拝啓 闇の中から隠匿が見えた(Aパート)
「いや、遠いですねえ。なんでこんな遠いんでしょうねえ」
「まあまあ、とにかく着いたのですから良いではないですか」
回りに広がるのは、何もない野原を整備した飛行場であった。白いジャケットを羽織り、腰には剣を帯びた役人が二人、飛行場の管理職員と駐屯兵を連れ、手には分厚い帳簿を手にして空を見上げていた。
その内の一人、おさまりの悪い黒髪で、腰に剣を大小二本帯びた男──憲兵官吏のドモンは、ぴいぴいと鳴き声を残し去っていく鳥を見上げながら大あくびを決め込んだ。金髪の巻き毛にタレ目という、なんとも頼りのない学者のような相棒──メルヴィンは手でひさしを作り、今か今かと待ち人を待ちかねていた。
「しかしねえ、メルヴィンさん。あんたもだいぶ、便利屋扱いが目立ってきましたねえ」
メルヴィンは困ったようにはにかむと、すぐに視線を空へと戻した。善良で気弱、どこか気の抜けているこの同世代の憲兵官吏は、以前所属していた『公正取引班』からとうとう追い出されてしまい、給与関係や福利厚生、資料整理などを担当する総務班へと異動になってしまった。今やドモンと同じく、憲兵団のお荷物の一人である。
「ドモンさん、来ましたよ」
メルヴィンが指差す先には、巨大な羽を広げた何かが、青空に黒い影を作っていた。直後、黒い影はどんどん大きくなり、ドモン達のいる地面に巨大な影を落とす。その瞬間、巨大な影はひときわ大きく地面に向かって羽を打ち、ゆっくりと身体を降ろした。
影の正体は、巨龍──いわゆるドラゴンである。今やドラゴンを使用した『ドラゴン便』は帝国の空路として欠かせぬ交通網の一つとなった。馬の鐙のように背中に装着された客室・貨物室へ、人や荷物を満載して各地を飛び回っている。現在帝国は鎖国政策を取っており、大陸外との積極的な交易を結んではいないが、国外においては、大陸間を移動するにも利便の良い交通機関であるという。
それもこれも、この巨龍が見た目以上に頭が良い生き物であるということ──人語を解するものもいるらしい──に尽きる。戦時中は小型から中型の龍で構成された竜騎士団が猛威を振るったが、こうした平和な時代には、いかに大量かつ安全に輸送を行えるかが重要視される。頭もよく多少のことでは動じぬ巨龍がこうした交通網を担うのは、至極当然と言えた。
「お勤めご苦労さまです」
タラップから降りてきたのは、青いジャケットに身を包んだ牢回官吏である。このドラゴン便は特別便──模範囚を数十人単位で積んでいるのだ。
先日、十年に一度しか咲かない──いや、咲くかどうかがわからない花が咲いた。通称、アロウ・フラワー。血のように赤い花である。いつからかどうかはわからぬが、帝都の裁判所付近に植えられたその花が咲いた時、その年に北の大監獄に収監されている模範囚を釈放することになっているのだ。
帝国の北──巨大な大山脈を超えた先にある、人里離れた『北の大監獄』。即処刑には値しない凶悪犯を終身刑とする場所である。通常、終身刑とされる者はここで一生を過ごさねばならない。脱走はもちろん死あるのみ。ここから生きて出ることが叶うかは、アロウ・フラワーのみぞ知る。つまり大監獄から生きて出るのは、まさしく奇跡なのだ。
「や、こちらこそ。イヴァン憲兵団憲兵官吏のドモンです。ドラゴン便はいかがでした?」
「早いんですが、結構揺れますよ。……じゃ、一人ずつ下ろしますから、確認お願いします」
ぞろぞろと囚人たちが開放されていく。ドモンとメルヴィンは、開放される囚人の名前と収監される前の職業などを確認していく。みな抱く感情はそれぞれだ。空港外に迎えに来ている家族へと涙混じりに駆け寄る男。黙って一人外へと消えていく女──囚人たちにも家族があり、人生があった。彼らは罪を償い、これから罪を背負いながら生きていく。その男は、最後にタラップを降りてきた。深い隈を作った男だった。くすんだ白髪の男。前髪をサイドに垂らし、後ろ髪を軽くしばっている。体つきはがっちりしているが、身のこなしは悪い。左足を引きずるように歩いている。これから開放されるというのに、どうも希望を持たぬようにみえる瞳。妙に目につく男であった。とはいえ、ドモンの役目はそのような気配りとは無縁だ。この空港は帝都イヴァンの外、第二イヴァン外苑空港である。ここまでくるのがなんと一日仕事なのだ。これから戻ることを考えると気が重い。はやく終わらせてしまおう。
「名前と、以前の職業を」
「……アンダルク・オースティン。アクセサリー職人です。年は二十八」
「そうですか。はあ、十年前に収監。……捕縛者は、ドモン・ナカ──えっ、僕ですか」
顔を見上げて、男の顔をまじまじと見つめた。そう言えば、面影がある。当時はドモンも若かった。アンダルクは確か、治安の悪い地区を歩いていた貴族を助けに入り、暴漢を返り討ちにしたは良かったが、暴漢三人の内二人が死んでしまったのだ。錆びついた記憶。だがよく覚えている。彼には養うべき妹が二人いた。なんとか見逃してもらえないか、と捕縛したドモンに懇願してきたのだ。同情の余地はあるとドモン自身報告したのだが、聞き入れてもらえなかった。本来人殺しは重罪である。どのような理由があるにしろ人の命を奪ったことに変わりはない。それも二人である。彼のやったことは通常の殺人と変わりないことと判断され、北の大監獄へ身柄が送られることになった。ドモンがそれを知ったのは、彼が移送されて何ヶ月か経過したころの話であった。
「思い出しましたよ。あんたも、ついてませんでしたねえ。でもまあこれからは、なんの気兼ねもなく生きていけるってもんですよ」
「はい」
彼の返事は小さかった。ドモンは余計なこととは考えたが、かつて自分が捕まえた者へ対するねぎらいのような言葉をかけようと考えた。
「……あんた、これから行くあてあるんですか」
「イヴァンに戻って、また店をやろうと思います。手に職はついてるんで、ヘイヴンならなんとか」
「そうですか。ちょうど僕はヘイヴンが担当なんです。何か困ったことがあったら、なんでも話して下さいよ」
アンダルクは少しばかり目を伏せた後、言いにくそうに話を切り出した。ドモンには分かる。彼は人に何かを頼むなど、あまりしてこなかったのだろう。
「実は、妹と手紙のやりとりをしてたんですが、もう二年も手紙が途絶えてるんです。俺はこんな人生だから、別に会えなくたって仕方がない。……でも、どこでなにしてるかくらい分かればいいと思いまして」
「なるほどねえ。ま、お役目柄そういう聞き込みくらいなら、暇を見つけて出来ますよ。……とにかく、あの北の大監獄から出られたんです。変なことに首突っ込まずに、ちゃんと生きるんですよ」
「はい」
アンダルクは、返された少ない手荷物を抱えて、ゆっくりと飛行場を去っていった。彼を迎えるものは、誰もいなかった。
南地区、帝国貴族御用達の会員制サロン・ラッキーセブンティーンシックスにて。高級なサロンであるこの施設でも、もっとも高級である特別ルームに、その三人組はたむろしていた。
「何? アンダルクが戻ってきた?」
若き帝国貴族、トーア・グロージャンは、持っていた紅茶が入っているカップをソーサーごと置き、同じくつるんでいる帝国貴族、テリオスとアジェンダに同じことを聞いた。
「確かかい」
「確かさ、トーア」
「アロウ・フラワーが咲いたんだ。北の大監獄の模範囚は、それで出られるからな」
トーアは顎を撫でつつ、その場を歩き回りながら黙孝した。余裕ある男であった。ウェーブがかった金髪を後ろで束ね、竜騎士団の証である赤い外套を誇らしげに羽織っている。左耳たぶが、食いちぎられたような跡を残して失われていた。竜騎士団の外套を羽織ってはいるが、彼は戦場に出たことがない。いわゆる泊付けの名誉職を賜っている形だ。彼が望んだわけではないのにも関わらず、である。父親の位の高さが伺えた。
「僕は見ての通りだよ。テリオス。君は確か技術開発局に入るんだったね。アジェンダはミノス家の娘さんとの縁談が来てるそうじゃないか。……大変だね」
「君も人ごとじゃないぞ、トーア。君が言ったんだぞ、彼は二度と戻ってこないって!」
テリオスは細い体を掻き抱きながら、喚くように言った。アジェンダに至っては、頭を抱えてソファに座り込んでいる。まさしく二人が感じているのは絶望に他ならなかった。
十年前の忌むべき事件。過去。そうしたものを押し込め、捨て去り、忘れたはずであった。それが戻ってきた。由々しき事態であった。
「彼が帰ってきたことで考えるのは、なんだろうね」
トーアは笑みさえ浮かべながらそう二人に言った。彼はいつでも二人の先を行った。今回もそうであった。
「彼は知るだろう。十年の間に何が起こり、何が変わり・・・…そして僕らが彼に何をしたのかを。僕らは今、どんなトラブルも起こしちゃいけない身だ。……ここを耐え切れば、僕らの人生は素晴らしい物になるんだ。守らなきゃならない。そうだろう?」
「トーア。だから、一体何をすべきなんだ! 何を言いたい!」
テリオスはなおも喚いた。そんな彼を気に留めることもなく、トーアはゆっくりとソーサーを持ち上げ、カップから紅茶を飲んだ。
「簡単なことだろ。……何もなかったことにするのさ。十年前から、何もね」




