拝啓 闇の中から因縁が見えた(Bパート)
「先輩、最近水路から死体が挙がる事件多くないすか」
憲兵団執務室。デスクを並べて、日報を書きつけるのも憲兵官吏の仕事の一つだ。世はなべて事も無し。そう書ければ満足だろうが、あいにく帝国の首都・イヴァンはまだまだ不穏な都市だ。
「前、自分の担当してた区域から挙がったと思ったら、今度は先輩のとこっすよ。いくらなんでも多すぎだと思いません?」
そり上げた眉に後ろになでつけた金髪と、強面な後輩のジョニーは、羽ペンで日報を書きつけながら言う。ドモンは進まない目の前のそれにぶつけたい想いを、自らの収まりの悪い黒髪にぶつけ、がりがりと頭を掻く。
「別の地区でもあったんでしたっけ? 同じ手口で、ここ数か月、連続でしょう」
「そんで妙なのが、身元の引受人がいないんですよね。捜索届でも似たようなのいないっすし」
大抵、こうした水死体は酷い状態になってしまっていることが多い。人間の体は想像以上に水分を吸い込みやすく、皮膚がぶよついて似ても似つかぬ状態になってしまうのだ。親しい人でも、見わけがつかぬということもままあることは分かる。しかし、こうも何人も死んでいて、その全員が天涯孤独などということがあり得るのだろうか。
「……ドモン君。日報は書けたのかい」
沈思黙考を続けていたドモンの前に、流れるような銀髪に、知的極まる怜悧な瞳、もの凄くでかい顎の男が立ち、宣告でもするように静かに言った。筆頭官吏のヨゼフである。
「や、すいません。只今文章を組み立てているところで……」
「何が文章を組み立てるだよ君。君はなんだい、小説家かなんかかい。君に文章の良しあしなんてものは期待していないよ」
「や、面目次第もございません。先日の水死体の件について、まだ報告がまとまらないもので」
ヨゼフはでかい顎をさすりながら、不機嫌を顔に直接塗りたくったような表情でドモンを見下ろしていた。これは何やら雲行きが怪しい。そう思った時には遅かった。
「ああ、そうかい。全く、君は僕の頭痛の種そのものだよ! だいたいその件だってもう三日は前の事だろ。締め切りくらい守ってやってくれよ!」
「はあ、申し訳ありません……」
いかり肩に大股で去っていくヨゼフの異様な背中を見ながら、ドモンにジョニーは顔を見合わせる。嫌味な人物ではあるが、ああも声を荒げることは珍しい。
「一体どうされたんですかね、ヨゼフ様」
そうのんびりと二人に声をかけたのは、学者のような巻き毛の同僚、メルヴィンである。貴族の三男坊でおっとりしている彼であるが、最近ようやく見回りの憲兵官吏として定着した。
「あんなに大声出さなくてもいいでしょうに」
「そうですよねえ。だいたい、僕だって好きで日報をサボってるわけじゃないんですけどねえ」
「……これ、噂なんですけど。そろそろほら、人事異動発表じゃないですか。タッカー団長が帝国騎士団に戻るらしいっすよ」
ひそひそとそう切り出したジョニーの話は、なるほどヨゼフが苛立ちそうな内容であった。憲兵団団長、タッカーは帝国騎士団内の、行政府内保安部部長職への就任がほぼ内定しているらしい。つまり、団長職に空きが出る。そして遠く離れた北の大山脈にある、帝国大監獄でも、筆頭牢回官吏が定年となり退職するらしい。大監獄において牢回官吏として従事する役人は百人単位、その長たる筆頭牢回官吏は、実質帝都で言う憲兵団・遊撃隊・帝都の東西南北に存する騎士団の長と肩を並べる職でもある。しかしその実態は、完全なる閑職と見られても仕方のない部署だ。囚人と牢回官吏による、極寒の地での金鉱採掘作業。周りにはほとんど街は無い。およそ文明とはかけ離れた土地での大将など、果たして誰がやりたがるだろうか。
「筆頭官吏のヨゼフ様にとってみれば、まさに天国か地獄。団長になるか監獄送りかってとこっすよ」
「そりゃあの人もイライラするわけですよ。僕らにやいのやいの言うのはやめてほしいですよねえ」
なぜか困ったようにそうですね、とメルヴィンが愛想笑いをした。どうせ下っ端には関係のない話だ。そうした異動だの出世だのは、上の連中が騒げば良いのだ。
つなぎ屋・ジョウへの依頼は、至って簡単だ。街を歩いている彼に声をかけ、依頼を直接すればよい。まことしやかに語られる噂もある。彼が、弱き人々の復讐を金で請け負うという『断罪人』の窓口だというのだ。信じる者はほとんどいない。だいたい、断罪人がいるかどうかなど誰も知らないしわからないのだ。そんなものを鵜呑みにすれば、良い物笑いだ。
「もし、失礼ですが」
ジョウは丁度南地区の路地裏を歩いているところであった。大通りまで行くとすぐに人混みにまぎれることができるし、歩いていること自体不審に思われない。つなぎ屋ジョウは仕事がないとき、いつもこの辺りをうろついているのだ。
そんな彼が声に振り返ると、そこには男が一人立っていた。群青色の外套。ループタイを締めた、スーツに身を包んだ男。
「あなたが噂のつなぎ屋さんですか」
「ええ、その通りですが」
「良かった。……実は、仕事の依頼をしたいのですが」
仕事。つなぎ屋ジョウの仕事は様々だ。人手不足に言伝、その場しのぎ。およそ『つなげる』ものはなんでもつなぐ。つまりそれは、彼自身にも何を依頼されるかわからないということを差す。知らぬうちに悪事の片棒を担がされることも少なくない。よって、相手の見極めはきちんとしておかねばならない。
「……それはどうもありがとうございます。しかし失礼を承知で申し上げますが、つなぎ屋稼業もいろいろと冷やかしが多くて困っておりまして、まずお仕事の内容を教えていただいて、そこから打ち合わせ、報酬額の決定という流れになりますが……」
「構いません。……仕事の内容というのは、簡単です。断罪人につなぎを取って頂きたいのです」
思わずジョウは笑みを浮かべてしまった。何を馬鹿なことをおっしゃるのか。そんなものはよく言われますが、都市伝説なんですよ。彼はハンチング帽を取りながら、そう口を開こうとした。
「ああ、ではこうしましょう。これから私は独り言を言いますので、あなたにぜひ聞いてもらいたい。最後まで聞いてくれれば、金貨一枚差し上げます」
「はあ」
男はつらつらと話を始めた。
彼は西部にある、帝国成立前の王国首都・ザカール出身だという。歴史的に見ても科学・物理学主義を取り、魔法を忌諱した王国では珍しく、彼の両親は魔法科学を扱う学者だったのだという。
彼が幼い時、母親は病死した。父親はそれに絶望し、研究を辞めてしまったという。酒浸りの日々。幸いそれまでの功績を認められていたため、衣食住には困らなかったが、父親は酒を飲みたびたび暴れた。彼には姉がいたが、たびたび殴られそうになるのを彼女が助けてくれたのだという。
「しかし、それも長くは続きませんでした。父が死んだのです。酒に酔って、二階から転落して」
「事故ですか」
男は頭を振った。悲しそうに。
「いえ、姉です。姉が殺したのです。確かに父は酒浸りで、姉や私に暴力を振るうこともありました。……しかし、私にとっても姉にとっても、たった一人の実の父親でした」
親殺し。ただ一人の父親まで亡くした彼が、どのような人生を歩んできたのか、ジョウにはわからない。そしてその姉が、どのような人物だったのかも。男は言った。瞳を潤ませながら、手にしていたハンカチで零れるものを拭いながら。
「私は、このイヴァンで姉らしき女を見つけたのです。これから、確かめに行くところでして。しかし、父の仇と言えど姉は姉。自分の手でというのは……。断罪人につないでほしいというのは、そういう意味でしてね」
男はスーツのポケットから財布を取り出し、金貨を一枚出すと、約束通りジョウの掌の上に載せた。そして、自身の名刺を一緒に手渡す。
「私はシオン・エミール。北西部近くに宿を構えておりますので、一度話の『感想』を聞かせていただきたい。では」
シオンは踵を返すと、そのまま振り向きもせずに去っていった。まさしく『用件だけ伝えた』ような態度であった。ジョウはそんな彼の背中を訝しげに見つめた後、掌の中にある金貨を見下ろした。気味の悪い金貨であった。
色街から少し離れた北西部の通り。色街から出てきた者、冷やかしに行くもの。営業に行くもの、行ってきたもの。その中に、シスター・アリエッタの姿もあった。彼女は既にことを終え、夜闇の中に紛れようとしていた。
「姉さん」
まるで金縛りでもかけられたかのように、シスター・アリエッタは立ち止まった。聞きたくなかった声。閉じ込めていた声。もう忘れたと思っていた声。
「アリソン姉さん。僕だよ。シオンだ」
アリエッタは振り向かなかった。自分が、とても人に見せられるような顔をしているとは思わなかった。
「何年ぶりだい、姉さん。故郷を出てもう、何十年も──」
「誰でしょう、あなたは」
アリエッタは男を静止した。赤渦を巻いた瞳の男を。自分と血を分けた男を。
「私の名前はシスター・アリエッタ。俗世に背を向け、神にこの身を捧げた者──」
「そんなわけがない」
男は背が高かった。アリエッタより一回りほど小さかったが、彼女のくすんだブルーの前髪をかき分けられるほど、背の差はそうなかった。同じ瞳。血を分け合ったものの宿命。
「ほら、アリソン姉さんだ。僕の事を覚えているだろう? 血を分けた姉弟じゃないか」
そういうシオンの顔から──ともすればもっと記憶に爪を立てられそうな男の顔から──アリエッタは必死に目を背けようとしていた。
「シオンさん……何度も言うようですが、私は世を捨て、過去を捨てた女。いくらあなたの姉に顔が似ていようと、私はもう別人なのです」
「そんなことを言うのかい、姉さん」
シオンは悲しそうにアリエッタの肩を掴んだ。涙交じりにも見える悲しそうな表情を浮かべて、言葉を絞り出す。
「僕は、ずっと姉さんを待ってたんだ。あの屋敷で一人、ずっと、ずっと……姉さんは僕を迎えに来てくれなかった。僕は、ずっと姉さんを待ってたのに」
アリエッタは、彼を振りほどくことができた。彼女の力は常人のそれよりはるかに強かったし、シオンの力は常人程度そのものでしかなかったからだ。だが彼女はそうしなかった。彼女には肩に置かれたシオンの手が、まるで巨龍の爪が食い込んでいるようにみえたからだ。そして彼女は諦めたように言った。
「もしやと思っていました。色街のそばであなたを見かけたとき、あの男のことで私を追いかけてきたのだろうと。もう二十年も昔の事でしたから、何かの間違いだと思いたかった。本当にシオンなのですね」
彼は昔のように、アリエッタに抱き着いた。彼女は虚を突かれた形になったが、それを拒まなかった。敵意が感じられない。彼は、二十年前に生き別れたままの『わたしの弟』だ。
「姉さん。もういいんだ。二十年も経ったんだ。だから、もういいじゃないか」
「……私を許してくれるのですか」
「当たり前じゃないか。ああ、姉さん……」
姉弟はしばらくそうやって涙を流しながら、抱き合っていた。再会をただただ喜び合うように。




