拝啓 闇の中から隙間が見えた(Aパート)
「じゃ、まず年齢を教えてくれるかな?」
薄暗い部屋であった。ここは帝国首都・イヴァンの北大門近くの宿場町──その中の一つである、小さなホテル『ヨコヤ』、その一室。軋むような古めかしいベッドに似つかわしくない、新品の白いシーツ。そこに、戸惑いの表情を浮かべた女が一人腰掛けていた。
「に、二十四歳です……」
小柄な女であった。商売気のある女ではなかった。どこかの良家の娘──いや若妻といったところであろうか。ベッドの目の前には、これまた古めかしい椅子に腰掛けた男が座っていた。若い男だ。身体は細身であるが、身なりは良い。何より、机には剣が立てかけられていた。男は貴族を名乗った。だからと言うわけではなかったが、女は男の願い──スケッチの題材となってほしいという願いに応じたのだった。彼は自分の目の前のスケッチ・ブックに、携帯羽ペン(インク壺と羽ペンケースが合体したものを指す)でデッサンを書いていた。同時に、空きスペースに女の情報を書きつけるのも忘れない。
「ふーん。そうなんだ。肌綺麗だよね。何かやってるの?」
「特にはやっていないのですが、美容のために軽い運動を……」
「週何回くらいやってるの?」
「週……三日か四日くらいでしょうか」
「そうなんだ」
淡々とした男の質問に、女は答えていく。その時であった。突然部屋の扉が開き、一人の中年男が入ってきたのだ。髪の薄い太った男。女は一瞬ぎょっとした表情を浮かべた。何者だというのだろう。
「ああ。紹介してなかったよね。君、名前なんて言ったっけ」
「ミ、ミハルですが……」
「ミハルさんね。じゃ、旦那。思う存分どうぞ」
中年男は突然服を脱ぎ、生まれたままの姿となった。悲鳴をあげるミハルを組み敷くように、中年男は覆いかぶさった! 乱暴に服に手をかけ、裂いてゆく!
「あーちょっと。あまりそういうのは良くありませんね。もっと風情だしてもらえません? 女性の召し物はもっとゆっくりと……」
「金は払っておろうが! 貴様の目の前でやる分には構うまい!」
中年男はミハルに抵抗を受けながらも、目的を達していった。スケッチ・ブックの男は特に文句を差し挟む事なく、ミハルが犯されていく様子を淡々と書き付け続けたのだった。ミハルが叫び、すすり泣き──やがて涙も枯れ果てるまで、淡々と。
「なんです、これは」
イヴァン西地区、自由市場ヘイヴン。怪しげな露天から、巨大企業が出店するブースまで、様々なものや人が集まる、イヴァンでも有数の市場である。寝癖で収まりの悪い黒髪に、猫背。白いジャケットを羽織り、腰には二本の刀を差している男──憲兵官吏のドモンがパトロール中に見つけたのは、妙な人だかりであった。
自由市場ヘイヴンはスペースの広さによって税金の税率が変わってくる。この人だかりは、ござで言えば四つ分は広がっている。しかもムサい男ばかりが殺到しているのだ。尋常ではない。
そんな人混みの中から、彼は見覚えのある男の姿を見つけた。金髪にハンチング帽を載せた、鼻の頭にそばかすの浮いた青年。羽ペンで引いたような細い目は、どことなく嬉しそうであった。つなぎ屋のジョウだ。
「あっ、二本差しの旦那。奇遇じゃん」
「奇遇じゃありませんよ、全く。こりゃ一体何ですか」
ドモンは男どもが群がる人混みを指さしていった。
「さあ、みんな読書に興味が出てきたんじゃないの。じゃ、僕はこれで……」
妙にせわしないジョウの物言いに、ドモンは彼の首根っこをひっつかんでとめさせた。おかしい。読書ならば、このように大騒ぎする必要などあるわけがない。彼は目ざとくジョウが何か包を持っているのを見つけると、さっさと奪い取り、中身を覗いた。本の題名は「イエロウ」。分厚い本だ。数十ページめくっても、何やら文字ばかり書いてある本である。何かおかしいと、後ろから本をめくると、なんと女性のあられもない姿の絵が描いてあるではないか。
「なるほどねえ。あんたも男なんですねえ」
帝国においては、本の販売は許可制である。出版物については、大きな規制はない──しかし、それはいわゆるエロを売りにした本には適用されない。公序良俗を乱すとして、出版が差し止めになるエロ本も多々ある。
「こりゃ、凄いですねえ。今にも動き出しそう。……ええと、二十四歳。名前はミハル。家は窮屈で火遊びに手を……そそりますねえ」
ドモンはさりげなく最後のページを見る。行政府検査済の印があるのなら、許可証のある本屋であれば売っても構わない本であるということになる。──この本には、無い。
「でしょ? イヴァン随一の出来って噂になってるんだ。いや、実は情報は掴んでたんだけどさ。限定で百部だっていうから、手に入れられないんじゃないかと焦ったよ。……で、返してくれるんだよね」
「返しませんよ。これ見てください。行政府検査済印がありません。こうしたエロ本は売っちゃならないって決まりですから。店長に文句言わないと」
ジョウが何とか奪い返そうとするのを、ドモンは彼の背が低いことをいいことに、本を持ち上げることで奪い返されるのを阻止していた。
「それ……それ銀貨二枚もするんだよ! 娼館行くより高くつくんだよ! 返してよ!」
「これは証拠ですから押収します。つなぎ屋、あんたこんなもん持ってたらしょっぴかれて何日かブチ込まれますよ。この僕が見逃してやるんですから、感謝して欲しいくらいなもんですねえ」
ドモンはそう言うが早いが、無理やり男どもの群れへとぐいぐい入り込んでいった。そんな彼の後ろ姿を見て、ジョウはくずおれた。彼の手から、ロマンが流れ出て行った。そしてそれは、もう絶対に取り戻せないのだ──。
「先輩、どこ行ってたんすか」
金髪オールバックを撫で付け、眉を剃り落としているという強面の後輩・ジョニーが呆れ顔で言った。悠々とパトロールから帰ってきたのは良かったのだが、あまりにもぶらつき過ぎていたのか、憲兵団の報告会に遅れそうになってしまったのだ。
「や、失礼。ちょっと取り調べをしておりまして……」
銀髪に怜悧な瞳、そして巨大な顎を持つ筆頭官吏・ヨゼフはそれを見て眉根を寄せながら額を抱えたが、すぐに気を取り直し、声をかけた。
「全員そろったな。ドモン君、いつもながら任務に忠実で頭が下がる思いだ。しかし時間にも忠実でいてほしいものだね」
回りの憲兵官吏からどっと笑いが起きる。ドモンはというと、居心地悪そうにうつむくばかりだ。
「さて、みんなも知っての通り、最近規制を逃れたいかがわしい本が高値で取引されている。これでは帝国の公序良俗は低下するばかりだ。これは我々憲兵団にとっても由々しき事態だ。公序良俗の低下は、治安の低下と同じだからね。そこで、憲兵官吏全員に、管轄内の書店・出版社の一斉捜査を命じる」
どよどよとざわめく憲兵官吏達。ドモンはと言うと、疲れからか大あくびするばかりだ。自分は早速その一端を掴んでいるという余裕もある。何よりこれには、もっと良い使い方がある──。
「しかし、本への検査とその規制内容については、我々は不慣れだ。そこで、帝国文部科学局から、特任捜査官としてエシオ・ローゼンバウム殿をお呼びした」
椅子に座っていたエシオは立ち上がり、ゆっくりと礼をした。文部科学局の官僚という触れ込みであったが、妙にガタイの良い男であった。黒髪を刈り上げ、スーツのベルトには剣を差している。
「ローゼンバウム殿は元帝国騎士団の正騎士を務められた後、現在の職に就かれ、犯罪捜査においても経験を積まれておられる。君たちの捜査の参考となる面もあるはずだ。ローゼンバウム殿、よろしくお願いします」
「よろしく頼む。諸君らの健闘に期待する」
エシオはそれだけ言うと、ヨゼフに目を向けた。もう終わりなのか、とはいえないようであった。彼は行政府の官僚、現場の責任者であるヨゼフと比べれば天と地の差があるのだ。
「では、みんな解散」
丁度昼過ぎであった。まだ終業までには時間がある。憲兵官吏たちは書類整理もそこそこに、早速外へと飛び出していった。ドモンはと言うと、デスクにつき、先ほどジョウから奪い取った本を取り出していた。
「先輩、なんすかそれ」
ジョニーの質問に、ドモンはにやりと──とびきりいやらしい笑みを浮かべながら、答えた。
「ヘイヴンで、さっきまさに言ってたみたいな規制逃れの本を見つけたんですよ。……中身、凄いですよ。あくまでも、あくまでも捜査の一環で見たんですけどね。そそりますよ」
ジョニーも男であった。周囲を見回し、そろりとドモンのデスクへと近づくと、声をひそめて言った。
「……そんなに凄いんすか」
「まるで本物みたいなんですよ。こんないい女の人がこんなことをねえ。本当……世も末ですよねえ」
ドモンは机の上の本をつつ、と指でジョニーの方向へ寄せた。ジョニーもまたゆっくりと表紙へ指をかけ、ちらりと中身を覗いた。花園!
「うわっ、これは……マジ凄いっすね。エイラが見たらなんていうか」
「そうでしょう? こんなのうちのカミさんに見つかったら、えらいことですよ。や、本当にけしからんことですよねえ」
「……報告を聞こう」
突如影が二人を覆った気がした。エシオであった。彼はすぐに本を奪うように取ると、じろじろと眺めた後──懐にしまった。
「これは預かる」
「や、あの、そのう……実はそれなんですが、出版先がどこなのか分かっておりませんので、聞き込みに向かおうと思っていた次第なのですが」
「無用だ。ドモン殿と言ったか。引き続き、そのように捜査に精進するように。以上」
あっという間の出来事であった。
ページとページの間にあった天国は、つかの間に消えていった。ドモンの目論見──出版先を見つけ、ヘイヴンで売る分には、賄賂次第で許してやると脅しつけるというものだ──は、完全に崩壊してしまった。




