 そんなとりとめのない考えをまとめながら、レドは広げた傘を紐で縛っているところであった。突然彼は、後ろから話しかけられた。

「あのう」

 振り向くと、昼に日傘を買いに来ていた女が、そこに立っていた。確か名前は、あの大柄な男がアイシャと呼んでいた。

「申し訳ないけど、今日は終わりなんですよ。また明日──」

「お願いが……お願いがあるの」

 アイシャはレドの顔に息がかかるほど近づき言った。彼女の目元には、夕日の橙色が混じり、まるで血のような涙が溜まっていた。

「もう嫌なのよ、こんなことは……」

「ちょっと、困りますよ。一体何が……」

 レドが困惑していると、しまいにはアイシャは彼にすがりつき、メソメソと泣き始める始末だ。既に周りは店じまいを終えていたのだけが、彼にとっての幸いであった。仕方なくレドは彼女の肩を抱き、路地裏へと連れて行く。こんなところを、誰にも見られていないと信じて。

「……ありゃ、なんですかね」

 ただ一人、その二人の後ろ姿を見ている男がいた。紫色のマフラーを巻いた、白いジャケットの憲兵官吏。仕事帰りで憂鬱なドモンが見たのは、レドと女の怪しい後ろ姿であった。





 イヴァン北西部、風俗街・色街。

 色とりどりの魔導式ネオンが輝く海の中を、黒い着流しに赤錆色の髪のレドが歩く。彼の細い小指を、肩までかかる茶髪の女が引く。

「奥さん」

 レドは思わず語気を強めて言った。

「あなたに何があったのか、俺は知りません。だが、自分を粗末にしちゃいけない。こんなところに来て、どうするつもりなんです」

 アイシャは潤んだ瞳でこちらを見る。彼女の目は、まるで捨てられた子犬だ。レドは他者の気持ちが分からぬ朴念仁ではなかったから、彼女の目が何を語っているかを感じ取ることが出来た。

「こんなことを、もう何度も何度も続けてきたわ」

 ネオンの海の光が届かぬ影で、アイシャは言った。始めは、純粋な寂しさを埋めるためであった。夫は怒り、心配し──嫉妬し、絶望した。寂しさを埋めるための遊びが、アイシャにとっての楽しみとなるのに、時間はかからなかったのだ。

「夫は、今日も絶望して、私をなじって……それで終わりになるものと思っていたの。でも、夫はそれで……人を殺さなくてはならなくなった」

 人を殺す。レドは小さく呟いた。一体どういうことなのか。レドが彼女に尋ねようとした瞬間──レドの唇は彼女の唇で塞がれていた。ネオンの中に重なる、二人の影。やがて離れた二人はしばらく黙っていたが、アイシャが話を静かに切り出した。

「だから、今は……忘れたいの」


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