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必殺断罪屋稼業  作者: 高柳 総一郎
拝啓 闇の中から因縁が見えた
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拝啓 闇の中から因縁が見えた(Cパート)

「弟と再会したの」

 あくる日、アリエッタはそう言った。いつもの娼館。相手はトラ。それはアリエッタにとっていつも通りの夜。しかしそれももう二度と訪れまい。

 トラの引退が決まったのだ。アリエッタが訪れた日は、ちょうどその最後の日だった。

「そう。アリーちゃん、良かったじゃん。いろいろあったんだと思うけど、やっぱり家族は大事だよ」

「そうね」

「弟さんと仲良くやんなきゃだめだよ」

 まるで年長者のように諭すトラに、アリエッタは少しだけ笑った。彼の前だけは、断罪人でもない、シスターでもない、純粋だったころの、一人の女に戻れたような気がしていた。つらくないと言えば嘘になる。しかし、彼には夢がある。客と男娼の関係でしかない彼を、もはや人に戻れぬ自分が引き留めるなどおこがましいことだ。

 彼は「最後だから」と寝物語に、自分の話をしてくれた。北の大山脈のふもとの貧しい農村に生まれたこと。兄妹がたくさんいること。せめて自分より下の弟や妹を食わせるために、自分で望んで売られていったこと。最初は嫌で仕方なかったこと。夢ができて、生きる希望が持てたこと。

 彼の人生が、ベッドの上で一度限りの唄のように流れ、そして消えていった。夢。希望。アリエッタが持てなかったもの。失い続けたもの。彼に夢中になったのは、そうした自分の手から零れ落ちたものを持っていたからかもしれぬ。

「ねえ、アリーちゃん。本当に今までありがとう」

「またいきなりね」

「次はいつ会えるかわからないしね。お礼はしっかり言うタイプなんだ。それに、アリーちゃんなら俺、夫婦になっても構わないんだけどね」

 アリエッタは笑う。トラも笑う。彼には八重歯があった。こんなことに、今更気づいてしまう。もっとトラの事が知りたい。今までの彼女は、そのようなことを考えなかった。考えないようにしていた。自分は許されざる罪人だ。神に全てを捧げたとしても、この人生の中で許されることはない。

 だからアリエッタは、弟のような男を抱いてきた。

 自分には人間の資格がない。姉としての資格がない。だが、娼館なら望めばそうした男を抱くことができる。焦がれながら二度と手を触れることが許されぬ存在に、ほんの少しでも近づくための行為だった。

 しかし、アリエッタは一人の女だった。

 だれかにまっとうに愛されたい。人としての幸せへの憧れを、神への信仰に変えて生きてきた彼女でも、そうした感情は抑えきれなかった。そしてそれは遅すぎたのだ。

「明日、せめて見送りさせてくれない?」

「見送り?」

「南に行くんでしょう」

「うん。アリーちゃんも一緒に来る?」

「弟と約束したの。故郷に帰って、墓参りをするって……」

「故郷ってどこ?」

「西のザカール」

「大都会じゃない。海を見たら、そっちも行ってみようかな」

 他愛のない話が辛かった。見送りはそうした彼女を取り巻く運命への反逆ともいえた。アリエッタは無理に笑った。娼館特有の甘い光が、二人の最後を彩った。





「アリエッタさんが、父親を?」

 廃教会。断罪人たちの集合場所。そこに、アリエッタの姿はいない。それもそのはず、アリエッタがいないタイミングを見計らって、ドモン、ジョウ、そしてレドは集まったのだった。

「……しかも、嘘がなけりゃ依頼者は弟だ。実の弟」

 ジョウの声は低かった。猜疑にまみれた声であった。信じられるはずがない。相手は仲間だ。それもジョウにとって、一番仲の良いアリエッタが、その標的なのだ。

「実の弟が、姉殺しを依頼か」

 レドはいつものように静かにそう言ったが、明らかに棘が混じっていた。アリエッタの罪。弟の復讐。

「金は貰ってる。ジョウ、二本差し。裏を取るべきだろう」

 金貨五枚。弟を名乗るシオンが出したのは、それだけの金であった。姉の命を奪うための、冷たい金。

「当たり前でしょう。……あんたの言う通り、金をもらった時点で僕らは動かなくちゃならない。ま、最悪差し戻せば済む話ですからね」

 ジョウにはこの仕事にそれなりのプライドがあった。はなから知らぬ存ぜぬで断ることはできる。だが曲りなりとも相手は自分の抱く恨みを話してきたのだ。その背後にどのような感情があるのか、どんな目的があるのか、ジョウは知らない。それでも、そうした恨みを吐き出してきた以上、何も理由がないと断ることはできないのだ。たとえそれが、信頼するアリエッタを殺す依頼でも。

「つなぎ屋、あんたその依頼人に張り付いてください。傘屋、あんたはアリエッタさんに」

「逃げたらどうする」

「レド。何言ってんのさ」

「俺は『的』が逃げた時の話をしている」

 ぴしゃりとレドは言い放つ。ドモンは目を伏せながら頷いた。彼らは断罪人で、誰かが犯した罪と誰かが遺した恨みには敏感でなければならなかった。

「そりゃ、あんた……殺さなくちゃならないでしょう」

「そんな……旦那、正気で言ってんの? レドも、何言ってんだよ……アリーは、仲間だろ!」

 当たり前の言葉。ジョウが吐いたのは一人の人間として当たり前の言葉であった。そんな言葉を述べた彼に、ドモンは目を向けた。暗い目を。闇を湛えた瞳を。

「つなぎ屋。あんた勘違いしちゃいませんか。僕らが金をもらうってのはそういうことです。今のあんたの仕事は、その弟とやらを見張ること。わかったらさっさと行ってください」





 北西部近く、ホテル街。

 ここは色街や自由市場・ヘイヴン、行政府にも近いとあって、貴族や騎士、金持ちの観光客が長宿を構えることが多い。少なくとも、地方から帝都へ旅をしてきた一般の客は、もう少しグレードの低い地区を選ぶことだろう。

 アリエッタはそうしたやたらグレードの高いホテルに来ていた。シオンはここで宿を取っているという。聞きたいことが山ほどあった。

 彼女は弟を捨てた。故郷を捨て、アリソンという名前も捨てた。犯した罪を、正面から見つめることができなかった。旅のシスターならば、犯した罪を償うことができるのではないかと考え、神聖皇帝アケガワケイが駆けたのと同時期に大陸を回った。彼女はただ神に身を捧げる名も無き存在でありたかったが、神はそれすらも彼女に許さなかった。罪人はさらに罪を重ねた。子供を救うためとはいえ、彼女は再び人殺しに堕ちた。這い上がる方法は無かった。彼女は断罪人の元締めと出会い、さらなる闇へ落ちる覚悟を決めた。

 その時から、アリエッタは一つの防御策を講じるようになっていた。もう一人の自分。聖職者の自分。そうでない自分。殺し屋の自分。奔放な自分。優しい自分。様々な『じぶん』が彼女を覆い尽くし、無力だったアリソンを覆っていった。殺しをする自分は自分ではない。だからいいのだ。性に奔放な自分も、自分ではない。弟を捨てたのも、父親を殺したのも、すべて、みんな、ぜんぶ、自分ではない。

 それは彼女の心を守るための行為だった。弱い自分を、罪を犯した自分を、守るためにしたことだ。

 だがそんな自分が、求められたとはいえ弟の前に立って良いものか。彼女は葛藤した。今は、シオンが泊まっているホテルのロビーまで来ている。弟はコーヒーを飲みながら、ホテル内のバー・カウンターにあるスツールに腰かけていた。

「お酒は飲まないの?」

「僕が飲むと思う?」

「そうね。……そうよね」

 シオンは笑って、カップを持ち上げた。そう、飲むはずがない。酒で身を持ち崩した父親から、ひどい暴力を受けたのだから。

「今は、何の仕事をしているの? 食べていけてる?」

「故郷じゃ何もしてなかったんだけど、こっちで割のいい仕事を見つけたんだ。結構稼いでる。悪くないよ」

「そう」

 アリエッタはほっと胸をなでおろした。少なくとも彼の人生は、多少の改善を見せたのだ。母が病気で死に、父親が酒で身を持ち崩したことで、家は大いに荒れたのだから。

「ねえ、こんな場所じゃ大した話できないよ。もっと姉さんと話したいんだ」

「部屋で? それは、構わないけど……」

 二人は階段を上り、ホテルの廊下を歩く。シオンはさりげなく、姉の腰に手を回した。紳士的に。

 それはアリエッタの脳裏に、彼女の怖気立つような過去を、まるで間欠泉が噴き出すような勢いで想起させた。ごつごつした大きな手を。ゆらぐランプの炎を。天井の染みを。初めて殺した男の事を。父親の事を。

「ごめんなさい、気分が悪くなって……」

「姉さん?」

「明日、人と会う予定があるから。また、会いましょう?」

 シオンの手を振りほどき、アリエッタは手元を抑えながら廊下を走った。沸きだす不快感に自分でも驚きながら。

 そしてその空間に響く舌打ちの音に、アリエッタは気づかなかった。

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