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必殺断罪屋稼業  作者: 高柳 総一郎
拝啓 闇の中から隙間が見えた
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拝啓 闇の中から隙間が見えた(Cパート)




「つなぎ屋ジョウをご贔屓にしていただき、誠にありがとうございます。ご存知でしょうが、つなぎ屋はなんでもつなぎます。言伝、届け物、人手不足に時間稼ぎ──」

 つなぎ屋ジョウは、そう頭を下げながら丁寧に自己紹介したが、目の前のデスクに座る初老の紳士は椅子に腰掛けたまま、立ち上がろうともしなかった。

「ごたくは結構だ。……わしはな、酷く頭に来ておる。お前さん、最近巷で、ご禁制の本が出まわっているのを知っていなさるだろう」

 トーマス・トレインはあまりの怒りからか、妙に砕けた口調で言った。ジョウは細い目を伏せ、金髪の前髪をすこし指の先で払った。どきりとしたのだ。なにせ、恐らく彼が言っているものと同じ本を買ったのだから。

「それが、何か」

「うん。ギルドの連中に聞いたところ、あの本は特定の出版社で制作しているわけではないらしい。本屋も、あのハレンチな本を『過激な挿絵が載っている哲学本』として堂々と売っておる。憲兵団もようやく重い腰を挙げたというが、所詮は官警。適当なところで切り上げてしまうに違いない。……わしは許せん。許せんのだ」

 ジョウはすこしばかり首をかしげ、怒れる老紳士に尋ねた。

「……このような物言いをするのはいささか出すぎておりますが、なぜそのようにあの本を憎むのです? 確かに過激ではありますが」

「わしは若い時に、妻を亡くしてな。二十年は妻に遠慮をしておったのだが、五年ほど前に二人目の妻を迎えた。……・わしは、久々に人間らしくなったものと思っている。それまでは、こうして生きておっても、本当に生きている気がしなかった。だから、わしは今の妻に……ミハルに感謝しておるのだ。だから、許せぬ」

 ミハル。ジョウは、トレインの側に立つ、暗い表情を浮かべた女を見た。あの日見た本には、彼女そっくりの女性の痴態が描かれていた。女の名前は、ミハル。

「金はいくらでも出す。あんな本が二度と出回らんようにしてもらいたい。手段は問わん。つなぎ屋、お前はそういう人材にもつてを繋いでくれるのだろう?」

 机の上に置かれる革袋の中で、黄金が跳ねた。ジョウは静かに頭を下げ、その袋を取った。






「ミンジー。お前、かんべんしてくれよ」

 根暗そうな表情の青年が、工場の脇に設置された事務スペースの高級なソファーに腰掛け、なにやらスケッチを続けながら言った。

「はあ、何がですぼっちゃん。俺達の商売は、何もかもうまくいってるじゃありませんか。ぼっちゃんの絵はすこぶる好評。本の売上で俺も大儲け。なによりここにいる借金でクビが回らなくなっている野郎どもも、ぼっちゃんのお陰でホンの少しずつですが、借金も返せてるんですぜ」

 ミンジーは誇らしげにそう言ったが、青年──ケインはそのようには思わなかったようだった。同世代に比べれば不健康な白い肌。ともすれば陰気に見られそうな青年であったが、みようによればなかなかの美青年だ。

「おおっぴらにやりすぎなんだよ。……父さんが動き出した。知ってるだろ、僕の父さんは文部科学局の役人だ。しかも今、憲兵団と合同捜査をやってる」

 どうやらミンジーも事の次第に気づいたようであった。文部科学局は、帝国にとっての有害図書の取り締まりも行っている。しかしそれはあくまでも、公序良俗のために訓戒的に行う脅しとでも言うべきものだ。実際に取り締まりまでは行わない。それが、憲兵団と組んでいるという。

「じゃ、文部科学局は本気だと」

「僕の父さんが言ってたんだ。間違いない」

「じゃ、どうすんです。ぼっちゃん。次の本の準備だってできてんですぜ。このままじゃ、俺も首吊っちまわないといけませんぜ」

 ケインは顎をさすり、沈思黙考を始めた。思えば、彼の人生はままならぬものであった。生きているのに、生きている気がしない。勉学にも剣術にも興味が持てず──何もかもやめて部屋に引きこもった後、彼が始めたのは女の絵を描くことであった。初めは母親を描き──窓の外を歩く女性を描き──そして彼はとうとう、女性をホテルに連れ込み、モデルに描き始めたのだった。

 それで終われば、画家志望の青年で済んだだろう。しかし彼は女を──たまたま引っかかったのが、客待ち(いわゆる路上で客を探している娼婦のことだ)であったのもまずかったのだ──どうこうしようと思わなかったのだ。何も出来なかった。彼は世間知らずであった。

 仕方なく彼は、たまたまホテルの廊下を歩いていたチンピラ、ミンジーに声をかけ、代わりにその女を抱かせたのだ。そしてケインは更に発見をした。ミンジーに抱かれた女は、何もせぬ状態より美しく見えたのだ。まるで生命の炎が燃えるようなそのさまを、ケインは描き続けた。

 そんな特異な存在であるケインを見出し、ミンジーは自分の違法ビジネス──即ち過激な違法エロ本制作と、モデルを騙して客に抱かせるという二粒おいしい仕事を始めたのだ。

「僕は、絵しか能がない男だ。ミンジー、お前には僕の絵を載せた本をたくさん売ってもらわなくちゃならないんだ」

「ですからぼっちゃん、どうするんです。捕まっちまったら、おしまいですよ」

「簡単だよ。父さんはいつも言ってる。僕に、自立した大人になれってね。多分、僕は今大人になる時なんだ」

「はあ。いったいどういうことで?」

「簡単なことだろ。この件を調べてるのは父さんだ。だから、父さんがいなくなれば憲兵団だって手を引くさ。一時的だとしても、時間稼ぎには充分だろう」

 ケインはミンジーに向けて、スケッチブックを差し出した。エシオ・ローゼンバウムは紙の上で刺されて死んでいた。まるでそこに小さなエシオが存在するようではないか。

「お前、殺し屋を雇う方法くらい知ってるんじゃないの。……あんな父親、僕には必要ないよ。だって、認めてくれないんだもの」

 ケインはそれだけ言うと、スケッチブックを閉じ、立ち上がった。彼には創作意欲だけがあった。絵を描くことだけが彼の生きている証であり、欲望であった。だから彼の絵を認めてくれない父親など、彼には必要ないのだ。

「金はどうします」

「僕の取り分からいくらでも持ってけよ。それより、今日はどこのホテルを取ってるんだ」

 ミンジーは太った身体をよじり、尻のポケットからメモ帳を取ると、ぱらぱらとめくった。

「いつもの『ヨコヤ』の五○一でさ。新作も、期待しておりますぜ」






 家の近くまで寄ってきたので、ドモンはひとつ昼ごはんでも食おうと、仕事中にも関わらず家の中へと入っていった。足を踏み入れた彼の耳に入ったのは、女がすすり泣く声となにやらそれをなだめるような声であった。

「なんと情けないことなのでしょう! 私……私は一体どうしたら!」

「ティナ。何もそのように決まったとは……おお、これはご主人。邪魔をさせてもらっております」

 長い黒髪を後ろで縛った、精悍なまるで男性かと見紛うような女が、嗚咽するドモンの妻ティナの背中を擦っていた。 彼女の名前はエイラ。ドモンの後輩、ジョニーの妻である。ティナとは同時期の結婚だったことで仲が良く、お互い何かと相談するような関係らしい。

「あなた! なんとまあよくも家に顔を出せたものですね!」

 長い前髪をかき分け、ティナはまるで鉄をひっかくような金切り声で叫んだ。泣きはらしたのか大きな目は真っ赤に染まり、髪をまとめたリボンはずれてしまっていた。

「エイラさんからお話をお聞きしました! いくらお勤めとはいえ、巷に流行る破廉恥な本を手に入れるなど……なんとはしたない! もうお父様には報告いたしましたからね!」

 そう言うと、リビングの暖炉の上に備えられた、小型十字架オブジェを指差し、再びさめざめと服の袖で顔を覆い泣いた。彼女の父親はかつて『鬼のガイモン』と呼ばれた強面の憲兵官吏、ドモンもなんど叱られたかわからぬ。そんな鬼の血を、彼女は気障の荒さという形で確かに受け継いでいたのだ。

「そのように私は魅力がありませんか! 破廉恥本に頼らねばならぬほど!」

 ティナは自身の身体を掻き抱き、涙を浮かべながら叫んだ。

「なにもそうは言ってませんよ……。それにね、君も言ったようにこれはお仕事の一環なんですから。それをやれ破廉恥だのなんだのといわれちゃ、僕だって何もできなくなってしまいますよ」

 ドモンはため息と一緒にそういい、エイラへうらめしげに視線を飛ばした。さすがに彼女も若干申し訳無さそうな表情を浮かべている。ティナは、なにごとも大きくものごとを考えてしまう悪癖の持ち主なのだった。

「もう知りません! そのようにおっしゃるなら、破廉恥本と結婚なさればよろしいでしょう!」

 そう言うが早いが、ティナはエイラを振り切り、ドモンを突き飛ばし、外へと飛び出して行ってしまった。呼び止める暇も、押さえつける余裕もない。

「……なんというかその、茶飲み話のついでのつもりだったのです。ご主人を悪くいうつもりは、けして……」

 申し訳無さそうに、エイラはうつむきながらそう弁解した。彼女に悪気はない。それは分かっているが、どうにもならぬ。ドモンは深く、実に深くため息をついた。セリカが戻ってきたら、なだめてもらわねばなるまい。いや、その前に探しに行かねばなるまい。面倒なことになった──ドモンは背中を丸めてはあ、と大きなため息をついたのだった。

 






 黄昏時。日は傾き、街は逢魔が時へと落ちる。

 傘屋のレドは売れ残った傘を背負い、家路へと付いていた。彼の傘はいわゆる高級品だ。鉄骨と布を組み合わせて作る一点ものばかり。一本売れればそれなりの収入になるが、売れない時は全く売れない。今日は、その売れない日のようであった。

 彼は自分の住む南西地区の古びた一軒家へとたどり着いた。回りは廃墟で、特にこれといって誰も住んでいない。そんな彼の家の前で、何者かが立っている。レドは背負った傘の中から一本赤い傘を選び、中の鉄骨を折り取り、構えた。依頼者ならば良い。敵なら、殺す。レドの行動原理は単純かつ明快であった。

「後ろを向かない方がいい」

 首筋に薄紙一枚迫った鉄骨。そこまで接近しても、レドはその男には気付かれなかった。後ひと押しすれば、この男は死ぬ。

「じ、実は一本傘にお願いごとを……」

「入んな」

 レドはそのまま男を小屋に押し込み、ただ殺意をもって尋ねた。正体はバレてはならない。バレそうならば殺す。殺し屋の掟だ。

「三つ質問する。お前は誰だ? ここを誰に聞いた? 標的は誰だ? それぞれ十数える。言えなければ殺す」

 男はつっかえはしたが、レドの言うとおり全てを答えた。男の名前はミンジー。彼はジョセフという情報屋からこの場所の事を聞いたらしい。ジョセフは闇の世界に精通した男で、同じ世界の人間としか仕事をしない。つまり目の前のこの男も、そうした暗い世界の人間なのだろう。

「標的は」

「文部科学局の役人、エシオ・ローゼンバウムって野郎だ。……急いでんだ。いつこっちが危なくなるか分からねえ。一刻もはやく、殺ってもらいてえ」

「理由を言え。俺は理由のない殺しはしない」

 ミンジーは少し言葉を渋るような素振りを見せたが、レドが数字を四つほど数えた時点で観念したのか、喋り始めた。

「俺はビジネスをやってる。大事なビジネスだ。だが、エシオ・ローゼンバウムの野郎、俺のビジネスを邪魔する捜査を始めやがった。いつこっちが挙げられるか、わかったもんじゃねえ」

「金は地面に落とせ」

 金貨が三枚ほど、ミンジーの懐から落ちた。役人ならば、これくらいが相場であろう。レドは玄関の扉をあけると、ミンジーの太った身体を蹴り飛ばし、一気に扉を閉めた。

「早くて二日はかかる。最大でも一週間後、エシオ・ローゼンバウムは死んでいる。ここの事を話せばお前は死ぬ。俺はお前の事も調べるからだ。分かったな」

 レドは抑揚のない声で、冷酷にそう続けた。彼は断罪人ではなく、殺し屋であった。そこに涙がなくとも、理由と金があれば殺す。彼はそうして、今までも生きてきた。

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