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必殺断罪屋稼業  作者: 高柳 総一郎
拝啓 闇の中から秘事が見えた
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拝啓 闇の中から秘事が見えた(Aパート)




 朧げな光が部屋に満ちていた。

 オレンジ色のゆらめくランプの光の奥で、ベッドが軋んでいた。折り重なる男女の息遣い。影が重なり、揺れる。やがて、二人は離れ──男はベッドに腰掛けた。

「……奥さん。もう、こんなことはやめにしませんか」

 男の物言いに、毛布を掻き抱いた女が身体を起こす。女は微笑み、男の背中にぴたりと張り付いた。

「どうして?」

「どうして……って」

「ニコルさん、酷いじゃない。あなただって、十分私で楽しんでいるのでしょう?」

 背中から肩に這う、女の白く艶かしい手。ニコルはその手をそっと離すと、彼女に向き直って言う。

「あなたのせいにするつもりはありません。ですが……こんな火遊びはあんまりにも……」

「あの人の事を気にしているの?」

 びくり、とニコルの背中が揺れた。動揺しているのだ。女は自分の薄紅色の唇に触れ、彼の背中を指でなぞる。

「大丈夫よ。あの人、どうせ遊撃隊務めなんだから。北の大監獄に旅立ったばかりなのよ? だから、大丈夫よ……」

 女は自分の肩まである茶髪に手櫛を通しながら、ニコルの首を回させ、半ば強引に唇を寄せた。

「ねえ、だから時間あるのよ。今日は、ね」

 もう一度唇を寄せる。離そうとしない彼女に、ニコルは折れ、彼女の腰に手を回し、そのまま押し倒した。夜は長かった。二人の夜は、永遠に終わらないかのようだった。少なくともその時だけは、ニコルはそう思ったのだ。







「それではあなた、いってらっしゃいまし」

 しっかり着込んだ憲兵団の制服。トレードマークの白いジャケットに袖を通させ、赤い布に包んだ弁当を差し出す。よどみない一連の動作の結果を手に取り、ドモンは眠そうにあくびをした。

「あなた。今日も憲兵官吏として、恥ずかしくない態度を取ってくださいまし」

 ドモンの妻、ティナは栗色の長い前髪に触れながら、しずしずと頭を下げた。

「はいはい」

 ドモンはと言うと、自分の寝ぐせだらけの黒髪を掻きながら、なおもぼーっとする自分を、眠気から何とか取り戻そうとしていた。

「はいは一回でしょう! 全くそれでもあなた、このイヴァンを守る憲兵官吏として!」

 小動物めいたティナが発しているとは到底思えない程の怒声! さすがのドモンもご近所への影響があると感じ、眠い頭を奮い立たせ、火消しにかかった。

「わかりましたよ……朝から頭が痛くなりますから、そうキンキン声を出すのはやめて下さい」

「では、今日もしっかりお勤めを。それが出世と明日のパンに繋がるのです。離れにかけた費用の支払いもあるのですから、いいですね」

 丸い瞳から発せられているとは思えぬ程、鋭い視線。ドモンは刺すようなその視線から逃げるように背中を丸め、小さく返事をするのだった。

「……はい」






「全く、口を開けば出世だ何だと。気苦労が増えるのは亭主の僕っての、分かってんですかねえ」

 ドモンは手にした弁当を揺らさないように気をつけながら、西地区自由市場・ヘイヴンを歩く。朝の時間帯でも、ここは騒がしい。帝都イヴァンに入ってきた生鮮食品は、この朝市でさばかれる。昼ごろには商品がほとんど無くなくなるので、別の店に入れ替わるのだ。誰が決めたわけでもない、自然とできた習慣めいたものであった。

 そんな中、ドモンは奇妙なものを見た。生鮮食品が並ぶ出店──中には、ござを広げただけの粗末なものもある──の中に、なぜか傘屋が開いているのだ。

 何本か並べられた傘。色とりどりの美しいそれは、見るからに高級品なようであった。そういったことに無頓着なドモンですら、美しいと感じる程だ。店主の顔を見ると、黒地の着流しを身につけた、赤錆色の長い髪の男であった。まるで彫刻のように整った顔立ち。本当に生者なのか疑わしいほどのその雰囲気は、誰もが一度は振り向くだろう。

 そして、その男をドモンはよく知っていた。

「なんです、商売をやってんですか」

「……ああ。同じだよ、あんたと。普段何もしてないよりは、変に思われないからな」

 レドは無表情なまま、淡々と述べた。そういえば、彼は「傘屋」と呼ばれている男だった。なるほど、それならば傘を作る職人であってもおかしくはない

「ほーお、それはそれは」

 ドモンはにたにたと後ろを向きながら、手をちょいちょいと招いてみせた。これは、遠巻きに賄賂をせよと言っているサインである。役人にあるまじき行為だが、この自由市場ヘイヴンはドモンの管轄、多少のお目こぼしならば、ドモンへの金次第でまかり通る。そうでなくとも、自由市場は叩けば埃の出そうな連中が、おかしな商売をしているのだ。ドモンからこうして賄賂を要求することも、珍しくないし──それに屈する連中も多いのだった。

 レドはそんな事情を知ってか知らずか、黙したまま拳を伸ばし、ドモンの手の上で開く。彼は手のひらの上で受け取ったそれを袖の中でしまいながら、がっかりしていた。

「……銅貨一枚ですか。子供の駄賃じゃないんですけどねえ」

「稼ぎが少ないと言ったろう」

「はあ、そうですか。じゃ、あんたが稼いでる時にしますよ」

「役人は下らねえことで稼ぐんだな」

 レドが投げつけた言葉もなんのその、ドモンは背中で受け止めると、ひらひら手を振りながら、去っていった。






「ドモン先輩、大変っすよ」

 朝一番にデスクについたドモンを待ち受けたのは、隣の席に座る後輩──ジョニーの笑顔であった。オールバックになでつけた金髪、剃り落とした眉毛。明らかにチンピラめいた男ではあるが、勤務態度は極めて真面目。ティナが度々、手本にしろとうるさく言っているほどである。

「いやマジでヤバイんすよ。スッゲー噂聞いちゃって。自分マジビビリましたから。……聞きます?」

 どうやら、相当おもしろい話らしい。ドモンとて、そういったうわさ話に興味が無いわけでもない。

「……面白い話でしょうね?」

 にやりと笑みを浮かべるドモンに、ジョニーは破顔する。

「モチですよ、先輩。……実は、遊撃隊の同期に聞いたんすけど……ほら、去年異動したアトキンスさん。覚えてます?」

「ええ。怖い人でしたよねえ」

「そのアトキンスさんの奥さんなんですけど……どうやら、浮気してるらしいんすよ」

 帝都イヴァン内部の治安維持組織である憲兵団と違い、遊撃隊は、それ以外の帝国領土に足を伸ばせる強力な捜査権限を持つ。

 アトキンスは、憲兵団の仕事では満足できなくなり、広域捜査機関である遊撃隊へ異動していったという経歴を持つ男であった。まるで鬼のような顔立ちをしている偉丈夫で──そのくせやたら愛妻家であった。一度、ドモンもアトキンスの奥さんを見たことがあるが、すらりとしたスタイルの良い美人であった。

「……その浮気の相手っていうのは?」

「いやそれがわかんねえんすよ。いやしかし、度胸ありますよね。確かにあの奥さん美人ですけど、アトキンスさんの目をかいくぐってまで挑戦しようだなんて、マジやべえっすよ」

 ジョニーはしみじみとそうつぶやくと、机の上に広げた書類に真面目に取り組み始めた。

 浮気。自分には縁遠い言葉だ。

 ドモンはなんとはなしに、そう考えるのであった。ティナにバレた時のリスクを考えれば、自殺に近い挑戦であろう。

「それでも、挑戦したくなるもんなんですかねえ……」

 ドモンもまたしみじみつぶやくと、タワーのごとく積み上がった書類にとりかかるのであった。

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