拝啓 闇の中から跡目が見えた(最終パート)
「リンクス、おれはファミリーの一員としてお前のことを信頼してる。お前ほどファミリーのことを思っている男はいねえとなァ」
その日、ライタはリンクスを自室まで呼び出していた。ライタは自室でも、着崩したスーツ姿だ。鍛え上げられた肉体に、首元には翼の刺青。この翼の刺青の意味を知っているのは、ほとんどいない。
彼はビッグボスのことを──自分の父親のことを心の底では尊敬している。偉大な男。伝説の男。その力が秩序の形成にしかつながらなかったことが気に入らなかっただけで、彼ほど深い敬意を持った者もいないだろう。その証拠があの刺青だ。父親も同じく、翼の刺青を彫っていたからだ。
しかしその意味を彼は知らない。
三十年前、未だ戦争の混沌にあった時代。ほんとうのビッグボス──つまりデイブ率いるファミリーは、対立する組織との抗争で、壊滅の危機を迎えていた。そこで彼は妙案を思いついた。
「抗争の中で自分が死んだことにして、新たに組織を立て直す。もし必要があれば、記憶を戻して復帰する」
当時最新の魔法科学によって、ニセの記憶を与えられたデイブは、盟友であり右腕でもあったリンクスに組織を託し、まだ十代だった息子を連れ姿を消した。 しかし、ビッグボスが『死んだ』ことで、組織は荒れに荒れた。彼のカリスマはそれほど強大で、ファミリーにとって必要不可欠な存在だったのだ。デイブの目論見は破綻しかけていた。リンクスは予定より早くデイブを呼び戻す必要に駆られたが、隠れ家に指定した村は、間の悪いことに王国と魔国による戦闘に巻き込まれ焼き討ちの目にあっていた。
もはや彼の生死も分からぬ。ファミリーの心は離れていくばかりだ。リンクスは唯一真実を知るものとして悩みに悩んだ挙句、ひとつの決断をした。すなわち、ビッグボスをもう一人立てる。完璧なる偽物を作り、彼にファミリーを統率させる。
それが、目の前にいるライタの父親、秩序を重んじたもう一人のビッグボス。アスタ・ファミリーの幹部にして、ビッグボスの狂信者。彼はその話を二つ返事で受けたが、最後の最後、ニセの記憶を魔法で流しこまれる直前に言った。
自分が、敬愛するビッグボスとなるのは構わない。しかし、あの方と全く同じ存在でいることに、他ならぬ自分が耐えられない。『偽物である証がほしい』。
それが、ライタが真似した翼の刺青。確固たる偽物の証。そんな彼の息子が二代目を名乗り、横暴を重ねる姿に、リンクスは心を痛めていた。
なんとかせねばならぬ。あの方も、同じように心を痛めておられるだろう。
「馬鹿に静かじゃねえか、リンクス」
「は‥‥。ボスも貫禄が付きました。わたしも年甲斐もなく緊張しておるのです」
「大した役者だなァ、リンクス?」
ライタはぐいと手元の酒を瓶ごとあおると、どんと机に叩きつけた。「俺が滑稽に見えたか?」
「なんの話でしょう」
「俺はファミリーを信じてる。文字通り、全員家族で俺の持ち物だからだ。ファミリーの髪の毛一本だって無駄にする気はねえ。だから、ファミリーの命は何よりも大事なものだ。裏切り者を除いてな」
ライタが指を鳴らすと、ベネディクトを先頭に剣を持った構成員達がぞろぞろと奥から現れた。すでに囲まれている。
「お前の命はいらねえ」
「何がお気に召さなかったのでしょう」
「とぼけるな」
ライタは余裕たっぷりに、笑みさえ見せながら言った。それが無理に作ったものだというのは、明白だった。彼は怒っている。どうしようもないほどに。
「お前に仕事をさせるってのは、ベネディクトが薦めた話だがな。女の審美眼となると話が別よ。お前みたいな枯れ木じゃ、女の良し悪しが分かるかわからねえからな……念のためお前のあとをつけさせて、レイヴンの言ったとおりの女かどうか確かめさせた。その時に、聞き捨てならねえ話も聞いた。……なにか反論はあるか?」
ライタは裏切りを何よりも嫌った。自らの行為は、そう捉えられてもおかしくなかったろう。ビッグボスの王国を守るための犬。偽物の証の翼。彼は生まれながらにして呪われた血の持ち主。決して認められぬまがい物。彼を取り巻く嘘は魔法が解けたように晴れ、残酷な真実が漏れ出したのだ。リンクスはデイブと彼の孫娘のことを想った。
漏れ出した真実を止めることはもうできない。ライタがやることといえば『ファミリーではない』デイブを血祭りにあげることだ。そして、サニーすらもその毒牙にかけるのだろう。許されざることだった。せめてけじめをつけねばならなかった。リンクスはジャケットの裏側に挿した短剣をすらりと抜き払うと、長い人生で初めて主に刃を向けた!
「俺を殺すか、リンクス。そうだろうなァ」
ライタは不自然に感じるほど穏やかに言った。その喉元にリンクスの短剣がつきつけられているにも関わらずだ。
「安心しろ。どっちも可愛がってやるよ。……じじいのほうには死んでもらわなきゃならんがな。その前に……うるさいハエを叩き落す」
虚を突かれた瞬間、リンクスの老いですっかり細くなった腕は、ライタのたくましい手によって掴まれていた。彼は強引に短剣を掴んだ手を外すと、そのままリンクスを殴りつけた! 力任せの拳に、リンクスの体は吹き飛び壁に叩きつけられる!
「ボス、どうします」
責任を感じているのか、ベネディクトがおずおずと言った。ライタは答えず、うめくリンクスの腹に更に蹴りを一撃入れる。
「ボス! リンクスは大幹部だ。いくらあなたでも殺せば古株が……」
「じゃあ、なんだ? 『俺はビッグボスの息子でもなんでもなかった』とでも言うのか? リンクスに証言でもさせるか? 冗談だろう」
ライタは乾いた笑みを顔に張り付けていた。ベネディクトや、一緒に部屋に飛び込んできた構成員たちも、その表情が意味することをすぐに思い知らされた。殺される。彼はファミリーのことを何よりも想っている。しかしそれは、あくまで自身の所有物としてのことだ。彼は出過ぎた意見を求めない。反論を許さない。彼は生まれついての支配者なのだ。
「リンクス。親父はお前のことを信用していたらしいな。『ビッグボスも』そうだった。だが今のボスは俺だ。俺はお前を信用しない」
ライタは床に転がった刃を拾い上げ、リンクスの腹にそれを突き立てた。
「俺は『兄妹』も殺すかもな、リンクス」
薄れゆく意識の中、リンクスはただただ後悔していた。デイブは、あのまま孫であるサニーと幸せに暮らせたのかもしれなかった。自分さえ現れなければ、あの小さな世界は守れたかもしれない。リンクスはまさしく世界を売った男になってしまった。
「死体は川にでも流しとけ」
「ボス、しかし……」
ベネディクトはうずくまったまま動かぬかつての大幹部を一瞥して言った。ライタは尊敬すべき男だが、こうなってはもう諭すことは不可能だ。
「こいつはファミリーを裏切った。それ以上の理由が必要か? それより、レイヴンを呼べ。……兄妹に会いに行くぞ」
その日のレドは自分でも驚くほどおせっかいであった。彼は昨日サニーから聞いた告白を重く捉えていた。最近のアスタ・ファミリーの行動は目に余る。そこらで喧嘩に抗争を起こし、今までショバ代を取らなかった小さな店でもむしとるわ、断る者には暴力や嫌がらせ、今までの組織とは百八十度変わってしまった。
そんな連中の元に、サニーは行くという。教会のバザーを守るという目的だけのために、自らの身を晒すと。金にもならぬ行為に命を賭けると。
金のために命を奪ってきたレドには、到底理解しえぬ価値観であったけれど、サニーの決意が固いことだけはわかった。だからこそ、無駄だとはわかっていたが、彼はサニーの自宅へと足を運んだのであった。なにも死に行くことはないと、そう声をかけられるのではないかと思ったのだ。
「サニーさん、傘屋ですが」
彼女はまだ家の中にいた。いつものようにパイプの削り出しを終え、きれいにパーツを並べていた。それは良い。しかし彼が見たことがなかった光景があった。いつもであればぼおっとベッドから窓の外を見ているだけのサニーの祖父が、パイプのパーツを組み立てていたのだった。
「レドさん、いったい、どうして……」
「……心配になったのです。昨日もいいましたが、あなたがあんなやくざ者の言いなりになる必要なんてないんだ」
「誰だい」
祖父はパイプのパーツをくみ上げながら、静かにそう言った。サニーはレドを招き入れながら、祖父に答えた。
「傘屋のレドさん。……アスタ・ファミリーのことを相談したの」
「若いの、心配をかけてすまんな。サニーのことを気にかけててくれたのか。しかし、もう心配はいらない」
「ご老人、それはどういうことです」
「こんなことも長くは続かせん。……ほかならぬ俺がビッグボスなのだからな」
白髪頭の眼帯をつけた老人は、ともすれば狂人と取られかねないようなことを言い放った。サニーの祖父は、ボケてきて数年経つ、と聞いたことがある。しかし彼の残った左の眼は、とてもそのような風には思えない光を宿している。間違いなく正気だ。
「まもなく、この騒動も終わるはずだ。……今回の騒動はすべて俺の罪。子供たちの不始末は大人がつけねばならない。……サニーたちの世代に、罪を継承する必要などない」
サニーは言った。祖父・デイブはアスタ・ファミリーのビッグボスその人であり、理由あってずっと正体を隠したままであったと。にわかには信じがたい話ではあった。
「それも無理はないだろうな。ほかならぬ俺が、三十年前信じられなかったのだから」
「ご老人。あなたはもう心配ないと言った。それはどうしてです」
レドが当然の疑問を呈す。デイブはわずかに微笑んだ。その笑みの理由はわからなかったが、レドは同じような笑みを何度も目撃したことがあった。
人は死に直面すると笑う。どうしようもない避けられ得ぬ死に対し、覚悟して笑うのだ。デイブの笑みはそれに似ていた。死への覚悟。今のデイブにはそれがあるというのか。
「老人には、それまでの世代に対する責任があるものさ」
レドが何か声をかけようと、口を開いた直後。突如扉が蹴破られ、数人の男と、黒人の大男が乱入してきた! なだれ込んできた男どもに突き飛ばされるレドにサニー。
「誰だ、貴様ら」
「こりゃあ驚いた。確かに偉大なるビッグボスとうり二つじゃねえか。……おう、嬢ちゃん。迎えに来たぜ。ボスがお待ちだからよ。挨拶しに来るんだよ」
サニーの手を強引に引く男どもに対抗し、レドは男どもに立ちはだかってサニーをかばった。アスタ・ファミリーの連中です。彼女は恐怖から小さくつぶやく。
「貴様、俺がビッグボスと知ってのことか」
「ビッグボスはすでに死んだぜ! 今は大蛇のライタ様がボスよ。そして、そのボスが呼んでいなさるんだ。光栄に思いやがれ」
そういうと、黒人の大男はデイブに短剣を突きつけた。レドも黒着流しの懐に手を突っ込もうとするが、辞めた。あまりに多勢に過ぎる。
「レイヴンの兄貴、この野郎どうしましょう」
レドの喉元にも切っ先がつきつけられていた。彼は殺しを生業とする男であるが、いかにそうした裏稼業の人間でも限界というものがある。ここで得物を取り出して一人殺すのは簡単だが、この場にいる全員を殺すのは難しいだろう。
「誰も殺すなと言われてるからなあ。しかたねえ、そいつも連れていけ」
ドモンが教会に来るように、ジョウから呼び出されたのは、夕暮れ時で日が傾いたころだった。嫌が応にも先日の出来事が思い返される。アリエッタとの密談を何かいやらしいものと勘違いされた夜、ドモンは帰宅した後妹のセリカにみっちりと絞られる羽目になった。セリカの説教に、さめざめと泣く妻ティナの姿を見て、良い気分にはならなかった。彼女の機嫌は一晩経った今も治っていない。
「浮かない顔しちゃってどうしたのさ」
「どっかのシスターのせいで、家庭が凄いことになってんですよ」
ドモンは腐りかけの聖堂のベンチに腰掛け、月明かりが覗く、折れた巨大十字架オブジェを見上げる。その下には、祈りを捧げるため跪くシスター・アリエッタの姿があった。
「で、どんな依頼です。標的は?」
「標的は、アスタ・ファミリーのボス、大蛇のライタと、最高幹部の二人だってさ」
ジョウは背中を柱に預けながらこともなげに言った。ドモンは深くため息をつき、おさまりの悪い黒髪をぼりぼりと掻く。
「バッカじゃないんですか、あんたら。相手が誰かわかってんですか?」
「所詮やくざでしょう。殺せば死ぬわ」
振り返ったアリエッタは、くすんだブルーの前髪をかき分け、赤渦を巻いた瞳を晒していた。彼女は怒っている。最近ドモンもわかっていたが、この状態の彼女は非常に何かしらの感情が高ぶっていることが多い。
「金は?」
「金貨三十枚。この方が、全部出してくれたわ」
崩れた巨大十字架オブジェの下に、ずぶ濡れの男が一人佇んでいた。がっくりとうなだれ、腹を抑えたままだ。
「もう死んでるじゃないですか」
「この人、アスタ・ファミリーの元最高幹部だったんだよ。ビッグボスとのことを話してくれたよ。今の組織も、こんなんじゃなかったって、ずっと悔やんでた」
リンクス。それが男の名前だった。川に流され、出血多量で死にかけていたところを、たまたまアリエッタが拾い上げ、教会に担ぎ込んだのだ。彼は死の恐怖に襲われながら、伝えるべき真実を話し、必死にアリエッタに救いを求めた。
『大蛇のライタは自分の精神的兄妹であるサニーの存在を許さんだろう……。自分の父親を偽物に追いやった、ビッグボスの……デイブの存在も! わたしがけりをつけなければならない。このような復讐の連鎖を断ち切らねば、ファミリーに未来はない……! 頼む、二人を助けてくれ……! ボスを、幹部たちを……組織のために……殺してくれ……!』
彼はそう告げると、がっくりとうなだれ動かなくなった。力尽きたのだ。彼は言った。サニーとデイブ。アリエッタ、そしてジョウには大いに聞き覚えのある名前であった。リンクスはイヴァン内部に金を隠しており、彼の『遺産』とでもいうべきそれをジョウに回収してもらう合間、彼女は南西地区聖人通りに足を運んだ。
デイブの自宅はもぬけの殻であった。それも、何者かが踏み込んだような荒らされ具合。そして、彼女が見たのは、傘の束。木製ハンドルに刻まれた市松模様のレリーフは、製作者が何者であるかを表している。
つまり傘屋のレドもこの件に巻き込まれた。
「……それで、助けに行くってんですか? じじいと孫、それに傘屋を? あのねえ、ぼくらは断罪人ですよ。殺してなんぼの商売です。目撃者だっていたら消さなくちゃならない。そんな中で、あのアスタ・ファミリーの大幹部を? やってられません。降りますよ、僕は」
ドモンは広い袖口に両手を突っ込みながら、踵を返して聖堂の出口へと向かう。彼はリスクをとる。アリエッタはそれがよく分かる。断罪人とは、人の復讐を金で受ける、地獄行きは免れぬであろう職業だ。当然他人より自分をとる。ドモンもいかに仲間の命がかかろうと、危険であると判断すれば動かない。
「でも、レドなら言うんじゃないかしら」
ドモンは足を止め、深い隈の刻まれた目をアリエッタに向けた。
「『それをやってこそ玄人だろう』ってね。ドモンさん、依頼人は二人を助けろと言った。そして標的を殺せとね。そのために遺したのがこの金よ。金貨三十枚、四人で分けて金貨七枚に銀貨五枚。……私もジョウも、やるわ。……あなたはどう?」
ドモンはまだ動かない。見かねたジョウがベンチから立ち上がり、彼に告げた。
「踏ん切りつかないなら、朗報だよ。ボスのライタは、ビッグボスとの『会談』のために、イヴァン郊外にわざわざ別宅を用意してる。何しようがバレないって寸法さ。……部下は数人、標的も全員揃ってる。殺されてなきゃ、レドもいるはずだ」
ぼりぼりと頭を強く掻きむしった挙句、ドモンは苦悶の声を挙げ、ようやく決断した。彼は腐りかけの聖書代に置かれた金を取る。時間がない。
「だいたいね、あのガキは巻き込まれすぎなんですよ。なんで僕らがいちいちケツ拭かなくちゃならないんです」
ぶつぶつ文句を垂れるドモンであったが、もはや言ってもどうにもならない。相手が悪いと恨み言しか出なくなる。それがドモンという男であった。
「兄妹! ……初めましてだなァ。感動の再会だ」
ライタは支配者のごとき態度で椅子から立ち上がり、手を広げて二人を迎えた。言葉通り、感動の再会とみることもできただろう。ずらりと並んだ屈強な男どもが部屋の壁に背中をつけ、サニーとデイブを圧倒していなければの話だ。
「じじいと女を連れてくるのに、大層な出迎えだ」
デイブは毅然とした態度でそう言い放つ。ライタはそれに笑顔で返した。まさしく余裕の笑みである。
「あんたはまさしく俺の親父だ。俺は『ビッグボスの息子』だからなァ」
「……ならば『息子』よ。ファミリーの誇りを汚すような真似をやめろ。もっとも俺が何か言える立場でないことはわかっている。だがお前の父親の誇りを汚すことはない」
ライタはとうとうデイブの言葉に対して、顔を片手で覆いながら爆笑し始めた。
「誇り? ハ! 誇りで金が稼げるか? 女がついてくるか? 『親父』、俺は悪党だ。よって俺のファミリーも悪党だ。金と女、圧倒的権力に暴力! それを使わない手はねえ。秩序だの誇りだの、そんなものは犬に食わせればいい」
彼はゆっくりと自分の『兄妹』、サニーの顎をくいと持ち上げた。銀髪の、まだあどけなさの残る美しい少女だ。彼はにやりと笑った。
「兄妹……とは言ったが、俺とお前の血は繋がってねえ。いい女だ。どうだ? 俺のところに来る気はねえか?」
「何を……」
その瞬間、ライタはたくましい腕を彼女の腰に回し、自分の体にくっつけるように引き寄せた。我が物顔で孫の体を撫でまわすのは、デイブにとってもいい気分ではない。
「女はいくらでも使い道がある。いいもんだぜ。俺のものになれば、金に苦労はさせねえ」
ライタの言葉に、部下一同が下卑た笑みを見せた。ろくでもないたくらみだ。デイブはいよいよ自身の上着の裏に仕込んだ、長ナイフのことを考えた。自分の時代から、アスタ・ファミリーはそうであった。ボスという一人のカリスマのために、いくらでも組織としての姿を変える。昨日までの正しさが、今日の正しさに繋がらない。
それは組織の強みであり、弱みでもある。ボスが変われば、組織が変わる。ボスが死ねば、組織も瓦解する。
「しかし、一方でこんなことわざもあります、ボス。『老人は最初にパーティから去る』」
応接間の扉を閉め、高い見識を披露しながら入室してきたのは、ベネディクトであった。
「レイヴンには見張りをさせています。……お前らも表の警備に回れ。誰もとおすなよ」
彼の的確な指示に、部下たちのうち数人が表へと回っていった。応接間には、ライタとベネディクト、そして連れてこられた二人だけが残された。
「我々にとってのビッグボスは、ボスのお父上ただ一人。そもそもあなたの存在自体許されないことだ。……そしてその血族も、もはや存在してはならないのです」
ベネディクトは応接室の壁にかかった剣を取り、すらりと刃を抜いた。わかり切っていたことだ。デイブは覚悟したが、一方で一抹の不安が通り抜ける。果たしてこの老いた体で、大人二人を殺すことができるだろうか。孫を守り抜くことができるだろうか。
「親父、安心しろ。俺は想像以上にサニーが気に入ったぜ。殺すのはヤメだ。あんたは別だがね。……殺れ」
デイブは身を固くし、上着の下へ手を突っ込もうとした、その時であった。
廊下の先から、怒号が響いた。カチコミだ。殺せ。生かして帰すな。物騒な言葉が飛び交っている。何者かが襲撃してきたのだ。いったい誰が。ライタはサニーを離し、ベネディクトへと託した。
「親父。うるさくてかなわん。場所を変えよう。どうやら、あんたも俺に話があるようだしなァ」
「おじいちゃん、やめて! いっちゃだめ!」
たまらず、いままで押し黙っていたサニーが叫ぶ。唯一の家族を、ようやく本当の姿を知った祖父の姿をとどめるために。だがデイブはわずかに笑みを浮かべるばかりだった。安心しろ、必ず戻る。そう言っているかのように。
数分前。
アスタ・ファミリーの別宅は、高い城壁で囲まれたイヴァンの外に位置している。東西南北の門近くであれば、小さな宿場町ができていてにぎわっているが、それすらもない人里離れた場所だ。
よって、誰かが迷い込んでくることなどまずありえない。アスタ・ファミリーの別宅であることを知っていれば、なおさらだ。
始めにその男の姿を見つけたのは、退屈そうにあくびをしていた門番だった。例にもれずファミリーのごろつきである彼は、男の格好を見てすぐに身を固くした。闇夜に浮かぶ、白いジャケット。それは憲兵団所属の証だ。すぐさま敵だと気づく。紫色のマフラーが揺れる。男は左手に真っ赤な傘を携えていた。
「憲兵官吏が、なんの用だ」
暗がりの中で、男は口元だけ笑って見せた。
「いや実はですねえ、厄介なことになりましてね」
「ここは天下のアスタ・ファミリーの屋敷だぜ。バラされたくなきゃ、早く帰るんだな」
「そういうわけにも行かないんですよ。忘れ物を届けに行かなくちゃならないんで」
おさまりの悪い黒髪をぼりぼり掻きながら、男は言った。目元の深い隈に隠されていたが、門番は男の闇めいた瞳にぎょっと後ずさる。とっさに、長ナイフを抜いた。それがいけなかった。
「……ついでに、死んでもらうぜ。全員な」
「カチコミだ!」
「殺せ! 生かして帰すな!」
ドモンが剣を抜き払う。赤い傘が地面を転がる。抜刀の勢いで、男は胴体を斬られ即死! 門をくぐると、案の定長ナイフやら剣やら構えた男どもがわらわらと殺到! その数ざっと九人!
「大変だあ! ボスが狙われてるぞ! 侵入者が、こっちにも!」
突如、何者かの声が響く。ボスに命の危機が迫っている。その混乱が、一瞬の隙を産んだ! ドモンは一瞬足の止まった男どもを斬る! 二人、三人! 細く綺麗に舗装された石畳の上を、まるで何事も起こっていないかのように、襲い掛かる連中を切り倒しながら進む! 五人、六人!
「……つなぎ屋もうまいこと入り込んでるみたいですね」
八人目を袈裟懸けにぶった斬り、ドモンはようやく刃に残った血をふるって飛ばし、剣を収めた。直後! 植込みに隠れていた九人目がそろりと迫り、後ろからナイフを腰に構えて突っ込んできた。気づいていない。彼はそう思ったことだろう。ドモンは柄から手を離していなかった。そのまま振り返りながら剣を抜き、柄でナイフを持つ手にぶつけて骨を砕いた! 叫ぶ間も与えず、上から刃を振り下ろす! 九人目の男は頭を砕かれ即死!
「……割に合わないですねえ、これ……」
転がった傘の埃を乱暴に払うと、ドモンは目的の場所へと向かった。傘屋のレドの元へ。
ドモンが剣を抜いたのとほぼ同じ時刻。
レイヴンはレドを拘束している、二階隅の部屋にやってきていた。門番など飽きてしまったのだ。
「なんです、あんたは。俺の事を見に来たんですか」
「……まあな。俺はよう、べっぴんさんを見るのが好きなんだ。女でも、男でもな。ボスにはあのガキを差し上げたわけだからよ。……俺はおめえで楽しむとしようか、ええ?」
レイヴンは不自然なほど顔を近づけ、縛っていた手首をほどいた。なるほど、この男はそういう男なのだ。生暖かい息が気持ちが悪い。
レドが何か口にする直前に、なにやら怒号が響いているのが聞こえた。外からだ。そして、明らかに聞き覚えのある声がさらに響く。
「大変だあ! ボスが狙われてるぞ! 侵入者が、こっちにも!」
「なんだあ、カチコミか? ふざけやがって……」
レイヴンは窓から外を見たが、その先には何もない。ことが始まっているのは、逆方向なのだ。窓を開け、何事かを確認しようとする彼の首に、屋根の上から手が伸び首を掴んだ! 並みの大人でも見上げるほどの大男である彼を、手の持ち主は魔法でもかけたように屋根の上へ引きずりあげ、レドの視界から消えた。
彼は断罪人達が動いていることを察すると、自身がやらねばならぬことのために立ち上がり、自らを縛り上げていた縄を床に叩きつけ、一階へと降りて行く。ちょうど階段の下には、ドモンがやってきていた。
「傘屋。忘れもんです。あと、こいつは断罪の金。金貨七枚に銀貨五枚」
赤い傘と金を受け取り、レドは断罪人になった。氷のように冷たい瞳が、わずかに漏れるサニー、幹部のベネディクトの声が漏れる部屋の扉へと突き刺さる。
「あんたには借りができたな、二本差し」
思いのほか素直にそういうレドに、ドモンは面食らった。相変わらずの仏頂面だが、そのような殊勝なことが言えたのか。レドは奥への扉を勢い良く開けた。何をトチ狂ったのか、ベネディクトは上半身裸のサニーをテーブルにうつぶせに押さえつけていた。レドは普段より乱暴に傘を開き、中の鉄骨を折り取った。
勢いで揺れる扉が閉まり、また勢いで開いた。
レドはベネディクトの後ろに立ち、鉄骨を振り上げていた。
勢いで揺れる扉が閉まり、また勢いで開いた。
レドはベネディクトの首の後ろに、鉄骨を振り下ろしてずぶずぶと鉄骨を突き刺していた。
勢いで揺れる扉が閉まり、レドがそれを押し開けて姿を現した。ベネディクトは死んだのだろう。扉の奥で体が床に転がった音が響いた。サニーの叫び声も。
「レド、旦那。ライタは屋上だ」
いつの間にか、ジョウが下に降りてきていた。直後、ものすごい音が響き、玄関のそばの地面にレイヴンが叩きつけられ即死していた。おそらくアリエッタが突き落としたのだ。
「わかった。ジョウ、二本差し。サニーを頼む」
「では、お行きなさい。神の慈悲の届かぬ場所へ」
アリエッタは屋根の最上部から、レイヴンの背中を無慈悲に押した。彼は坂を下りるようによたよたと歩かされる。右、左、右左、右左。右左右左右左右左。
「とめ、とめて! たすけて! とめて! たすけて!」
屋根のヘリまで言ってようやくなんとか踏みとどまろうとするレイヴンであったが、なすすべもなくバランスを崩し落下、地面に叩きつけられ即死! 彼女はそれを目視して確認して、屋根から立ち去ろうとした。
その直後、風にあおられて布が飛んできた。その布は夜闇と同じ黒スーツの上着であった。毛皮のマフラーも運命を共にした。アリエッタはそれを避けて、どこから飛んできたのかを見た。
持ち主は大蛇のライタであった。
「親父! ……個人的な決着をつけよう。ボスは二人もいらない。ボスは一人でいい。俺は大蛇だ。あんたごとき、呑み込んでやる!」
上半身裸となったライタは、拳を構えた。デイブもまた、拳を構える。親子以上に年の離れた二人だ。体のつくりと若さからいっても、老人デイブに勝てる道理などどこにもない。己の責任感と、サニーを想う気持ちだけが、彼を奮い立たせているのだ。
案の定、ライタの右ストレートでデイブは吹っ飛ばされる! ライタはゆっくりと彼に近づき、胸に腰を下ろし、二・三発顔を殴りつけた。
「これは、『俺の』親父の分だ!」
なおもライタは殴る。デイブの歴史を経た骨が簡単に砕け、口や鼻、目からどろりとした血液が噴き出す!
「何が、秩序だ! 規範だ! ファミリーだ! そんなもののために、俺の血は呪われた! 親父はお前のまがい物に堕ちた!」
もはやデイブの光は失われた。ただでさえ片眼は見えぬのに、もう片方もつぶれたのかもしれない。彼は案外冷静にそれを考えていた。自分は、あまりにも長く生き過ぎたのだ。
「これで、終わりだ! くたばれ、ビッグボス!」
拳は振り下ろされなかった。ライタは己の拳が、何者かに掴まれていることに気付いた。振り向くと、赤渦を巻いた瞳が彼をのぞき込んでいるのだった。
「誰だ……てめ」
アリエッタはライタの顔を手でつかむ! あまりの力に、顔中の骨が軋む音が、ライタの頭の中に響いた。アリエッタに引き寄せられるように、彼はそろそろと立ち上がらされると、今度は彼女のわきに首を固められた! がっちりとはまった首は、ライタの力では全く振りほどけない!
「や、やめ……」
直後、アリエッタは彼の首を固めたまま背中方向に倒れこむ! ライタの顔は屋根に叩きつけられた! 現代で言う、フロントネックチャンスリードロップである!
彼女は叩きつけられたまま動かなくなったライタを横目に、デイブの元に駆け寄った。彼を抱きよせ、肩を叩くが反応がない。胸に耳を当てると、弱弱しいが心臓が動いていることが分かった。生きている。病院に担ぎ込めば、助かるだろう。
「まだだァ!」
瓦礫をかき分ける音が鳴った。アリエッタが振り向くと、なんとライタが起き上がろうとしているところであった。馬鹿な。確実に首の骨を折っているはずだ。立ち上がれるわけがない!
「まだ、終わってなァい!」
両目から血の涙を流し、よろよろとライタは立ち上がった。獣のように息を吐き、歯を剥きながらアリエッタのほうへ、一歩一歩近づいていく。
「殺す! 全員……殺してや」
夜闇に、赤錆色が揺らいだ。月明かりが高く掲げた鉄骨を照らす。ライタの首後ろを鉄骨が正確に貫き、ライタは膝から崩れ落ち、そのまま前のめりに倒れこんだ。今度は二度と動かないだろう。ボスは一人になったのだ。
「サニー、飯は」
「おじいちゃん、さっき食べたばかりでしょう?」
「ああ? ああ……そうだったな」
結局、サニーには何が起こったのかわからずじまいであった。デイブはそれこそ魔法が解けたかのように、今まで通りのボケ老人に戻ってしまい、今まで何が起こったのかを聞いても答えられなかった。彼女自身も、ベネディクトに襲われた後の記憶が定かではない。いつの間にか、祖父と同じ病院に担ぎ込まれていた。
「夢か何か見ていたんじゃないですか」
あの日、同じようにライタ達に捕らえられた傘屋のレドも、そんなことは知らないと言い張った。アスタ・ファミリーも、ボスのライタを始めとした、あの恐ろしい幹部たちが忽然と姿を消したために、すっかり成りを潜めてしまったという。彼女には、何もかもわからずじまいのままであった。
イヴァン南地区、帝都最大の大通り、アケガワ・ストリート。
「旦那、何やってんの」
営業の途中、すっかり休日姿のグレイの着流しを身に着けたドモンへ、ジョウは声をかけた。両手には、なにやら大量の箱の入った袋。
「見てわかりませんか。あのシスターのおかげで、僕はせっかくの稼ぎを妻へのプレゼントに使ってるんです。ご機嫌取りですよ」
「奥さんは?」
「店でまた服を選んでますよ。妹まで一緒になって。全く、バカみたいですよ」
店の中では、ティナとセリカが笑顔で服をとっかえひっかえしていた。まだまだ彼女らの買い物は終わりそうにない。
「それにしても、お義姉さまには感服いたしましたわ」
「当たり前です、ティナさん。あのお兄様が、浮気をするような甲斐性があるわけがありませんから。……それを利用するのも、私たちの才覚というもの。女は男をうまく利用してナンボですよ」
「勉強になりましたわ!」
妻と妹の密談などつゆ知らず、ドモンは貴重な休日と稼いだ金を、ただひたすら浪費するのであった。
拝啓 闇の中から跡目が見えた 終




