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必殺断罪屋稼業  作者: 高柳 総一郎
★拝啓 闇の中から表裏が見えた
59/72

拝啓 闇の中から表裏が見えた(Cパート)


 話は一週間前にさかのぼる。

 イヴァン内の取引先への根回しを兼ねた、会合の帰り。ペイリーズ商会社長、ヨラン・ペイリーズは異様な状況で目を覚ました。自らの目が、口が、何かに覆われている。自分がどこかに座らされている事はわかる。

 ペイリーズ商会は、肉の卸売り販売を大体的にやっている。しかし、卸値をできる限り下げるため、トカゲ肉を鶏肉として売っていたのがとうとうバレてしまった。新聞社は抑えられなかったが、同業者たちを抑えるのはとりあえず問題なさそうだった。新聞社の言うことが、眉唾であると示せればよいのだ。

「ごまかせると思ったのかね?」

 くぐもった男の声。突如まぶしく明るく輝く視界。どうやら目を覆っていた布を引きはがしたようであった。天井にかけられた簡易ランタンが揺れ、不気味に影を落とす。逆光を浴びた男の顔は、目元だけ穴の開いた紙袋が覆っていた。

「誰だ、貴様は……ここはどこだ!」

 質問の答えは返ってこなかった。代わりに彼の頬を、怪人の拳が撃ちぬいた。右側。左側。口の中が切れ、歯が折れる。血が飛ぶ。

 黒いダブルのスーツ。袋をかぶせられた男の顔は全くうかがい知れない。そしてヨランは見た。奥の机に、伝説に出てくる聖剣のごとく突き刺さっている長ナイフに。

「まさか……まさか、パンティホース……」

「そのまさかさ、兄弟。派手にやったじゃないか」

 男が笑っているのか怒っているのか、ヨランにはわからなかった。

「派手に新聞に載ったな」

「あれは、新聞社のでたらめだ! 私は被害者なんだ!」

「ミフネ商店」

 わめくヨランに、パンティホースは店の名前を出した。自らが通じている取引先を、次々と。

「なぜ知っているかと聞きたそうな顔だ。答えは簡単だ。調べたんだよ。卸している先の書類はその場で燃やしておくべきだったんじゃないかね?」

 書類。取引先にトカゲ肉を卸す際の、契約書類。もちろんそのまま商品名を書いているわけではないが、既に憲兵団や衛生局に押収された帳簿と照らし合わせれば、明らかに多いリベートや卸値の低さが露呈する。すべてが終わってしまう。血の気が引く。肌が白く染まる。

「安心しろよ。……今日は、反省を促しに来たんだ」

 パンティホースは長ナイフを抜く。そして、長ナイフが机に打ち付けていた書類をヨランに見せた。間違いなく、あの契約書類に違いない。確認をとった怪人はランタンの窓を開け、そこに書類を一枚突っ込むと火を点けた。そして、残りの書類にも火を移した。ぱちぱちと火の粉をあげて燃えてゆく書類。闇が炎を浴びて消える。炎が挙がる。

「何が……何が目的だ? 金か。金が欲しいのか!」

「いや、別に。言っただろう。反省を促していると。社会と民衆への贖罪と反省。それにはもう、命であがなう他無い」

 炎が上がる。ヨランはようやく、自分が狭い納屋の中にいることに気付く。薪に藁、古新聞。燃えやすいものに事欠かない空間の中に自分はいる。そして、パンティホースによって縛られたままの体は動かない。

「助けて、助けてくれーッ!」

「それには反省することだ。あの世でも、この世でも」






 紙袋を取って、びりびりに引き裂く。それだけで、偽装は終わる。陰気な顔が現れる。ダブルの黒スーツを脱ぐと、そこには粗末な作業着姿になったジョルジオがいた。重ね着して、体を大きく見せていたのだ。

 ジョルジオは自分に恐怖していた。

 パンティホースになったのは、これで三か月目だ。はじめは、妻のジーナとの散歩中にちょっかいを出してきた、近所のならず者を許せず、どうにかして仕返しをしようと考えたことから始まった。幸いジョルジオはごみ処理場で働いたことで、体は鍛えられていた。しかし、相手は近所の鼻つまみものとはいえ、こちらから殴りかかれば問題だし、そもそも顔が知られていれば報復に遭うことも考えられる。そんな彼が思いついたのは、まことしやかに語られる怪人・パンティホースに成りすますことであった。

 ごみ処理場で拾ったボロのスーツを密かに仕立て直し、ようやくそれらしいダブルのスーツへ直したのはひと月前。彼は深夜、そのならず者を闇討ちし、監禁し、殴った。そして『反省』するよう命じた。不思議な気分だった。紙袋とはいえ自らの顔が隠されていることで気分が高揚した。

 自分が自分ではないような気さえした。紙袋を被って、それを脱ぎ捨てるまで、ジョルジオは間違いなくパンティホースだった。彼は次第に、社会への理不尽へと密かに怒りを抱くようにさえなった。今まで自分が受けた実態のない不平等が、今になって怒りとして表出したのだ。

 彼が『反省』と共に相手へ『死』を命じるようになるのに時間はかからなかった。最初の数度は殺した相手をゴミ処理場へ投棄した。魔導師による火炎魔法は、ほかのゴミと同じように死体までもちりに返してみせた。しかしあまりにリスクが大きく、自分一人でごみ処理場へ運ぶのには限界があった。彼はヨラン・ペイリーズにはその方法を使わなかった。

 パンティホースは実在する。

 それは子供たちが想像する正義の味方などではない。ジョルジオという一人の人間が社会への怒りから作り上げた虚構の存在だったのだ。

 そして、ジョルジオはその背に視線を感じていた。長く伸びる誰かの影。パンティホースの顔を踏みつける音。

「なるほどねえ。あんたが、パンティホースだったのかい」

 ジョルジオは陰気な目をその男に向けた。携帯羽ペンでメモ帳に何やら書きつけている男。

「妙なことが多いとは思ってたぜ。あんた、知ってるかどうか知らんが、パンティホースが本当にいるって今大騒ぎになってんだ」

「何の話だ。知らん」

「俺はブンタ。記者をやっててな。……俺たち記者がこうして相手に姿をみせるってことはよ、ある程度調べはついてるってことなんだ。なあ、ジョルジオさん。綺麗なかみさんは、元気かい……」

 殺さなくてはならない。

 ジョルジオは一瞬でそう覚悟した。今日の彼は既に『パンティホース』を脱ぎ捨てていた。少しだけ目を閉じ、息を吐いて開眼した彼は、間違いなくパンティホースだった。

「いや、別にばらす気はねえんだ。普段なら記事を金で買ってもらって解決するんだがよ、あんたはごみ処理場の日雇いだろ。金なんぞもってるわけがねえ。だが安心してくれや。うちの知り合いにいい娼館があるからよ。あんなきれいなかみさんだ。金ならいくらでもできらあな……それともあんた、新聞に載ってみるかい」

 覚悟が完全に決まった。パンティホースはスラックスに差した古ぼけた長ナイフを抜き払った。そして振り向きざま、躊躇なくブンタの腹に刃を突き立てた。




「すみませんねえ、助かります」

 お礼の言葉にえくぼまじりの笑顔を見せながら、中年女性の手へ傘を渡す青年がいた。赤錆色の長髪を後ろで結んだ、黒い着流しの青年である。笑顔とは裏腹に、青年はただ一言言った。

「いえ、仕事ですので」

 南西地区、聖人通り。この通りを奥に行ったところにある小さな広場で、傘屋のレドは簡単な傘の修繕を行っていた。雨が降った次の日だけ、彼はこの聖人通りの広場で修繕屋を開く。傘は昔に比べ格段に安くなったが、ことこの聖人通りに住む貧しい人々にとってはまだまだ高級品だ。壊れたからといって、おいそれと買いなおせるものではない。銅貨数枚でも苦しいが、傘が壊れたままでは困ってしまうというのは良くある話だ。

 そうした雨の次の日を狙うと、人々は壊れた傘とレドの顔を見て、修繕を頼まねばならないと思い至るというわけだ。

「傘屋さん、よろしいですか」

 青白い顔の、お世辞にも健康体とはいえそうにない女性であった。穴の開いた傘を持って、まるで杖のように体を預けながら歩いてきていた。あまり調子が良くないのだろう。

「ありゃ、ジーナさんじゃないかい。今日は歩いていていいのかい」

 傘を持ったままの中年女性が声をかけるが、ジーナは弱々しく笑みを見せた。

「今日は体調が良いものですから……夫が、傘に穴を開けてしまったと言っていたので、どうしても直してもらおうと……」

「そんなことなら誰か近所のもんに言ってくれれば……」

 ぐらり。ジーナの細い体が、突然揺らいだ。胸を押さえている。直後、突然その場で彼女はせき込み始めた。レドは思わず立ち上がったが、ジーナはそれを手で遮った。膝をつき、身を横たえて倒れてしまう彼女を、レドは駆け寄り抱き寄せた。

「医者を呼んでください。この人の家は?」

 レドの行動は冷静そのものだった。彼はジーナの住む部屋へ運び込むと、ベッドにやせた体を寝かせた。中年女性が呼んでくれた、近くに住む町医者が一通りジーナの体を見ていったが、首を横に振るばかりであった。

「先生、どうなんです」

 白髪交じりの医者は、部屋の扉をきちんと閉めたのを確認して、ため息交じりに言った。あきらめの口調であった。

「ジーナさんは肺を病んでおるのだ。去年見たきりだったからな……今は想像以上にひどい。もはや薬や手術では無理だろうな。治癒師(魔法による高度高速治療術の使い手)でも、手遅れだろう。もって数か月いやそれ以下かもしれん……お代はいらんよ。では、御免」

 レドは医者を引き留めるようなことはせず、そのまま家の中へ入った。医者でもないレドにできることなど何もない。しかしせめて、夫だという人間にこのことを伝えねばなるまい。

「奥さん」

「傘屋さん。……体が弱いとダメですね……。迷惑をかけてばかりだわ」

「あなたの旦那さんは、どちらに。倒れたことを伝えなくてはならないでしょう」

「ジョルジオはごみ処理場で働いてますわ。夕方になれば戻ってくるかと」

 まだ日は高い。夕方になるまで時間はある。乗り掛かった舟を、そのまま降りるようなことを、彼はしなかった。

「あの、傘屋さん。……このことはどうか、ジョルジオに言わないでください」

「なぜです。あなたは……」

「もう長く生きられないのでしょう。お医者様の話が聞こえました。ここは扉が薄くて、隣の家をノックしたのも分かるんですよ」

 ジーナはわずかに笑みを見せた。悲しい笑み。命を絞り出したような、本当にわずかな笑みであった。

「あの人は何もかも無くしてしまったんです。でも、命を投げ出すことはせずに、あの人は私のために生きてくれた。それがうれしくもあって……でも、もうあの人を縛り付けることはしたくないという気持ちもあるんです」

 レドは何も言わなかった。それは戦士が戦場に赴くような、静かな覚悟に似ていた。彼女は死を受け入れ始めている。レドは古い傘を手に取った。彼女が修繕を頼もうとしていた、ジョルジオの傘だ。

「分かりました。……俺は傘屋です。せめて、傘くらい直させてください」

「じゃあ、お代を……銅貨四枚でしたよね」

 タダで修理を請け負うこともレドにはできた。しかしそれは彼女の覚悟を無に帰すような気がして、レドは銅貨を受け取った。




 その日の夜。

 珍しくごみの量が多く、作業が長引いたため、ジョルジオは夜の街を歩いていた。彼の家がある南西地区へ行くには、西地区の自由市場ヘイヴンを通らねばならない。昼間は人が行きかうこの場所も、夜は不気味に静まり返っている。

「ようやく見つけたぜ、ジョルジオさんよお」

 三人の男。大柄な男。小柄な男、そして、腰のベルトに剣を帯びた男。いずれもあまり関わり合いになりたくないような輩が、目の前に現れた。

「誰だ、あんたたちは」

「ブンタの身内のもんだ。あんたが殺したのは俺の会社の社員なんだ。やってくれたな『パンティホース』」

 ジョルジオは平静を装っていた。普段通りの陰気な男を、仮面を被るように。大柄なダブルのスーツ男──イガワは獲物を見つけた獣のように獰猛な笑みを浮かべて言った。

「ブンタは記者だぜ。会社にそれくらい証拠を残してるさ。先生、やっちまってください」

 黒髪を撫でつけた、ヘビのように目の鋭い男が、刃を鈍く輝かせながら抜き払い、ぴたりとジョルジオの首に刃をつけた。この速さならば、ジョルジオの首を叩き折ることなどたやすいだろう。じわりと冷や汗がにじむ。殺される。

「ツヨシ、手を縛れ」

「へい」

 小柄な男が、手際よく彼の手を縛っていく。誰も助けてはくれない。もしパンティホースがいたならば。しかしそれも無駄な問答だ。今のパンティホースは自分なのだから。先生と呼ばれた男は剣を納めながら、イガワに尋ねた。

「イガワ殿。このように手ごたえのない相手なら、貴公でもなんとかなったのではないのか。……言っておくが、もめ事解決一件につき金貨一枚はどんな場合でも曲げるつもりはないぞ」

「分かってますよ、先生。それに今日はここからが面倒なんでねえ。おう、ジョルジオよう。本当なら、俺はお前をぶっ殺さなくちゃならねえ。だがよう、お前が俺に協力するってんなら、話は別だぜ。『命は金より重い』ってなことわざもあるだろう」

 ジョルジオは恨めし気な目で三人を見上げた。それが彼にできる唯一の抵抗だった。パンティホースは正義の味方だ。しかしそれは顔を隠し、奇襲をかけることで成立しうるにすぎない。こうしてジョルジオという人間を狙われれば、それでおしまいなのだ。そうしたもろさを、彼は最悪のタイミングで知ることになった。

「とにかく、ここじゃいけねえや。おう、ツヨシ! この野郎を事務所まで連れて来い!」

「へい!」

 その時、先生が鋭い眼を路地の先へと向けた。思わず腰の剣を握る力が強まり、柄を押し出し刃が光る。

「……先生、どうかしやしたか」

 イガワもまた路地の先を見る。変化はない。

「誰かがいたような気がしてな。見られてはまずかろう」

「ヘッ、そりゃ困るでしょうよ。ジョルジオは人殺しをやったんだ。憲兵団にでも付き出されりゃ、おしまいですからねえ」

 そして、誰もいなくなった。路地裏に張り付いていたのは、修道服に長身巨躯を押し込めたシスター・アリエッタであった。たまたま北西部の色街へと向かう最中、あの場面に出くわした彼女は何事かと様子を窺っていたのだ。可能ならば助けに行きたかったが、様子がおかしい。あのジョルジオという男は、ブンタという男を殺した。その事実が、表向きは品行方正なシスターであるアリエッタの二の足を踏ませたのだった。

「どうか彼に神の慈悲あらんことを」

 彼女ができたのは、豊満な胸の上で十字を切ってやるくらいのものであった。




「知らない? そりゃあ一体どういうことです」

 ペイリーズ商会にたどり着いたドモンは、コーヒーもそうそうに追い返されようとしていた。ボディ・ガード代わりの傭兵たちによって、火事に遭ったあの日、ヨラン・ペイリーズは少しのやけどを負うだけでなんとか生きながらえることができたのだった。

「ですから、パンティホースなど知らないと申し上げておるのです」

「あんたねえ、僕だってちゃんと調べてきてんですよ。しらばっくれるならもう少し上手く……」

「あーっ! そうでしたそうでした。いやあ、ドモンの旦那、すっかり忘れておりました。これは心ばかりですが、どうぞ……」

 そういうと、ドモンの羽織っている白ジャケットの袖口に、紙で包んだなにがしらを突っ込んでくるではないか。憲兵官吏に賄賂を渡すことで、巡回回数を増やしてもらったり面倒ごとを引き受けてもらったりすることは帝都では公然の事実となっているが、それにしても白々しすぎる。

 ドモンはそのまま袖口に仕込まれた隠しポケットに賄賂をしまい込んでから、さらに聞いた。

「じゃあ、なんですか。あんたはパンティホースなんて影も形も知らない。聞いたこともない。そう言うってんですね」

「はい。手前どもは全く見聞きしない名前です。だいたいあんなものはおとぎ話でしょう」

 これ以上ゆさぶりをかけても、何の意味もない。そう結論付けたドモンは、ペイリーズ商会を後にした。その時である。駐屯兵や小者の集団が、風のように通り過ぎた。その後ろへ続くように、見知った顔──後輩のジョニーが通り過ぎるのを、ドモンは声をかけて引き留めた。

「一体なんです、ジョニーさん」

「あっ、先輩! ヤベーっすよ! 殺しです! また、パンティホースが出たんですよ! それも白昼堂々!」

 馬鹿な。これまで影も形も見せなかったパンティホースが、真昼間に殺しを。ドモンは頭が痛くなるような思いであったが、ジョニーと一緒に事件現場へと歩く。今度は団長に怒られるのだと思うと、相当に気が重い。

「一体誰が殺されたってんです」

「ごみ処理場で働いてる、ジョルジオって作業員だそうですよ」

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