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必殺断罪屋稼業  作者: 高柳 総一郎
★拝啓 闇の中から毒牙が見えた
56/72

拝啓 闇の中から毒牙が見えた(最終パート)



 翌日、日が昇り傾く時まで、イーライは動揺したままだった。そして今、廃教会、聖堂内のベンチに横たえられたイーライは、静かに寝息を立てていた。目元には涙の跡が筋となって残っている。この涙に、彼はどれだけの体験を重ねてきたのだろう。アリエッタは優しく彼の頬、額に触れてから、十字を切った。まるで本当の親子のように、アリエッタの胸に抱かれたイーライは、これまでの尊大な態度が嘘のように、すべてを告白した。

 本物のバルトリン夫人──イーライの実の母親は、彼が物心つく前に亡くなった。後妻としてやってきた女──現バルトリン夫人は、当時まだ存命だった父親や使用人達にとって、完璧な『妻』だった。

 だが、彼女は母親ではなかった。

 七歳になった時、イーライは夫人が真夜中、彼が寝ているベッドのそばに立ち、にたにたと嗤う彼女の姿を見たことがあった。偶然にも同じ金糸のような長い髪に手櫛を通してから、ひやりとする白い手を、ベッドに横たわるイーライの体に這わせたのだ。

 それだけなら、気にはしなかっただろう。しかし次の瞬間、夫人はイーライの首に手をかけたのだ。気道が細い手で押しつぶされ、視界が歪む。

 再び視界が晴れた先に、夫人の姿はなかった。夢だったのかと思いたかった。というより、何が起こったのかも分からなかった。その後もたびたび夫人はイーライの寝室に現れた。幼い彼には理解しがたかったが、夫人は首を絞めたり、時折体に舌を這わせたりした。気味が悪かった。使用人に相談したこともあるが、次の日にはその使用人がいなくなっていた。誰も信用してくれない。イーライは直感的に彼女が異常であると気づきはじめ、家出をたびたび繰り返すようになったのだ。

「なるほどね。夫人から逃げるために、わざわざ僕を頼ってイヴァンを出せなんて言ったのか」

 ジョウはようやくそれで納得をした。異常な状況下で理解者もなく、孤独に過ごしてきたイーライがようやく見つけたのが、つなぎ屋ジョウの噂だったというわけだ。

「この子は独りぼっちなのです、ジョウ」

 アリエッタは静かに言った。彼女はイーライの頭を愛おしげに撫でながら続けた。

「立派なお屋敷や身分があっても、父や母の愛を知らなかったのでしょう。どこにも味方がいない状態で心を守るために、この子自身が強い態度で出るしかなかった。……私はこの子をこのような状況に追いやった人間を許せません」

 壁に背中を付けていたレドは、その背中を起こし、外へと歩みだしていく。ジョウはその背中に声をかけた。

「どこに行くのさ」

「片づけてくる」

 返り討ちにした死体は、まだレドの家に遺されたままだ。何かの拍子に見つかってもまずい。夜はまだ長い。今夜中に片づけない理由もなかった。

「ここにいましたか」

 レドが扉を開けるより先に、扉を押し開けて入ってくる男の姿があった。白いジャケットを羽織り、大小二本の剣を帯びた男。三人がよく知る憲兵官吏──ドモンの姿。

「や、さがしましたよ。……つなぎ屋、やっぱりあんたでしたか。坊ちゃんをこっちに渡してもらいますよ」

「旦那が、イーライをどうして……」

 ドモンはレドを押しやり、ジョウの肩を叩くと、イーライを抱いたままのアリエッタのそばに立った。

「こりゃ、表の稼業の話でしてね。あんたたちにはあまり関係がないんです。その坊ちゃんはバルトリン家の跡取りで、夫人が心配なさってんですよ。……アリエッタさん、その子を放してください」

 イーライへ手を伸ばそうとするドモンの掌をぴしゃりと叩くと、アリエッタは凛とした態度でそれを断った。

「お断りいたします」

「……つなぎ屋、こりゃあんたの差し金ですか? 傘屋もグルですか」

 レドは答えない。表稼業のドモンは憲兵官吏、治安維持を担当する役人である。ここにいるのは裏に回れば仲間だが、表稼業では他人にすぎぬ。

 ドモンが本気になれば、全員を捕縛し拘置所にぶち込むことくらいはわけがないのだ。

「ドモンさん。私たちはイーライから真実を聞いたのです。あなたは夫人が心配しているとおっしゃいますが、イーライにとって家に戻ることは得策ではありません」

「そうですか。んなこと関係ありませんよ。僕は今クビになりかけなんです。ガキを一匹家に連れ帰るのが今の僕の仕事です。そのあとどうなろうが知ったこっちゃありませんよ」

 あまりの物言いにしびれを切らしたのか、押し黙ったままだったレドが口を開く。

「全員捕まえるか? そうなりゃあんたも終わりだ、二本差し」

 レドが黒い着流しの懐に手を突っ込む。ドモンもまた、自分の剣に手を伸ばしたが──口角をあげながらやめた。何の得もない。殺しあうのは簡単だ。だが命を落としかねない。

「ガキ一人にみんなお優しいじゃありませんか」

「悪く思わないでよ。イーライはイヴァンを出るんだ。そこまで面倒見るのが仕事なんだよ」

「参りましたねえ、これじゃクビになっちまいますよ」

 ドモンは諦めたようにベンチへ腰を下ろし、頭を抱えた。イーライを連れて帰らねば、キーラーやバルトリン夫人の口利きは期待できぬ。そうなれば、ドモンのクビはまず間違いない。

「大体なんで旦那はイーライを連れ戻そうってのさ。憲兵官吏は貴族のトラブルにはあんまり介入しないんでしょ」

「元はキーラーって憲兵官吏に紹介された仕事でしてね。憲兵団で人員整理をやるかもしれないってんで、手柄を立てようと思ったんですよ」

「ドモンさん。手柄ならば、ほかにいくらでも立てようがあるはず。ことこのイーライについては、他ならぬ私が手を出させません。どうかお引き取りを……」

 アリエッタは真剣な口調でそう述べた。彼女はこの年代の少年に何か特別な思い入れがある。彼女がそう言い切った以上、どうしようもないだろう。

「一体何があったってんです。……聞かせてもらおうじゃありませんか」




 カッコつけて出てきたのは良いものの、ドモンの足取りは重かった。既に妻のティナや、同居中の妹セリカには『噂』が蔓延しており、せっつかれている状況だ。

『あなたがクビになったら、いったいどう暮らしていけばよいのですか! 天国のお父様にも申し訳が立ちません!』

『その通りです。私共から言えるのは、そのようなことがあってはならないということ。……直ちに手柄を立て、地位を盤石になさいませ』

 あの二人ならば、クビになったとたん見捨ててきても不思議ではない。自宅におけるドモンの地位は極めて低いのだ。そんな考え事をしながら、月明かりの下を歩く。南西地区の人通りは少ない。ドモンはふと足を止めた。

 つけられている。それも数人。

 ドモンはゆっくりと自分の剣の柄に手を置いた。途端に、目深につばの広い帽子を被った男たちが数人現れた。その数六人。全員が腰に剣を帯びている。身体の動きが玄人のそれである。剣を抜けば、間違いなく斬りあいになろう。そんな手合いであった。傭兵。そういえば聞こえはいいが、ようは戦争が終わっても仕官できない、職にあぶれた剣士だ。

「……僕は憲兵官吏ですよ。お上に剣を向けるようなことは、しないでもらいたいですねえ」

「イヴァン憲兵団憲兵官吏、ドモン殿に相違ないな」

 男どもの一人が口を開いた。

「いかにもその通りです」

「我々は味方。直接の依頼主は明かせませぬが、ご子息の捜索を協力するよう依頼を受けました」

 ご子息。当然イーライの事だろう。しかしドモンは、あの夫人のおぞましい正体を知ったばかりだ。子供を虐待する女。ドモンは考える。それだけが、彼女の正体だろうか? そんな彼女が、キーラーが、なぜわざわざ傭兵など送り込む必要がある?

「そうですか。や、実はさっぱりでしてねえ。……ここだけの話ですが、もうイヴァンの外に出ちまっちゃったんじゃないかと疑ってるんですよ」

「左様か。では、行方は知らぬと」

「そういうことになります」

 一瞬、夜風が吹いた。その拍子に、重ねてあった木桶が転がり、大きな音を立てた。夜闇。無言。星々のきらめき。

 ドモンは剣を抜いた。目の前の傭兵が、遅れて抜いた。鞘を走らせ、男に向かって真横に振り切る。一人死亡。後ろにいた男が剣を振りかぶっていたので、それを弾く。勢いで身体を翻し、斬りかかってきた男の胴を斬る。死亡。振り向かずに柄を回転させ、もう一人の男の腹へと突き刺す。死亡。

 悲鳴を挙げて、他の傭兵二人が逃げる中、最後の一人に向かってドモンは剣を突き、喉元に突きつけた!

「さっきも言いましたよねえ? 僕は憲兵官吏です。お上に逆らえばどうなるか。あんたもよくわかっているんじゃないですか」

 程度の悪い傭兵であった。握っていた剣を取り落とすと、男は震える声で命乞いを始めたのだった。

「俺は……俺は雇われたんだ! 坊ちゃんをつ、連れ戻して、あんたはさっさと殺しちまえって……」

「雇い主は?」

「よ、羊毛ギルドのダンケルギルド長……」

「そうですか。……顔は覚えましたよ。次はありません。さっさと失せてください」

 男は素早く夜道を駆けていく。ドモンは既に彼への興味をなくしていた。羊毛ギルド。確か、バルトリン家は羊毛取引権を持っているとかで、かなり儲かっていると聞いたことがある。

「ドモン、これは何事だ!」

 考え事は、聞き覚えのある声で打ち消された。いつの間にやら、同じ白いジャケットを羽織ったキーラーがやってきていた。三人の男の死体に顔をしかめている。

「貴様がやったのか?」

「ま、まさか。勝手にもめ事を起こしたんですよ。僕を殺すだの殺さないだので、金を取ろうとしたらしくて」

「何? 下らんことで仲間割れをするものだな……。とにかく貴様が無事で何よりだ。どうだ、ドモン。何かわかったか」

 キーラーの言葉にドモンは少しばかり安心し、彼にこれまでの経緯を伝えた。イーライはこの先の廃教会で保護されていること。夫人はイーライに虐待を繰り返しており、本人はそれを苦にして家出を繰り返していたこと。

「なんと……夫人がイーライ殿にそのようなことを……間違いはないのか」

「そりゃ本人から聞き出しましたからね。……キーラーさん。そこで相談なんですがね。ここは坊ちゃんは死んじまった、もう会えないと、夫人に伝えるべきだと思うんですよ。確かに手柄は大事ですが、ここで坊ちゃんを家に戻したら、今度こそ……」

 キーラーはそれ以上ドモンに何も言わせなかった。さすがはベテランの憲兵官吏。ドモンは仕事に興味も意義も見いだせないが、純粋に出来た人間への敬意は持ち合わせていた。

「何も言うな。……ドモン、どうやらこの件は根が深いようだ。ここからは俺が何とかする。貴様はもうこの件から手を引け。お前はただの『いい人』に戻るのだ。何も知らなかったし、起こらなかった。……良いな」

 




 廃教会へ傭兵たちが乱入してきたのは、それから数時間も経っていなかった。偶然にもシスター・アリエッタは奥の給湯室でココアを淹れようとしている最中であり、イーライから目を離していた一瞬の隙を狙われた形になった。

「助けて!」

 悲痛そのものの叫びが聖堂に響いた。淹れたばかりの湯気だったココアの入ったカップが落ちて砕ける。聖堂に飛び込んでも、既にイーライの姿はなくなっていた。

 呆然。彼女の脳裏によぎったのはそうした喪失感だった。夫人の手の者がイーライをさらった。いったいどうして? 最初の追っ手は既にレドが殺している。ここに来たのも昨日、彼の保護のために外へは出していない。知っているのはジョウとレド、そして……。

「まさか、ドモンさん……」

 アリエッタは立ち上がった。イーライの居場所を漏らすとすれば、彼しかいない。クビがかかっているのならば、それくらいやりかねない。

 時間がない。

 アリエッタは朝になるまで、イーライを探し回った。すさまじい喪失感。血など繋がっていない。会ったのもつい最近。それも二・三度だけだ。それでもアリエッタは、彼の事を愛おしく感じた。守りたいと思った。

 無情にも、朝日が昇る。アリエッタは朝日の光を浴びながら、膝をついた。もはやイーライには会えぬのだろうという、確信と共に。




「人間が最も美しいのは十代。でもその十代は、風のように過ぎてしまう。……これはこの世の中の損失なのですわ」

 お世辞にも綺麗とは言えぬベッドに横たわるイーライのそばに、レディ・スコーピオンは椅子を寄せて腰かけ、彼の頭をずっと撫でていた。

「時は止められない。いずれ過ぎ行くもの。わたしはその一瞬を切り取って、その美しさを永遠のものとする。……おわかりかしら、キーラー殿」

 ここは西地区郊外にある羊毛ギルドの倉庫である。周りは墓地。縁起が良くないとかで、土地代が安かったのを、ダンケルがギルド長になってからまとめて買い上げたのだ。

「さあな。……これで貴様は羊毛取引権利を合法的に相続できる。これだけわがままに付き合ったのだ。手数料は弾んでもらうぞ」

 キーラーは物言わぬ死体と化した少年を見下ろしながら、パイプをくゆらせる。哀れな少年だ。だが都合がよかった。役にも立った。金にも。それだけで、彼の生きている意味はあった。

「あとは、あのドモンを始末するだけだ。……ギルド長。貴様のふがいなさのおかげで、いらぬ尻ぬぐいが増えた。金貨百枚、俺の報酬に上乗せしてもらうからな」

 ダンケルは申し訳なさそうに頭をさげるばかりだ。彼は二度もしくじったが、キーラーの機転のおかげで助かった。儲けは三人の内で最も少なくなることだろう。

「幸いここは墓地だ。いくらでも埋めるところがある。あのような愚図が一人や二人死のうと、憲兵団は何も思わんからな」

「……この子もさっさと埋めてくださいな。彼の時は止まりました。私はそれで満足いたしましたもの」

 夫人はそう吐き捨てるように言うと、真っ赤なドレスと同じ色の赤いハンカチを取り出し、イーライを絞め殺した両手をぬぐった。

 狂った女だ。しかし、もうどうでもよい。

 キーラーにとっては、金がすべてだった。自らが稼げることならば、彼はいくらでも犯罪に加担して見せた。しかしこれで潮時だろう。あとは、死ぬまで遊んで暮らす。

「ギルド長。もう三人ほど人を雇え。ドモンを殺すのはたやすいが、埋めるのに時間がかかっても面倒だ。……いやとは言わせんぞ」





「──坊ちゃんが殺された?」

 憲兵団本部に出勤したドモンを待ち受けていたのは、キーラーからのあまりにも衝撃的な報告であった。

「そうだ。夫人の説得に失敗した俺の落ち度だ」

「いや、そんな……説得なんか無理に決まっているじゃありませんか。どうして居場所をばらすような真似を……」

 ドモンの詰問に対し、キーラーは面倒くさそうにこめかみを叩いてから続けた。既に、子供の死を伝えるべき人間の態度ではなかった。

「貴様、俺に何か言える立場か? ……いずれ、この事件も公になろう。その時、貴様が疑われずに済むと思うか?」

「……まさか、すべて押し付けるつもりじゃないですよね」

 ドモンの言葉に、キーラーは薄く笑みを浮かべた。

「押し付ける? 馬鹿を言え。もともとが貴様の便宜を図るためにはじめたことだろう。ま、そうならんためには一つやってもらわねばならん。坊ちゃんは死んだ。それはもうどんな魔法でも覆らん。貴様には何も起こらなかったように、坊ちゃんを秘密裏に埋葬してもらう。西地区の、羊毛ギルド管理の倉庫近くの墓地だ。……此度の騒動で奥方も心配なさっておられるのだろう? やることをあまり疑問に思わんことだ」

 キーラーは踵を返して、自身のデスクへと戻っていく。ふと彼は足を止め、振りかえった。

「……そうだ。バルトリン家は後継ぎ不在で近々お取りつぶしになる。しかし知ってのとおり、羊毛取引権があるからな。売ればひと財産になる。お前にも迷惑料をくれてやるとのことだ」

 キーラーは呆然と立ち尽くすドモンの手に、強引に二枚金を握らせた。これが、イーライの命の値段だというのか。自分は踊らされて騙されていた。その挙句、一人の孤独な少年が殺された。自分のせいで。

「まさか、それだけのために」

「だとすればどうする? 繰り返すようだが、地位と金、命が惜しければ、黙っていることだな」

 ドモンはその事実で、足元が揺らいでいる気すらした。





 廃教会に入った時、いつもと違った空気が流れていることに気が付いた。全員がそろっている。レド、アリエッタ、そしてジョウ。みな、ドモンを見る目が冷たい。

「よくここに顔出せたもんだね、旦那」

 口火を切ったのはジョウだった。これも無理からぬことだ。さすがのドモンも、自分があらぬ疑いをかけられていることを知っている。そして、それが騙されたとはいえ事実であることも。

「……僕が原因だとわかっている様子じゃありませんか」

「見損なったわ」

 アリエッタはゆっくりと立ち上がり、自分のくすんだブルーの前髪をかきあげ、赤渦の巻いた瞳を晒した。

「あなたは確かに冷徹で利己的だけど、子供に対する情けくらいはあると思っていたのに」

 ドモンは自分のおさまりの悪い黒髪を掻き、一人壁に背中を付けたままのレドに目を向けた。彼は目を閉じ、静かに佇んでいる。何も言おうとはしない。

「……言い訳にもなりませんがね。僕も、騙されていたんです」

 風を切り、ドモンのそばをアリエッタの拳が通り抜けた。直撃すれば、顔の原型がなくなるほどの威力はあるだろう。

「詳しく話してもらいましょうか」

「暴力はやめてくださいよ。……いいですか。僕はキーラーという憲兵官吏に口を利いてもらうために、バルトリン家の夫人から、あんたらがかくまってた子を連れ戻すように頼まれたんです。ここまでは良かったんですが、僕はあんた達から話を聞いて、あの坊ちゃんを死んだことにしてイヴァンを出すほうがいいと、同僚のキーラーに話してしまった」

「じゃあ、やっぱり旦那がそのキーラーって同僚に売ったんじゃないか!」

「……その直前なんですがね。僕は傭兵に命を狙われたんです。羊毛ギルドが雇った連中のようでした」

 羊毛ギルド。その言葉に、今まで言葉を発していなかったレドが、初めて反応したようだった。

「確かか、二本差し」

「あんた、何か知ってんですか」

 レドはうなずき、ジョウとイーライが逃げ込んできたときのことを話して聞かせた。アリエッタにイーライを預けてきた後、殺した男たちを処理するついでに、その正体を探ってきたのだ。レドの調べによれば、二人の男たちは、羊毛ギルド子飼いの、汚れ仕事を引き受ける傭兵であった。

「二本差し。あんたは羊毛ギルドに狙われる理由でもあるのか」

「キーラーは僕をハメたんです。おそらく、羊毛取引権を問題なく夫人に相続させるために、都合のよい捨て駒によかったってところでしょう。で、用済みになったんで消そうとした」

「じゃ、その取引権を売買できる羊毛ギルドも噛んでるってわけか……そんなの、汚いじゃないか。子供をよってたかって……」

 全員でグルになった挙句、金のためにイーライは殺された。アリエッタはその事実に拳を握り締めた。確かにこの手に抱いた体温と重さは、既にこの世に無い。一瞬見せた笑顔も、涙も。

「ジョウ。お願いがあります。わたくし一人でも構いません。イーライが遺したお金を、断罪のためのお金としてください」

 金貨二枚。結局イーライが遺したのは、それだけでしかなかった。ジョウはその金をカバンから取り出すと、腐りかけの聖書台へと置いた。

「僕も手伝うよ。もとはと言えば、僕がうだうだやってたからいけなかったんだ」

 金貨二枚を銀貨二十枚に両替しながら、ジョウは言った。一番に金を取ったのは、他ならぬドモンであった。

「キーラーの野郎には、大きな借りがあります。すぐに返してやるつもりです」

 銀貨五枚。レドが取り、ジョウが取り、そしてアリエッタが取った。

「ドモンさん。疑って、ごめんなさい」

 背中越しに、アリエッタは素直にドモンに謝罪した。謝りたいのはこちらだった。一瞬でもあのキーラーに心を許した自分の判断ミスが、イーライを殺したのだから。

「……気にしないでください。こればかりは、僕の不手際です。そしてこの恨みは、僕が晴らします」

 闇の中でしか生きられぬ断罪人たちは、それぞれ頷き、教会の内部を照らしていたろうそくを吹き消し、姿を消した。





 深夜の羊毛ギルド本部、ギルド長執務室。

「何、そんな値段にか?」

 さっそく取引権の競売広告を出したところ、方々から購入したいという声が上がった。キーラーたちは金貨一千枚は下らないといったが、既に金貨三千枚でも欲しいというやからがごろごろしている。ダンケルからしてみれば、予想以上の高値だ。

「分かった。すぐにでも売り払え。あまり高くなりすぎてもいかん」

「はい。明日には直ちに」

 ギルド職員が書類をまとめて出ていく姿に、ダンケルはほっと胸をなでおろした。もともと彼は『夫人』の部下であった。夫人の手引きであれよあれよと出世しただけに、夫人にも、夫人の黒幕でもあるキーラーにも頭が上がらぬと来ている。しかし、こうした金勘定に関しては、ダンケルの方が上だ。

「帳簿をちょろまかせば、損失部分くらいは取り戻せるだろう。……まったくキーラー殿も人使いが荒い」

 ランプの炎がわずかに揺れる。窓の外は暗い。今日は月こそ出ているが、星が見えぬ。立て付けが悪いのか、風が吹き窓が揺れ、その衝撃でゆっくりと窓が開いた。

「全く……」

 ダンケルは面倒くさそうに椅子から立ち上がると、窓に近づいた。ほんのわずかに開いている窓を一度あけ放つ。夜風が舞い込む。振り向くと、机の上の書類が宙に舞っていた。

「ああ、くそ」

 それが最後の言葉だった。

 あけ放った窓。夜風と共に、闇と同じ色の男──レドが入り込んだ。黒スーツに赤いネクタイ。殺しの装束。赤錆色の長髪と同じ瞳が光の軌跡を残し消え、ダンケルの真後ろに立つ。懐から伸びた銀色の鉄骨をぎゅっと握りしめると、高く掲げて、首の後ろにそれを打ち込んだ。

 ずぶずぶと埋まっていくそれを無感情に見下ろし、命が失われたことを確かめると一気に引き抜く。書類が舞い上がり、ばさばさと音が鳴る。

 風が鳴りやみ、ダンケルが書類の嵐の中に沈んだとき、レドの姿は既に無かった。





 北西部、歓楽街。通称色街。

 ここは今日も魔導式ネオンによる色とりどりの看板が軒を連ね、男女が賑やかに行き交う。

 レディ・スコーピオンはそんな光の海の中を、真っ赤なドレスを身に纏って歩いていた。『仕事』は終わった。あとは金を受け取るのみ。当分は遊んで暮らせるだろう。いや、一生かもしれない。キーラーのおかげで財産相続の手続きは無事終わり、何も疑われずに済んだ。あとはもっとも大きい財産である、羊毛取引権の売却代金を三人で山分けして終わりだ。

 今日は、その前祝いと、久々に色街遊びをしようとやってきたのだ。

 貴族の夫人がこのようなところで夜遊びなど、不貞の疑いをかけられても文句は言えないが、彼女にはすでに夫も子供もなく、貴族でもなくなった。あとは金だけが残っている。

「ご婦人、お遊びでございますか。でしたらぜひうちを!」

「いやいや、うちのほうが若くていい男娼を仕入れておりますよ。女の子も気に入ってもらえるかと……」

 身なりの良さからか、彼女のそばには客引きがそこらから手を伸ばす。飛び込んでもよいが、せっかく金があるのだから、じっくり選んでも損はあるまい。

「ぜひうちを!」

 そんな中、ひときわ強く彼女の手を引っ張る者があった。見れば、金髪の背の低い、そばかすのある青年が彼女を引っ張っている。内心、彼女は舌なめずりした。なかなか好みだ。

「あなた。あなたのお店に行きたいですわ」

「ありがとう存じます。どうぞ、こちらへ……」

 大きな瞳が純真さを感じさせる。着ている物も清潔感があり、また格別だ。少々年齢は好みより上だろうが、そのくらいのほうがまた良いこともある。

「あなた、とても……良いですわ。ぜひあなたに相手してもらいたいのだけど」

「それは光栄です。気合をいれて……天国に連れて行って差し上げます」

「それは楽し……」

 言葉は最後まで続かなかった。彼女は突然口を手で覆われ、掴まれた。骨がゆっくりと砕ける音。頭蓋に、骨格に、ひびが入っている。目の前には、月明かりを背にした見上げるような体躯のシスター・アリエッタの姿!

「ごきげんよう」

 そうつぶやくと、彼女は夫人を羽交い絞めにして、強引に使われていない娼館の屋根の上へと連れて行った。夫人を放すと、アリエッタは問答無用で夫人の腹に拳を放った! あまりの衝撃にくの字に折れ曲がる夫人の体! 両手を組んで、今度は首に叩きつける! あまりの衝撃に夫人はうつ伏せに屋根に叩きつけられた!

「な、なにを……」

「あなたに懺悔の言葉は必要ないわ」

 ふとももに馬乗りになり、両手で腰を掴むと、親指を押し込み夫人の腰骨粉砕! あまりの激痛に上半身を起こした彼女の顎を掴むと、なんとエビぞり状態のまま体を折りたたみ始めた! それでも何とか生きている夫人の体を、まるで車輪のように屋根の上を転がす! 角度がついているため、止めようがない!

 言葉にならぬ断末魔と共に、夫人だったものは地面に叩きつけられ、物言わぬ物体と化した。




 報告に来るはずだった傭兵が、時間になっても現れなかった。几帳面なキーラーには耐え難いことであった。夜道をパイプをくゆらせながら、西地区の倉庫へと向かう。

「クズどもめ。金をもらって逃げたのではあるまいな」

 ダンケルの雇った傭兵は愚図ばかりだった。ドモンを襲って逃げ出した男は有無を言わさず殺したので何とかなったが、今回もそのようなことになれば目も当てられない。よって、キーラーがわざわざ腕利きを三人選んでくる羽目になった。

 金の無駄であったか。これなら自分で始末をつけるほうがましだ。

 そんなことを考えながら、墓地にたどり着いた。ざくざくと土を掘り返す音。ドモンがスコップを使って、約束通り墓を作っていた。

「や、どうも。わざわざ様子を見に来てくれたんですか、キーラーさん」

「ドモン。精が出るな」

「ええ。まあ、金ももらいましたからね。その分働こうってのは当たり前のことです」

 彼は紫色のマフラーで汗をぬぐいながら、こともなげに言った。おかしい。傭兵共はやはり来なかったのか。

「ところで、キーラーさん。ちょっと目測を謝っちまったんですよ」

「目測?」

「ええ。墓をですね、ちょいと作り過ぎちまったんです」

 ドモンはへらへらと笑いながら、親指を墓に向けた。真新しい土の盛り上がった墓を。

「四つ作って、三人ばかし、もう埋めたんですがね。困ったことにあと一つあるんですよ。……これじゃ、計算が合わないんです」

 三人ばかり埋めた? ドモンが? 役立たずのこの男が? キーラーの脳裏に、疑問がいくつも浮かび消えた。剣だけが取り柄の男たちを三人集めて先によこして、そいつらが全員墓の下だとでも言うのか。

「どういう意味だ」

「あんた、『悪い人』ですね、キーラーさん。わざわざ傭兵を三人も雇って、僕を襲うだなんてあんまりじゃありませんか」

 キーラーはゆっくりと腰に帯びた長剣に手を伸ばした。ドモンは背中を向けている。斬る。殺す。墓の下に眠るのは、予定通りこの役立たずでなければならない。

「試してみませんか? この墓穴に入るのはどちらか。ねえ、『悪い人』のキーラーさん」

 不意にドモンが言った。じり、とキーラーはすり足でドモンににじり寄る。そうとも、叩き斬ってやる。どちらが早いか、ここで決めてやる。

 キーラーが咥えていたパイプが汗で滑り、地面へと落ちる。砂利にまみれて、転がっていく。キーラーは剣を抜き、横から薙ぎ払った! ドモンはわずかに体を傾かせ、刃をわずかに刃を晒した長剣で受け止めていた。そのまま右手で短剣を抜き、投げる! キーラーは剣でそれを弾き飛ばしたが、がら空きになった脇腹をドモンの長剣が貫いた!

「奇遇なんですがね……僕も『悪い人』なんですよ」

 ぶつり、と長剣を引き抜くと、キーラーはよろよろと前進し、力尽きると同時に墓穴へと倒れこんだ。ドモンは地面に転がっていた彼のパイプを、墓穴へと放り込んでやった。

「これで墓穴の計算が合ったぜ」

 ドモンは彼から受け取った金貨二枚を、忘れずに墓穴に放り込んだ。どうせ見舞金を支払うのだ。いつだろうと変わりはあるまい。





「あなた、キーラー殿の葬儀に持っていくお花と見舞金はお持ちになりましたの?」

 妻のティナへと一輪の花と見舞金用の包み紙を見せながら、キーラーの葬式会場へと向かう。仲間内では評判の高かった人物だけに、参列者も多い。

「いくらお包みになりましたの?」

「君ねえ、そういうのはマナー違反ですよ。亡くなった人の前で、そういうことを言うもんじゃないでしょう」

 珍しくまじめなことをいう夫に、ティナは生返事するほかなかった。まあ、こう見えても憲兵官吏として十年はやっているのだから、それなりの金を包んだのだろう。

 ドモンはすっかり穏やかな死に顔になっているキーラーのそばに、花を添えてやった。あんたのおかげで人員が一人減って、僕のクビは回避されましたよ。

 ドモンはちらりと受付を見る。見舞金はまとめられて、誰が誰の見舞金かは詮索しない。まぎれていく自分の包みを見ながら、彼は少し損をしたような気もするのだった。





拝啓 闇の中から毒牙が見えた 終

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