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必殺断罪屋稼業  作者: 高柳 総一郎
★拝啓 闇の中から隠匿が見えた
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拝啓 闇の中から隠匿が見えた(Bパート)





 帝都イヴァン西地区、自由市場ヘイヴン。

 ここで店を出すのは極めて簡単だ。開いているスペースに、ござなり何なり敷いて、店を開けば良い。売上の数パーセントを税金として納めれば、後はお咎め無しである。素性は問わないし、咎められることもない。もっとも売るものについては厳しく取り締まられる。しかしここヘイヴン付近の担当者──憲兵官吏のドモンの裁量でしか無い。結果、ヘイヴンは今日も、自由な売買を保証された市場として存在していたのだった。

「なんだあ、お前。おい、ここは俺が使ってる場所だぜ」

 問題は、縄張り争いがどうしても発生することであった。ヘイヴンの運営は、利用する商人のモラルに依存する。よって、利用者には自然と暗黙の了解めいたものが浸透していく。それはいい。しかし、ある場所を常用する者とたまたまその日その場所に陣取った者の間に齟齬が生じ、争いになることが少なくないのだ。

「はあ、しかしここは早い者勝ちが原則で、特にそういうのはないと……」

 深い隈を作った、くすんだ白髪の青年が、荷物を背負い怒り心頭の行商人を見上げていた。彼が広げたござの上には、金属製のアクセサリー──銀の指輪や髪留めなど──が数点並んでいる。男は青年の態度がどうにも気に食わなかったのか、じろじろと青年のことを睨んだ。

「なんだとこの野郎。見かけねえ面してやがる。俺は毎日ここで商売やってんだ。どきやがれ」

 商品の載っている小さな箱を、男は蹴り飛ばした! ざわつく周囲であったが、青年を助けようという者はいない。確かに男の言うとおり、常に同じ場所で店を開こうとする者はいる。極力周りもそれを尊重するが、逆に取られていても文句は言わないのが、ここヘイヴンのマナーだ。つまり得てしてこういういちゃもんの付け方をする人間は、まともな人間ではないのだ。そういう者とのかかわり合いを避けんと、人々は青年を無視しているのであった。

「やめてください」

「勝手に人の店に入り込んで、やめてくださいだと! 性根を叩き直して……」

 青年は足があまり動かぬようであった。男はそんな事情につゆほども気にかけず、なんと青年を殴ろうと手すらあげたのである。

 その時であった。男の手は空中で止まっていた。誰かが男の手首を掴んでいたのだった。

「おやめなさい。神は全てを見ておられます。暴力でもたらされるのは暴力だけですよ」

 そのシスターは、手首を掴まれた当人の男よりも背が高かった。くすんだブルーの前髪で覆われた目はうかがい知れない。潤んだ唇は官能的で、何より彼女の胸は豊満であった。誰よりも女性的な彼女であったが、男には彼女の発する威圧感が分かった。彼女の語り口調は非常に穏やかであったが、おそらくはこの手首など枯れ木を折るようにねじ折ってしまうのではないか。

「わ、わかったよ。離せよ」

「離しましょう、神の子よ」

 シスターは笑っていた。男はバツが悪そうに後ずさると、むりやり自分の荷物を掴みあげ、そのまま逃げていった。男が去った後になって、ようやく回りの人々は青年にかけより、シスターを労った。彼らを責めることが、誰にできようか。シスターは振りかかる称賛をやんわりと断り、その場を後にしようとした。呼びかけようとした青年──アンダルクの声を聞こえぬふりをして、人混みに紛れ消える──もっとも彼女は背が高すぎ、頭ひとつ見えたままであったが。

「失礼ですが、あのシスターはよくこちらにいらっしゃるんですか」

 アンダルクは隣で店を広げていた赤錆色の長髪を後ろで束ねた傘屋の男へと尋ねた。傘屋は先程の男が暴れたせいで傘が地べたに転がったことで不機嫌なのか、アンダルクの問の答えらしきものは何も言わなかった。つぶやくように「さあ」とこぼしただけだ。

 ここでは誰もが他人だ。

 アンダルクは行き交う人々を見て思う。十年前もそうであった。北の大監獄は辛い場所だ。海風が護岸作業に従事する囚人たちを襲い、金鉱窟では地獄のような息苦しさと暑さ、圧迫感に耐えねばならなかった。それでも、アンダルクは耐えた。残してきた二人の妹だけは、きちんと面倒を見ると奴らは言った。事実、彼女らから送られてくる手紙には、上等な教育を受け、幸せに暮らしているという知らせが届いた。アンダルクには、それだけでよかった。幸せをわかちあう人間には、大監獄にはいなかったのだ。大勢の他人の中で、なんの楽しみも持たず暮らすことが、彼にとってどれだけの苦痛だったか分からぬ。彼は極力回りとのかかわり合いを避けた。それが、他の囚人たちの神経を逆撫でし、囚人生活を二倍三倍にもつらいものに変えてきた。それでも彼は耐えた。妹達に再会せんと、八年間までは。

 妹達からの手紙が途絶えた後、彼はこれまで耐えてきた何かが崩れたかのようであった。ある日彼は金鉱窟での採掘中に左足を骨折、さらに悪いことに変な折り方をしたせいか、左足がまともに動かなくなってしまった。命を永らえ、足の切断は免れたが、それ以上はどうにもならなかった。終身刑となるような囚人に、ただでさえ数が足りぬ、治癒師が使うような医療魔法を施術する義理もなかった。

 全ては、他人であるためである。アンダルクはもはや、自分以外に──いや自分でさえも大切なものではなくなっていた。そのまま大監獄の中で惨めに死んでいく。妹達も自分のことを忘れても仕方がない。幸せに暮らしてさえいれば良い──人生を諦めかけたその時、彼が耳にしたのは釈放という言葉であった。アロウ・フラワーが咲いた。そしてその釈放される模範囚の一人に、自分が選ばれたのだ。

 彼は妹達にひと目会おうと思った。

 そして、後はどこかへ隠遁しようと考えたのだ。二人の妹達はきらびやかな世界に生きている。釈放されたとはいえ、囚人となった自分のいる場所など、彼女らの住む世界には存在しないからだ。

「や、どうも。やってますね」

 とりとめのない事をつらつら考え込んでいると、白いジャケットの憲兵官吏がしゃがみこんで、商品を手に取りながらじろじろと観察していた。ドモンであった。

「これは、ドモンの旦那」

「なかなかいい仕事じゃありませんか。いくらです、こいつは」

 彼が手にとったのは、銀細工の髪留めであった。繊細な意匠である。薔薇の花が再現されたそれは、まるで新種が発見されたような──とにかく本物と見紛うほどだ。

「銀貨五枚ですが、ドモンの旦那にはお世話になりましたからね。まけにまけて……」

「よしてくださいよ。僕だってちゃんと帝国から給料もらってんですよ? そのくらいどうってことありません」

 意外にもドモンは財布から銀貨五枚をきっちり払ってみせた。包んでもらった髪留めを懐にしまうのを見ながら、アンダルクは申し訳無さそうにドモンへ話しかけた。

「それで、旦那……妹の件なんですが……」

「ああ、その件ですか。聞くのをすっかり忘れていたんですが、妹さんってのは名前はなんて言うんです。後、最後に働いてたのはどこですか?」

「妹は双子でして、カヤとリタって名前です。手紙には、帝国魔導師学校の卒業が間近だったようで」

「なるほど、分かりました。それとなくあたってみますよ。じゃ」

 アンダルクへそう言い残し、彼はひとつとなりにずれると、今度は傘屋──レドに話しかけた。

「こっちも、なにか変わったことはないでしょうね。なんかあったら、この僕にちゃんと報告するんですよ」

 レドは、最低限お得意様に見られても問題ない顔のまま、会釈だけしてみせた。ドモンは動かぬ。それどころか背中を見せながら、腕を腰の後ろで合わせ、無言でちょいちょいと動かしている。傘屋には彼の言わんとすることがよくわかっていた。

「……旦那。まだこっちは傘一本も売れてませんのでね」

 ドモンは露骨に舌打ちすると、傘をぞんざいに戻し、のしのしと肩で風を切りながら、去っていくのであった。






「ええ、そんなの旦那がやりゃいいじゃないか」

 つなぎ屋のジョウはドモンの依頼に、露骨に嫌そうな表情を浮かべ──路上ドーナツショップで購入したシナモン・ドーナツをかじった。ドーナツは近年流行の菓子であり、材料と油さえ用意できれば屋台が小さくて済むとのことで、とにかく多数の屋台が出店している。路上コーヒーショップとの相性も良いのがまた人気に拍車をかけているのだ。

 ドモンはコーヒーをすすりながら、不満気なジョウをじろりと見る。ハンチング帽を被った、金髪の青年だ。羽ペンを引いたような細い糸目に、鼻の頭にはそばかすが浮いている。白いシャツにサスペンダーでワーカーパンツを吊っており、肩掛けカバンをかけているといった風貌で、外見だけなら、新聞配達に精を出す勤労青年といった様子だ。

 そんな彼の商売は、つなぎ屋である。つなぎ屋とは、ありとあらゆる事柄をつなぐことを商売としている職業であり、言伝に届け物、人手不足の解消から情報収集まで、およそつなぐものに枚挙がない。

「別に普通の依頼じゃありませんか。あんた、僕の頼みが聞けないってんですか」

「そうじゃないけどさ。僕の商売は食いっぱぐれも多いんだよ。人探しってのは、いろいろ金がかかるからね。それを全額経費持ち出しになってみなよ。僕、首吊っちゃわないといけないかも」

 ジョウは舌を出しながら、首を締めるポーズを取ってみせた。彼はドモンの『同業者』だ。実際首を吊るような、気の小さい人間ではない。

「じゃ、いくら出せってんです。……あんたに言ってもしようのないことですけどねえ、自分でやったことだとどうにも寝覚めが悪くて仕方ないんですよ。双子の妹が生きてるってんなら、会わせてやりたいって思うのが人情じゃありませんか」

 ジョウは残ったドーナツをぺろりと平らげ、口の周りについたシナモンをハンカチで拭いつつ、笑みを浮かべた。

「何がおかしいんです」

「旦那が人情だって? らしくないや。ヘタしたら、レドより冷血漢のくせに。……そうだね。金貨一枚あれば、どこにいて何やってるか調べつくよ。もちろん、それ以上経費がかかるなら、負担してもらうからね」

「傘屋に比べられたら、誰だって親切に見えますよ。ったく、しょうがないですねえ……」

 ドモンは背中を壁につけると、ぐいとブーツを履いたままの右足を持ち上げる。革のブーツの底へ力を込めると、まるで蓋をあけるように底がずれ、中から金貨が一枚現れた。ドモンなけなしのへそくりである。

「これなら文句無いでしょう」

「……これ、本物だろうね」

「……あんまりナメた口利いてるといい加減怒りますよ」

 ジョウは金貨をかばんに仕舞い込むと、ドモンの怒りの視線を避けるようにハンチング帽を目深にぐいとかぶり、そそくさと『仕事』へと向かった。



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