拝啓 闇の中から表裏が見えた(Bパート)
「兄貴。ブンタが死んだってのは本当なんですかい」
西地区、自由市場ヘイヴン近く、イガワ・カンパニー事務所。調査会社、と銘打ったこの事務所の職員は、とても堅気の人間には見えない。兄貴と呼ばれた目の鋭い男は、ぎろりと子分のツヨシをにらみつけた。肩幅が広くがっちりした体格の男だ。海千山千の修羅場を乗り越えてきたようなこの男こそ、この事務所の社長のイガワであった。
「……間違いねえ。ありゃ、殺しよ」
「殺しですかい」
ツヨシはごくりと唾を呑み込んだ。彼はこの事務所に入って三年たつが、さすがに仲間を殺されたのは初めてだった。
「こんな稼業だ。いつ死んだって文句はいえねえがよう。身内を殺されたら、仕返しはせにゃならん。ナメられるからよう」
イガワはストライプ柄のスーツの裏から長ナイフを抜き出すと、応接テーブルに刃を突き立てた。怒りのこもった刃であった。彼は闇の中に潜む男だった。息を潜めて、じっと耐える。彼はそうして『真実』を見る。彼の事務所もまた真実を見ていた。
しばしばその真実は争いを産む。都合の悪い真実は、善良な一般市民を鬼に変える。えてしてそうした真実は、秘密を隠す者を焼き尽くすからだ。彼はそうした真実を、金で闇に葬る事を生業としている。都合の悪い解釈をすれば、ゆすり屋という職業だ。褒められたものではない。
「ツヨシ、俺はブンタを殺った野郎を許さねえ」
「へい。……しかし、兄貴。正直言って、ブンタの追ってた案件は、眉唾もんですぜ。あいつは変なことに顔を突っ込んでばかりいやがりましたからねえ」
ツヨシは首をかしげながら、ブンタの遺したノートを広げた。この事務所には、新聞にまっとうな記事を書く──といっても三流ゴシップ記事だが──記者と、そうでない者たちがいる。そうした記事を書けるようになって、イガワに信頼されたものだけが、ゆすり屋としての任務に就くことができるのだ。
ブンタはイガワに目をかけられており、ゆすりの『案件』も持っていた。ゆすり屋として稼いだ金は、一割の手数料を差し引き自分のものになる。三流ゴシップ記事を書いていたころとは、収入は雲泥の差だし、ゆすり屋が育てば他ならぬイガワの懐が温まる。ようやく一人前となりかけていたブンタの死は、イガワの怒りを燃え上がらせるに十分な要因だったのだ。
「何々、あの貴族も参加している秘密倶楽部『マスカレイド』。断罪人は生きている……馬鹿じゃねえのか、あいつは。ゴシップ記事から何も変わってねえ。怪人パンティホースの正体。……そりゃ都市伝説どころかおとぎ話じゃねえか」
イガワは突き立てていた長ナイフを引き抜いた。鈍く光る刃に、びくりとツヨシは身を震わせた。殺気。今はゆすり屋のこの男は、元は暴力で身を立てていたという。ゆすり屋としての品格は、暴力によって培われるのだ。
「最近、パンティホースが本当にいるって噂じゃねえか」
「へい、確かにうちの記者も何回か書いてました。知名度があるんで、新聞も面白がってくれるんでさあ」
イガワは自分の顎に刻まれた傷を指でなぞった。そして、ツヨシからノートを奪い取り、ページをめくった。彼は男の名前を見つけた。羽ペンで丸を付けられた、ジョルジオという名を。
「……おう、ツヨシ。おめえ今からひとっ走りしてよ、『先生』を呼んで来い」
「先生をですか? もう夜中ですぜ」
ツヨシが眉をひそめるが、イガワには関係ない。彼の脳裏には、既に完璧な復讐──そしてさらなる次への計画がすでに筋道だって浮かんでいるのだった。
「俺が呼んで来いっつってんだ。はやく呼んで来い!」
帝都イヴァン南東地区郊外、ごみ分別処理場。
帝都からでる様々なごみを引き受け、再利用可能なものとそうでないものを分別し、炎魔法によっていらぬごみの処理や、燃料への加工を行っている。
問題は、その分別業務だ。帝都で出るごみは一日山が一つ動くと称される。臣民には分別の概念があまりない。かといって、まとめて燃やすことは、魔導師の負担が大きい。よって、分別業務はごみ処理場における重大な仕事であり、人出はいくらあっても足りないのだ。しかし、仕事はきつい。ごみをあさる仕事ということで、見栄えも悪く世間体もよくないと来ている。よって帝都においてここで働くのは、よほど切羽詰まった人々と認識される。事実、食い詰めた剣士や職を失った労働者も、なかなかこの現場に食い込もうとはしない。
「今日も疲れたな」
「いやあ、まいったぜ」
「どうだい、これから飲み屋まで行って一杯やらねえか」
手ぬぐいで汗を拭きながら、仕事終わりの労働者たちが、ごみ分別処理場と出口をつなぐ橋を渡る。既に夕刻。今日の仕事は終わりである。お互い、深くは立ち入らない。それでも、同じ場所で長く働いていると、酒を酌み交わしたりする仲間も生まれる。名前を知らなくとも、顔見知り同士で話すだけでも楽しいものなのだ。
「おう。おめえさんもどうだい」
ふと、中年の労働者が顔を手ぬぐいで拭いていた男へと話を振った。陰気臭い男であった。中肉中背で、なんとなく顔色も暗い。名前はジョルジオと名乗っているが、この職場で名前は無意味だ。脛に傷ある者たちも少なくないこの現場では、本名かどうかもわからないのだ。
「俺は……いい」
「なんでえ、つれねえ奴だ」
「知らねえのか。こいつにはかみさんがいるんだ。心配だから帰るんだろ、ジョルジオ」
ジョルジオはぎこちなく頷く。彼は再び手ぬぐいで顔を拭くと、そう多くない荷物の入った袋を持ち上げ、帰路についた。
彼の人生ほど、ままならぬ人生もないだろう。
彼が帝都にやってきたのは十五年前。神聖皇帝を称した国父・アケガワケイがまだ存命であり、ちょうど帝国の恒久平和を祈るという題目の全国魔術・武芸大会が開催されたころであった。帝国は降ってわいた好景気で、何をやってもうまく行くと信じられていた。ジョルジオもそれを信じた男の一人であった。
彼は小さなレストランを開いた。小さな店だが、彼は間違いなく一国一城の主だった。好景気も後押しし、彼のレストランは順調そのものだった。皇帝が死ぬまでは。
皇帝は十年前に殺された。暗殺だった。
すぐに内戦が勃発し、社会不安に陥った。今まで柱として立っていた皇帝が死に、永遠にいなくなったことで、人々の心は不安でいっぱいになった。不思議なもので、人々の心が不安になると、景気は後退していった。不景気という名の軍勢は、ジョルジオの城をあっという間に攻め滅ぼした。彼に残ったのは、レストランを開くための費用として借りた金、金貨四十枚。城を失い、投げ出されたジョルジオは、借金返済のためだけに様々な仕事を経験した。
それはまさしく、何のために生きているのか分からぬ、辛い労働であった。夢破れ希望を亡くし、すり減らされた彼がたどり着いたのが、帝都のごみ処理場だったというわけだ。
「ただいま」
南西地区、聖人通り。低所得者向けの、ほとんどスラム街のこの通りには、壁いっぱいにドアを張り付けたような、狭いアパートが所狭しと並んでいる。ここが、今のジョルジオの住処だ。
「あなた、お帰りなさい。……今日は、どうでした?」
古いベッドに横たわっていた妻のジーナが、嬉しそうに笑みを作って身を起こした。ジョルジオは荷物を放り捨てると、彼女のそばに近づき、背中を撫でた。ジーナは肺を病んでいる。しかし、まともな医者にも見せてやれないのが現状だ。結婚したのは、皮肉なことにレストランを閉店する数か月前であった。
「すまない。今日は、リサイクル班じゃなかったんだ」
リサイクル班とは、ごみ処理場における花形である。毎日リストからランダムに選ばれ、ごみの中からまだ使えそうなものを見つけ出すことを目的としている。ほかの班と比べると、歩合制とはいえ収入は段違いの差が生まれる。
「そう……。あなた、私今日は調子が良かったんです。ポトフを作ったから、食べてくださいね」
「ああ。頂くよ……」
ジーナは病に冒されていても美しく、優しかった。レストランがつぶれた時も、それで借金をしこたま背負った時も、励ましてくれた。このアパートに来た時も、狭いくらいがちょうど良いとまで言ってくれた。最高の妻に違いない。彼女の代わりなどどこにもいない。
だから、彼はこの世界をすべて敵に回しても、戦い続けなくてはならないのだった。
西地区、喫茶店やすらぎ。
自由市場ヘイヴンへの通りの途中に位置するこの喫茶店は、憲兵官吏のドモンの懐具合に優しい。マスターであるマリアベルが、ドモンに返しきれぬ恩があるとある時払いの催促なしでツケを認めているからだ。
「で、いきなりどうしたのさ旦那。仕事?」
ハンチング帽を取りながら、金髪に糸目、そばかすの青年ジョウはコーヒーカップを口に運んだ。どのような事柄もつなぐという触れ込みの『つなぎ屋』ジョウ、彼もまたこの喫茶店の常連だ。ドモンはマリアベルの好意をこれ幸いと言った様子で利用し、たびたび彼をコーヒーで釣って呼び出すのだ。
「ま、そんなところです。……あんた、パンティホースって知ってますか」
「ああ、よく知ってるよ。僕、あの紙芝居好きなんだよ。ニンベルグ公会堂の特別上映も見に行ったよ。活弁士が別にいてさ。迫力があって凄くて……」
「そっちじゃなくて、モノホンのパンティホースですよ。おとぎ話じゃありません」
ジョウはもう一度カップを口に運んでいたが、その意味を遅れて理解したようで、思わずむせ込んで咳を始めた。
「……本物お? 本物って、アレの?」
「だから何度も言ってんじゃありませんか」
「確かに、最近変な噂は聞いてるけど。仮装を楽しんでる、って割には、ちょっとね。パンティホースに殺されかけたって商人もいるらしいよ」
初耳であった。ドモンは憲兵官吏としてやる気は無いが、全くの無能というわけでもない。当然、パンティホースについてある程度の前提知識を仕入れている。彼はあくまで、正義の味方として物語に描かれているはずだ。いたずらに市民を傷つけるようなことをするのだろうか。
「南地区の、ペイリーズ商会ってとこなんだけどさ。ほら、この間鶏肉だって言って、オオトカゲの肉を売ってた食料品会社」
この前妻のティナが『トカゲの肉なんて食べられない』と、まだ食べるのに問題なさそうな肉を捨てているのを見たのを思い出す。大騒ぎにはなったものの、証拠はなく、憲兵団や衛生管理局からもお咎めを受けることはなかった。
「大騒ぎになった後の話なんだけどさ。そこの社長はパンティホースに捕まって殺されかけたっていうんだよ。正直、僕だって信じてない。いくらなんでもさ、言い訳が酷いよ。幼稚すぎじゃない?」
「しかし、そのような嘘をつくとしても、もっとマシな嘘を吐きそうですけどね……」
コーヒーカップが空になったのを見越してか、いつの間にかマスターのマリアベルがコーヒーのおかわりを淹れてくれていた。きわめて中性的な男性で、簡単に後ろで銀髪を結わえている。
「君もそう思いますか、マリアベルさん」
「だって、そうじゃありませんか? 私が言うならまだしも、会社の社長さんでしょう?」
一方ジョウは納得がいかないようであった。彼にとってパンティホースは、架空のキャラクターなのだ。存在するわけがないまやかしだ。あまりにも、荒唐無稽であった。
「僕だって、パンティホースがいたらなあ、なんて思うけど。彼が目撃された後に、殺人事件が起こった噂も知ってるし、正直ペイリーズ商会の社長も、嘘つくんだったらもう少し凝るって理屈もわかる。でも、パンティホースだよ?」
三人は唸った。唸るほかなかった。それほど、現実離れした話である。ドモンは仕方なく立ち上がり、白いジャケットの襟を正した。
「どうするのさ、旦那」
「決まってるでしょう。……まず、ペイリーズ商会の社長ってのに会ってみるんですよ。何か分かるかもしれませんからね。じゃ、先を急ぎますから。お代は……」
「はい。ドモン様のお代ならいつでも結構です」
マリアベルがにっこりと笑顔でいうのへ、ドモンは去り際にジョウへと言った。
「そうですか。まあ全然払わないのも迷惑ですからね。つなぎ屋、あんた払っといてください」
「えっ」
ドアベルがかき鳴らされ、ジョウが気づいた時にはドモンの姿は既に無かった。マリアベルはやはり笑顔でその場に立っており、無情にもジョウに宣告した。
「銀貨一枚、銅貨二枚になります」




