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必殺断罪屋稼業  作者: 高柳 総一郎
★拝啓 闇の中から帳(とばり)が見えた
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拝啓 闇の中から帳(とばり)が見えた(Cパート)






 イヴァン北部大門そば、宿場町。大門内ならば、旅行者や行商人向けの、それなりのランクの宿が多い。しかし一歩イヴァンの外に出れば、宿のランクは数旦落ちる。ここには、金のない旅行者はもちろん、イヴァンを目指したが職にあぶれた傭兵や剣士達が、くだを巻いて酒をあおる姿が見られる。

「なんだてめえ」

「こりゃ驚いたぜ。いつから酒場はガキのたまり場になったんだ」

 小馬鹿にするように、隣のテーブル席に座る赤ら顔の剣士二人が、ヨシュアへと罵声を浴びせた。彼はグラスをカウンターにたたきつけて立ち上がった。彼の中には行きどころのない怒りが渦巻いていた。両親も無くし、故郷を捨てた彼に、誰も手を差し伸べてはくれなかった。親友だと思っていた、レドですら。

「でろよ、表に」

「なんだとこの野郎」

「おう、出てやるよ。なますにしてやろうかあ?」

 こうした傭兵同士の喧嘩は、大して珍しくもない。酒場のマスターも止めもしない。他の酔客もやいのやいのと煽るばかりだ。こうした荒くれ者達が無駄に命を散らしても、彼らにとっては日常の一部でしかないのだ。

 月明かりの元に飛び出し、ヨシュアは早速剣を抜いた。白刃が光にさらされ、闇を裂く。ヨシュアより二回りは年上の傭兵二人も、釣られるように剣を抜く。

「おう、坊っちゃんよう。いっちょ前に構えてるがよう、人を斬ったことがあるのかあ? 俺はあるぜ」

「俺もだ。お前みたいなイキったガキを二・三人は殺したぜ」

 二人の傭兵は何を自慢するでもなくへらへらと笑った。ヨシュアは両手で柄を固く握り、身体と垂直に剣を構える。怒りで彼の握力は強くなり、わずかに刃が震えた。男たちはそれを、彼の恐怖の現れだと見たらしかった。

「震えていやがるぜ」

「せいぜい楽しませろよ」

 男は上段から剣を振り上げ、ヨシュアへと刃を落とした。直後、ヨシュアは刃を払い、男の体勢を崩し横薙ぎに払った! 男は腹を切り裂かれ、血を吐きながら後ろへと倒れる。一秒にも満たぬ攻防は、男に死だけをもたらした。ヘラヘラしていたもう一人の傭兵は、錆びついた剣士の勘を働かせようと、剣を振りぬいたヨシュアへ袈裟懸けに斬りかかるが、ヨシュアは既に背を見せていた。彼は男よりはやく動き、遠心力を利用して身体を回転させ、一気に剣を振りぬいたのだ! もう一人の傭兵も胸を深く裂かれ、息を漏らしながら絶命した。

 死だけが通りにあった。

 二人の死体をあさると、負け犬の財布には小銭だけがあった。たったの銀貨四枚。それがこの二人の値段だった。通りは静かであった。何人かが店の中や二階の客室からこちらを伺っていたが、ヨシュアの視線に気づくと、中へと引っ込んでいった。

「……お見事」

 影から声が響いた。ヨシュアは血のついた刃を振るい、剣を鞘へと納めた。

「役人かい」

「まさか。……私の名前はジョルジュ。私のご主人様に、一度会ってはいただけませんか」

「仕事をくれるのか」

「はい。些少ながら御礼もさせていただきます」

「些少じゃ困るけどな」

「金貨で十枚。……足りませぬか」

 ヨシュアは笑った。かつて目指した父親のような人間には、もうなれそうにもなかった。金のためなら、どこまでも落ちていく。ここイヴァンでは、そうでもしなければよそ者には居場所すら作れないのだ──。





「……ジョウ、お仕事を回してくれるのはありがたいのですが」

 彼女にとって小さな机に、大きな身体を押しこめながら、シスター・アリエッタは羽ペンを握り、羊皮紙へと書付をおこなっていた。ここは、帝国貴族フォーシェ卿の邸宅の中に作られた、作業場である。十数名ほどの人々に割り振られた、フォーシェ卿によるメモを、慎重に清書していくのだ。

「何分、向き不向きというものがあると思うのですが。こういうことをしているとその。何かしら溜まってくるので」

「何? 腰痛とか?」

 ジョウは慎重に清書を続けていたが、インク壺に羽ペンを突っ込んでから、顔を上げ、そばかすの浮いた鼻の下をこすった。

「……発散させるものです。ここではできかねますが」

「君って本当そればっかりだよね」

「人の性というものはそういうものです。こういうちまちました作業はあまり好きではありません」

 そううそぶく彼女であったが、手元に書かれた字は美しかった。字は人の心の内面を表すという。彼女は身体に見合わぬ繊細な心を持っていた。もう一つの隠された心とは真逆の心であった。

「諸君、ご苦労! 手を止めてもらえぬか」

 フォーシェ卿の家臣、ゲイルズが不意に入室し、声をかけた。彼の言うとおりに、ジョウやアリエッタは羽ペンを置くと、ゲイルズは嬉しそうに全員に言った。

「君たちとの契約期間は三日の予定だったが……喜んでくれたまえ、一月に契約更新できるようになった。期間と同じく、報酬も十倍……つまり金貨一枚となったぞ」

 歓喜の声がにわかに上がった。簡単な仕事とは言えないが、それでも金貨一枚は大きい。ジョウはそんな未来を見据えて、にやりと笑う。

「では引き続き頼むぞ」

 ゲイルズが出て行ってから、アリエッタはゆっくりと立ち上がった。彼女の目元はくすんだブルーの前髪で覆われていたが、ジョウには彼女が不機嫌そうにしていることがわかった。

「どこ行くのさ」

「お手洗いです」

「早く戻っておいでよ」

「そのままサボる事も考えてますが、ジョウがそういうのなら仕方ありませんね」

 廊下に出て、アリエッタはゆっくりと手洗いを済ませた。ジョウにはああは言ったが、このような仕事を後二十日以上も続けるなど考えるのも嫌になる。

「やはり、今日付けでやめることを考えるべきでしょうか……」

 再び彼女は廊下へと戻り、のしのしとゆっくり屋敷を探索した。人の少ない屋敷だ。メイド一人いない。あまりに静かだったのか、彼女が通りがかった、扉の閉じた部屋の中から、わずかに声が漏れ聞こえるほどであった。

「若には既にお話は済ませた。貴様の意見など聞いておらん」

 ゲイルズの声であった。叱責しているかのような彼の声がもう一言二言ほど響き、直後ゲイルズが扉を勢い良く開け、去っていった。彼はアリエッタに気づきもしなかったようであった。

 彼女がそおっと中を覗くと、中では少年が一人、憂いを帯びた表情で椅子に腰掛けていた。アリエッタはにわかに微笑むと、実に慈悲深そうに彼に近づいていった。

「思い悩んでいるのですか」

「あなたは?」

「私はアリエッタ。今はここで歴史書の清書のバイトをしています。あなたのお名前は?」

 黒髪の小柄な少年は戸惑いながらも会釈をし、ゆっくりと名乗った。

「僕はユタカといいます。この屋敷のヴィクトル様の下働きをしておりまして」

 アリエッタは近くに置いてあった椅子を持ってくると、彼の近くへと置き、自身もそれに座った。窮屈そうではあったが、彼女にとって見ればあの細かい字を書き連ねるより何万倍もマシであった。

「そうですか。……あなたは思い悩んでいらっしゃる様子。私は神に仕えるものとして、あなたの悩みを聞くことができますよ。悩みというものは、話せば楽になるものです」

 ユタカはためらったが、アリエッタの豊満な胸に輝く小さなロザリオに安心したようであった。アリエッタはまさしく、神に仕える事に誇りを抱いている女だ。そうした誇りが、ユタカにも伝わったらしかった。

「実は、僕がお仕えしているヴィクトル様が、近々結婚することになったのです」

「それはとてもめでたいことですね」

「……ヴィクトル様はまだ十二歳。こういってはなんですが結婚のこともよく分かっておられません。しかし、貴族ならばそうした子供であっても、世継ぎのために夫婦になることは普通のこと。それは分かっております」

 アリエッタは唇に指を当て考えてから、口を開いた。

「ユタカさん。ではあなたが不安に思っていらっしゃることは、一体何なのですか」

「それは……」

 ユタカはしばらく押し黙った。アリエッタは聖職者めいて、彼が話しだすのを待っていた。彼女の仕事は聞くことであり、聞き出すことではない。

「……結婚相手のクロイツ家の令嬢……ユーディト様のことです。僕は、彼女が恐ろしいのです。いつか、僕やヴィクトル様のことすら、切り捨てるのではないのかと」

 ユタカは、それ以上話そうとはしなかった。アリエッタはその意を汲んで、椅子から立ち上がった。彼の悩みが晴れたとは思わない。願わくば彼に祝福あらんことを。アリエッタは手を組み、彼の幸運を神へと短く祈った。






「……クロイツ卿。話の向きが違うのではありませぬか」

 フォーシェ卿は、家臣のゲイルズと共に、クロイツ卿との最後の打ち合わせに、フォーシェ卿が金を出しているというレストランに出向いていた。出資計画に両家の顔合わせ、婚姻の日取り。やることは山積みであった。しかし、クロイツ卿が冷徹に言い放った言葉は、それらを一度に台無しにしてしまったのであった。

「フォーシェ卿。卿の事業に金を出す。その代わりに、我が娘をそちらの家に嫁がせる。何も話は違っておらぬが。話の裏付けに、まず金貨五十枚を『貸しつけた』ではないか」

「出資というお話のはずではありますまいか。当家にそのような金を返す当ては……」

 ゲイルズは思わず立ち上がりながら叫ぶも、クロイツ卿は杖を微動だにさせることもなく、冷徹に話を続けた。

「では、この話もご破算よな。言っておくが、フォーシェ卿。金は返してもらうぞ。それもすぐにな。卿の事業が失敗すれば、行政府も良くは思うまい。卿も腹を切らねばならぬな」

 やられた。フォーシェ卿とゲイルズは、同時に己の判断力が鈍っていたことを思い知らされた。思いがけぬ幸運に、舞い上がっていたことを認めさせられてしまった。クロイツ卿は、結婚話を聞いた時点で、この企みを即興で思いついたに違いない。

「ま、卿と私とで意思疎通がうまく行かなかったことについては問題だな。三日やろう。金を返して話をなしにするならばそれでよし。『出資』を受け入れ、歴史書の完成の暁に耳をそろえて金を返すならばまたそれもよし。喜んで我が娘も嫁がせよう」

「クロイツ卿……そのような大事を、三日で決めるというのはあまりにも」

「選択肢は充分与えた。後は決断だ。フォーシェ卿、金儲けというのは迅速さが大事なものだぞ。では、失礼。引き続き酒と食事を楽しんでくれ。今日は私の奢りだ」

 二人だけになり、フォーシェ卿はがっくりと椅子の上でうなだれた。ハメられたのだ。彼の目的は、この事業の実態を乗っ取る以外にない。歴史書が完成すれば、行政府から莫大な報酬と名誉が与えられる。

「私は、見誤ったようだな、ゲイルズ」

「旦那様。……こうなれば道はひとつ。皇帝陛下の名において下賜った歴史書制作事業を、あのような下衆にむざむざ引き渡すような事があってはなりませぬ」

「ならばどうする。私はこのように老いた身体だ。お前も剣は得意ではあるまい」

 ゲイルズはまっすぐにフォーシェ卿を見つめた。覚悟を決めた瞳であった。彼には守るべきものを、必ず守る義務があった。

「奸計には奸計にございまする。……クロイツ卿に、どうあがいても逃れ得ぬ罪を被せればよろしいのです」






「また会ったな」

 傘屋のレドは、売れ残りの傘を背負ったまま、見知った顔に短く声をかけた。人懐こそうな笑顔をしていた青年は死んでいた。そこにいたのは、飢えた獣のような殺気を発した男であった。

「ああ」

「どこへ行くんだ」

 ヨシュアは鞘を持ち上げ、親指で鍔を押し、白銀の刃を夜に晒してみせた。それは一瞬の出来事であった。レドが何か言う前に、白銀の刃は鞘へと戻っていった。

「仕事さ」

「……そうか」

「じゃあな」

 彼の言葉は短かった。日の当たらぬ世界の住人であるレドには、彼が選んだ選択肢が何であるか、良くわかったような気がした。

 恐らくは、彼もまたレドと同じような世界に堕ちたのだ。夜にまとうその彼の雰囲気が、レドの直感を肯定していた。





 深夜。

 クロイツ卿は、二人の警護の剣士を連れて、自宅へと向かっていた。彼の敵は多かったが、金の力と金で買った力で全てねじ伏せてきた。

「……クロイツ卿。そこで足をお止めください」

「何事か」

 剣士二人は、素早く剣を引き抜いた。それがクロイツ卿への答えであった。手練の剣士達は、この先にいる脅威を敏感に感じ取ったのだ。

「出てこい。……強盗ならば相手が悪いぞ」

 焦げ茶の短髪。旅人のような軽装。腰に帯びた剣は古めかしい。若い剣士であった。しかし、二人の剣士は剣をおろそうとはしなかった。強い剣士同士は、対峙した瞬間相手の技量がある程度わかるという。この目の前の若い剣士の技量を、護衛の剣士たちは高いと判断したのだ。

「……失礼ながら、オーギュスト・フォン・クロイツ卿に間違いございますまいか」

「いかにも」

「お命頂戴つかまつる」

 若き剣士──ヨシュアは腰に帯びた剣を引き抜く! 一人目の剣士の刃を打ち返し、二人目の剣士を突き殺す! 死体から刃を引き抜いた勢いで、体勢を整えて下から切り上げてきた男の刃を回転して避け、もう半回転し刃を首に入れ切り裂いた! やはり即死!

「……後はクロイツ卿。あなただけだ」

 刃を突きつけるが、クロイツ卿は微動だにしない。それどころか彼は、杖を小脇に抱えて、拍手をし始めたではないか。「……お見事、お見事。貴様、誰に雇われたのだ? いくらもらった」

 ヨシュアは答えない。刃は迫る。それでも、クロイツ卿の態度は少しも変わらなかった。彼はまるで演説でもするように言葉を紡いだ。たった一人の観客のために。

「私なら、その三倍は出せる。……若者よ。良い言葉を教えよう。この時代、忠義などなんの役にも立たぬ。利をとれ。利があれば未来はつながる」

 血染めの刃を突きつけていたヨシュアは、ゆっくりと剣をおろした。利。そうだ。このイヴァンに、いやこの世界に、誰かヨシュアの不義理を非難するものがいるだろうか?

「……あんたは俺に、その利をくれるか。居場所も」

「利に従順ならば、私がその居場所を作ろう」

 クロイツ卿の言葉は、ヨシュアにとっての真理であった。彼は利を取り、居場所を取った。ただ、それだけだったのだ。

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