拝啓 闇の中から隠匿が見えた(最終パート)
「……旦那、そりゃ……そりゃあ本当なんですか」
南西地区、聖人通りにあるアパートの一室。ドモンはアンダルクの視線を背中越しに受けながら、それ以上なんと言葉をかけて良いものか迷っていた。
「確かな筋です。僕も裏を取りましたしね……色街じゃ、道のど真ん中で亡くなった娼婦の恨みがまだ残ってるとか、有名な話だそうですよ」
「何かの間違いじゃないんですか」
アンダルクは伏し目がちにそう繰り返した。そんなバカな。彼の記憶は十年前へと巻き戻る。ふとしたことから、トーア達貴族の子弟と知り合った。その時は大した間柄でもなかった。たしか、アジェンダが好きな女にアクセサリーを贈りたいと、当時修行中だったアンダルクの露天にやってきたのが始まりだった。
思いの外、アンダルクのアクセサリーはアジェンダの狙っている女に好評だったらしく、彼は同じ貴族の子弟であるトーアやテリオスにアンダルクの話をした。いつの間にか貴族と平民の奇妙な交流が始まった。
しばらくは、四人は仲の良い友人であった。酒を呑み、下らないことを語り合う仲間であった。彼らのたまり場──高級サロンである『ラッキーセブンティーシックス』にも入ることが出来た。それでも、アンダルクは考える。
所詮彼らは貴族であり、自分のような平民の職人とは、生きる世界が違うのだ。
事実、付き合う時間が増えていくにつれ、トーア達はアンダルクをまるで部下のように扱った。その違和感は日毎に増大していったが、アンダルクは気にせず彼らの『友人』で在り続けた。
双子の妹、カヤやリタにもっと良い暮らしをさせてやりたい。そのためには、貴族達に通用するアクセサリーと、それを売り込むルートが必要だ。トーア達はその入口、利用してくるならば利用してやればよい。
しかし、トーア達はそれを容易に上回ってみせた。
寒い夜であった。夜中に真っ青な顔をしたテリオスに呼び出されたアンダルクは、彼らが殺した二人の男の死体が転がっていた。恐らく手を下したのであろう──未だべっとりと血のついた剣を握ったままのアジェンダと、間違いなく寒さ以外のことで震えているテリオスをよそに、一人冷静なままのトーアが口を開いた。
「アンダン君。……助けてもらえないか」
「これはまずいですよ、トーア様。憲兵団に自首を……」
「助けてもらえないか。これは、正当防衛だ。僕らが証言する。君は身体を張ってぼくらを守るために、アジェンダの剣を取って殺した」
「冗談じゃありませんよ」
「冗談でこのような事を言うと思うかい。礼はする。必ずする。君の妹の面倒を一生見る。こう言ってはなんだが、君の稼ぎじゃ妹さん二人を学校にも入れてやれないんだ。妹さんのために、僕らはなんでもする。もちろん君の釈放のために動くこと前提でだ」
アンダルクの心は揺れた。正当防衛でも、人を二人も殺してしまえば間違いなく北の大監獄行きだ。そうなれば、一生妹達の元へは帰れまい。
しかし、トーアの言うとおり、妹以外に身寄りのないアンダルクが作れる金はわずかなものだ。駆け出しの職人である彼の収入では、たとえ無理やり入学させても学費が続かない。
妹を、幸せに。
おろかにも、アンダルクが考えたのはそのようなあさはかなことであった。彼はドモンに捕まり、甘んじて裁判を受け──大監獄に送られた。妹達の幸せを信じて。
「……旦那、ありがとうございました」
「何度も言いますがね。まっとうに、生きるんですよ。変な気を起こさないことです。世間の目はいつだって厳しいですから……」
アンダルクはドモンに頭を下げたまま、彼が家を去り、通りの角を曲がるまでずっとそうしていた。ドモンはまともに彼の姿を見ることが叶わなかった。十年という時は彼にとってあまりに長すぎたのだ。
ドモンが去った後、アンダルクは殺風景な己の部屋を顧みた。簡素なベッドだけの、西日の当たる部屋。彼の心の中と同じく、彼以外誰もいないがらんどうの部屋。彼はアクセサリーに細工を刻むノミをぐいと掴むと、懐に押し込むんだ。どこへ行き、何をすべきか。彼にはすべてがもうわかっていた。
ラッキーセブンティーシックスには、あまり人の気配がなかった。今日は特別な日だ。トーア・グロージャンは綿密に根回しを終え、バー・カウンターのスツールへと腰掛ける二人の友──アジェンダとテリオスの肩を叩いた。
「……どういうことか、説明してもらいましょうか」
アンダルクは静かな怒りをたたえながら言った。トーアは微笑みながら、一人彼の前に立つ。
「アンダン君。……これは不幸な間違いだったと言う他無いよ。非常に残念だ」
「どういうことです」
「……そうだな。カードは好きかい、アンダン君」
トーアは赤い外套の裏ポケットから、カード・デッキを取り出すと、側にあったバー・カウンターの上に手で丸く広げた。五十二枚ある、帝国でも一般的な遊戯用カードだ。
「このカードにはいろいろな感情がこもっている。君がいなくなった後、みんなでこれにハマってね。しかもおあつらえ向きに、このラッキーセブンティーシックスに、遊技場ができたんだ。勝ったり負けたり……いや恥ずかしい話だけど、負けたりするほうが多かったかな」
「だから、何を……」
「君の妹さん達は小さかった。でも、世の中捨てたもんじゃない。将来の可能性に賭けるって意味でさ。ぽんと金貨二百枚も出してくれたんだ。有りがたかったね。なにせ僕らの作ったカード・ゲームの借金はそれでチャラになって、お釣りまで帰ってきたんだ。とても儲かったよ、君の妹達は」
アンダルクは自分の懐のノミを握りしめていた。ゆっくりとそれを取り出す。トーアはなおも微笑んでいた。いや、笑っていたかもしれない。彼にとってみれば、それこそが彼の狙いだったのだから。
「……それで、アンダン君。どうするんだい。その小さなノミで」
アンダルクは奥歯を砕きそうになるのをこらえ、怒り混じりにようやく声を絞り出した。
「こ……殺す……殺してやる……!」
トーアはバー・カウンターの二人に振り向き言った。
「聞いたかい」
「聞いた」
「僕もだ」
彼らが剣を抜いたのは、ほぼ同時であった。アンダルクは声を挙げ、ノミを振り上げる。がら空きになった胴に、アジェンダの長剣の刃が滑りこむ! 勢い余って床に転がったアンダルクは、自分の腹が切り裂かれたのも構わずよろよろと立ち上がる。テリオスがアンダルクの背中を切り裂き、よろめいて前へでたところを、トーアが剣を腹に突き入れた!
「君が悪いんだ、アンダン君。僕らを殺そうとするなんて、ひどいじゃないか……だからこうして、返り討ちにしなくちゃならないんだから……」
刃を抜いたと同時に、アンダルクの身体はごろりと床に転がり、動かなくなった。それを慎重に見届けてから、三人組は剣を納める。
「殺ったか」
「ああ」
「間違いなく、殺ったね。ずいぶんおいしい思いをさせてもらったのだから、せいぜい感謝しようじゃないか。我らが友にね」
広がっていく血の海に沈む、アンダルク。天井裏からそれを覗くものが一人あり。妹達を担保に金を貸し付けた娼館を見つけ出した、ジョウだ。彼はゆっくりと天井板の隙間を埋めると、足音を忍びながら去っていった。
廃教会に集う四人組は、いつもより静かだった。
アリエッタは、いつだったか助けたアクセサリー屋の青年と、双子の妹を失った男が同一人物であり、そして死んだことにショックを受けたのか──無言でベンチに腰掛け、祈りを静かに捧げるばかりだ。
ジョウも凄惨なアンダルクへの私刑を見て、いつものように明るく話そうと言う気をなくしていた。黒スーツに市松模様のネクタイピンで赤いネクタイをとめた『夜の衣装』に身を包んだレドは、無言で静かに時を待っている。
そして、紫色のマフラーを巻いたドモンは、皆に背を向け、夜空を見上げていた。今日は薄曇り。雲と雲の間から、月が覗き顔を出す。
「正当防衛だそうですよ。あの貴族三人の親の力もあって、多少怪しい事があっても見ぬふりですよ。人を馬鹿にするのも、いい加減にして欲しいもんですねえ」
彼は静かにそれだけ述べた。そして、腐りかけの聖書台へ、金貨二枚を置いた。アンダルクは死んだ。では、この金は誰が。目でそう訴えかけるジョウに、ドモンは言った。
「……寝覚めが悪いって、言ったでしょう。勘違いしないで下さいよ。僕がポンとこんな金、右から左にできるわきゃありませんよ。アンダルクのアクセサリーを売っぱらってかき集めた金です。葬式代は、差っ引いてあります」
アリエッタは祈りを終え、くすんだブルーの前髪をかき分け、渦巻く赤い瞳を晒す。踏ん切りがついたのだろう。彼女は懐から銀貨を出すと、手早く両替を済ませ、自分の取り分を掴んだ。
「一刻もはやく、神の無慈悲を説かねばならないようね」
アリエッタはそう言い残すと、ゆっくりと廃教会の外へと消えた。ジョウも同じように自分の取り分、銀貨五枚を取ると、肩掛けバッグの中へと仕舞いこむ。ハンチング帽を目深にぐいぐいかぶりなおしてから、アリエッタの後を無言で追う。
レドは既に自分の取り分を取り終えていた。ドモンが最後に残った金を、白いジャケット右袖に誂えた隠しポケットにしまい込むさまを、ただじいっと見つめているのだった。
「なんです、あんた。普段はさっさと行っちまうくせに」
「……あんたは、なぜあの職人に肩入れするんだ」
ドモンはレドの質問に、ぼりぼりと頭を掻き、なんと答えたものか迷った。隠すようなことでもない。積極的に話したいことではないが、はぐらかすのも面倒だった。
「昔の仲間に、ちょっと似てましてね」
「……死んだのか」
「ええ」
「そうか。……悪かったな」
「あんたにしちゃ、殊勝な物言いじゃありませんか」
ドモンが振り向くと、レドの姿は既に無かった。彼はろうそくに点った朧げな火を吹き消し、闇に溶け消えた。
ラッキーセブンティーシックスからの帰り。
トーア、アジェンダ、テリオスの三人は、今日のカードの結果について話し合っていた。あそこで引いていれば勝てただの、もう少し攻めに転じるべきだっただの、たられば話のたぐいだ。
「ま、僕らがこうして馬鹿をやれるのも後何回あるか」
トーアがしみじみと言った。もうすぐトーアは実家に帰る。テリオスは官僚として粉骨砕身する予定であるし、アジェンダは良い所の娘との縁談が待っている。まさに素晴らしい未来だ。だからこそ、アンダルクの件はすぐに済ませておきたかったのだ。
「そうだな。寂しくなる。なあ、テリオス」
アジェンダが振り向いた時、既にテリオスの姿は無かった。おかしい。三人共、今日帰る道は同じだ。どこかで別れる予定もない。
テリオスは、数歩前で立ち止まっていた。いやそれどころか、ぼおっと空を見上げたまま動こうともしない。トーアが闇に目を凝らすと、おかしな事に気がついた。テリオスがまるで二人いるような──赤錆色の髪が揺れ、テリオスが膝をついて前へと倒れた。黒スーツの男が、血染めとなった細長い鉄骨を握っており、傘の中に鉄骨を戻している最中であった。ようやく異常事態に気づいたアジェンダが剣を抜き、男に声をかけた。
「何者だ、貴様!」
黒スーツの男──レドはそれに答えず、赤い傘を綺麗に畳むと、ゆっくりと闇に溶ける。
「待て!」
「よすんだ、アジェンダ! 何かおかしい!」
トーアの呼びかけをも振り切り、アジェンダはレドを追い、角を曲がる。黒スーツの男は消えていた。いたのは、金髪にハンチング帽を載せた小柄な青年だけだ。
「貴様! 黒いスーツの男を見なかったか!」
「へえ、見ましたよ。そっちの角を曲がっていきました」
青年が指さしたのは、建物と建物の間の暗い裏路地であった。アジェンダは迷わずその裏路地へと突き進むが、おかしい。袋小路、行き止まりなのだ。黒スーツの男はいない。
「どこへいっ……」
その時である! 上から二本の腕が伸び、アジェンダの首を掴んだ! 彼の身体は抵抗むなしく宙に浮き、屋根に投げ出された。その衝撃で、剣が転がり屋根の下に落ちていく。
「ようこそ、神を信じぬ不心得者」
アジェンダが見上げたのは、くすんだブルーの前髪の間から、赤渦の巻いた瞳を晒す、堂々たるシスター・アリエッタの姿であった! 彼女によって首根っこをつかまれ、ずるずると屋根のてっぺんまで連れて行かれると、アジェンダは強制的に立たされ、両手を挙げさせられた!
「ではお行きなさい。神の慈悲の届かぬ場所へ」
背中を押されたアジェンダは、屋根の上へと右足を踏み出す。よろめきながら左足。右足を踏み出す。左足を踏み出す。右足、左足、右、左、右左右左──勢いづいて止まらない!
「とめて! 誰かとめてくれーっ! 助けてくれーっ!」
屋根の端まで来ても、アジェンダの身体は止まらず足を踏み外し落下! 地面に叩きつけられ即死! アリエッタはその様を確認してから、屋根の上を後にした。
アジェンダは帰ってこなかった。テリオスは即死。こんな深夜に誰が助けてくれるというのだ。トーアは夜の街を慎重に進み、とにかく誰かいないかをすがるように見ていたが、無駄に終わった。
とにかく、無かったことにしてしまえば良い。家に帰って寝ればそれでしまいだ。トーアは半ばヤケになりながら、現実逃避を始めていた。
「なんですあんた。こんな夜中に」
白いジャケットが暗闇に揺れた。トーアは急に呼びかけられた事に驚き、剣を抜きかけたが、男の白いジャケット──憲兵団の制服だ──を見て、安堵した。
「君、すまない。僕はトーア・グロージャン。帝国貴族だ。仲間が襲われた。もう一人は戻ってこない。……もしかしたら、殺られたかもしれない。憲兵官吏、僕を助けろ」
憲兵官吏は、おさまりの悪い黒髪に手櫛を通しながら、帝国貴族を名乗ったトーアに恐縮しているようであった。
「や、これは失礼を致しました。私はイヴァン憲兵団憲兵官吏、ドモンと申します。……失礼ですがトーア様、竜騎士団の方でいらっしゃいますか」
「そうだが」
ドモンはしげしげとトーアが帯びている剣を観察しながら、続けた。
「これは、良い剣ですねえ。私のような木っ端役人には、とても持てないような……やはり竜騎士団ともなると、帯びている剣も違いますねえ」
「父上から賜ったグロージャン家伝来の剣だ。当然のことだよ」
そう言いながらトーアはグロージャン家伝来の剣を抜いた。辺りには、ドモン以外に誰もいない。敵はいなくなったのか。彼はドモンに背を向け、暗闇に対峙した。
「悪党のくせに剣だけは立派で羨ましいこったな」
「貴様……!」
振り向きざまに剣を振りぬくが、手応えはなし! しかしドモンは何事も無かったかのように、その場に立っていた。わずかに体勢をそらしたのだ。事実彼の頬には、薄く刃の走った跡が刻まれているのだった。
直後、トーアは再び剣をかまえ、じりじりと腰を落としつつ、ドモンの出方を伺っていた。ようやくドモンは右手で柄を握り、左手で鞘を持ち、身体を低く沈め構えた。彼は柄を止めているチェーンを親指で外す。チェーンが垂れ、わずかに音が鳴った直後──トーアは剣をドモンの頭目掛けて振り下ろす! ドモンは、柄を剣の鞘のように外し、左手で鞘を持ち、トーアの身体めがけて先を押し付けた! 柄があった場所には、鈍く輝く仕込み刃! ドモンに向かって振り下ろされた刃は、ドモンの肩に触れるか触れないかの部分で止まっていた。彼は立ち上がり、仕込み刃を彼の身体から抜いた。膝をつくトーアを見下ろしながら、ドモンは彼に囁いた。
「正当防衛だからな。殺されても仕方ねえだろう」
ドモンは彼の肩を突き飛ばすと、闇の中へと歩いて行く。ドモンの表情を夜霧が覆い隠し、やがて消えた。
拝啓 闇の中から隠匿が見えた 終




