表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
必殺断罪屋稼業  作者: 高柳 総一郎
★拝啓 闇の中から帳(とばり)が見えた
30/72

拝啓 闇の中から帳(とばり)が見えた(Bパート)




「すまねえ、レド。すっかり馳走になっちまった」

 ヨシュアは無精髭の生えた顎をさすり、奢ってもらった安ワインの入ったグラスを置く。レドは飲まない。これまたつまみとして出されたナッツを、少しずつ口へ運ぶのみだ。

「久しぶりだな。……村には、二年ほどいたが……おやじさんは元気か。おふくろさんは」

 レドは母を亡くし、父が彼の元から姿を消した後、各地を放浪した。傘を作り、それを売り歩き──そして、闇の世界の入り口に立ち、数々の『仕事』をこなした。そのためには、ひとつの場所へとどまるのは危険であった。

 ヨシュアはそうしてレドが流離った村に住んでいた少年であった。六年も昔の話だ。レドもまだ少年の域を抜けださぬ駆け出しであり──ヨシュアもその時は、村で駐屯兵を務める父親の背中を、あこがれの視線で見ている少年であった。

「……おふくろは、病気で死んじまった。おやじも、山賊の捕物に出た時に……」

「……そうか」

 レドの言葉は短かった。彼はヨシュアがのみほしたグラスに、新たにワインを注いだ。彼にできるのは、それくらいの気遣いであった。彼の母親は優しかったし、父親もレドに良くしてくれた。

「村も、じいさんばあさんばっかりになっちまってよ。俺ができるような仕事も無いんだ。だから、イヴァンなら何か仕事があると思ってよ」

「それが、あれか。変態の相手でもするつもりだったのか」

 ヨシュアは苦笑いを浮かべ、ワインを煽った。彼にあったものといえば、野良仕事で鍛えた肉体と、父親から学んだ剣術、そして同じく父親が遺した一振りの剣だけであった。彼はあまりにも無力で、世間知らずで、何も持たなかった。

「イヴァンは物騒だって聞いたぜ。あのへんじゃ一番の剣士になったんだ。用心棒とか、そういうのあるだろ」

「無いさ。残念だがな。……宿場町の酒場に入らなかったのか。職にあぶれた剣士で溢れかえってる」

 レドの容赦無い言葉に、ヨシュアは目を伏せる。長く旅を続けたレドには、何も持たぬ若者が住むには、イヴァンは厳しいところであると分かっている。だが往々にして若者はそうは思わない。ただただ息苦しく狭い故郷を飛び出したいと考える。

「……悪いことは言わない。村に帰れ。ここにはいい仕事なんてないんだ」

「……なんだよ、レド。お前、冷たいじゃないか。お前、昔はもっと……」

「俺は昔からこうだ。……お前の甘い考えじゃ、イヴァンは渡っていけない」

 とうとうヨシュアは立ち上がり、レドをにらめつけた。グラスを割れんばかりの勢いで置くと、彼はテーブルに立てかけていた剣をベルトに帯びた。

「そうかよ。……忠告、感謝するよ。だが俺は村には戻らねえぞ。……じゃあな」

「ああ」

 レドは振り向かなかった。彼にとっては、ヨシュアや彼の両親も過去でしか無かった。そして彼にとっての過去とは、文字通り過ぎ去ったものでしか無い。

 そこに感情は無い。事実を反芻するのみだ。飲みかけのワインが揺れる。レドは二粒残ったナッツをつかみ、口に放り込んだ。






「まったく、なんなのさ! ああいう冷やかしだけはかんべんしてほしいよ!」

 つなぎ屋のジョウは珍しく怒っていた。彼の仕事は『あらゆることをつなぐこと』である。情報や人手不足、届け物。彼がつなぐものは多岐にわたる。今日は、とある商店から言伝を頼まれたのだが、どうにもこういう便利屋稼業は軽く見られがちらしく、よりにもよって支払いが現物だったのだ。

「食べ物ならまだしも、高級鍋って。バカじゃないの」

 羽ペンで線を引いたような細い目でも、彼はとにかく怒っていた。あまりの怒りに体温が上がりすぎたのか、金髪の上にのせたハンチング帽を取り仰いだ。背中に背負った鍋が重い。気を取り直し、彼は質屋に向かっていた。この鍋でも売っぱらえば多少の金になるだろうと、目論んでのことだ。

「ジョウじゃないですか。その鍋、どうしたんですか」

 気乗りしないまま振り向くと、修道服に身を包んだシスターがそこに立っていた。天を衝くのではないかと言うほど長身の女──アリエッタだ。くすんだブルーの前髪に隠れた目はうかがいしれないが、少なくともうるんだ唇は官能的であった。

「どうしたもこうしたもないよ。これ仕事の報酬。さっさといまから売っぱらいに行くのさ」

「それは大変でしたね。持ちましょうか?」

 ひと目もはばからず、アリエッタはジョウのハンチングごと頭を撫でくりまわした。ジョウはその手を払うこともせず、ただただため息を繰り返すばかりだ。

「アリーは何してんのさ」

「奉仕活動です。教会の信者集めを手伝っているのです」

 そう言うと、板切れに『信者募集』とだけ書かれた看板を掲げた。修道服を着てはいたが、ジョウにはまるでそれが聖なる武器を持った巨大な戦闘者のようにしかみえなかった。

「こういっちゃなんだけどさ。君も金にならないこと好きだよね」

「過度な贅沢は神に仕える者として相応しくありませんから」

 ジョウはそんな彼女に『娼館で男娼をひっきりなしに買ってるくせに』とは言わなかった。彼は優しかった。もらったものが鍋以下なら、分からなかったやも知れぬ。

「とにかく鍋売っぱらっちゃおう。多分スープとパンくらいにはなるだろうからね」

「では、私はここで待っていますよ」

「期待しててよ。君にパンの半かけらくらいは奢れるかもしれないから」

「それは楽しみです」

 イヴァン西部、自由市場ヘイヴン。ここの通りにある、雑貨屋『ハーフボンズ』。ガラクタばかりのこの店は、たいていの物は引き取ってくれる質屋業も営んでいる。普段は人が入っているのを見ないような店であるが、今日は別であった。身なりの良い老紳士が、何やら剣を差し出して女主人に見せている。

「……うちじゃ値段付けられませんよ」

「構わぬ。とにかく、値をつけてほしい。……心配せずとも、私は帝国貴族。身分は保証できるぞ」

「身分は結構ですから、ちゃんとお金を持ってきて下さいよ。はい、金貨五枚あるかどうか確認して下さい」

「うむ。相済まぬ。息子に嫁を迎えてやりたくてな。支度金が要るのだ」

 老紳士は金貨を懐に入れると、ジョウに会釈をしながら立ち去っていった。その背中が見えなくなってから、女主人は盛大なため息をついた。

「あんなんでも、魔国からの名門貴族・フォーシェ卿よ。世知辛い世の中よねえ」

「あれが? 確か、帝国の歴史書を作ってるって有名じゃない」

 ジョウは背中の鍋をおろしながら、女主人へと突き出した。まじまじと舐め回すように、女主人はその鍋を観察し始める。

「歴史が金になるわけないのよ。行政府だってこの不景気で、そっちに金を回せてないってもっぱらの噂よ。で、責任感の塊みたいなフォーシェ卿が一人気張ってるわけ。涙が出てくるわよねえ」

 女主人は鍋を端に寄せると、金庫から銅貨を五枚、カウンター・テーブルの上に置いた。ジョウはたまらず悲鳴のように抗議を始めた!

「ちょっと! これ高級なやつなんだよ! いくらなんでも銀貨一枚くらいにはなるでしょ!」

「一回人に渡ったら中古に変わりないでしょ。後あんたは情報で食ってる。フォーシェ卿の話聞いたでしょう。その情報料を差し引いてこの値段で充分。……いらないなら返しても……」

 女主人の手から逃れるように、ジョウは銅貨を必死にかき集めた。これでも彼の収入の一部に違いない。それも取られてしまえば、どうにもならぬ。

「わかった、わかったよ! ……本当がめついんだから」







 深夜。イヴァン北東部郊外、クロイツ家邸宅。

 赤い薔薇で覆われた生け垣を持つこの邸宅には、帝国貴族、オーギュスト・フォン・クロイツとその息女・ユーディトが住んでいる。クロイツ卿は、帝国成立前からこのイヴァンに住み、主に香辛料の交易を扱うことで財を成した。現在は事業から手を引き、イヴァンの商人や会社が興す新規事業への投資によって、莫大な利益を得て、かなり悠々自適の生活をしている。

「左様か。フォーシェ卿がそのように仰せとはな」

 長身の男が、あごひげを撫で付けながら言う。右手には杖。クロイツ卿は、目の前にかしずく男に、冷ややかな視線を浴びせていた。フォーシェ家の老家臣、ゲイルズである。

「……は。お言葉にございますがクロイツ卿。当家はもちろん、クロイツ家も今や帝国貴族の名家の一つ。ただひとつ足りぬとすればそれは」

「歴史か。気位というものは便利よな。寝かせればいくらでも良くなるときている。ま、娘も年頃……ヴィクトル殿も健康なお子だ。嫁に出すのにやぶさかでもない」

 クロイツ卿はため息混じりに、実に気だるそうにそう言った。窓から見えるのは暗く闇に落ちた町並み。側に置いた魔導式ランプだけが、朧げに室内を照らす。

「誠にございますか!」

「しかし条件がある。たしか、フォーシェ卿はこの大陸の歴史を記す一大事業をおやりになられておるとか」

 ゲイルズは訝しみながらも頷く。クロイツ卿は再びあごひげをさすりながら続けた。

「素晴らしい事業よな。ま、それは良い。だが、フォーシェ卿お一人でどうにかなるものでもなかろう。書きつける羊皮紙にインク代。実際に文字を書く者共に、給金も必要であろう。行政府肝いりとあっては、よもや失敗するわけにもいかぬな」

「何を仰りたいのでしょうか」

 ゲイルズは恐る恐る聞いた。帝国でも古参であるフォーシェ家で筆頭家臣を務め、財政難から家が縮小を続ける中も、忠義心のみで仕え続けた彼ですら、困難と思える状況であった。

「決まっておろう。……その事業にこの私も出資させること。これが条件だ」

「そのようなことでよろしいのですか! 主人も願ったり叶ったりにございます!」

 ゲイルズは何度も頭を下げ、感謝の意を述べた。主人の心残りはゲイルズの心残りでもあった。そのような心の優しさを、クロイツ卿が本当に持っているのか。小さな疑問が彼の心をよぎるが、すぐに掻き消えた。

「良い。ゲイルズ殿。悪いようにはせぬゆえ、フォーシェ卿にもよしなにお伝え願いたい」






 ゲイルズが帰った後も、クロイツ卿は窓の外から夜の街を見ていた。彼は酒をあおりながら、こうして夜の街を見るのが好きだった。

「旦那様。紅茶をお淹れいたしますか」

 音もなく扉がわずかに開き、執事のジョルジュが隙間から声をかけた。クロイツ卿は身じろぎもせぬ。答えもしない。彼は気難しかった。ワンマンで冷徹で、横暴であった。まさしく彼は、ユーディトの父親であった。

「失礼致します」

「待て」

 わずかに開いた扉を保持しながら、執事は聞きたくもない命令を聞いてみせた。彼にとって『主人』はただ一人であった。クロイツ卿は世話をする対象ではあったが、忠節を捧ぐべき男ではなかった。

「ユーディトは」

「既にお休みになっております」

「そうか。……貴様、ユーディトをどう思う」

「お嬢様は素晴らしいお方です。私が一生を賭けてお仕えすべきお方であると」

 クロイツ卿の持つグラスが揺れ、中の氷がひび割れ音を立てる。静寂の中で、執事は待った。たった今口にした『主人』の元へ、彼は戻りたがっていた。しかしそれを表には出さなかった。彼はプロフェッショナルであった。

「では、フォーシェに嫁に出しても問題なかろうな」

「……は」

「良い。下がれ」

 言葉に従うのが、ジョルジュの仕事であった。彼は仕えるべきあるじの元へと向かった。主はまだ眠りについていなかった。燭台に灯る僅かな炎。その明かりを元に、彼女は本を読んでいた。

「ジョルジュ。こうでもしないと、本を読む時間が足りないの。わたしのために内緒にしてね?」

「ご主人様。一大事にございます」

 彼は努めて冷静に声をだしたはずだが、主たるユーディトにはとてもそのようには思えなかった。彼女は戦争で全てを失い、行き場の無くした彼を気まぐれから拾い、この屋敷の執事とした。彼はユーディトのものであった。ジョルジュもまた、ユーディトという存在にとりつかれていた。

 お互いがお互いの存在を欲し、求めていた。だがそれは今より何かが変わる事を求めたわけではなかった。二人にとって、今の生活を続けたいだけだった。変化なき生活。彼女の望む世界は変わらず、狭い帳の降りた世界であった。

 だから、ジョルジュより伝えられた父親の意向は、ユーディトにとってとても受け入れがたいものであったのだった。

「確かね? お父様が、わたしに結婚を」

「はい。相手はヴィクトル様かと」

 あのお子様のヴィクトルが結婚相手。ユーディトは手元の本を閉じ、ゆっくりとベッドの側にあるサイドテーブルへと置いた。耐え難い未来であった。ヴィクトルは悪い人間などではない。友人としてなら、いくらでも付き合おう。しかしこの家を出て、結婚の意味も分からぬような子どもと夫婦になることなど、とてもユーディトには容認できぬ。

「フォーシェ家のゲイルズ様がいらしておりましたので、間違いないかと。旦那様も、フォーシェ家に嫁に出すと申しておりました」

「悪い冗談ね」

「私もそのように思います。お嬢様がこの家を出て行くなど、耐えられませぬ」

 彼の言葉は真実であった。使用人を嫁入りと同時に連れて行くのはよくある話であるが、彼はユーディトと自分の空間を何よりも大切にしていた。その空間が、まるでケーキを切り分けるように減っていくことなど、忠実なるこの黒き執事には耐えられなかった。

「ジョルジュ、わたしの可愛いジョルジュ。……わたしのいうことは、何でも聞くわね?」

 小さな姫は、ろうそくに息を吹き消し、暗闇の中にかしずく執事に問うた。彼はユーディトにとって忠実な執事であり、騎士であり──魔法使いであった。彼女の望むことならば、どのようなことであろうと成してきた。

「ご主人様の御為ならば、なんなりと」

「私は結婚したくなどないわ。この家から、出たくもない。でもお父様は、私の言うことなど一切聞かないでしょうね」

「は。まこと、そのとおりにございましょう」

 暗闇のなかで、密やかな企みが交錯した。

「なら、どちらも消えてしまえばいいのよ。お父様も、ヴィクトルも。そうすれば、私は結婚などせずに済むわ」

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ