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必殺断罪屋稼業  作者: 高柳 総一郎
拝啓 闇の中から因縁が見えた
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拝啓 闇の中から因縁が見えた(Aパート)




 イヴァン北西部、歓楽街。昼夜問わず賑やかなこの街にも、出会いと別れが無限に混在している。無数に存在する娼館は、そうした劇的な出会いと別れを演出する店でもある。それは客と娼婦や男娼の事であるが、そもそも娼婦や男娼も死ぬまでここで務められるわけでもない。

「お勤めご苦労さんでした」

 従業員たちに花を持たされ、オーナーに肩を叩かれ今までの事を労われる。引退。どんなに美しい顔をしていても、どんな花も枯れるが如く、人は老いからは逃れられない。そうなる前に身請けをされる者もいれば、中にはその手腕を見込まれ、新しい店を持たせてもらったりすることもあるが、まれなことである。何せ娼館という場所は、それ以外に手段を無くした者たちが、苦慮の末や仕方なくといった理由で落とす『苦界』である。目標額の貯金や、店にある借金さえ終われば、さっさと出ていきたい場所なのである。

 そんな中でも、そこ以外に居場所が無い者も存在する。親も兄弟もなく、働くすべもここでしか知らぬ。今年で三十六歳になったテレシアは、まさにそうした女であった。栗色のショートカット。目の下にほくろ。体つきはいたって普通。気立ては良かったが客との縁には恵まれず、本人も区切りをつける機会を失った結果、ここまで来てしまった。

「テレシア、今まで本当によく頑張ってくれた」

 娼館のオーナーは涙まで浮かべて、テレシアの事を労ってくれた。白布にくるんだ支度金は、金貨にして十枚。一生暮らしていける金ではないが、何か商売は始められそうだ。ここには借金のカタに売られてきたが、既にその借金も返しきって久しい。貯えもまあある。一年は何もせずとも暮らせるだろう。

「本当なら、お前に店でも任せたいところだが……うちはそう余裕がある店でもないからな」

「分かっています。……オーナー、本当にお世話になりました」

 仲間たちに会えなくなるのは寂しい。しかし、枯れた花は散るが定めである。彼女はもう、ここには居てはならないのだ。

 テレシアは、昼間──人もまばらな色街を歩いてゆく。色街の景色も違って見える。昼間は高位の外泊が制限される貴族や騎士などが遊んでいくところであるが、借金でがんじがらめにされ、借金を返し終わってからも行くべき場所を見つけられず、ここにとどまり続けた彼女にとって、この場所は彼女の世界そのものだ。

 世界から出ていく。これまで見たこともない世界に。それはまるで赤子が生まれるが如き衝撃だ。もちろん、彼女には知る由もないが。

「やあ、姐さん。色街から出てきたのかい」

 テレシアは突然男に話しかけられた。色街は一面堀に囲われており、外界に通じるのはテレシアの渡ってきた橋のみなのだ。そこを渡って世界への第一歩を踏み出したその時、男は話しかけてきたのだった。

 背の高い男であった。身なりの良いスーツ姿に、ループタイ。髪色と同じ、群青色の外套を羽織っている。男は目を細めながらにこにこと人のよさそうな笑みを浮かべていた。

「ええ。今日でお役御免」

「そりゃめでたいね、姐さん。……どうだい、よかったら祝い酒でも」

「なんなの、あなた。人買い? それともナンパ?」

「どっちかというと、後者かな」

 テレシアは小さく笑った。時間は沢山ある。このおかしな男に付き合ってみるのも、悪くはないだろう。






 次の日。

 女の死体に布がかけられている。検視に呼ばれた医者も顔を背けてしまいそうになるほど、ひどい有様であった。そこに立ち会う、おさまりの悪い黒髪の男が一人。憲兵団に所属する憲兵官吏の証である、白いジャケットを羽織っている。腰には、大小二本の剣を帯びている。この帝都では珍しい装備であった。

「どうですか、先生」

「ドモン殿、こげに酷い女の死体は、久々に見ましたでよ。骨が折れるまで殴られて、首まで絞められておる。酷く辱められたんじゃにゃあのかのう」

 独特のなまりの老医師は、そう述べて静かに十字を切った。

 女の身元はようとして知れない。何せ持っているものは何もないのだ。行方不明の届け出も出ていない。

「これは、骨が折れそうですねえ……。モノも全部取られてるし、顔も分からないですし」

「ドモン殿、後で体の特徴をまとめた資料を届けますでの。こんなにされて、弔いもしてやれんのは、可哀そうですで」

「分かってますよ。……僕も気分が悪いですから」

 ドモンは再び女の遺体に視線を落とす。女は、好き勝手暴行された挙句、服や持ち物をすべて剥ぎ取られて、川に叩き落されていた。

 人間のやることではない。

 もちろん、それは自分が言えた義理ではないだろうが、それでもドモンの中では嫌なものが渦巻いていた。




 珍しいこともあるものだった。レドは自身の傘の行商の最中、突然後ろから呼び止められたのだ。相手は、金髪にハンチング帽を乗せた青年──顔見知り以上の男、ジョウであった。

「最近、アリーの様子がおかしいんだよね」

 ジョウはこれまた珍しいことに、レドをヌードル・ショップへと誘った。しかも奢るというのだ。仏頂面で作り物の人形のようなレドも、そこまでされて断るほど人は悪くなかった。案の定、何かあるらしい。

「なんか、仕事とかご飯とかに誘ってもそっけないし。いつもピリピリしてるっていうか……」

「俺に、何が言いたい」

 レドはヌードルをすすり上げながら、そう切り出した。ジョウは羽ペンで引いたような目をさらに細めながら、ため息交じりに続ける。

「悩み相談だよ。僕ら一応同い年だろ。それも仲間のことについて相談してるんだぜ。もっと親身になってよ」

「惚気話なら二本差しとしろ。下世話な話ならいくらでも付き合ってもらえる」

 上手そうに汁を飲み干すと、レドはどんぶりを置いた。

「そういうことじゃないんだよ。……なんか、変なんだよ。殺気立ってるっていうか。あれじゃ、まるで……」

「本当に人でも殺しそう、とでも言うのか」

 ジョウはあたりを思わず警戒しながら見回した後、ゆっくりと頷く。アリエッタの事で知っていることは、意外にも少ない。しかし、彼女は思慮深い人間のはずだ。間違っても筋の通らぬ殺しなどするわけがない。

 断罪人。その実、弱き人々の復讐を金で請け負う裏稼業。そんな集団の一員である彼女は、そんな立場にあってもなお、慈悲や神の教えを信じている。確かにそれを土台とした価値観から憤ることもある。なら、彼女はいったい何に憤っているというのか。

「……お前の言うことはわかった。見れる時に、様子を見ておく」

「助かるよ。……考えすぎで済めばいいんだけど」





 女性ながら、長身巨躯の彼女は目立つ。修道服に身を包み、長く伸ばしたくすんだブルーの前髪は瞳を覆い隠している。彼女の名前はアリエッタ。所属する教会を持たないはぐれのシスターである。

 彼女の仕事は、主につなぎ屋を標榜するジョウからの依頼や、帝都に点在する教会への手伝いなどだ。ともすれば無職と取られても文句は言えないが、神への奉職ができれば満足していたりする。それでも彼女もまた人間なので、それなりの趣味もあるのだ。

「アリーちゃんさ。ねえ、どう思う?」

 アリエッタは娼館に頻繁に通う。金が入れば『喜捨』と称して男娼遊びにつぎ込んでしまうのだ。最近めっぽう気に入っているのが、今ベッドを共にしている男娼・トラだ。

「俺さあ、そろそろ引退考えてんだよね」

「そうなの」

「アリーちゃんのおかげで、もの凄い勢いで借金も返せたし。この稼業、男は賞味期限早いんだよね」

 赤い猫毛の男娼は、くるくると前髪を巻き取りながら言った。アリエッタはシスターだ。それ以上でも以下でもない。彼を身請けできるような金がしたいが、彼女にまとわりつく業が、罪が許さぬだろう。

「ここを出たら、何をするの?」

「そうだなあ。まずは南に旅に出るかな。それで、絵を描くんだ」

「絵を?」

「そう。俺、海見たことないんだよ。だから、海の絵を描くんだ。ほら」

 そういうと、トラはベッドの下から小さなキャンバス──廃材と布の切れ端で作った粗末なものだ──の絵を見せてくれた。大山脈の、彼の中では荘厳なのであろう風景。決してうまいとは言えないが、気持ちが入っているのがよくわかる。

「そんで、絵で身を立てる。夢だったんだよね、そういうの」

「素敵ね」

 アリエッタには、そう述べるのが精いっぱいであった。いつもならば、癒しになるはずのトラとの情事も、どこか上の空のままだった。不安。自らの罪に焼かれそうな不安が、彼女の心を満たしていた。

 彼女は殺さねばならない。彼女の過去に残された、最後の不安を。最後の罪を。

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