拝啓 闇の中から長日が見えた(最終パート)
前回までの必殺断罪屋稼業!
『今日、ここでは魔法理論についての学会が開かれています。……それだけならば良かったのですが、今回は重要人物が来賓として招かれているんです。隣国からドラゴン便で入国した爆発魔法の第一人者、シャイアン博士』
『テロリストに彼の身柄が渡れば、爆発魔法を悪用されかねん』
帝国安全保障局、特別遊撃隊の面々は、ニンベルク公会堂を舞台としたテロ計画をキャッチした。テロリストが標的にするであろう目標は、海外からやってきた魔法科学者・シャイアン博士。
『俺は帝国特別遊撃隊捜査官、ジャック・K・バウアード! 今日ここで、テロが起きるという情報をキャッチした! 俺は、そのテロを未然に防ぐために派遣されたんだ!』
ジャックの活躍により、テロリストは予定されていた十時を超えても現れず、憲兵団への警戒を指示して事件は解決するかに思われた。
『我々は亜人解放戦線。すべての亜人への正当な権利と、自治区の成立を求めて戦う戦士である! 我々の要求は、前帝国総代、アルメイ・ポルフォニカの身柄を引き渡すことだ!』
突然公会堂から響くテロ組織『亜人解放戦線』の無慈悲なる宣言! 彼らはたまたま届け物をしに公会堂を訪れていた運び屋の少女・ネコと彼女が運んでいる荷と、人質五十人の交換を提案してきた! 一方現場責任者の憲兵官吏・メルヴィンとドモンは、人命が絡むだけになかなか決断できない。
『こっちは御役目でやってんですよ。一時半の合図で、人質が五十人も殺されるんですよ。そうすれば、僕はよくてクビ、悪けりゃ腹を切らなきゃなりません。あんた、責任とってくれるんですか』
そうしている内に、期限が迫る! このままでは、テロリストの宣言通り、公会堂の中にいる人々は皆殺しになってしまう! そこに再び、未だ潜入したままのジャックより、ドモンへ驚愕のアイデアが提示された!
『ミスター・ドモン! 俺はジャック。特別遊撃隊の捜査官だ! 外に部隊が展開していると聞いた! いいか、奴等の要求を飲むんだ! 俺なら、奴等を泳がせ追跡できる!』
約束の刻限は着々と近づいてきていた。もはやドモン達には、ジャックの言うとおりネコを引き渡すほかない! 村を亜人解放戦線によって滅ぼされたネコの気持ちを汲み取り、同行していたレドは抵抗するが、テロリストはさらなる絶望を彼らに突きつけた!
『貴様らのエージェントは捕らえて殺した。柱時計を操作し、我々の行動を阻害した! その男は、そのために死んだのだ。だが、我々に懸念事項は無くなった。一時間期限を延長する。よく考えることだな』
一方、ジョウとアリエッタの二人は、帝国貴族マシュー・ロドリゲスの屋敷で謎の装置の組立を依頼されていた。見事完成させた装置の前で、マシューは二人に冷酷な本性を表わすのだった!
『群雄割拠の時代が、この大陸にもあった。そうした時代の武将達は、自らの城を建てた後、大工や職人をことごとく殺し、その魂を城の地下に封印したそうだよ。他人に城の秘密を知られないようにね』
腕力で抵抗を試みたアリエッタも、全てを了承済みであったマシューの執事によって降伏を余儀なくされるのだった!
そして、特別遊撃隊局長のウィリアムとクローディアは、衝撃的な事実を突き止める。かつて亜人解放戦線がネコの故郷を滅ぼしたのは、行政府による捏造であったこと。さらにその時点で亜人解放戦線は中核メンバーがほとんど全滅していること……何より、その作戦の中で村人を全滅させたのは、他ならぬジャック・K・バウアードであることが判明したのだ!
午後零時。
ジャック・K・バウアードと、シャイアン博士の護衛のため、一人で残った騎士は、たった二人でホールの異常を確かめんと、ゆっくりと舞台へと向かっていた。
「ミスター・バウアード。いったい何が起こっているのでしょう」
ジャックは、不安げにそう語る若き騎士へ、唸るように返した。彼は歴戦の勇士であり、若い彼に教え諭す立場にあった。
「静かにしろ。テロリストはすぐ側だ。あの悲鳴……おそらくは既に観客は鎮圧されているはず。となれば、俺達が考えている以上にテロリストの人数は多いかもしれん」
銃口を地面へと向けつつ、角を曲がる度に入念に敵の存在を確認する。ジャックはプロだ。若き騎士もまた、栄光ある帝国騎士団の一員として過酷な訓練を積んでいるが、それでもこの男のような風格は出せまい。
「よし。……ここから覗いてみろ」
ジャックは舞台裏と舞台を隔てるカーテンを、肩から下げたホルスターからナイフを抜くと、小さく十字に割き、騎士に覗くよう促した。わずかに、誰かの声が響いている。騎士は、慎重にその穴を覗く。スポットライトが壇上に当たり、今学会一人目の研究者が、何か装置を手に説明を行っていた。
「つまり、この応用により音を箱内に閉じ込めるだけでなく、このように自由に再び音を鳴らす事もできるのです」
妙だ。騎士は若かったが、冷静であった。テロリストによって制圧されているはずの観客の前で、この研究者はなぜ発表を続けていられるのか。彼が腰に帯びた剣に手を触れるのはその直後であったが、遅かった。既にジャックはナイフを坂手持ちに翻し、その喉元に刃を向けていた。
「ミスター・バウアード」
「黙れ! 口を閉じてろ。……いいか。お前は死ぬ。俺が殺す! だが協力するならお前の命は伸びる。簡単な話だ」
「あなたは、一体」
「俺はこの帝国を愛している。それだけだ。……いいか。先ほどの悲鳴は、この発表で使われた装置によるものだ。だが次に起こる悲鳴は、本物だ。お前が起こすんだからな、テロリストとして!」
反論しようと振り向いた若き騎士は、闇の中に浮かぶジャックの目に、不気味な光が宿っている事に気づいた。即ち、狂気の光だ。歪んだ愛国心が生んだ狂気は、彼の言葉でどうにかなるようなものではない。淀んだ黒い水を透明に戻すことは、一朝一夕で叶うことではない!
「行け」
「ミスター・バウアード。私は騎士です。この国を守りたいという気持ちは、あなたと同じはず──」
無情にも、ジャックの刃が振り下ろされ、若き騎士の耳たぶを、まるで果実を切り取るようにたたき落とした! 叫ぼうとする騎士の口を、ジャックは手慣れた様子で塞ぎながら続ける。
「もっと痛い目に遭いたいのか? いいか。君はこの作戦の後、海外へ行くんだ。とても素晴らしい生活が待っている。俺が保証する! その生活を、まさかボロボロの身体で迎えたいとは言わないだろう」
折れた。ジャックはそう確信した。彼は暴力も甘言も自由自在に扱える男であった。優秀なエージェントだった。だが、それも昨日までの話だ。口頭での打ち合わせを間髪入れずに行うと、思考停止に陥った若き騎士はカーテンを抜け──テロリストとなった。湧き上がる本物の悲鳴。ジャックは少しだけ口角を上げると、すぐに二階へと上がった。劇場の小道具である大きな紙を丸めてメガホンを作ると、彼はわずかに窓を開けた。
ここに二人目のテロリストが生まれた。ジャック・K・バウアードは愛国者でありながら、国に背く反逆者となったのだ。
午後四時。
五十人の命が無事解放されたことに、ドモンはまず胸をなでおろしていた。直後、数名の遊撃隊員が息を切らせてやってきたので、彼の緊張の糸は完全に切れ、大きく息を吐き出しながら壁へと背を付けた。
あの運び屋の娘はどうなったのだろうか。
レドがその答えを求めてか、こちらへ冷たい目線を一瞬向けていた。視線は合わなかった。彼はドモンとの関係が明るみに出ることを好ましく思わない。即ち、裏の稼業──殺し屋同士であることを。
「仕方ないじゃありませんか、こっちは御役目なんですから……」
誰に懺悔するわけでもなく、ドモンはそう呟いた。その直後であった。彼に突如突進し、抱きつく影あり! あまりの勢いに肺の中の空気が押し出される! 見覚えのある、自分と同じ黒髪に、ドモンは目を丸くした!
「お兄様!」
涙を浮かべてこちらを見上げているのは、なんと妹のセリカではないか。彼女が学会に参加できるほどの才媛であるということは知っていたドモンであったが、まさかこの場に居合わせていたとは。
「私、本当に……恐ろしかったのです!」
「あ、ああ、そうなんですか。……テロリストは、大丈夫だったんですか。切られたり突き刺されたりしませんでしたか」
「……されておりませんが」
「そうですか、そうですか……残念でした」
「何がですか」
「いえ別に」
どこか納得のいかぬ表情を浮かべてから、セリカは思い出したようにドモンの白いジャケットの襟を掴み揺らした。
「──それより、お兄様! シャイアン博士をご覧になりませんでしたか! 褐色の肌のすらっとした長身の殿方です!」
唐突な物言いと乱暴な扱いに身体を前後に揺らしながら、ドモンは解放された人質たちへと目を向ける。そのような男性はいない。ただでさえ目立ちそうな外見だ。
「まさか、また結婚するだのしないだの言い出すんじゃないでしょうね」
「違います! ジャックというエージェントが、彼を強引に連れ出したのです! テロリストが迫ってきているとかで……そういえば、扉の影から……何やら大きな荷物を抱えた女の子を一緒に連れていたのが見えましたが」
一瞬、ドモンはぽりぽりと頬を掻いただけで流してしまいそうになった──が、次の瞬間、彼の動きが止まった。ジャックがシャイアン博士という男を連れだした。それはいい。だが、大きな荷物を持った少女……つまり運び屋のネコを見たのなら、当然ネコが公会堂へ入っていった後ということになる。しかし、彼女を送り込んだのは、ドモン達が『ジャックが死んだ』ことで万策尽きたと判断したからだ。
ジャックとネコが同じ空間にいるのは、ありえない。
「わかりました。あそこに、金髪の巻き毛の憲兵官吏がいるでしょう? 僕はまだ捜査がありそうなんで、とにかく手続きを踏んで下さい」
「まさかお兄様……シャイアン博士を探してくださるのですか」
セリカが目を輝かせ言う。普段は馬鹿にしているくせに、こういう時だけはきちんと頼ってくるのだから、ドモンにとってはたまったものではない。
「そうは言っちゃいませんが」
「探して下さい。……あの方は、純粋に魔法科学の事を考えている方だと思うのです。だから、こんな形で失われることが……いえ、すみません」
妙におとなしく素直に、妹は兄と同じ癖の強い黒髪をかき分けながら、メルヴィンの元へと向かっていった。直後、近くの建物へ背をつけ、こちらの話を聞いていたレドが、黒い着流しについた埃を払いつつ、背を向け歩き出した。ネコはまだ生きている。レドにとっては恐らく、それで十分な情報になるのだろう。
ドモンは違う。もしシャイアン博士を追うのだとすれば、問題がある。ジャックたちがどこへ向かったのか。それを推理する材料が無いのだ。ドモンは珍しく働かない頭を働かせつつ唸る。その時、ちょうど遊撃隊員が通りかかり、先ほどしたように、背中の荷物から伸びる受話器をドモンへと渡してきた。恐る恐るその受話器を耳につけると、まるで脳を貫通するような音量の声が飛び出した!
『人質は開放したのか!』
「誰です、一体!」
『特別遊撃隊のウィリアムだ! その声はミスター・ドモンだな! 人質は開放したのか!』
「ええ、しましたよ」
『シャイアン博士は? ……ジャック・K・バウアードは!』
「見てませんよ。実は、僕の妹がその二人を見てましてねえ。人質交換のために送り込んだ、運び屋のネコって子と一緒に、どっかへ消えちまったみたいなんですよ」
絶句。しばらく、受話器から声が消えた。頭を抱えているのは、こちらも同じだ。
『ミスター・ドモン。詳しくは後で説明するが……今回のテロ事件、ジャックが犯人の可能性が極めて高い。この公会堂がテロの標的になったという情報を掴んだ隊員を殺害したのも、銃弾の特徴から彼の持つ銃である事が分かった』
「なんですって」
『さきほど説明したとおり、シャイアン博士は爆発魔法のスペシャリストだ。彼の持つ新型爆発魔法の理論は軍事転用されれば、非常に危険なのだ。イヴァンが灰燼に帰す事も考えられる。我々……そして君の責任も、恐らく重大なものとなるだろう』
「僕は関係ないと思いますがね」
ドモンは毅然とした態度で言い放ったが、ウィリアムはそれを超える勢いで言葉を返した。ドモンは顔をしかめたが、何の解決にもならなかった。恐らくこの声の主は、こうした形で幾度も他人を巻き込んできたのだろう。良い意味でも、悪い意味でも。
『我々は運命共同体だ、ミスター・ドモン。捜査に協力してもらいたい。悪しき禍根を、ここで経たねばならないのだ』
無常にも通信は切れた。
午後五時。
公会堂のある通りを折れ、高級住宅街、ファム・ファタール・ストリートへと入れば、家路を急ぐ行き交う人々に紛れる事は難しくなかった。それに紛れつつ、ジャック・K・バウアードと運び屋ネコ──そして、フードを被せられたシャイアン博士は、まるでファム・ファタール・ストリートの影のように構築されたスラムを抜け、とある屋敷の裏口へと入っていった。薄暗い屋敷。ジャックは肩のホルスターから銃を抜き、あたりを警戒した。
「待っていたぞ、ジャック」
モノクルをガウンの袖で拭いながら、ゆっくりと螺旋階段を降りるものがあった。薄暗い屋敷を照らすランプを持つのは、彼の執事だ。二人の姿を目にし、ようやくジャックは銃口を下ろし、人質である二人に言い放つ。
「跪け」
「ミスター・バウアード。これは一体……」
シャイアンは未だにどうも状況が飲み込めていないらしく、フードを持ち上げながら困惑した様子で言った。だがそんな彼にも、ジャックは鬼の形相で言葉を繰り返すばかりだ。
「跪け! はやくしろ!」
ネコは震えていた。ジャックによれば、テロリストは死んだらしい。なら、なぜこんなことになっているのか。全くわからない。彼女は強い女であったが、今日起こった事は彼女の能力の範疇をはるかに超えてしまっていた。
「ロドリゲス卿。約束どおり博士と物資を持ってきた。装置は完成しているだろうな」
「もちろんだ、ジャック。君は僕を裏切らないな。昔からそうだ。……早速実験をしよう。装置の準備はできてる」
背を向け階段を登っていくマシューを見て、ジャックは跪く二人に今度は立ち上がるよう促した。二人は顔を見合わせ、ジャックに小突かれながら、徐々に上へと登っていく。廊下を抜け、二人が入るよう促されたのは、ただっ広い部屋に誂えられた、鉄骨で組まれた奇妙な装置であった。
「さて、君。そう、運び屋の君だよ。荷を下ろして解きたまえ」
ネコにはマシューに言われるがまま、荷を下ろし、自分が背負っていた荷を解く他無かった。おそらくここで逆らえば、殺されるだろうからだ。
「素晴らしい流体だ。注文通り、発射後に尾翼がせり出すようになっているようだね」
彼はそう嘆息すると、執事、そしてジャックと共にそれを持ち上げ、装置につけた。この場に現代の人間がいたとすれば、その装置の事を『まるでロケットの発射台のようだ』と表現することが出来ただろう!
「フフフ。いや素晴らしい出来だ。ジャック、これは科学の偉大なる第一歩だぞ。……ご高名なるシャイアン博士ならば、この装置がどのような物を目指すものか……お分かりいただけるものと思いますがね」
マシューは大いなる力に酔いしれるが如く、手を広げロケットに崇拝を捧げた。しかしネコはもとより、シャイアン博士にも事態がまるで把握できない。彼らの疑問符を打ち消すように、マシューは振り返りニヤつきながら口を開いた。
「ドラゴンは空を飛べる。竜騎士で無くとも、人はドラゴン便によって空をとぶことができるようになった。博士、いずれはあなたのように大陸を超えて空の旅を楽しむことができるようになるだろう。……しかし、このマシュー・ロドリゲスはそれよりもっと先を目指す! 空よりずっと先の世界を……」
誰かが笑った。マシューでは無い誰かが。くぐもった笑い声が、マシューが先ほどしたような笑い声になるのに、そう時間はかからなかった。
困惑するマシューは、その場にいる全員へと顔を向ける。笑っていたのは──シャイアン博士!
「夢物語ですな、ロドリゲス卿。あるかもどうか分からぬ世界のために、ここまで大掛かりな事を仕組んだのですか」
端正な顔立ちにあからさまな侮蔑の笑みを浮かべながら、シャイアン博士はそう言い切ってみせた。マシューは執事へ目線を送る。執事──彼はマシューの忠実な部下だ。どのような任務でもこなしてみせる。ジャックとの連絡調整も、彼がつけた。もともとジャックとは、帝国成立以前、王国軍に所属していた時からの、上司部下の関係だったらしい。
マシューが命じれば、シャイアンだろうと何だろうと即殺す。それだけの忠義関係がある。それが、彼の余裕の一端であった。
「言葉を謹んでいただきたいものだ、博士。……あなたの魔導回路によってもたらされる爆発魔法の力は、このロケットを空の先へと送るはずだ」
「なるほど。そのために私を強引に連れてきたと」
シャイアンの表情は、なおも余裕ある笑みを浮かべたままであった。彼は不意に立ち上がった。マシューは執事を見る。動かない。ジャックも銃口をネコに向けたまま動かない。
「私が生まれた頃……この帝国はまだ成立してもいなかった。まだ幼い私と母は、島流し同然にこの大陸を追われた。小舟で送り出されて、三日もしないうちに母は死んだよ。父親が何をしたのか、私は知らない。でも母は最後まで呻いていたよ。『アルメイ・ポルフォニカを許してはならない』とね」
鈍い音がした。直後、マシューの視界は回転する。後頭部を殴られた。一体誰に? 膝をつき見上げると、手刀を作った執事が見下ろしているのが見えた。まさか。
「申し訳ありません、旦那様。全ては復讐のため。シャイアン博士はジャックと私の復讐に賛同する形で加わった同志。この企みは、もはやあなたの夢物語では済まぬところまできているのですよ」
「謀ったのか……私を……!」
「その通り」
あろうことかジャックは、ネコに自分の銃を持たせ、こちらに照準を合わせているところだったのだ!
「俺も、貴様の執事などに身を落とした隊長も──この国を愛していた。国のためなら、なんだってやった。俺はイヴァン郊外の村だって、命令を受ければ全滅させたさ。だが国は俺達を愛してくれなかった! 俺達に残ったのは、共通点だけ──アルメイ・ポルフォニカへの復讐を願うことだけだ。俺達はそれを果たす。他ならぬ、国のために。正しき評価がくだらない人間が何をするか、俺達で彼らに伝えるために。俺が……いや俺達こそが、国を憂う真の愛国者と証明するために! この新型爆弾を、行政府へと叩きこむ!」
突如ネコはジャックを振りほどき、立ち上がり部屋の隅へと逃げる! そして震えながら銃を握り、ジャックへとその暗い口を向けた。父の仇、母の仇。友人たちの仇。こんな所にいたのだ。こんなところに!
「あんたが、村を!」
「ジャック、生き残りか。貴様らしくない」
執事はにわかに軍人めいて厳しい口調でジャックへと言葉を投げつけた。ジャックは舌打ちすると、ネコへとゆっくり近づいてゆく。徐々に追い詰められていくネコ。彼女はとうとう部屋の隅へと追い詰められる。逃げ場の無くなった彼女は、トリガーに指をかける!
「どうして、みんなを殺したのよ!」
ジャックはさして疑問に思わない風に、即答した。
「決まってる。命令だからだ」
しかし、弾は発射されることはなかった。突如彼女の立つ床が扉のごとく開き、彼女をその暗い穴に吸い込んだのだ! 彼女は見た。ジャックが笑みを浮かべているのを。仇の顔は遠ざかっていき、やがて消えた。
「隊長。困ったことになった。マシューをどう消す?」
執事は上着を取り、強引に主人だった男を立たせた。マシューは恐怖の表情を浮かべたまま、ネコが吸い込まれていった床に誘導される。口をぱくぱくとさせるその姿に、かつて巨大な夢を語った男の姿はない。
「決まっている。自分でやるさ」
何か言おうとするマシューの腹に、老いた隊長は使い込まれた軍用ナイフを刺した。決別の刃の後、床が無情にも開き、マシューの身体と血を吸い込んでいった。
午後六時。
特別遊撃隊の司令室では、ウィリアム以下職員はうなだれていた。同じ仲間であったはずのジャックが、首謀者であった。そして彼によってシャイアンは攫われた。すべてが後手に回ったのだ。このままでは、職員全員首、最悪の場合自害を命じられかねない。
「局長。元気だして下さい」
資料を整理しながら、クローディアは言った。彼女の率直な励ましも、今のウィリアムにとっては何の励ましにもならないのだ。
「すまない。……全員、手を止めてくれるか」
頼れる指揮官の沈んだ声に、数十人のスタッフが手を止めこちらを見る。彼らの顔を一段高い場所から見下ろしながら、ウィリアムは言葉をかけた。
「……今回の件については、すべての責任は私にある。よってこの事件の終結後に──」
「局長! 入電です! 緊急回線のようですが、一体……」
クローディアがほとんど悲鳴に近いような声で叫ぶ。スタッフが持ち場へと慌てて戻り、ウィリアムもまた中央の魔導スクリーンを見つめた。映像は入ってこない。どうやら音声のみの通信のようだ。
「こちら特別遊撃隊のウィリアムだ。君の名前は」
『こっちは、マシュー・ロドリゲスだ。ウィリアム君』
マシュー・ロドリゲスの名前は、ウィリアムも知っていた。変わり者の帝国貴族で、魔法科学関連の研究をしているとか。特別遊撃隊で使用している通信システムの開発にも、携わったという話を聞いている。
「ロドリゲス卿、一体どうして」
『研究中の携帯通信機を使用しているんだ。それより、緊急事態だ。私の屋敷にテロリストが現れた』
思わぬ情報に、ウィリアムは周りのスタッフを見回す。皆驚きのあまりざわついていた。とにかく、これは名誉を取り戻す最後のチャンスかもしれない。
「テロリストとは」
『ジャックと名乗る男、そして私の執事──最後に、シャイアン博士』
「なんですって、嘘でしょう!」
クローディアが思わず毒づく。ウィリアムも同じ気持だ。混乱し叫びだしそうになるのをこらえ、ウィリアムは続けた。
「シャイアン博士がテロリストとはどういうことです」
『彼は帝国生まれだったのだ。宰相だった時代に、彼の父親はアルメイ様によって処断され、母親と幼いシャイアン博士は島流しの憂き目にあった。ジャックと私の執事も理由は違えど、アルメイ様への恨みを持っているということだ』
再び頭を抱えたくなるような事実に、ウィリアムはくらくらした。そして彼は局長であることを放棄した。もうどうにもならない。今回の事件において、彼はあまりに後手に回りすぎた。もはや責任はウィリアムには負いきれない。
そして、彼は思いついた。この苦境を投げ出し、自らは最低限の軽傷ですませることができる、妙案を。
「分かりました、ロドリゲス卿。しかし我々の隊員も皆出払っている状況です。我々の捜査に協力してもらっている、憲兵官吏のドモンという男を派遣します。時間を稼げますか」
『ドモン、ですか。では、その憲兵官吏にこちらからも伝えて頂きたい。『すでにつなぎはつけている』と』
彼の言葉は短かったが、それと同じくらいウィリアムには時間が無かった。彼にはやるべきことが残されていた。それだけが、彼の保身を保証できる唯一の方法であったのだった。
午後七時。
ドモンは、喧騒の無くなったファム・ファタール・ストリートの裏路地を歩き、とうとうそこに辿り着いていた。帝国貴族、マシュー・ロドリゲスの邸宅前。静かであった。まるで先ほどまで、事件など何も起こってもいなかったかのように、魔導式のランプが灯す炎の音、そして遠く離れた街の喧騒のみが、ドモンの耳に届いていた。
「二本差しの旦那」
ドモンがふと上を見回すと、邸宅の高い塀の根本に格子が嵌っており、青年が細い目でこちらを見上げていた。ドモンは腰を叩きながらしゃがみこむと、青年──ジョウへと話しかけた。
「あんた、なんでこんなところにいるんです」
「決まってるでしょ。仕事だよ。アリーも一緒。旦那、はやく助けてよ。僕がギリギリ通れる通路は見つけたんだけど、アリーがダメなんだ。ここの執事と来たら、アリーをナイフ一本で黙らせたんだよ。のこのこ登って行ったら、殺されちゃう」
ドモンは辺りを見回してから、頬をぽりぽりと掻く。困ったことになった。特別遊撃隊は手を引いた。ウィリアムは職を辞し、知らぬ存ぜぬを決め込もうとしている。
「ジョウ。……女を見なかったか。短髪の女だ」
闇から、よどみのない声が響いた。ドモンが振り向くと、黒スーツに黒いシャツ、赤いネクタイを締めた──即ち『夜』の姿へと変わった、レドが立っていた。髪色と同じ赤錆色の瞳には、どこか焦りを感じさせた。
「……死んだよ。ここじゃなんでも、へんな実験をやってて、僕とアリーはその実験装置の組立をやってた。マシューは、そもそも僕らを生かして帰すつもりが無かったらしくて。床が開いて落っこちる仕掛けを作ってたんだ。僕らはおとなしく入っていったから無事だったんだけど、彼女、ジャックとかいう男に突き落とされて、打ちどころが……悔しい、悔しいって……何度も言ってたよ……」
レドはいつもの鉄面皮であったが、顔を上げ、きっと屋敷を見つめた。ネコを殺した男は、そこにいる。
「旦那。これ。マシュー・ロドリゲスの財布からだ。本来は僕とアリーの取り分だからね。盗んだわけじゃないから勘違いしないでよ」
金貨十枚。即ちレドと分けて一人頭五枚だ。つまりこれは断罪となる。『待ってたら船が来た』のことわざ通りである。ドモンは自分の分を白いジャケットの右袖にあつらえた隠しポケットへ収納し、残りを後ろ手でレドへと手渡した。
「ま、そのほうが話は早いでしょうね。……上の連中は、あんたらもマシュー・ロドリゲスも見捨てちまったんです。全部無かったことにするつもりでね」
「そりゃ大した余裕だなあ。……やつら、なんだか企んでるみたい。新型爆弾だとかなんだとか言ってるんだよ。イヴァン全部吹っ飛ばすようなやつだったら、どうするつもりなんだろうね」
ドモンは呆れたようにそういうジョウに、シニカルな笑みで返してみせた。ドモンも含めた治安機構の人間は、所詮役人だ。彼らの正義は給料と立場に縛られたものであり、それを超えることはできないのだ。
「その時はその時でしょう。ま、大義名分と金があるなら、十分ですよ、僕らには。ねえ」
ドモンは再び振り向くが、闇が広がるばかりであった。レドの姿は、すでにそこには無かった。
午後八時。
マシューの邸宅一階、玄関ホールに誂えられた柱時計が鳴った。直後、扉がぎいと音を立てながら開き、影が忍び込んだ。本来ならば、気付かれぬほどの小さな音で済んだはずであった。
二階の実験室にいた、老いた執事のみがその異常に気がついた。かっと目を見開き、ベストの下に仕込んだナイフを抜く。
「隊長! ……何があったんですか」
ジャックは尊敬とともに、かつての上司に尋ねた。鋭い目と手をかざすことで、執事はジャックに有無を言わせず、部屋の外へと出た。
階下はランプをつけていない。月明かりが窓から差し込み、朧げに柱時計を照らしているのみだ。闇。執事は手慣れた様子で廊下の壁にかけていたランプに火を灯し、階下を照らす。誰もいない。扉も閉まっている。
「……誰も、いないか」
ランプを手すりに置く。
長い影が二つ伸びた。影の一つが高く手を掲げ、持っていた長柄の何かを振り下ろした。無音。空気を裂く音すら聞かせないまま、執事の首筋に冷たい何かが差し込まれた。激痛。に執事はランプを手に取ろうとし、失敗した。わずかに光源がずれ、ぞっとするほど冷たい目をしたレドの姿を浮かび上がらせた。執事はそのままナイフを取り落とし、手すりにしがみついたまま絶命。身体にランプが当たり、階下に落ち割れる!
「何事だ!」
ジャックはホルスターに手をやる──が無い。突き落とした女が握りしめたままであったのを思い出し舌打ちすると、腰に帯びた長剣を抜いた。
「博士! 爆弾の発射まで後どれくらいだ!」
シャイアン博士は装置の調整に余念がない用で、ジャックのほうを見ようともしなかった。
「一時間だ」
「三十分でやれ! 俺は様子を見てくる」
そう横柄に言い残し、ジャックは実験室を出て行った。その直後のことであった。こつこつと床を叩く音がした。始めは虫を決め込んでいたシャイアンであったが、いらついた様子で持っていた工具を置き、音のするほうへと向かう。マシュー、そしてネコを突き落とした落とし穴から、音がする。
「……馬鹿な。誰か生きているとでも」
「ああ、どうかここを開けてくれないかしら」
シャイアンは驚いた。なにせ、その声は先ほどこの穴に突き落としたばかりの、ネコの声とほぼ同じであったからだ!
「ねえええ。開けて、開けて」
「馬鹿な。霊とでも言うのか…… そんなものは、非科学的だ!」
褐色の端正な顔を歪めると、足元にあるスイッチを押しこみ、落とし穴の扉を開ける。すえた血液の臭いと闇だけが広がっているだけだ。シャイアンは半笑いになりながら、穴を覗きこんだ。それがいけなかった。
突如、腕が伸びてきた。暗闇から伸びたそれは、覗きこんできたシャイアンの首を掴み──恐るべき握力でばきばきと骨を砕き始めたのだ! 腕の持ち主は、くすんだブルーの前髪を掻き分け、赤渦を巻いた瞳で闇から這い出てきた、シスター・アリエッタ!
「ええ。霊はいない。ジョウ、声真似はもう結構ですよ。……そして神もこの世にはいらっしゃらない……」
なんたる握力! 彼女は常人であれば登り切れぬこの落とし穴を、壁に貫手で穴を作ることで登り切ったのだ! ジョウの声に相手が動揺し、この穴の扉を開けることを予見して!
無事脱出した彼女はシャイアンの首から手を離し、同じくアリエッタを追って壁を登っていたジョウを引っ張りあげた。そして、ごぼごぼと血の泡を吐くシャイアンの首根っこを掴んで立たせ、股から手を通し持ち上げ、一気に落とし穴に放り投げた! これぞ現在で言う、バックドロップである!
断末魔の叫びすら許されず、彼は暗闇へと落ちていった。
「……何、つまらなそうにして」
「神の慈悲が届かぬ場所よ、ここは。屋根の上が良かったわ」
ジャックは、廊下で崩折れたかつての上官の姿を見た。彼は既に事切れていた。こう暗くては、死因の特定もままならぬ。階下では割れたランプから漏れた種火が、わずかにくすぶっていた。
「一体、何が起こったと言うんだ」
ジャックは慎重に剣を構え、切っ先をあたりに注意深く向けつつ、階下へと降りた。誰も居ない。柱時計が、コチコチと音を立て時を刻んでいるばかりだ。
その時、屋敷の扉がぎいと開いた。ゆっくりと光の筋が伸びる。月明かりの朧げな筋の中に、誰かの影が伸びた。
「誰だ!」
「や、どうもすみません。どうも焦げ臭いにおいがいたしたものですから。……怪しいものではありません。イヴァン憲兵団憲兵官吏、ドモンと申しますが」
ドモン。昼間、公会堂で通信をした憲兵団の現場責任者が、そうした名前ではなかったか?
「ミスター・ドモンか」
ドモンは姿を見せない。影が揺れ、首に巻いたマフラーの影が光の筋をちらちらと侵食した。
「おや、その声は……ジャックさんでしたかねえ。確かあなた、亡くなられたのでは」
「ああ。あれはニセの情報だ。まだ生きている。……ここは危険だ。俺はまだ捜査中なんだ」
ジャックはゆっくりと扉に近づいた。影はまだそこにあった。ジャックは剣にも長けている。飛び出していって、一息に仕留めれば、騒ぎにはならぬ。あの爆弾さえ射出すれば、全てが代わる。少しのミスは帳消しだ。
「……この国を守るために、俺には……まだやるべきこッ」
構えていた剣が床へと転がった。彼の胸から、細身の剣の切っ先が伸びていた。ドモンが扉の後ろから、短剣を抜いて扉事ジャックの身体を刺し貫いたのだ!
「あんたねえ、働き過ぎなんですよ。死んでも働くなんて、ばからしいじゃありませんか。おあつらえ向きに……地獄にゃ残業はねえらしいですよ」
ぶつりと剣が抜け、ジャックの身体が床へと転がる。彼は既に絶命していた。それをしっかり見届けると、ドモンは短剣の血を振って落とし、鞘に納めた。
しばらく経って、翌日の午前五時五十分頃。
ドモンの帰りは遅かった。なにせ、特別遊撃隊の連中が軒並み事件から手を引いたことで、すべての報告責任がドモンに押し付けられたのだ。幸い『公式』には無かったことになった事項が多く、ドモン自身への責任は極めて限定的になったことだけが、彼にとっての幸運であった。
「なんで僕がこんなことまでしなくちゃいけないんでしょうねえ……疲れましたよ、全く」
彼は息を殺し、ゆっくりと玄関に入り込んだ。既に朝日が差し込もうという時間であった。まだ妻のティナも、妹のセリカも寝ているだろう。そんな期待のもと、キッチンを通りぬけ、寝室へと入り込もうとした矢先であった。
「……あなた、朝帰りですか」
ティナの眠そうな声が、キッチンに響いた。彼女はなんとダイニングテーブルについて、目の前に軽食を並べ、カゴをかけたままにしていた。ずっと待っていたのだ。
「や、そのう……ずっと、待っていたんですか」
「ええ。本来ならばあなたの事を叱ろうと思ったので。ここで待っておりました」
ドモンは彼女の向かいに座る。眠気は吹っ飛んでしまった。また朝から何を言われるかわからぬ。
「あのう……実は」
「言い訳は結構です。……義姉様から伺っております。大変な事件があったと」
「……はい」
「ですから……あなたが無事戻ってきてくれた。私にとってはそれで十分なのです」
驚いた。ティナがそのような殊勝な事を言うとは。ドモンはなんと言って良いものか分からず、ぼりぼりと頭を掻いた。
「君が、僕にそんなことを言ってくれるなんて」
「ええ。……では、食べて下さい」
「はい?」
「朝食ですから、食べて下さい。久しぶりに私が腕をふるいましたので。義姉様の助けなしで」
ドモンは引きつった笑みを浮かべながら、スプーンを取った。ティナの料理は、特別食えないほどマズくはないが、絶妙にマズいのだ。少なくとも疲れている時に嬉しい味ではない! しかし彼女が珍しく嬉しい事を言ってくれた直後、それをはねのけることだけは、ドモンには出来ないのであった。
午前五時五十九分五十八秒、五十九秒、午前六時。
拝啓 闇の中から長日が見えた 終




